有王塚・俊寛塚
有王塚
「平家物語」に出てくる俊寛僧都の弟子である有王丸の墓と伝えられています。 有王丸は俊寛の遺骨を抱いて諸国を行脚中、走井山の麓にあったりん崇(そう)寺の門前で倒れ亡くなったと桑名では伝えられています。 この種の伝説は中世、高野山から諸国に出向いた高野聖(ひじり)の宣伝によって所々に残っています。有王丸を追悼して地元の人が塚を建てました。 昔この塚のところに榎木があり、その葉を取って虫歯の痛むところを噛みしめると痛みが治るという言い伝えがあったそうです。 俊寛塚とともに民俗信仰の古い資料として市の民俗文化財に指定されています。 大正14年建立で東本願寺第23世大谷句仏によって詠まれた「塚になけ わかなくあとを 友千鳥」の句碑が建っています。 |
俊寛塚
有王塚が築かれたとき、俊寛の遺骨を納めた俊寛塚も築かれました。
俊寛は平安時代の真言宗の僧で、後白河法皇の近臣として活躍しましたが、平家討伐の企てが露見して鬼界(きかい)ケ島(鹿児島県大隅諸島)に流刑になりました。他の流人達が大赦で都に帰れても俊寛だけは許されず、島で亡くなりました。
塚はこれよりやや北方にありましたが、近鉄益生駅社宅建設にともない現在地に移設されました。
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