文庫本のタイトル | 作品のタイトル | 作品の書き出し | |
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1 | 網(上) | 網 | 早春のある日、小説家小西康夫は一通の封書をうけとった。 |
2 | 網(下) | ||
3 | 柳生一族 | 柳生一族 | 上泉伊勢守は上州の人で、神陰流の祖である。永禄六年の秋のはじめ、かれが伊勢の国司北畠具教の邸に着いたことがある。 |
通訳 | 八代将軍の吉宗には、二人の男の子があった。長福丸といった家重、小次郎といった宗武である。 | ||
廃物 | 大久保彦左衛門忠教は八十歳を一期として静かに死の床に横たわっていた。 | ||
破談変異 | 〜ただ草枕とおぼしめせ。しかもこよいは照りもせず、曇りもやらぬ春の夜の、おぼろ月よにしく物もなきあまのとま。やしまにたてる高松の、苫の筵はいたわしや──。 | ||
栄落不測 | 常憲院殿(五代将軍綱吉)御実紀巻七の天和元年正月の項に、○十一日、具足の御祝恒例のごとし。この日、小姓喜多見若狭守重政六千八百石加扶ありて万石の列に加へ給ふ。という記事がある。 | ||
蓆 (中公文庫13) |
江戸より九十六里、美濃国郡上郡八幡の領主、三万八千石の金森出雲守は、その年四月、帰国の途についた。 | ||
五十四万石の嘘 (中公文庫13) |
肥後国熊本城主加藤肥後守清正は、慶長十六年四月、病患の果てに死んだ。 | ||
疵 (中公文庫13) |
黒田甲斐守長政が豊前中津から筑前福岡に国替えになって、まもないころである。 | ||
9 | 逃亡(上) | 逃亡 | |
10 | 逃亡(下) |