―――『君にあの星空を・前編』―――
「タイチ〜、何でここに来たの?」
「んー、ちょっと」
「あ、待って〜、ボクも行くよっ」
どすどすどすと足音を立てながらついてくるアグモンにちょっと笑って、太一は嘆息しながら―――サーバ大陸に行く準備をすっぽかしてまで来た場所……デビモンと戦った、ムゲンマウンテンの岩場にたたずむ。
「……タイチ? どうしたの? ここって、デビモンと戦った場所だよね」
「ああ」
不思議そうに尋ねるパートナーに向かって頷き、太一はあの日の戦いを思い起こすように目を閉じた。
――――何をしても、かなわなかった。
皆も進化して、あんなに必死に戦ったのに、かなわなかった……あの戦いを。
「……結局さ。あの戦いで、オレは何も出来なかったんだなって思って……」
「えっ? ……タイチ?」
「だってそうだろ? デビモンに勝てたのは、タケルとパタモンのおかげだ。逆にいえば、タケルがいなかったら、オレたちは全員……、だめだった」
死、という単語を無意識のうちに避けて、タイチは目を開ける。
「そんなあ、急にどうしたの、タイチらしくないよぉ!」
「……悪い。アグモン」
ぐいぐいと腕を引っ張って訴えるパートナーに笑いかけて、太一は「大丈夫」と告げた。
「今日、ここに来たのは、弱音を吐きたかったからじゃない。あの、ゲンナイとかいうジジイが言ってただろ? サーバ大陸には、デビモンよりもずっと強くて、悪い奴らがいっぱいいるって」
「うん。でも、大丈夫だよ、タイチ〜! タイチのことはボクが守るから!」
「ああ! だからさ、アグモン。オレはここへ気持ちの整理をしに来たんだ」
太一は無邪気に自分を見上げてくるアグモンに笑みを返して、ぐっとこぶしを握り締めた。
「もう、あんな戦いはしたくない。でも、そう思うだけじゃだめなんだ! オレは……オレたちはもっと強くならなくちゃ!」
「それって進化? タイチ」
「……ああ。そうだな、アグモン! オレたちも進化しなくちゃいけないんだ!」
太一は元気よく宣言すると「オレはやるぜーっ」と宙にこぶしを突き上げる。アグモンも太一の動作を真似るように思い切りジャンプして、勢いよく転んだ。
「ははっ、何やってんだよ、アグモンっ」
太一はけらけらと屈託のなく笑って「痛い〜」とうずくまるアグモンに手を差し伸べる。
――――何のかげりもない表情で。
彼は、気づかなかった。否。気づけなかった。
ちょうど太一の死角に入る岩場に、昏い闇が蠢いていることに。
そして、その闇が、まっすぐ自分を狙っていることにも――…。
◇ ◇ ◇ ◇
「太一はん、大丈夫そうでんな」
「うん……そうだね」
さて。太一は(これにも)全く気づいてなかったが…彼をそっと見守っていた視線が、物陰にあった。
泉光子郎と、彼のパートナーのテントモンである。
「それにしても……光子郎はん、太一はんのことが心配なら素直に出てったらええんとちゃいまっか? 何もこないなとこに隠れてへんでも」
木陰から太一を見ている光子郎をからかうようなテントモンの言葉に、光子郎はムッと眉を寄せた。そして、ふいっとそっぽを向きながら「いいんです、ここで」と答える。
「僕が……いえ、僕たちが出て行ったら、太一さんはあんなふうにアグモンと話せませんから」
「……? 何ででっか?」
光子郎の言っている意味がわからずに首をかしげるテントモンに、光子郎は指先を顎に当てて考える仕種をしてから。
「つまり――ですね。太一さんは、僕たちの中で……半ば絶対の“前進”の象徴になっているんですよ」
そう。彼が望むと望まざるとに関わらず。
「……ゼンシンのショウチョウ? それって、どーいう意味でっか、光子郎はん?」
「えっと…それはつまり……」
光子郎はちょっと宙を見上げて、首を傾げた。
「皆が尻込みしてしまうようなとき…例えば、サーバ大陸に行くか行かないかって話をしているときとかに、太一さんはいつも前向きな意見を出すでしょう? …まあ、無謀と言ってしまえばそれまでですけどね」
「“前向き”…確かにそうでんなー。あん時も最初っからサーバ大陸に行こうって主張してはったんは太一はんやったし」
「そんな太一さんが弱音を吐いたりしたら、皆が不安になってしまう。……特に、今は大事な時期ですから。だから僕たちは何も見なかったことにしなくちゃいけないんです。皆を不安にさせないために。…太一さんも多分そう思ったから、皆から離れてここに来たんだろうし…そんなときに僕らが顔を出したら…、あの人は弱音も吐けなくなってしまう」
