龍村 仁


地球交響曲「ガイアシンフォニー

有名な俳優や若手のアイドルタレントが出演しているわけでもなく、特別のスリルアクションやファンタジーがあるわけでもない、従来の劇場公開用の商業映画とは全く異質の一本の映画が1992年11月にひっそりと一般公開された。

ガイアシンフォニー(地球交響曲)と題されたこの映画は、予算の関係で一般の人々に知ってもらう広告宣伝活動が一切できなかった。ところがプロの映画関係者の予想をくつがえして、二年後の今も、この映画を観た人たちの手から手へ99%素人の人たちの熱意によって、日本各地で自主上映会のネットワークが広がっている。

この不思議なパワーを持つ映画「ガイアシンフォニー」を制作監督したのが、龍村仁(54歳)である。龍村さんは京大を卒業してNHKに入社。独立後は(株)オンザロードで数多くの作品を手がけた。「シルクロード幻視行」でギャラクシー賞、「セゾングループ3分間CMライアルワトソン篇、野口三千三篇」でACC優秀賞。また92年には「宇宙からの贈り物、ボイジャー航海者たち」を演出してギャラクシー選奨を受賞している。

「ガイアシンフォニー」は龍村さんがライフワークとして、1989年から3年間かけて完成させた映画である。この映画は、心の持ち方一つで、人間=自然は、今の常識をはるかに超えることができる、ということを実写と映像で示したドキュメンタリーである。

たった一人で酸素ボンベも持たず、世界の8千メートル級の山すべてに登ったイタリアの登山家R・メスナー。

ごく普通の一粒のトマトの種から、バイオ技術も特殊肥料も一切使わず、15000個も実のなるトマトの巨木を育てた日本の野沢重雄。

像と人間の間に、種をこえたコミュニケーションが可能なのだ、ということを身を持って示したケニアのD・シェルドリック。

宇宙遊泳中に、地球のすべての生命との深い連帯感に目覚めたアメリカの宇宙飛行士R・シュワイカート。

自然と共生して暮らしていた遠い祖先の魂を、歌によって現代によみがえらせたアイルランドの歌手エンヤ。

この登場人物全員は、自分の命が母なる地球(ガイヤ)の大きな命の一部分であるという共通の概念を持っている。それぞれの立場でその体験を通して、常識にとらわれない柔らかで優しい心をもって生きとし生けるものの命を見つめている。それはとりもなおさず監督龍村仁自身が心と命を見つめる姿勢だと言っても過言ではないだろう。

いま人類がかかえている地球環境の危機やその他の苦悩の大部分は、私たちの心が作り出したものだということもできる。人間の心という一見はかないものの中にこそ、地球の未来を開くカギがある。

この映画の訴えるメッセージを受け止めようとする人々の波動はいま、ネットワークとなって日本中に広がっている。

例えば94年4月だけをみても全国13都道府県23か所で「この映画の感動を一人でも多くの人と分かち合いたい」という人たちの自主上映会が催されている。92年度の初上映以来、既に20万人の観客動員があり、自然発生的に結成された「ガイアネットワーク」の登録会員数は1万人を越えるという。しかもその大部分が女性だった。

この現象はいまの日本映画界の「奇跡」だと、ある映画関係者は言っている。しかし龍村仁監督自身は、「映画」というメディア自体が本来このような力を秘めていると考えている。

一般に映画は斜陽だと言われているが、逆に今のような時代だからこそ、会場にわざわざ足を運んでくださる観客は大勢いると監督は熱く語っている。

このガイアネットワークの人たちに支えられて「地球交響曲第二番」が年内に完成する。(取材時期、平成6年10月)


この人の話


ぼくは小学校の低学年まで、兵庫県宝塚市の山の中の小学校に通いました。その頃の宝塚はまだぜんぜん開けていなくて、1クラスが7、8人という本当に小さな学校でした。日の出前には、はだしで山に登って山上で日の出を拝み、給食は玄米食に一汁一菜。食前には板の間に正座して3分間の瞑想。ご飯は100回かんで食べるようにと教えられました。

その頃の僕たちのあそび場所といえば、宝塚市を流れている武庫川でした。上流から下流までのちょうど中程に「あいの松原」と呼ばれる場所があって、大きな一枚岩が川に突き出ているところがあります。川の水がその岩にぶつかって、深くて大きな渦がその岩の下で渦巻いています。

ほかから泳ぎに来た人たちはそのことを知らないので、毎年その場所で多くの水死者がでていました。実際、僕も子どもの頃、この目で何人かの水死した人を見たことがあります。ところが当時のワンパクたちにとって、この場所こそが男になれるかなれないかの「肝だめし」のかっこうの場所だったんです。

ある年、台風で武庫川が増水し、真っ茶色の水が音を立てて流れていた時がありました。この台風の時に武庫川で泳ぐなんてことが母親に知れると怒られますから、僕らは海水パンツは持たずにそっと家を抜け出します。

上流のサントリーのウィルキンソン工場のあたりから全員素っ裸で飛び込むわけです。そこで流れにのって中流まで泳ぎ、さっきの一枚岩のところで岩に手をかけてよじ登り、対岸に泳いで渡り、歩いてもとの場所に服を取りに帰る、と言うのが僕らの計画でした。

ところがです。計画が狂って一枚岩につかまるはずだった僕の手はすべって岩をつかみ損なってしまったんです。たちまち僕は深い渦の中に引き込まれてしまいました。

その時、僕の頭の中に浮かんだことは、「渦に巻かれたら、決して逆らってはいけない」という言葉でした。渦の中でそこから逃れようともがけばもがくほど、逆に引き込まれる力がはたらいて逃れられなくなって命を落とすのだということは、水死者が引き揚げられるたびに聞かされていました。

その教えが無意識の中に頭に入っていて、僕はその時、自然と体を水の流れに預けていたのです。気がついたときは下流の大橋の橋げたに必死で捕まっていました。

最初の計画の一枚岩のあるあたりは、その頃ほとんど人家がありませんでした。ところが下流にある大橋をよじ登ると人通りもあり、町中です。そこを僕はフリチンではだしで歩いたわけです。

ガイアシンフォニーをなぜ撮ったかと、よく人に尋ねられるのですが……。僕は故郷の宝塚市を何十年ぶりかで訪れたときに、すっかり忘れていたその時の体験があざやかに目の前に浮かんできました。

人は誰でも窮地に追い詰められた時、そこから逃れようとします。でも本当は宇宙や大地、自然の流れに抵抗することは不可能です。

そんな時は、何か大きなものに、自分をあけわたすことが大切なんじゃないでしょうか。恐い助かりたいと思って力をいれて、水に逆らえば逆らうほど、渦に巻かれて命を落とす。子どもの頃のこの原体験が登山家メスナーの山頂での体験や、宇宙飛行士シュワイカートが、宇宙の中で独りぽっちになった時の体験に、なぜかつながっているような気がするのです。


取材メモ

龍村監督をはじめて取材させていただいたのは七年前でした。その頃はまだほとんど無名の映画で、大阪、灘波の小さな映画館でひっそりと上映されていました。ガイアシンフォニーはその後第二番、第三番と撮影され観客動員も百万人を突破。2001年の秋には第四番が上映される予定です。いつまでもジーパンの似合うかっこいい仁様!これからも時代のオピニオンリーダーとしてがんばっていただきたいものです。私たちの「古事記のものがたり」も、本になる前から読んでくださって「面白かったよ!」なんて気軽にいってくださり感動です。
宮崎みどり

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