各地 ことば悦覧 ことば紀行 2008年4月08〜16日   home 

  東京 あらまし編   
 東京ことば悦覧の様子
 4月18日 昨夜から 雨 

8〜11日までの「東京ことば悦覧」に続き再び上京し活動した 14〜16日まで 「東京ことば悦覧2」資料 音と絵の整理など開始。

14日早稲田大学シャーナリズム概論と その上級コースの 授業へ参加。2007年度 授業の感想を講師陣に述べワイワイの様子は書いた。


以下 15日と16日のことば悦覧を粗っぽく 様子羅列。

15日  倉本いう名前ケイタイ番号だけ教えられた 建築家のインタビューを行う前に 2時間ほど時間があったので新宿御苑に行き観察と昼寝。

昨夜の大学の教室公園それから神社、そして、そして路上それぞれの 時空を使う場合の人間の種類と

そこでの様子、使うための条件、使われかた、 人間の動き、などを観察する。

御苑は 若い自分はラブチュッチュ。年老いた今は 都市での昼寝の場(笑) あついくらいの中 昼寝しつつそれらを観察。

 老人夫婦、老人仲間、子供を引きつけれた先生、正午をはさんでいたので 飯を食べる人も多い。 写真を撮る者も多い。200円の入場料。外国人は会話音から察するに 台湾、中国、韓国、ロシア、フランス、アメリカの若い観光客や家族のようだ

昼寝をおえて・・・御苑新宿門そばの雷電神社を観察。入場無料、老人達が学者風ガイドを先頭に、まるで小学校の課外授業のようなあんばいで、ぞろぞろと列をなして参拝している。 老人になっても近代教育の手法から自立出来ない、そのような様子なのかも

身近な場所を観光する場合も、知的ストック独自の好奇心いるのだろう。 独自の視点を持たない者は このように 学校遠足の様に成ったる。 または観光ガイドブックを片手にそれをなぞるような行動へと落ちるんだな〜と思ったり。

年老いても地上を一人で楽しめないのだろうか。やがて 老人ホームへベルトコンベーアーに近代は終えるんだな と空想し。

● 倉本剛 さんに会う  京王線 明大前 銀行員にシャッター依頼

   

pm2時明大前で落ち合い、倉本さんの事務所まで歩く。落ち着いた住宅街の中の2階に事務所。 庭は手入れが行き届いた ハーブ園 と菜園!あり。 ズントーのような暮らしぶりの建築家になるだろう。 大都会でこの暮らしは 羨ましいかぎりだ。3時間半ほど言葉を採取する。 終えて 横浜の岡部友彦さんの仕事を紹介し、寿町の夜の観光へ誘う。

倉本さんの言葉を採取して、岡部さんの仕事ぶりを知ると アイディンテティーが固まるのではないかとの確信湧いた。 知と知のお見合いを仲介するって事かも。

寿町の岡部さん運営のホステルで3000円で1泊することにしていたので、1500円追加し、倉本さんと一夜を共にすることに。 建築あそび都市バージョン寿町で夜明かし・・この手があるな〜と思う。

 林会館の5階で1時間ほど倉本さんとダベリ、岡部さんのフロント仕事の終了を待つ。

pm8:30分から夜の寿町の生態観察 この周辺の再生と全体デザインを仕掛けている 張本人のガイド!にて 開始 


寿町から野毛までおよそ30分程、これは日本一濃い 都市の変容と配列がストックされている近代化都市 ロード実態展示 そのもの。 オモロイ。 開港125周年ほどだから 当然といえば当然 日本と 外国が交通融合し残され蠢き続ける街だ。 

「全国ことば悦覧」の反省会けん集合ワイワイは温泉湯治場より 寿町のこの条件下が最も効果的だと考え出す。

野毛に着き 岡部さん一押しの居酒屋で呑みながら 鼎談というか、岡部さんのその後の様子を聞く。 倉本さん盛んに質問してくれるので大助かり。珍味多し だが初体験にて いるかのステーキを食す 美味い〜 鼻血が出そうだったよ(笑) 店の名を明かさないのが礼儀だろう。