後半は殆ど独白のようになった。テントモンは「はあー、色々考えてまんなぁ。光子郎はんは」と感心したように腕組みをする。
「せやけど、結局は太一はんのことが心配やから、こうやって見てはるんやろ?」
「……」
だが、そこに余計な一言を付け加えられ、光子郎はまっすぐに戻っていた眉を、また寄せた。
「ほっといてください」
憮然とそっぽを向く光子郎に、テントモンは微かに羽を振動させて笑う。
月日で数えれば、まだまだ出会って日が浅いパートナー。けれど、いつのまにか光子郎のわかりにくいようでわかりやすい性格を、テントモンに把握されてしまったようだ。
(まあ、こういうのも…そんなに悪くはないけど)
光子郎は心中でこっそりそう呟いて、子供らしい笑みを浮かべた。―――だが、その笑みは太一の背後……太一の死角になっている部分で蠢き、太一に向かってこようとしている闇色の塊に気づいた瞬間消え失せる。そして、彼の喉から太一への警告の叫びが迸った。
「太一さん――っ! 後ろ!」
「? 光子郎はん、どうしたんでっか? ……って、なんやあれ!」
唐突に大声を上げて太一のほうに走り出した光子郎に、テントモンは一瞬きょとんとしたが、すぐにテントモンも太一の背後に蠢く昏い塊に気づく。
「光子郎…? 後ろってなんだ、……っ! うわっ! なんだ? この黒いの!」
「あっ、タイチ、危ない!」
太一は光子郎の声に戸惑ったようだが、反射的に後ろを振り向いて声を上げた。
無論、驚愕と恐怖の入り混じった悲鳴だ。
「タイチ、伏せて! ベビーフレイム!」
どうやらこの黒い塊は太一を狙っているらしい。
太一の叫びに反応したアグモンは蠢く闇に向けて炎を放ったが、炎は昏く濁る闇に吸い込まれただけで、なんら変化はない。
まるで夜の闇……いや、そんな柔らかいものではない。昏い、限りなく昏い暗黒を具現化したような『それ』は、よく晴れた天気に滑稽なくらいそぐわなかった。
「く、くそっ…なんなんだよ、これ!」
太一は、とにかく態勢を立て直そうと、アグモンと共に光子郎たちがいる場所まで逃げようとした。だが。
「わっ、…うわぁっ!」
ゴツゴツした足場の悪い岩場に足をもつらせて、思い切り転んでしまう。
「太一さん!」
「タイチっ!」
太一はすぐに起き上がって走り出そうとしたが、既に太一一人くらい易々と包み込んでしまいそうな闇は、間近まで迫っていた。
《エラバレシ、コドモタチヨ…》
太一の足首や手首をとらえた闇は、くぐもった声を発して、邪な喜びを表現する。
「こ、この声……まさか、デビモン!」
《エラバレシ、コドモタチヨ…》
聞き覚えのある声。確かにここで倒したはずのデジモンの声に、光子郎は驚きを隠せずに声を上げる。
「まさか、デビモンの残留思念っ?」
「そ、それってよーするにユーレイってことでっか、光子郎はん!」
「多分そういうことだと……いや、今はそんなことはどうでもいいんです! テントモン、早く太一さんを!」
「はっ、はいな!」
光子郎の声にテントモンは慌てて羽を震わせ、太一を救い出そうと懸命になっているアグモンのもとへ飛び立つ。
「太一はんっ! 無事でっか!」
「テントモン! タイチが、闇の中にっ……このっ! ベビーフレイムっ!」
今の僅かなタイムロスのうちに、もはや太一は腕の先だけを残して闇の中に取り込まれていた。アグモンは太一を引っ張り出そうと必死だが、いくら炎を放っても闇はびくともしない。
「テントモンっ! 太一さんを早く!」
「……プチサンダー! いや、やってるんやけど……プチサンダー!」
テントモンはバチバチと小さな雷を発光させるが、やはり効果がないらしい。
「あかんがな! 全然効いてへん!」
「ベビーフレイムーっ! ベビーフレイム、ベビーフレイムっ!」
アグモンはこうしているうちにも、残された腕がずるずると引き込まれていくことに焦り、がむしゃらに炎を吐き出すが、今更効くはずもない。
「闇……はっ、そうか!」
そのとき、青ざめながらも考え続けていた光子郎は、ようやく気づいた。
彼の鞄に、いや“選ばれし子供たち”が全員持っている聖なるデバイス、デジヴァイスのことに。
「太一さん! 今、助けますから!」
光子郎は鞄から引きちぎるようにデジヴァイスを外し、そのまま闇へと突きつける。
デジヴァイスは光子郎の声に呼応するかのように光り輝き、まるで矢のように闇へと突き刺さった。
《ヴ……、ヴァ……ヴォォオオ……!》
声はおぞましい響きで大気を震わせながら、じりじりと削られていく。
そして、光子郎のデジヴァイスに答えるかのごとく、闇の中から太一のデジヴァイスが輝きを放った!
