香取神社の概略

 椎谷(しいや)藩初代藩主の堀直宥(なおさだ)が、旧領の上総八幡藩(現在の千葉県市原市八幡)より下総国一ノ宮の香取神宮を勧請し、創建したものと伝えられます。
 祭神は経津主命(ふつぬしのかみ)で、刀剣の威力を神格化した神であることより武神としてはもちろん、海上守護の神でもあることから海運業関係者からも厚く信仰されました。参道に建つ「栄寿丸石鳥居」は、享和2年(1802)航海の安全を願う椎谷栄寿丸の船主たちが寄進したもので(『長州赤間関松屋伊兵衛清道』との刻印もあり)、現在柏崎市指定の有形民俗文化財となっています。椎谷は明治元年(1868)戊辰戦争の激戦地であったため、栄寿丸石鳥居にはその時の戦禍が今も残っています。(同じく奉納された船絵馬(四面)は今回の中越沖地震で破損したそうです)

 被災前の香取神社社殿は天保11年(1840)に再建されたもので、隣接して平安初期創建と伝わる椎谷観音堂があります。(こちらは明和7年(1770)に再建)

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香取神社の場所


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