2006年畳ライフスタイル総会及び勉強会 京都町屋
▼ 文化財畳保存会・畳ライフスタイル合同研修会 京都総会
今年の畳ライフスタイルの総会及び勉強会の一環として、
文化財畳保存会と合同研修会の運びとなりました。
研修場所 京都「知恩院」3月25日午後1時30分から3時30分までという
限られた時間の中研修会が行われました。
知恩院に足を運ぶのは初めてというメンバーが大半でした。
造物・仏像・襖絵・壁画・彫刻・彩色物など、
どんな形で重要文化財を見られるのか期待と興味が大きく膨らみ、
ワクワクしながら先生を迎えました。
今回、案内・解説・説明をして頂いたのは、
(社)全国国宝重要文化財所有者連盟事務局長
「後藤左雅夫」(ごとうさがお)先生にお越しいただきました。
先生の自己紹介が済み、三門(山門)から解説をしていただきました。
■ 三門 ページトップへ
この知恩院の三門は日本現存の木造建築の門の中でも禅宗様式三門中最大の規模です。
一般には山門と称す所ですが三門と書き、
三門の意味は「三(さん)解脱(げだつ)(空・無相・無作)門」。
三門は徳川秀忠により、奉行五味飢右衛門等のもとに造営、
西向きに高い石段の上に建てられています。
門は二階二重門・入母屋造りの本瓦葺き、
二回の内部には知恩院の七不思議にも有る
五味金右衛門夫婦の自作の木像が収められていました。
● 知恩院に伝わる七不思議がある。今触れた三門の自作木像・鴬張りの廊下
忘れ傘・抜け雀・三方正面の猫・瓜生石・大杓子の七つがあります。
■ 経堂
三門を過ぎ次は経堂へ、中に入ることはないと思っていましたが、
今回特別に拝見させて頂くことになり、本当に感激しました。
内部には、経典6000巻の経本を安置し上下の軸で回る輪蔵が備えて
有り、内部全体は極彩色で絵が描かれていました。
建物は三間角、宝形造の屋根の身舎にもこしがついた二重屋根の形式。
■ 大方丈・小方丈 ページトップへ
共に寛永18年(1641年)の建築で単層入母屋造り桧皮葺の書院。
狩野一派の筆で書かれた豪華な襖絵に彩(いろど)られた多くの部屋が続いていました。
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の有名な絵で
「三方正面真向の猫」がありました。その絵には親猫が子猫を
愛む姿が表現されています。親が子を思う心、仏様の解釈で見ると
私たちを何時でも何処でも、見守っています。
そんな慈悲のメッセージが込められていると感じました。
南側の中央に「鶴の間」、その奥に仏間、ここを中心に11室ありました。
「上段の間」には天皇陛下御成りの間で玉座が据えてあります。
繧繝縁二畳台と二畳の上中心に御茵があり、やはり畳の方に興味が行くのは職業柄でしょうか。
「菊の間」の襖の絵も狩野信政筆、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたのが、
あまり上手に描かれていたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。
今ある襖絵には飛び去った後しか残っていませんでした。絵の巧みさを表した話だそうです。
御影堂の背後にある集会堂の前の「鴬張り廊下」
先生が解体修理の際、鴬張りを手がけている時に板を取り付けるのに金具で調整をしながら
工事をしたそうですが、きっちりとした仕事をするのが身につき、しっかりと板の金具を締めてしまい
お寺の人に、音がしないですね。と言われたそうです、そんな工事中のエピソードが有った話をする後藤先生。
そう笑いながら、和やかな雰囲気でさらに奥に進み知恩院本堂(御影堂)に入る。
その時、先生が下のほうを見てごらんと声をかけてくださいました。
その先を見ると、戸を固定する金具や焼き物あの時代にこんなおしゃれな品物が置かれてるなんて考えも
しませんでした。当時の高度な技術とデザイン性が見えました。
■ 御影堂
浄土宗開祖の法然上人の御影をお奉りしている所から御影堂と言われています。
私たちが伺った時、丁度五の日で御開帳になると教えていただき、ご尊顔を拝しました。
職業柄、先に畳に目をやっていて気が付くのが遅くなり失礼をしてしまいました。
流石、知恩院の本堂スケールも大きいのは勿論の事、細部まで手の込んだ仕事で先人たちの
技術の高さが際立って目に入りました。
御影堂正面の軒裏に骨ばかりとなつた傘が見えるのですが、
当時の名工「左甚五郎」が魔よけのために置いていったと言う説と、
知恩院32代の雄誉霊厳上人が御影堂を建てるとき、このあたりに住んでいた白狐が、
自分の褄居がなくなるので新しい褄居をつくってほしいと頼みその御礼に傘を置いて
知恩院をお守りすることを約束したと伝えられています。
傘は雨が降るとさすもので、水と関係しているところから火災から守るものとして
今日も信じられているそうです。
● 今回文化財畳保存会の方々と合同研修会という形で同行させて頂いた事に大変感謝しております。
後藤先生の丁寧な解説・説明はとても分かり易く、頭の中に当時の職人の姿が見えてくるような感じがしました。
また、私たちの小さな質問まで快くお答えくださり、誠にありがとうございました。
とても良い経験ができ、良い思い出ができました。
最後に私自身が感じたことは、「妙」この言葉を思いました。三門の中の木像、なぜそこに安置したのか?