《ウァアア……ッッ! オノレ……オノレェエエ……!》
闇は抵抗するような声を洩らしながら、光に飲み込まれていく。だが、全てが呑み込まれる寸前、闇が失せたところにぐったりと倒れている太一の額に、闇のカケラをたたきつけるように放った。闇の塊は、一瞬のうちに太一の額に吸い込まれていく。
「! 太一さん!」
デジヴァイスを掲げながらも闇の最後の抵抗に気づいた光子郎は、闇が消え失せた瞬間、だっと太一に駆け寄った。
「太一さん…太一さんっ……太一さん! 目を開けてください! 太一さん!」
気を失っているらしい太一を抱きかかえ、光子郎は半ば我を忘れかけながら呼びかけ続ける。
「タイチッ、タイチ〜っっ!」
「太一はんっ、大丈夫でっかっ? もうデビモンのユーレイはおりまへんで!」
やがて、一人と二匹の必死な呼びかけが届いたのだろうか。太一は光子郎の腕の中でぼんやりと薄目を開いた。
緩慢な瞬きと焦点の会わない瞳が、まだ太一が半覚醒の状態であることを伝えてくるが、とにかく太一が呼びかけに応えてくれたことにほっとする光子郎。アグモンとテントモンも、安心したように顔を見合わせる。
「……太一さん、大丈夫ですか…?」
――――だが。
「……。……た。……い、ち……?」
――――どこか、様子がおかしい。
そう、誰よりも早く気づいたのは光子郎だった。
「太一さん……? どうしました?」
さっと顔色を変えて問いかける光子郎にかまわず、太一はぼんやりとした仕種で光子郎の頬に手をのばす。
まるで子供の、幼い子供のような仕種だと思ったのも束の間。
光子郎は反射的にその手のひらを握り締め「太一さん?」と呟く。
太一はその声にようやく『光子郎』へ焦点を合わせた。彼はまるで初めて見る相手を凝視するように光子郎を見つめ続け…。
「……僕が、分かりますか…? 光子郎ですよ? ……太一さん…。……―――太一さんっ?」
光子郎の言葉を聞いたか、聞かなかったかというくらいのタイミングで、がくりと頭を光子郎の腕に預け、そのまま唐突に意識を失う。
光子郎はその唐突さに目を見張り……狼狽したように声を荒げ、がくがくと太一の肩をきつくつかんで揺さぶる。
「太一さんっ? 太一さん! 太一さん、どうしたんですか! 返事をしてください! 太一さん……太一さんっ!」
「こっ、光子郎はん! 落ち着きなはれ! 一体どないしたんでっかっ?」
「コウシロウっ、タイチはどうしちゃったの〜っ?」
アグモンもテントモンも光子郎の狼狽ぶりに驚き、口々に問いかけるが、光子郎は何一つ答えられなかった。
「……とにかく、皆のおるところに太一はんを運びまひょ? な? 光子郎はん?」
「……。……はい…そう、ですね……」
光子郎は、やけに細く感じられる太一の肩を握りしめながら、何とか呟く。
横でアグモンが泣きそうな顔で「…タイチ〜」と呟いているのが耳に入ったが、光子郎は何も言ってやれなかった。
――――何故ならば、彼自身が、激しい不安に包まれていたから。
(大丈夫……きっと、ただ気を失ってるだけ。様子が変だったのも、意識がぼんやりしていたからだ……きっと。きっと…)
掌が、太一の肩を包む掌が震える。
――――どうして、こんなに近くにいるのに、不安を感じるんだろう。
(大丈夫……。大丈夫だから……)
――――こんなにしっかり抱きしめているのに、まだ足りない。まだ怖い。
(大丈夫……大丈夫って……言って下さいよ―――太一さん……)
◇ ◇ ◇ ◇
――――太一がどこか遠くに行ってしまうような。そう思った光子郎の感覚は当たっていた。
それが分かるのは、これからしばらく後……。
他の子供たちと合流した後の話になる。
