御殿と池庭

 明治23年(1890)清六は妻もとを亡くし、相場でも大損をして気落ちしていたので、家相に詳しい佐野常民子爵(日本赤十字社の創立者)に相談したところ西北の方角へ大きな建物を建てることを薦められたので清六は早速敷地を購入し、普請にかかりました。

 御殿は木造平屋入母屋造で西本願寺をモデルにしたともいわれています。池庭は東京から浜離宮などを手掛けた宮内省の技師小平義近らを招いて設計を頼みました。また大阪の茶人で茶庭の設計も行った狩野宗朴の手も加わっています。 

御 殿(重要文化財)
床が高く、柱が少ないので広間から庭の眺望がすばらしい。大隈重信や山県有朋など著名な政治家もここで宿泊しています。
手水石
見上げるほどの巨大な手水石です。
御殿大広間 (非公開) 諸戸氏庭園絵はがきより
32畳敷の座敷、天井は格天井、壁面は群青地に金で霞をたなびかせた大胆なデザイン。
 檜材は当時桑名城趾の堀が宮内省の貯木場となっており、そこの特別御料材を購入し、床材や天井材は上物を東京から取り寄せたといわれます。
書院
玄関の隣にある書院、豪快な印象の広間と対照的な数寄屋風です。
(室内への立ち入りはできません)
池 庭 
巨石を配した汐入の庭園で琵琶湖をかたどったといわれます。現在は堤防が締め切られているので汐入りにはなっていませんが再開の計画があります。中央の雪見灯籠辺りの雰囲気は酒田の本間家別邸「鶴舞薗」に似ているといわれます。
州 浜
護岸石組みは2段になっていて州浜が汐の干満によって見え隠れする趣向をねらっています。
志摩、多度、長島、桑名城から運ばれてきた巨石による石組みも見所のひとつとなっています。
青石の築山
志摩半島の桃取島から取り寄せた青石で造られた岩山。中国の山に見立てているのでしょうか。
溝渠と煉瓦塀(県指定文化財(附))
屋敷の西と北側を巡っています。池庭への通水と防備のため御殿と同時に造られました。基壇は石積みで上部は煉瓦の塀となっています。
通常は塀の外に溝渠を巡らせますが、清六の発想は、塀を乗り越えた賊が水路に落ちるというもので、塀が外側で内側が溝渠になっています。木材の貯木場としても利用していました。また揖斐川と結ばれているので、入ってきた魚を1ヶ月に1度さらえて使用人にふるまったといわれます。