西方廃寺 (桑名市西方第一)

 元は東明山海善寺と称し、曹洞宗に属していました。天平12年(740)聖武天皇行幸の際に建立されたと伝えられる古いお寺でした。織田信長の北勢進攻により焼かれ、以後再興されませんでした。

 現在は集落の中になってしまい発掘調査はされていませんが、奈良時代の単弁蓮華文、細弁蓮華文そして複弁蓮華文の軒丸瓦が出土しています、中でも複弁蓮華文のものは志摩国分寺軒丸瓦と同じ型で作られており、国分寺に匹敵する遺跡と考えられます。
 人家の中の細い迫(せこ)を入った畑の脇に標識が建っています。

 なお、ここの本尊が走井山勧学寺の千手観音として祀られたのだといわれています。またこの遺跡の北方約150mにある西桑名神社奧の笹山溜池の縁に西方古窯跡があり、西方廃寺との関連が考えられますが、詳細は分かっていません。


西方廃寺出土瓦 
三重県の古瓦(三重県の古瓦刊行会)より
右列中の複弁蓮華文軒丸瓦が志摩国分寺や松阪の大雷寺のものと同じ型から作られた瓦と推定され、左上の軒丸瓦は大雷寺と、左下の軒平瓦は縄生廃寺のものと同じ系統の瓦とされています。
西方古窯跡
奈良から平安時代にかけての窯跡です。昭和30〜40年代に発掘され、瓦や壺の破片が出たようですが、記録は残されていません。西方廃寺の瓦はここで焼かれたのでしょうか。
マリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内で、立ち入りは出来ません。

地理案内図(40Kバイト)