◇ ◇ ◇ ◇
――――気がついたら、闇の中にいた。
耳も聞こえない。目も見えない。肌の感覚もない。声が出ない。
(ここはどこだろう)
全ての感覚が失せたまま、ぼんやりと思う。
自分は倒れているのだろうか。立っているのだろうか。浮かんでいるのだろうか。
(どうしてここにいるんだろう)
いつから。……いつまで? いつまでも?
何もない世界。
恐ろしいくらいの沈黙の世界。
音がないことが、こんなにも煩わしいとは思わなかった。
(おも、わなかった?)
どこで、思ったんだ?
(ど、こ、で?)
ここは、どこ?
(だ、れ、が?)
おれは、だれ?
何も見えない何も聞こえない何も話せない。倒れているのか立っているのか浮かんでいるのかすら分からない。
分からない分からない分からない。
……何が。何が、分からない?
(……………なんだろう………なんなんだろう………?)
もう、どうでもいい気がした。
「――――太一さん!」
なのに、何かが邪魔をする。
「目を開けてください! 太一さん!」
め、って、なんだっけ。
……め。………目?
ああ、これか。
「あっ、太一さんが目を開けたよ、光子郎さんっ!」
「太一さん!」
視界いっぱいに広がる世界。
真っ先に『目』に入ったのは、オレンジとこげ茶色と肌色。
そうか、これが『目』だっけ。
………肌色。……ヒト?
………オレンジ。……服?
………黒。……目の、色?
「太一! 一体どうしたんだ!」
「ずっと気を失ってたのよ、太一。……大丈夫?」
ヒトの声。
………ああ、これが『声』っていうんだっけ?
でも、このヒトたちは……。
――――だれ?
「太一さん―――僕たちが、分かりますか?」
……真っ黒の目が、こっちを見てる。
ああ、このヒトは知ってる。なんだか知ってる。
一番最初に会ったヒト。
「……こうしろう……?」
喉から『声』が出る。
このヒトの名前が、出る。
――――でも。でも。
ほかのひとは、しらない。
◇ ◇ ◇ ◇
「太一さん……?」
光子郎は、ぽやん、とどこか焦点の合わぬ目で自分を見やる太一に戸惑ったような声をあげた。
――――太一が気を失った後、光子郎はテントモンやアグモンの協力により、何とか太一を抱きかかえて皆の所まで戻ることができた。長旅のための食糧収集に励んでいた仲間たちは、光子郎と太一のただならぬ様子に驚き、慌てて二人を出迎えたのだが……。
……つい先程目を覚ました太一の様子が、やはりおかしい。
「おい、太一……どうしたんだよっ?」
無防備にぺたんと座り込み、光子郎の「僕たちが分かりますか?」という問いかけに答えるように「こうしろう」と呟いて。そのまま、どこか不安そうに、ぼんやりしている太一に苛立ったヤマトは『いつものように』太一の肩をつかんで話しかけた……のだが。
「やっ……」
「…! 太一っ?」
太一は怯えたようにびくんっと身を震わせ、肩に置かれたヤマトの手を振り払った。
「お、おいっ……どうしたんだよ、お前!」
「どうしたの? タイチ、ヤマトだよ〜?」
アグモンも怪訝そうに首を傾げて、タイチに手をのばす。だが、太一は「やぁっ」と悲鳴じみた声をあげて、さっと後ずさった。
そして、さっと光子郎の背中にしがみつき、自分よりも小さな光子郎の背に隠れるようにして身を震わせる。
「太一さん……? どうしたんですか…っ?」
光子郎は、ある一つの危惧に襲われながらも、自分の背中にしがみつく太一の手首をつかんだ。すると太一は自分の方をむいた光子郎の首に、そのままぎゅっとしがみつくのである。
「やだ……! こわいよぉっ、こうしろうっ…」
言葉どおり、泣きべそをかきそうな顔を光子郎の肩口に埋め、ひっくひっくと肩を震わせて。
