中村 哲


「この人の話」

「必要なもの」と「失っていいもの」

アフガニスタン国内での日本びいきは相当なもので、特にソ連軍侵攻の影響でしょうか、ほとんどの人が「日露戦争、ヒロシマ、ナガサキ」を知っているのには驚かされました。

ある若者に日本に行きたいのでお金をためているが、ここから歩いてどれくらいかかるのか? と質問されて言葉に詰まったことがありました。

アフガンでも地球環境温暖化が進みヒンズークシュの雪が年々減少しています。雪解け水の恩恵が少なくなって水不足で困っている矢先に2000年夏、未曾有の大干ばつが起こりました。

井戸が枯れ、餓死者が増加し、村を捨てて難民となるしかない人々を人間として見捨てるわけにはいきませんでした。その惨状を見ていられなくて「まず水だ!」との思いで医療の現場を後回しにして募金を呼びかけたのです。

過去17年間のアフガンでの体験をふまえて日本を見たとき、不景気でも餓死者はなく、物と金にあふれている日本の子どもたちより、アフガン難民の子どもたちの顔のほうがずっと明るく生き生きしているのは不思議でなりません。

いま世界ではアフガン復興が取りざたされていますが「もう戦争は嫌だ!」というのが正直な一般市民の声でしょう。

水や食べ物があってうれしい。平和な暮らしがしたい。病気が治ってうれしいなどといって喜ぶ姿は善悪を超えて万人共通のものです。

私は社会秩序の維持という意味ではタリバンを高く評価しています。

タリバン治政下にあって、あの空爆のさなかでさえ略奪は一件もなかったし、タリバンに捕まった外国のジャーナリストは全員生きて解放されました。むしろカブール陥落後、無政府状態に陥った市内では夜盗強盗が横行し難民への援助物資も強奪されました。

世の中に絶対の正義とか絶対の悪は存在しません。

アフガン問題は戦争反対や政治的な問題だけでなく、もっと深い部分の問題を私たちに投げかけていると思います。

これは何かの終わりであり、始まりなのではないでしょうか。

人間にとって一番必要なものは何か? 失っていいものと悪いものは何か? 最後まで守り通さなければなければならないものは何か? という問いを私たちに投げかけているのだと思います。

取材メモ
久しぶりに「いい話の新聞」の一面(2002年2月号)の記事を書かせてもらいました。

アフガニスタンの情勢が表面的には落ち着きをみせはじめ、マスコミの興味はすでにソルトレイクでの冬季オリンピックへとうつり始めています。昨年12月7日に大阪WTCで中村先生やペシャワ―ル会の福元事務局長と講演会前に少しお話させていただいた時、「このアフガンブームが去ってからが大切なのです」と言われていた言葉が脳裏に浮かびます。

本当に大切なのはこれからなのだと思います。ブームがあってもなくても中村医師の日常には何の変化もないでしょう。それが本物の姿なのだと頭の下がる思いです。 宮崎みどり

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アフガニスタン・無医村で医療活動
17年間続く無償行為。

昨年9月に世界を震撼させたニューヨークのテロ事件。それに続くアフガニスタンへの報復空爆により世界中の人々の関心がアフガン難民へと注がれた。そんな中、一人の日本人医師が一躍世間の注目を集めている。

福岡県出身、中村哲55歳。九州大学医学部を卒業し、1984年パキスタン・ペシャワールのハンセン氏病担当医師として派遣され、以来17年間に渡ってパキスタン・アフガニスタン無医村地区で無償の医療活動に従事している。

彼は23年前(1978年)32歳のとき地元山岳会の登山隊付き医師として初めてパキスタンに入った。趣味の蝶や山を楽しみたいと軽い気持ちで参加したつもりだったが、無医村地帯に取り残された人々のあまりの窮状に触れ、医師としての天命を悟ったと伝えられている。

