人生とは夢を造る工場
 
子供は一人ひとりなりたいものの夢をかかえきれないぐらいたくさん持っている。

身体全体を使って動き回ったりする遊びの中で、ごく自然に感覚を養い、興味をしめし、それぞれの夢を追いかけて行く。

それは一生続く楽しい夢でもある。

この子供たちの持っている夢を消さないように上手に開花させた父親がいる。愛媛県在住の彫刻家、近藤哲夫さんがその人。

近藤さんの長男は高校二年生のとき、とつぜん勉強をそっちのけにしてパソコンゲームに熱中し出した。

母親が心配し「やめるように注意してください」というので部屋に入っていくと振り向きざまに彼が、「お父さん、ぼくは生きていて良かった! おもしろい。こんなおもしろいもの誰が作りよるんやろ。すごい人がおる」。

近藤さんはそのとき息子の目がキラキラと輝いているのを見て、「おう、そうか。ええぞ、もっとやれ!」と言った。

父親公認で、学校では一日中居眠り、帰ってくるとゲームを夜通しやるという毎日が続いた。下がる一方の成績は四百四十五人中、四百三十一番。

「恥ずかしいか」と聞くと、

「恥ずかしくないと言う返事が帰ってくる。」

「それがいちばんエライ」

と近藤さんは褒める。

そして、十九歳のとき独学でパソコンのソフトを製作し、ある雑誌の大賞を受賞した。それをきっかけに東京に上京し、たった四ヶ月間の見習を経験しただけで、「友達もできた。だいたいのことはわかった」と言ってその会社を辞め、自分の会社を設立し社長となった。

現在彼は二十九歳『生きていることはすばらしい』そんな次世代へのメッセージを込めてソフトを作っている。

昨年製作したゲームソフト『海腹・川背・旬』は人気ナンバーワンとなった。

このような息子を育てた近藤哲夫さんは彫刻家になる前、教師をしていた。その四十歳の時に妻がガンで入院。最愛の妻の病気平癒を祈願するために、近藤さんは仏壇に原木を供え、二ヶ月間、不眠不休で不動明王を彫った。

それまで彫刻刀を握った経験は皆無だった。

美術は一番苦手で、小学生の時に『それでも絵か』と笑われてから完璧に美術をやめていた近藤さん。しかし、一心不乱に彫りあげたその仏像は、人が驚くほどに立派に仕上がった。

「人間て本当にびっくりするような力を持っている。気づくか気づかないかだけ」。

一度は摘まれていた芽がこのとき開花したそして、奥さんは元気に退院した。

以来、近藤さんは教師生活のかたわら彫刻を始め、二年でみごと『日展』に入選。

「何でもいいから、やろうという意欲を持たせたときから人は見違えるようになる。やりたいと思ってやり始めたことは、何も言わなくても、ものすごい努力をするようになる。出来なかったことができるようになったことぐらい楽しいことはない。本当に頭の中が気持ちええ」。

面白くて夢中になって夜も寝ずにやりだした。

八年後、二十九年間の教師生活にピリオドを打ち、彫刻家として独立した。

今の教師や親達は、長い年月をかけて子供たちの夢を消している。

人生というのは夢を造る工場であって、それが回転している間はほんとうに愉快に楽しく生きていけるというのだ。

世の中にはこんなに『気持ちのええ』生き方をしている人がいる。

1998年、夏

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近藤哲夫