ドラ&ドラパパの
クレイマー・クレイマー日記 2



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25〜26日

この週あたりから幼稚園ではとても安定していたらしい。でも家では相変わらずべっだりだっらしいが。

ドラパパからドラの様子を聞いていると、どうも家に帰ってご飯を食べさせてお風呂に入れて
寝かしつけるだけしかやっていないようだ。
という事は、ドラは確実に「野生児のドラ」にもどっている可能性がある。
う〜ん、困った。早私が家に帰らなければ今までやってきた事が無駄になりそうだ。

27日目

保育園の面接の日。かなりハイな状態で「超多動」ぶりを発揮してきたらしい。
私の病気の診断書をもっていって事情が変わった事を説明。これで文句なく入れるハズである。
その足で病院にやってくる。全く同じにハイな状態でイタズラしまくっているので
ドラパパが閉口してすぐに連れて帰っていった。そうしたら病院から出たとたん大泣きしたそうだ。
仕方がないので抱っこをしてしばらく歩いてたら泣きやんだらしい。全ての事にワンテンポ遅れるのねぇ(笑)
 
28〜29日目

私が入院した事はほとんどの人に知らせなかった。手伝いを頼んだのは私の両親だけだった。
でもこの両親もジィジは心臓が悪いし、バァバはリウマチで足をひきずって歩く状態だった。
多分長期入院になると無理が生じるはずという事を私は予測していた。
ドラは手帳を取得していて(愛の手帳3度)この手帳のシステムに「緊急一時保護」というのがある。
この頃私は再三ドラパパにこのシステムを使うように言ったのだが、結局最後まで使わなかった。
結局どうにかやり過ごしたから良かったのだけれども、自分が倒れたりしたらどうするつもりだったのだろう?
ドラパパは技術屋一筋ウン十年の人なので「人を使う事」がとっても下手な人なのだ。
人に説明するのが面倒くさくて全部自分で背負込んでしまう。非常時には融通がきかないホントに困った性格だ。

30〜31日目

3回めのお泊り。もう慣れたものでゴキゲンで走り回っていたようだ。
でもこの日は夜中に1度起きてしまって、2度寝をしたらしい。
でも大した事はなかったらしい。しかし今回私がいないことによって「睡眠障害」が起こる事を
1番心配していたのだが結局ほとんど起きなかったようだ。
成長してきて睡眠が安定してきているという事なのだろうか?

32〜35日目

幼稚園でもゴキゲン。ご飯を異常なほど食べまくっていたらしい。ドラパパはそれを見て「嫌な予感」がしたらしい。
ドラは具合が悪くなる前に必ずといっていいほどご飯の量が増えるのだ。
これを我が家では「冬眠前の食い溜め」と言っているのだが・・(笑)



36日目〜42日目

ドラパパの予感が大ビンコ!ドラが風邪をひく。咳から始まり熱もでてドラパパはまた足止めをくらったようだ。
でも2〜3日で熱も下がり「明日は幼稚園にいけるかな?」と思っていたらまた熱を出したらしい。
しかもその熱は昼間はなく夜だけでるという最悪なバターンだったらしい。
要するに昼間は熱もなく本人も元気なので「遊びにいく〜、おやつよこせ〜」と家の中で走り回ってイタズラし放題
ドラパパが昼寝などしようものならホッペをたたいて起こされる)。
夜になると熱がでで熱性けいれんを起こしかねないので予断を許さない状態。
ドラパパは多分睡眠はまともに取れなかったと思う。・・私はこのパターンを今までに何度も経験してるのでわかる(笑)

ドラパパが病院に来たとき今後のスケジュールについて話し合う。ドラの保育園が決定したからだ。
しかし決まったのはいいのだが、ドラを不安定な状態で転園させるのはかなり危険だという事になる。
4月というのは「自閉症者」にとっては1番嫌な季節である。
とりまく環境が変わる事はもちろんなのだが
身体的にも脳波の乱れなどが起きやすい時期でとても「しんどい季節」なのだ。
ドラも必ず春と秋には「意味不明の大泣き」をする。
だからできるだけ早く私が帰って関係修復しておいたほうがいいと思った。
それに病気がなかなか直らないのは「母が居ないこと」もあるのではないかとも思いはじめていた。