現在はペシャワール市内にあるベッド数70の一般診療病院を基地にアフガニスタン、パキスタン領内に10ヵ所の診療所を開設。現地スタッフ220名、日本人ワーカー6名を雇い、年間事業費一億円の予算で現地運営を一任されている。

これを支えているのがボランティア団体『ペシャワール会』の7000人の会員なのである。本来は辺境の地に赴任する中村医師を、個人的に支援する友人、知人の集まりだったが現地事業の拡大と共に日本側のスタッフも奔走した結果、会員数が増加した。

しかしすべて手弁当の地元会員有志で一切が運営され、会に専従者は一人もいない。中村医師は自分の給料さえも募金の中からは一切受け取っていない。五人の子供と妻の生活費は、帰国した折に某病院に勤務して得た報酬で捻出するという潔癖さなのである。

400万人が餓鬼線上。100万人餓死の危機
大国の横暴に疑問も


かつてヨーロッパの人々から中東のパリと呼ばれて憧れられていた美しく静かな農業国アフガンに、親ソ共産政権の崩壊を恐れてソ連軍が侵攻してきたのは1979年のこと。以来10年間に渡る戦争で国土は荒廃した。

1989年ソ連軍撤退後は世界中が20億ドルをかけてアフガン復興計画を打ち出したが、折からの湾岸戦争勃発で中止となった。見放された国内では部族間の対立が起こり治安が悪化。

略奪や婦女暴行など無政府状態だったアフガン国内をタリバン政権が昔ながらのイスラムの厳しい教えに基づいて統治した。こうしてようやく秩序正しい市民生活が送れるまでに回復しかけていたのである。

「私は決してタリバン政権の見方をするわけではありませんが、自転車を放置しても盗まれる心配はないし、忘れ物が必ず届けられるという国は世界でもまれではないでしょうか?」と彼は口数少なくこう語る。

市民たちも多少の不便さはあったとしても、婦女子が安心して町に出歩ける生活に安堵していたとういうのも事実であった。

そしてようやく生活が落ち着き始めた2000年の夏、東アジア全体で被災者6000万人にも上る大干ばつが起こり、国内でも1200万人もの被災者が出た。

現在アフガンでは400万人が飢餓線上にあり、100万人が餓死線上にあるという。

この窮状を目の前にして中村医師は「まず生きておれ、病気は後から治す!」という決意の下、自ら干ばつ地域に入って陣頭指揮をとり一千箇所の井戸を掘るプロジェクトをスタートさせた。

「そのうち世界がアフガンを助けに来てくれると信じていたのですが、やってきたのは食糧援助差し止めという信じられないような国連制裁だったのです」原因はペルシャ湾でアメリカの駆逐艦が自爆テロにやられ、10名の米兵が死んだという理由だった。(このときも、確実な証拠のないまま、首謀者はビンラディンとされた)

食料を断たれ、追い詰められた過激派がバーミアンの仏跡を破壊しテロに走り、そのあげくに今回の空爆である。

このようなアフガンの現状はあまりも知られていない。「瀕死の小国に世界中のお金持ちの大国がよってたかって何をしようとしているのでしょうか?」と天に祈るようにつぶやく中村医師はクリスチャンである。
ライター 宮崎みどり。

「アフガンいのちの基金」にご協力を!
(2000円で一家族10人が一ヶ月生活できます。
振込先は「ペシャワール会」
郵便振替番号「01790−7−6559」
通信欄に「アフガンいのちの基金」と明記してください。
連絡先電話・092−731−2372

中村哲・プロフィール
1946年福岡生まれ。九州大学医学部卒業。PMS(ペシャワール会基地病院)院長として主にアフガニスタン貧困地区の患者の無料診療を行う。「アフガン命の基金」を設立。著書。『ペシャワールにて』『医は国境を越えて』『ダラエ・ヌールへの道』『医者井戸を掘る』他に丸山直樹著『ドクターサーブ』(石風社)


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