 ことば悦覧反省会に参加した人のみこの味を体験することになる。 今年の秋〜冬にかかけて実行したものだ


 16日 アサの寿町を観察、路上が不法投棄のゴミ捨て場になっていたそうだがゴミを植木鉢に換える 岡部さんお仕掛けた運動も順調で華の多い街にかわっていた。さなぎの食堂の運営もしていたと思うが 定食が300円で提供されていて次々に この町の住人がやってくる。朝食をマグロの煮込み定食にし400円でいただく

pm1時 名前とケイタイ番号だけ教えていただいた 岩堀未来(イワホリヒデキ)さんと 三軒茶屋の駅そばで出会う。 三茶のお回りさんいシャッターを押してもらったので警察署が背景なんだ(笑)

たった一人の聞き取りは音採りも、絵採りも 見知らぬ他者を活用しなければおぼつかない。お回りさんに協力してもらうと想定外

近くの 住宅を改装したかのようが大きなボリュームの喫茶店へ。 途中おもろそうな映画館を発見、三茶の面白い場を一つゲット

岩堀さんは全身黒ずくめで、ようしゃく 建築家らしいファッションの人間に出会う(笑)ことが出来た。話も整然とまとまっていて拡散しない。既存の建築家の正道を歩んでいるかのようだ。 
2008年 春 東 京ことば悦覧1,2は 岩堀さんは聞き取りをもちいったん終了。詳しいことばはいずれ順次に WEBに乗せよう。

「東京ことば悦覧2」を羅列する

14日、2008年度早稲田大学 ジャーナリズム研究所花田達朗さん主催「ジャーナリズム概論」最初の授業に参加する。

250名の募集講座に450人も押し寄せ300人に絞っても 潜りが居て教室は320人ほどで溢れかえり立ち見20人ほど。

授業後の質問時間10分にも掛からず、最初の授業のメイン講師 アジアプレス代表の野中章弘さんの前に15人の列。野中さんの講義は簡潔明瞭で参加学生の懐深くしみいったと、、実に良かった。

教室移動

ジャーナリズム演習上級編の一コマを拝聴。花田先生と学生の応答がスリリングで路上 そのままだった

それを終えpm9時20分からド素人の俺が2007年度の講座の批評を始める、おー人生は予測できん!それほど危険、で快楽。

批評前に何はともあれ、講師陣と共に2ショット保存。初めに 野中章弘さんと。

 
野中さんはオモロイ人だ 「昨日会ったジャン!」と天然呆けを噛ます余裕の仕草と発言(共におお笑い) 流石 世界の戦場を渡り歩く強者との初対面、まるで兄弟だ。俺のより2才年下なのに 顔はまるでオジサンのようだ。

続いて 新聞学博士で現在日本大学の準教授の別府三奈子先生

まるで長時間 ラブラブ関係のような演技、こりゃたのしいや。今日の授業の途中から参加にかかわらず、随分前から理解し合っている 同士のような 体温が印象深い。「 アメリカの新聞史はめっぽう強いけど、日本史まるでハチャメチャですね」と俺の天然呆けで核心を射る。 ますます盛り上がるってしまう。

温度差は 女性の肉声に日々飢えている俺の深層が、女性と肉声で会話と言っているかのようだ

所長の花田先生と2ショット。

2007年ど授業のmy講評を中心に、ビールとつまみ付きで 1時間ちょい議論。議論時間が少なすぎるので、次回にのスタッフミーティグに参加することにした。

講師の一人のメディア倫理法制が専門の大石泰彦先生が忙し過ぎて来れず。 議論、できなかったこともあるからだ

この研究所のスタッフは初対面なのにどうして違和感が全く無い。その上に長い間会ってたような気分になってしまうのだろうか?宿命の存在を知るような気持ちが湧く

●建築家のと「ことば悦覧」の顛末の粗もの は明日の日記に書きます


4月12日 はれ

俺がまだ出会った事がない、そして 30才前後独立系建築家を被取材対象にインタビューを開始する〜 「東京ことば悦覧」 休憩 資金欠如のため(笑) 福島に戻る。 14・15・16日倉本さん岩堀さん取材予定 。以下ザットメモ

08日伊藤暁さんの案内で開始〜  激し雨と風のNEWSTの木村俊介さん(左)石川卓磨さん(右)は東京駅から徒歩30分ほどのEV無しの 6階に 3人で事務所をシェアしておられた。

