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Message From Tokuda
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ヒカルの碁 |
Date: 2007-01-13 (Sat) |
ヒカルの碁
1998年から2003年までジャンプに連載された「囲碁」漫画。
少年漫画のテーマも色々ありますが…、
さすが先進国日本、なんでもござれで、
いまや「パン職人になる!」というのだってヒットしてアニメ化されるこの懐の深さよ。
これはひとえに書き手の工夫だけでなく、読み手の成熟あってのことだと思う。
その証拠に、たとえば海外に発信するとして、
吉田戦車の一連の作品や、『クロ高』などは、たとえ翻訳したところで、
ある程度のマンガを読んでないと、その面白さが理解できないのではないでしょうか。
日本は書き手だけでなく、読み手のマンガ文法理解力も高い、ちゅうわけです。
と、いうことでそんな成熟した読者相手にも、なかなか「ネタ」にされなかったのが囲碁。
日本が本家の国民的遊戯、にもかかわらず今となってはその理由は謎。
ルールが覚えにくい…というのも、競技人口のメイン年齢層…というのも、
理由としては決定打に書けると俺は思う。
さて…しかしながら、この作品も見事にヒット。
小学生を中心に絶大な「囲碁ブーム」をまきおこした。
たいしたもんだ。
しかも、「でもサスガに海外ではウケないでしょ…?」
と、誰しも思ってたところだが、
囲碁が流通しているアジア諸国ではバカ受け。
これは想定内としても。
囲碁未開の地アメリカで、翻訳が始まったとたん人気が出たのは予想外。
引っかかったのは、子供でなく、
「日本の漫画が好きな大学生」が中心で、
それは、
『バベットの晩餐』観たら、豪華フレンチのマジコースを体験してみたくなったり、
『ツインピークス』観たら、チェリーパイ食べてみたくなったり、
『キンクス』聴いたら、ウォータールー駅の夕陽を見たくなったり、
『ブルースリー』の後は、ヌンチャク買ったり、
するようなものだろう。
んでもって、昨年からはついにドイツで翻訳が開始されたという。。。
多分、アレだね。
もうどこにでも出して大丈夫なんだね、この作品は。
と、いうことでですね。
年末まんだらけで、イッキ買いをし、年越しのおとものひとつとなった、
通称『ヒカ碁』をご紹介。
しかし、まんだらけって、在庫の状態もいいし、値付けも安いね〜!
さてと。
この作品の最も工夫した点は、
「ルール説明を切り捨てた」
とこでしょう。
* 読めば囲碁が覚えられる
という風にせず、
専門用語をかっこよく、誰もが共有できる感情を描き、の上で味わう、
* 雰囲気マンガ
とした点。
これですな。
これが良かった。
囲碁はすべてのルールを覚えるのがやっかいなので、
そこまで読者を育てて(物語をスタートさせ)たら、こりゃ大変だぞと。
でもそのかわり、
見せ方には知恵絞ったでしょうね。
第1巻の対局から、
「打ち込み」「生き死に」だ、
「コスム」だ、
「ノゾく」だ、
なんて、囲碁用語を説明ナシに交えて、
お、なんかカッコええな?と魅せる魅せる。
囲碁用語は長い歴史のなかで、
一般の生活用語に入り込んでいるものも多いので、
雰囲気はなんか伝わるんだよね。
まして、いくら覚えにくいとて、
「タイマンの勝負事」なのだからして、
勝った負けたのドラマははっきりあるし。
主人公は、
もちろん、「囲碁をまったく知らない小学生」。
ときて、
→成仏できず幽霊と化した伝説の碁打ちが、主人公にある日憑依。
→その幽霊は、現役のタイトルホルダーの上をいく、歴史上最強と評される棋士だったのだ。
→主人公にだけ見える、話せる、ことにより、
→主人公は初心者ながら、格上のライバル、大人、プロをバッタバッタを負かしていく…。
当然この設定だと、主人公=読者とすんなり同化できるわけです。
「碁」という世界の話だけど、
ドラえもんのポケットや、アムロのニュータイプ、新一のミギー、魔太郎の呪い…と、
構造はいっしょです。
主人公の男の子にふりかかる王道の展開!だな。
そしてここに、
兜甲児の有名なせりふを引用する。
「ある日、突然君が常人以上の力を持ってしまったら、
君はそれをどう使う?