42日目〜47日目

一週間以上具合が悪い状態が続いたのがやはり良くなかったらしく、かかりつけ医に診察に行ったら
「肺炎を起こしかけてる」と言われ毎度おなじみ○○病院に入院となったらしい。
ドラはこの病院に「牛乳しか飲まなくなって脱水症状起こして」と「熱性けいれん」で2度入院している。
今回で3回目だ。この記録は○○病院小児科の中で歴代2位の記録だそうだ・・そんな記録自慢もできやしない(笑)

我が家はここをタダのホテルと呼んでいるのだか(6歳までは医療費がタダだから)
今回はドラパパが付添うので個室になると言われ(男の付添いの場合は大部屋には入れないらしい)
私が入院していた時と同じタイプの部屋にいたのだそうだ。・・当然差額ペット代がかかる。
本当に我が家はどうなってしまったのだろう?今まで特に悪い事も起きずにきていたのでまとまってきてるのか?
さすがのドラパパも「厄年なのかな〜」とつぶやく。実はドラパパはそうゆう事は絶対信じない人!

「肺炎を起こしかけてる」は当然「肺炎」になり、なかなか良くならなかったらしく結局6日間入院していたようだ。
入院中は点滴治療をしているので当然おしっこの量が増える。
ドラパパは多分トイレに行けないだろうからと紙おむつをはかせたら
ドラに拒否されたらしい。でももちろんトイレには間に合わない。
・・全く親子で似たような事やって○○病院に迷惑をかけてるんだから(笑)
後日談だが、私が帰ってきて病院の請求書を見せて「見て見て!ほら金額同じ〜」とドラパパが言うんだな。
実は私も6日間入院していたから確かに金額が同じなんだわ。「合わせたんだ〜」・・オイオイ、ほんとかよ〜。

ちなみにこの入院でドラパパの仕事の納期が2つぶっ飛んだらしい・・なんまいだぶ〜。

今回の病気が「母がいない事」が影響しているかどうかは何ともいえないところだか
環境が変わったのは確かなので影響としてはあったのだと推測している。
この場合の原因は「母がいなくて寂しくて」ではなく「母のいない環境に慣れなくて」である。
この違い、普通の人になかなか理解してもらえない(笑)



48日目

ドラが病院にやってくる。また痩せた。ドラは太らせても太らせても病気になってすぐ痩せる困ったヤツだ。
私も歩けるようになったのでデイルームに行き、おせんべとお茶を食べさせる。
コレは親が選んだものではじゃない、あくまでもドラの好みだ。ジジくさいったら(笑)
私の顔を見ると嬉しそうに笑う。多分私がデイルームまで歩いてきたので嬉しかったのだと思う。
しばらくすると机の下にもぐりこみ、私の足を触って確認している。
ハイハイ、おばけじゃないから足はあるよ〜、一応動くようになったしさ。

49日目

この日は幼稚園の終業式。
1日も通えないまま転園していくのかと思っていたのだが、どうにか1日だけ行く事ができた。
たくさんの先生たちに抱っこしてもらってお友達たちが「ばいばい」してくれたそうだ。
本人は全くわかってはいなと思うけど(笑)
ここの幼稚園の2年間は本当に実りの多い日々だったと思う。ここに通わなかったら今のドラはいないはずである。
今回の転園は「幼稚園側への不満」ではなく「よりよい環境への移行」だと言っていい。
実は本当に最後まで悩んでいて決めかねていたのだから(笑)

50〜51日目

この日は私が試験外泊で家に帰る日なのでドラは実家にお泊り。
私が1日だけ帰ってきてまだいなくなったりすると、それこそ訳が分からなくなってしまうので。
この日は私を迎えに行くので時間がないためにドラパパは実家まで送らず
途中でジィジと待ち合わせして実家に連れてってもらったらしい。
いつもとパターンが違ったのでドラはその日にドラハパがお迎えがくるのでは思ったらしく
夕方になったら少し泣いたらしい。

この日の夜あれだけ嫌がっていた実家のお風呂に自分から入りたがったらしい。
入院していたので当然お風呂には入っておらず、退院したあとも咳がででいたのでドラパパは入れなかったらしい。
だからよっぼと身体が痒かったらしい(笑)こうゆう所が一見自閉症児っぽくないところなんだけど。
いわゆる「論理的思考能力」を持っているので、自分に今必要な事を選択する事ができるのだ。
この場合は「お風呂が恐い」より「痒い身体をどうにかしたい」のほうが優先順位として高かったんだろう(笑)
ドラはこの考え方ができるおかげで自閉症特有の「パニック障害」がほとんど起きない。