1〜5時半ごろまで話を伺う。初建築は鳥取県内の平屋建ての美容院とのこと
 
ビールが用意されていたのでいただく


6時から 月島のもんじゃ焼やんにて、高橋元氣 高橋つばさ夫妻に話を聞く、美味しいもんじゃ焼きの食べ方を教わる

このあたりに住んでいるそうだ、やはり地元の方に教わるべし。騒音のなかの店でインタビューはほとんど不可能だった。木村さん、石川さんも同行する

10〜12時頃まで市ヶ谷駅の飲み屋で木村さん オフレコ 単独インタビュー



9日 午後3時 龍光寺眞人さんの事務所へ事務所は奥さんの池森由紀子さんが担当された建築なのだそうだ。

昨日〆の仕事を終え、インタビュー体勢は万端整っていた。

独立して2ヶ月ほど、マンションの計画 ゃ住宅の設計図(現在見積もり中)を見せていただく。


高円寺の藤村龍至さんの現場に行く約束に成ったと言う伊藤暁さん。「見学に行きたい」と龍光寺さんが言うので移動。
藤村さんの初建築
1階貸店舗、2〜6階共同住宅

予定外の行動にて、藤村龍至さんに現場を案内してもらう。藤村ファンらしい安藤さんという女性の方が飛び入り。若者の間で藤村さんはすっかり人気者なのだそうだ。ヘルメットを久しぶりにかぶる。


こうなりゃ〜予定外インタビュー。 藤村さんの事務へ移動、スタッフの人達と記念撮影。あたりまえだけどみなさん20代だ

高円寺の建築につて 龍光寺さんと共に藤村さんにインタビューをする。二人がかり(笑)は初 良いような悪いような。

龍光寺さんは藤村さんに関心があるのだそうだ。pm10時半


pm11〜am2時 まで 高円寺にて、龍光寺眞人さん、池森由紀子さんとワイワイ。 長い時間一緒に行動することによって得られる 意外なそして重要な情報が山ほどあった 

池森さんはアトリエ系事務所に勤務中。家族などの話に発展する、おもろかったな〜。




10日 和田誠さん事務所を開設
現在資金稼ぎのため派遣にて働いているが抜け出してもいただき、中野のお薦めの喫茶店にて3時間ほどダベル

一端仕事場に戻る。

pm7時半からインタビュー再開。池袋北口の焼き鳥屋と居酒屋を梯子。アトリエ系事務所より派遣の方が 数倍 高賃金の現実。「建築あそび」という言葉は知っていて記録も見ていたそうだ。俺の事は知らなかったと

11日 早稲田の森を散策し 花田達朗さんの研究室でインタビュー

東大から早稲田へ移られて2年。建築あそびの記録は東大でも早稲田でも大いに活用しているとのこと、感謝される。

そうなのだよ webの情報って大学の講義にだって使えるんだから すてたもんじゃないのだよ。(花田達朗さん  花田達朗さん )


2000年偶然 飲み屋で 花田先生に出会って、おれがアプローチした。長い付き合いになっている、まだまだ付き合い続けそうだ

TV局に「佐藤のドキュメンタリー」を作るよう3ヶ月ほど前に薦めてくれたそうだ 「電話いかなかった?」と聞かれる。

「東京ことば閲覧、のドキュメンタリー作りたいな〜」思ったので嬉しかった。花田先生の自邸 移転したボクセエルをチェックする 見晴らし最高。「花田山城」とドイツ語にて表記してあった

藤村龍至さんの「LRAJは広報だ」と批判しているのは俺だが、、専門家の意見を直伝してもらうために串焼き屋にて1時間半ほどの会議を設定。花田先生は新聞やシャーナリズムの研究家であるから「これ幸い」他者の脳を有効活用するのが俺流(笑) 広報誌から同人誌に格上げされる、甘い〜 と 横車を押す俺


藤村さんと別れ次の店へ 選んだ2軒
の 飲み屋「合格」の評価を受ける。12時まで呑みつつダベル

 14日に花田先生は今年度の超人気授業が始める( 450人もの応募があったそうだ)

年度初めにあたり 2007年度の授業の観察者であった俺は 花田講座の総評コメントを することになった。(大わらい) マジに準備しなくっちゃ〜。講師陣 一流だよ おれ無学で度 素人