世界を救う勇者になるのか…それとも…」
そう、そのあと、主人公はどうするか、コレがポイント。
ちなみに、甲児君は、マジンガーZを世界を救うために使いましたね。
ここで主人公、ヒカルは、ジャンプらしく、
「自分も打てるようになる!」
と幽霊をコーチ役として、『努力』を重ねていくことを決意するのです。
花形満のような同い年のライバルキャラ(サラブレットのプロ同然小学生)が現れ、
初心者以下(実際やったことないんだから)のヒカルに一刀両断され、
激しく動揺し、しかしさらなる鍛錬を積み、震えながら自分に再挑戦してくる姿に、
ヒカル自身が心打たれる…。
「でも、あいつが震えながら向かっているのは、俺になんかじゃないんだ(幽霊に、なんだ)」ってね。
ジャンプらしく、なんて皮肉っぽく書きましたが、
やはり読んでてやっぱ一番熱い展開ですね、これが。
普通だったら、このまま楽してプロになって努力ナシで大金稼ぐけどね!
ってところをストイックにドラマツルギー。
ヒカルが決意する流れも焦らず、ごく自然で、
ちゃんと碁の面白さにも気づいていってる感じがとてもいいです。
読者のちびっ子もこの辺りで、
「自分もやってみよう」
って思うんじゃないですかね。
こうなりゃ、あとは一本道ですよ。
勝ったり負けたりしながらプロを目指す。
で、いよいよ、
幽霊でなく、「ヒカル自身が」花形満と対局する、と。
と、なると、、、
その幽霊さんはどうなるの?というところ。
もちろん、消えてしまいます。
ヒカルが自分の力で碁を打ち出し、
強くなり始めた頃から、
「私には時間がない気がする…」
とモノローグする幽霊。
一方ヒカルは、
「幽霊なんだから永遠に生きられる=ずーっと碁を打てる」
ということで、幽霊さんに打たせることをしなくなります。
「自分の力でやりたいんだよ!」と。
そんな恩人に不義理してる頂点で、
幽霊は成仏してしまいます。
ここが、物語のヤマ場。
幽霊が成仏するのは、ヒカルがプロになった物語的に実に華々しいタイミングなので、
かなり効きます。
ここまで読む手は止まらないですね。
そして、我々読者も大きな喪失感を味わいます。
ヒカルは察します。
最近碁を打つ機会を与えてなかったことを悔やみ、
なにより、心のより所を失い、激しく動揺。
スタートしたばかりのプロの対局を無断欠席し、
あげく「もう碁はやめて普通の中学生に戻る」と。
(参考:10代のプロは決して珍しくない)
ここから、ヒカルが碁の世界に戻ってくるまで、
そして胸に何を秘め、碁を打っていくのかが、最終回までの見所です。
最終回にその思いをついに口にしますが、
ここに感動極上のジュブナイル完成、といった感じです。
週刊連載の時間進行と作中の時間経過はリアル進行し、
登場人物の作画もどんどん大人っぽくなるのも注目どころ。。。
その作画!!!
思い切って、作画こそ『ヒカ碁』最大の魅力、と言う人もいるかもしれませんね。
『ヒカ碁』の原作は、ほったゆみ(実際は旦那さんも協力)で、
作画を担当したのが、
『デスノート』で、超超超極細流麗な凄まじい作画を披露した、小畑健!
(ヒカ碁のすぐ次にスタートした連載がデスノート)
小畑健はデビュー作以外は、すべて原作付き、という、
典型的な、
「池上遼一」タイプ。
その小畑の画力の完成を見たのが、
この『ヒカ碁』だ。
単行本1巻の頃は、まだ線も普通。
当時としては細いとは思うが。
この頃すでに、
「絵は一級品」という評価を業界で勝ち得ていたようですが。。。
たしかに、ロリ女子はかわいく描くが、大人の造形がもうひとつグッとこない。
それが!