本堂の屋根の一部に忘れ傘?抜け雀?三方正面の猫?瓜生石?大杓子?鶯張りの廊下?
知恩院の七不思議「妙」な物・話そんな印象を得ました。
しかし、それに付随して妙技(微妙なまでの高度な技術)が色々な所に
見え隠れするところがとても面白く感じました。
当時の人々が知恵と技術の粋を集め表現をした建物を五感で感じることができました。
また、機会を頂いたことに感謝しています。
重ねて、今回の関係者各位様には大変お世話になました。心より感謝申し上げます。
畳ライフスタイルのメンバーと加藤明が二条陣屋へ予約をして拝観して来ました。
■ 二条陣屋(小川家住宅)江戸初期の寛文年間に建てられ約400坪26部屋。
諸大名の宿舎として用いられていました。現在も小川家住宅として使用していますので、
案内以外の部屋はのぞいてはいけません。
この建物は、京に屋敷を持たない大名の上洛中の陣屋として使用する為に作られました、
特徴は防火の為に敷地内に12箇所の井戸を設置し、その井戸も地下で繋げ、
井戸の水を安定して使えるようにしてあります。
外からの火災にも配慮し外壁は土蔵造りで屋根の先には銅板を張ったり、
庇の樋にフックが付けてあり、いざと言う時にはむしろを濡らし引っ掛ける事で類焼を防いでいました。
実際に天明(1788年)の大火や、幕末の鉄砲火事(1864年)にも耐えてきています。
■ 二条陣屋の建物の特徴がカラクリです、このカラクリは争いをするためで無く、
死傷者が出ると宿として使用できなくなるので、大名の安全と避難の為にカラクリを作ったそうです。
大座敷には明かり天井が有り、天井には警護の為の武者だまりが有りました。
明かり天井から出入りも可能になっていて、直ぐ裏の廊下には二階に逃げる為の足掛けが壁に付けられ、
天井板も上がります、湯殿の前の廊下には釣り階段。
他にも隠れ部屋や落とし階段に、刀が振り上げられないように天井の低い廊下など、
身を守る工夫がこらしてありました。とても面白い造りになっていました。
畳をあげると能舞台となる能の間には、床下に瓶が埋め込まれ、能の足踏みの音が反響し、
役者が使用する廊下の壁は、着物を痛めないように糸を練りこんで出来ていました。
茶室も多く7つ有りますが、2階の茶室が印象に残りました。
この茶室は神泉苑が直ぐ下まで来ていたそうで、沼を見ながら船の中でのお茶席を感じるように舟形に造られ、
入口は狭く一段降り、床は少し斜めに作られ、水は滑車で汲上ていたそうです。
防火や安全だけでなく風情を楽しめる屋敷です。
建物の間取りは部屋数の多さはありますが、一部屋がわりと手狭のように感じました。
争いを避けるためと逃げるときに逃走経路を読まれないためだと実感しました。
また機会があれば、もう一度見てみたい家です。
その時には、建物の材質・木組み・左官・畳・襖など詳しい知識を持って細かいところまで
見てまわりたいと思います。
参加メンバーで記念写真 二条陣屋
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◆ 加藤明のプチ京都散策
京都の老舗の磯垣畳店様が忙しい中連れて行っていただいた所、美味しかったあぶり餅。
行ってみたかった場所東寺・銀閣寺。
京都駅から町を30分ぐらいぶらぶらして撮った旅館や家並み。
○ 京都のお寺・町並み・庭園・食事など魅力的な都市近いうちに行ってみたいと思いました。