「太一さん―――?」
一同が呆然とその光景を見守る中、ヤマトの弟のタケルは、大事そうにデジタマを抱きしめて、きょとんと呟いた。
「何だか……赤ちゃんみたいだよ………?」
その、何気ない一言は――――ひっくひっくと光子郎の肩口でしゃくり声を上げる太一の声と重なって、痛いような沈黙をもたらす。
「こわいよぉ…こわいよ……こうしろうっ……」
光子郎は半ば反射的に太一の頭を撫でてやりながら、足元から、がらがらと、全てが崩れていってしまいそうな感覚をおぼえていた。恐らく、他の者……子供たちも、デジモンたちも同じ気持ちだろう。皆、一様に呆然としきっている。
――――だが、光子郎は。そんな気持ちとは裏腹に、何か、認めたくないような別の気持ちを、太一が無防備に身体をこすりつけてくる肩口のあたりから感じていた。
「大丈夫、大丈夫ですよ……太一さん………」
――――それは、昏い喜び。
いつも支えたいと思っていて、けれど、決して必要以上に頼ってくれない愛しい相手を、独占できるかもしれないという……ひどく浅ましいような。……けれど、打ち消しようのない喜びを。
「要するに……今の太一は幼児の状態にも等しいって……ことなのか? 光子郎」
“選ばれし子供たち”の中で最も最年長の城戸丈は、戸惑ったように眉を寄せながら、ぐっと眼鏡を押し上げた。
「ええ、恐らくは……あの時、デビモンの残留思念らしきものが最後に仕掛けてきた攻撃。あれが原因かと思われます」
光子郎はちらっ、と、無邪気な笑顔を浮かべてタケルと話している太一を見る。
「あのね、ボクはタケルっていうんだよ。タ、ケ、ル。高石タケルだよ」
「……たける?」
「うん! でね、太一さんは、太一っていうんだよ。たいち。八神太一」
「たいち。うん。わかった。たいちはたいち」
「この子はねえ、デジタマっていうの。中にはね、ボクの友達が入ってるんだよ」
「でじたま? ともだち?」
……なんとも微笑ましい光景だが、どこか痛々しい。この光景からいえることは、この状態の『太一』をすんなり受け入れることが出来たのは、今のところ、最も幼いがゆえに最も柔軟な精神をもっているタケルだけだということだろう。
「そんなぁ! それじゃ、太一さん、もう元に戻れないってことなのっ?」
「えぇっ! タイチ、ずっとあのままなの??」
似たもの同士のミミとパルモンがほぼ同時に口にしたセリフに、空が顔を青ざめさせた。けれど、さっとそれを押し隠してにっこり笑って見せると。
「そんな…ことはないわよ、きっと。多分、デビモンの攻撃のショックを受けたからよ。…すぐに。……すぐに、治るわ!」
殆ど気休めのようなセリフだ。だが、空の言葉に、ミミ、パルモン、そして空のパートナーのピヨモンもほっとしたようにコクコクと頷く。
「きっとそうよぉっ! ソラの言うとおりだと、ピヨモンも思うよっ!」
「そうかなぁ…? 僕らの世界でも、ああいった……心の病みたいなのって、治療することが難しいって話じゃないか。それなのに、こんな治療施設もロクにないような場所で、どうにかなるもんかなぁ…」
だが、せっかくの空の言葉を打ち砕くように丈が不安そうな口調でそんなことを言い出す。
……丈の一言で座がたちまち暗くなったが、それもまた事実なのである。
「丈〜…。もーちょっと明るいコト言えないのかよぉ〜?」
「な、なんだよっ! だって、しょうがないじゃないかぁっ」
パートナーのゴマモンにまで白い目で見られて、丈はムキになったように反論しかけた。だが。
「やめろよ、丈! あまり皆を不安にさせるな!」
今まで黙っていたヤマトの鋭い叱責に、びくっと肩を震わせて反省したように俯く。