巻を追うごとに、限界に挑戦するように線は細くなり、
女性は年齢を問わずひたすらかわいく、キレイに。
そして大人の男、とりわけオヤジがうまいうまい。
なにせ「碁」だけに、オッサンの登場にはことかかない。
小畑氏も「オジサンを描くのが楽しく、時間をつい書けてします」と言っているだけはある。
まぁ、しかし、女の子だろうな、真髄は。
ジャンプお得意の「キャラ人気投票」を連載中何回かやってるが、
サブキャラ三谷の「お姉さん」なんてのがベスト10に入ったりしてるワケだ。
三谷の姉さんなんて、名前もないし、登場も2回ぐらいだぞ。
でも名もない脇役あたりまでに、
「性格まで透けて来るような、かわいい女の子(服装込み)」
を投入出来る余裕があるというね。
ま、それだけ人物の描き、がすごいちゅうわけです。
逆に、後半は「子供」がうまく描けなくなってきます。
(なんとなく大人っぽくなってしまう)
デスノートでさらに深化してみせた、
極細流麗リアルタッチ、がそうさせるんでしょう。
つまり、連載後半はデスノートで見せ付ける事になる、
* 色気を伴うイケメン青年男子
の描きが極まっていくのです。
ホント、すごい絵ッスよ。
ちなみに俺の好きなキャラは、加賀かな。
やっぱり『はだしのゲン』の隆太みたいに、主人公の脇でスカッと暴れるキャラは、
惹かれますな。
この物語の性質上、
(みんなプロ、そして神の一手を極める、とか言い合う)
出てくるキャラは、どうしても破天荒にできない縛りがでてくる。
最初の登場で、何度も“悪ガキキャラ”にしようとしても、
ヒカルのそば(碁界)にいる以上、それはどうしても許されず、
軌道修正が図られてしまうのです。
和谷とか、団体戦に出てくる社君なんかソレですね。
ということで、囲碁を嫌って将棋の道を行く加賀は、暴れ放題。
高校に入ってからのアロハ姿もなかなかで、
俺のお気に入りというわけ。
しかし、やはりね、ほったゆみの原作は練られてます。
作中非常に印象に残ったセリフがありました。
ひとつはヒカルで、
「いったん上がった段は落ちることがないから…このインチキ7段め!」
みたいなセリフがあります。
プロ高段者である事を利用して、
偽物ビンテージ碁盤を売ってる男に対して怒りました。
「上がった段は下がらない」
これはプロの世界で、実際に問題になっていることです。
囲碁のプロ棋士は勝ち星を重ねると、段が上がる仕組みで、
たとえ、100勝達成のあと、怒濤の1000連敗しても、
100勝に相当する段をキープできるのです。
よって、現在最高段位である
「9段」
のプロ棋士だらけの状況ができつつあり、
今、その是非が問われています。
それでたとえば、
* プロは8段と9段、このふたつだけにする
(現状は初段からスタート)
なんて、案が昨年提出されたりしています。
可決されないでしょうがね。
このインフレは利用価値があると同時に、
結局自分らの首を絞めかねない制度なのです。
そしてもうひとつ、
終盤に登場する関西人キャラ、15歳の新人プロ、社君。
彼のお父さんは息子のプロ入りに反対していると。
社君は、
「国際団体戦のメンバーに入り、国の代表となって戦う姿を見せ、おとんに認めてもらう」
と、一生懸命。
無事それは叶い、大会当日、客席にはなんと父の姿が。
まわりの観客はプロ一年生の社君の打ち回しに感心する声。
しかし父はそれを聞きながらも、途中で席を立つ。
社君の師匠は、あわてて追って声をかける。
「社君、立派じゃないですか。すごい舞台に立ってます。しかも有望です。認めてあげてください」
ここで、普通のドラマツルギーだと、
親子の邂逅が(少なくとも何%かは)あるんですが、
お父さんは冷静に突き放し去っていきます。
「息子が有望なのは分かった。
でも囲碁界自体は有望なのか。
私のまわりで碁が打てる者は少ない。
息子にいたっては、碁が打てる友達がひとりもいない」
これはリアル厳しいセリフです。
まったくお父さんの言うとおり。
このシーンは、ほったさんからの、連載終了間際だからこそ発した、真摯なエールでしょう。
単なる「ネタ」として囲碁を取り上げた、稼いだら撤収する通りすがりの人ではないぞと。
そんなことまでも感じさせた、以上、『ヒカ碁』でした。
さて!
オマケに長年誰かに答えてもらいたい、囲碁関係のトリビア。
バート・ヤンシュとジョン・レンボーンのふたりが、
ペンタングル結成前に発表したアルバム、
『Bert And John』。
このジャケは、なんとふたりが部屋で囲碁を打っている写真!!!!
このアルバム発売時は1966年と古く、
いったいどういう経緯でこうなったのか滅茶苦茶知りたいのです。
ふたりは「打てた」のか。
それとも、ジャケ写の小道具として「打ってるフリ」?
現在もイギリスは囲碁不毛の地であり、
まして40年前の66年、ということでこのジャケットを見つけた時は大変驚きました。
ちなみに音楽の内容は、このふたりのギタリストが、
トラッドをジャズ的ニュアンスで弾く…というもの。
ふたりはこれを発展させて、
バンド形式でフォーク、ブルースまで混ぜ込む。
そいつがペンタングル。
嬉しい事に、世界初(唯一?)の囲碁ジャケのこのアルバムは、
ブリティッシュ・フォーク、トラッドを語る上で避けて通れぬ1枚、なわけです。
(了)
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