ジョサイア・コンドル Josiah Conder (1852〜1920)

J.コンドル 桑名市博物館「コンドルとその周辺」展図録より 

 イギリスの建築家。明治10年日本政府の招聘に応じて、いわゆる「お雇い外国人」として25才で来日、工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)の教師として我が国で最初の本格的な建築教育を行いました。彼の子弟には東京駅を設計した辰野金吾、京都博物館、奈良博物館などを設計した片山東熊らがいます。

 コンドルはその後工部省営繕局にも奉職し、鹿鳴館や上野博物館(東京国立博物館の前身)などを設計、官職を離れてからは東京に建築事務所を開設、神田のニコライ堂のほか、丸の内の三菱煉瓦街など岩崎家関係の諸施設、また三井家や古川家など財閥関係の諸施設を多く手がけています。しかしそれらは関東大震災や太平洋戦争による戦災を受けており、現存する作品は多くありません。

 コンドルは日本人を妻とし、日本の文化にも関心を示し、日本画家の河鍋暁斎に師事して「暁英」という雅号をもらっています。来日以来ほとんど日本を離れず、大正9年東京で没しました。
 六華苑の西洋館はコンドル晩年の作品ですが、地方に建てたコンドルの作品として貴重な遺構となっています。

コンドルの代表作

岩崎久弥邸 ニコライ堂 三井倶楽部
岩崎久弥邸(旧岩崎邸庭園)(重文)
東京に現存する最古の西洋館。東側の外観は中央にベイウインドウが設けられ、六華苑の南面と雰囲気が似ています。
三菱広報委員会刊岩崎家四代ゆかりの邸宅・庭園より
ニコライ堂(重文) 明治24年ロシア正教の教会堂として完成。関東大震災で被災、大正13年岡田信一郎の設計で現状の姿になりました。
日立デジタル平凡社マイペディア98より
三井家綱町別邸(現三井倶楽部)大正2年六華苑と同時期に完成しました。
講談社日本美術全集No24建築とデザインより