チケットをめぐる争い

 

 音楽の楽しみ方にもいろいろとあるけれど、とにかく一度はコンサートにはいかなきゃならない。CDやテレビの方が良く音が聞こえるし、アーティストの表情も良く見えていいじゃない、っていう人もいるかもしれない。でも、コンサートでのあの「ライブ感」ってのは実際に体験しなきゃわからないものでしょう?

 でも、コンサートに行くためには、当然チケットが必要。人気のあるコンサートになるとチケット手に入れるのに苦労するからねぇ…と、そこであきらめるなきゃならないこともしばしばある。正規のルートでチケットを買おうとなると、いわゆる「ぴあ」とか「セゾン」といった代理店を通じて購入することになる。よく駅の近くに「ぴあ」なんかがあると、朝から並んでいる人をよく見かける。また、店頭に並ばなくても電話で申し込むことも出来る。何度も何度もリダイヤルを繰り返し、やっとつながったとしても「もうすでに予定枚数は終了しました」を聞くことになる。これらは、いわゆる一般発売ってことになる。

 その他にも一般発売の前に、ファンクラブに入っていたり、コンビニエンスストアや「ぴあ」の会員になっていると優先予約が出来たり、会員にならなくてもネット上で抽選予約を行うケースやCDなんかを買うと特別予約が出来る仕組みがある。以前、朝日新聞で「チケットのフシギ」って連載がされていた(2001年8月21日)。その記事によると、コンサートの主催者としても、チケットが売れ残るのだけは避けたいってことで、一般販売に先駆けて「優先」やら「特別」やらといろんなルートでチケットをさばいていくという。実は駅で並ぶような「一般発売」ってのは、ほとんど優先販売で残ったようなチケットを最後に売りさばく手段だそうで、公表はされていないものの、数がかなり限定されてくるのだ。「一般」とはいえ、ほとんど一般の人がチケットを手に入れるの難しいルートということになる。

 こういった手段を逃すと、あとはコンサートの当日券を期待するか、正規とはいえないルートでダフ屋やインターネットのオークションを利用するしかない。以前、私もダフ屋やネットオークションを何度か利用したことがある。出品している席や値段と自分の予算に応じて落札することになるけど、中には高額な値段をつけていたり、ひどいものではチケットがないのに出品するという「ネット詐欺」もある。ダフ屋にしてみても売上の一部が暴力団の資金として利用されているともいわれている。こうなってくると、正規ではないルートでチケットを手に入れるのには安心できない面もある。

 私のおもな研究対象とする著作権法では、音楽を創作した著作者を保護することをもって「文化の発展」を図ることが目的としている(著作1条)。しかし、「文化の発展」を図るためには、著作権法だけがあるわけではなくて、その他の領域(単に法律ってことだけじゃなく)も含め、文化政策としてさまざまな手法が考えられる。広く文化芸術に接する機会を適正かつ公平に与えるってのも、ひとつの「文化の発展」のあり方ではないだろうかと思っている。

 例えば、著作権の範囲で考えた場合にも、デジタルによる録音録画技術やインターネットに代表される高度情報化社会ってのは、著作者に取ってみれば自分の権利が脅かされる危険性が増すことになる。けれど、受け手にしてみればそれだけ芸術文化に接する機会が増えることになるわけだから、ひとつの「文化の発展」に寄与しているとも考えられる。もちろん、接する機会が増えるってことは、それだけ著作権法が中心に据えている複製(著作21条)される、危険性が増えるってことで、この衝突と均衡をどのように解決していくのかってことが問題ではあるのだろうけど。

 となると、このチケットの問題にしても、現在のチケット販売という流通の問題と文化の在り方を考えるひとつのケースになるんじゃないかと思う。たかがチケットの問題だけれでも、文化政策のあり方としてひとつの試金石になるのではないだろうか。

 

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