4 通り井跡
桑名の旧城下は、揖斐川や町屋川の土砂の堆積したデルタ地帯で水質が悪く、「水売り」という職業があったほどです。それで4代目藩主松平定行は寛永3年(1626)に「町屋御用水」を作りました。
町屋川から吉津屋まで小川を掘り、吉津屋見附から暗渠で道路の下を通し、ところどころに井戸を作って汲み上げるようにしました。これが通り井です。通り井は街道の真ん中に設けてありましたから、大名行列が通る時には、井桁をはずし、蓋をして通りやすいようにしました。
しかし、桑名と仲の悪い藩が通るときには、それをせず、行列を蛇が蛙を飲んだようにさせて困らせたと昔話に伝わっています。通り井は元禄時代には15ケ所あったようです。この御用水は明治時代まで使われました。
通り井の木枡が昭和37年(1962)江戸町の料理店「歌行燈」の北側と平成2年川口町の北大手橋へ入る手前の三差路で道路工事中に発見されました。出土地点にはいずれも道路に「井」と掘った目印の石がはめ込まれています。
通り井出土地点(川口町) | 当時の通り井の様子 久波奈名所図会より |