退院1日目

退院の日。ドラパパと病院にやってくる。「かぁか、一緒にオウチに帰るよ」と言ってもニコリともしない。
顔がこわばっている。
いつもと違うというのは雰囲気でわかるのだけど、それが何だかわからないので不安なのだろう。
いつもの多動すら出ない(笑)これはコッチにとって好都合だったのだけれど。
ドラパパは私の荷物を持ってるのでドラに動かれるとそれこそ大変だから。
看護婦さんに「さよならしなさい」と言ったら固まった顔のまんまおじぎをした。一応私の指示には従うのね。
タクシーに乗って帰ったのだかその間もとってもおとなしい。不気味だ・・

帰ってきて、私がいつもの定位置に座ってもなかなか寄ってこない。すっごい困った顔して様子を伺っている。
ドラパパにはベッタリひっついているのだが、私のところには・・来ない。
やっぱこうゆうところは「筋金入りの自閉症」だわ(でも医者は自閉症だと言ってくれない)
私も心得ているのでしばらくそのまま放っておく。

4時間くらい経ったときだろうか?ドラパパと私が台所で立ち話をしていた。そうしたら突然大泣きしたのだ。
びっくりして「どうした?」って私が駆け寄ったらちょっとためらったあとで私にしがみついて大泣きした。
それから私の顔を見て泣いて、また見て泣いてという事を繰り返した。その時気がついた。
「そうか、顔面麻痺で変わってしまった目が気になるんだ!」
わかりやすくドラの行動を説明すると、私は台所にいてドラには顔は見えなかった。そこに母の声が聞こえた。
だから大泣きした。すると「目がちょっと変な母のニセモノ」のがやってきた(爆)
でも母なのかな〜?いや、ちがうのかな〜?と悩みながら泣いていた。
ホントに面白〜い!!

夜A先生が退院の噂を聞きつけ来てくれる。
ドラはA先生の顔を見ると、「満面の笑みでニッコリ」して抱っこされたらほっぺにすりすり〜。
・・・・そして私に向かって「ばいばい」をした(爆)
やるんじゃないかな〜?って思ってたんですけどねぇ。知識のない母親ならこの時点で即、幼児虐待だな。
自閉症の勉強しといてよかったわ(笑)

2つも納期がぶっとんでいるドラパパは当然の如く仕事が山積みで、その日の夜から仕事をする事になる。
当然ドラは私とふたりで寝るのだ。
大泣きしてからは少し私にもひっついてくるようになったのだけれど以前のようにはいかない。
一緒のふとんで寝ていても何度も起きて私の顔を見てニコリともせずにまだ寝ようとする。
そのうち突然泣き出す始末(一応言いますが私は正真正銘の母親です)
仕方がないので「あめふりりんちゃん」を唄ってやる。すると泣きやんでノリノリで踊る。
歌はどうやら私の存在をアピールするのには効果的だったようだ。

退院2日目〜10日目

昨日よりは少し落ち着いた感じだ。でもやっぱり目が気になるようだ。左目をバンバンと触っていったりもした。
「ここがへんなの〜」って言いたいらしい(笑)でも眼鏡をかけているとあまり違和感がないようだという事を発見!
朝からずっと眼鏡をかけるようにした。視点がかわるからかな?原因は不明。
それでもゴキゲンなめになったら・・歌を唄う(笑)
でも帰ってきてわかった事なのだか、私の呼吸器はあまりよくなっていないらしく
歌を唄うと息が続かなくってうまく唄えないししかも音程まで外す。
それにずっと唄っていると胸が苦しくなって危険。でも唄わないとドラが危険・・という日々が続く。

ただドラパパと一緒にお出かけして帰ってくるとまず私を探して、私がいるのを見つけると嬉しそうに笑う。
いつまた居なくなってしまうかと思ってるのだろう。要するに私は信用を失ってしまったのだ。
それは今でも続いているし、もしかすると一生続くかもしれない。
5年間一緒に暮らしていても2ヶ月で信頼を失ってしまう。
だから自閉症児を持つ母親は本当は入院などしてはいられないのだが。

やっと普段のドラに戻ったと思えたのは帰ってきてから2度目の週末だった。
私もドラパパもいてやっといつもの家だと思ったらしい。
ドラパパもそれまでは忙しくってそれどころではなかったから。
実はそれは保育園入園前日だったのだが・・どうにか間に合ったようだ。