6 春日神社

 正式には桑名宗社と呼びます。桑名宗社は桑名の総鎮守です。向かって右側の桑名神社と左側の中臣神社の両社から成り立っています。

 桑名神社は三崎大明神とも呼び、祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第三子)とその御子である天久々斯比乃命(あめのくぐしびのみこと)です。天久々斯比乃命は桑名開発の豪族である「桑名首(くわなおびと)」の祖神とされています。

 中臣神社の祭神は天日別命(あめのひわけのみこと)、伊勢国造(いせのくにのみやつこ)の遠祖)ほか春日四柱神です。

 春日神社の名は鎌倉時代に奈良から春日大明神を勧請して中臣神社に合祀したためにこの名で呼ばれるようになりました。桑名っ子には「春日さん」として親しまれています。

 毎年8月初頭に催される石取祭は、桑名神社の大祭である比与利祭の中の一神事が江戸時代中期に独立してできたもので、比与利祭を行うため、町屋川から石を運んできた神事から発展したお祭りです。

 楼門は天保4年(1833)に15代藩主松平定永(寛政の改革をリードした松平定信の嫡子)によって寄進されましたが、昭和20年の空襲で消失し、平成7年の春日神勧請700年記念事業で再建されました。

青銅の鳥居

 街道随一の青銅の鳥居で、寛文7年(1667)7代藩主松平定重が桑名鋳物師の辻内善右衛門に命じて建立されました。

桑名は埼玉県の川口市と並ぶ鋳物の産地です。これは初代藩主本多忠勝が築城に必要な鋳物を作らせたのが始まりだとされています。現代の桑名の鋳物は鉄鋳物が中心ですが、江戸期は銅合金鋳物が主体でした。

 この鳥居は高さ6.9m、柱の回り57.5pあり、桑名鋳物のモニュメントとして神社前の広小路にそびえ旅人に威容を誇っていました。何度も天災に遭いましたが、その都度辻内家によって修復されてきました。昭和34年(1959)の伊勢湾台風では、堀から流されてきた船が衝突し倒壊しました。その疵痕が今も残っています。

しるべ石しるべ石

 青銅の鳥居の下にあります。迷い子石とも呼ばれ、行方不明の人を捜すための伝言板です。片方に「たづぬるかた」、もう一方に「おしゆるかた」と刻まれており、上部に紙が貼れるスペースが設けてあります。口コミを利用した当時のインターネットのようなものでしょうか。明治18年(1885)に建てられました。


 当時は人々が多く集まる寺社などの門前に設けられていたようですが、現存するのは全国的にも珍しいそうです。
 桑名に鉄道が開通するのは明治27年ですから、当時はまだ渡船が活躍しており、このあたりは桑名の繁華街でした。