「……ごめん。悪かったよ……暗いことばかり言って……」
ヤマトは、丈の一同への謝罪にも表情を固くさせたまま……ぐっと拾った小石を強く握りしめる。そんなヤマトを、彼のパートナーであるガブモンが不安げに見上げた。
「ヤマトぉ…」
「……大丈夫だ、ガブモン。心配するな」
「う、うん…」
ガブモンはヤマトの言葉にこくんと頷き、横で落ち込んでいるアグモンに視線を移す。
ヤマトが強く怒鳴った後で話しかけたせいか、あるいは外見が恐竜のようだからか、どうも幼児状態の『太一』に怖がられてしまっているらしいアグモンは、すっかり落ち込んでしまっていた。
それも無理はない、とガブモンはアグモンに同情する。
もしも、パートナーに拒絶されてしまったら……。そんなこと、ガブモンは怖くて考えられないくらいだ。
いつもはあれだけ食いしん坊のアグモンだというのに、食事の時も太一の傍にいられず、食欲もなかったようだった。
(どうすればいいんだろう…)
アグモンと似たような形態のガブモンは自分も『太一』を怖がらせてしまうのではないかと、彼と『太一』の橋渡しも出来ずにいたのだが……。
「アグモーン、こっちおいでよ〜っ!」
その時、タケルが急にアグモンに向けて手招きをした。
アグモンはガブモンと顔を見合わせてから、結局、おずおずと太一とタケルの傍に近づく。
アグモンが近づいてきたことに気づき、太一はびくりと身じろぎをした。
そして、どうやら『一番最初』に見たせいか、一番懐いているらしい光子郎のもとへ、救いを求めるような眼差しを向ける。
光子郎はあまり頼られたことがないゆえに、一瞬戸惑ったように目線をさまよわせたが「光子郎はん、太一はんは今、光子郎はんを一番頼りにしてはるんやから」と、テントモンに言われ、今まで座っていた場所から立ち上がった。
「大丈夫ですよ。……アグモンは、太一さんの、一番の友達なんですから」
そのまま、座っている太一の肩を優しく叩いて、太一を促すようにぎこちない笑顔を浮かべて見せる。
「そうだよ、太一さんっ! アグモンと太一さんは、ボクと……パタモンみたいに仲良くなれるはずだよっ」
「……なか、よく、なれる?」
太一は頼りない仕種で首を傾げたが……そのまま、ゆっくりと近づいてくるアグモンにおずおずと手を差し伸べた。
「ともだち……なの? たけると、でじたまみたいに?」
「うん…! うん! タイチ〜っ! ボクとタイチは、友達だよ〜!」
アグモンは太一が手を差し伸べてくれたことが嬉しくてたまらなかったらしく、最初の『おずおず』やら『ゆっくり』はどこに行ったのか、と疑いたくなるような勢いで太一に飛びつく。
「わっ! あぐもん……おもい……っ」
「タイチ〜っ、タイチ〜っ!」
「あぐもん、おもいっ」
アグモンは太一の文句も聞かず、無邪気に太一の身体にしがみついた。
ガブモンはその光景を我がことのようにほっとしながら眺め、光子郎とタケルも笑顔を交わしあう。
丈も微笑ましげに太一たちを見つめ、アグモンが羨ましくなったらしいゴマモンは丈の膝によじよじと登り始めた。ミミとパルモンは「私たちも混ざっちゃえ〜」と駆け出す。ピヨモンは素直に喜び、空は肩をすくめて苦笑する。
子供たちやデジモンが、その子供特有の適応力で『太一』に馴染んでいく中、ヤマトは一人複雑な表情で太一を見つめていた。
(ヤマト……?)
――――その視線に気が付いたのは、パートナーであるガブモンと、もう一人。
泉光子郎だけだった。
「…とりあえずは、予定通り準備を進めませんか?」
その日の夜。光子郎は自分のゴーグルをいじって遊んでいる太一の隣で、そう発言した。
「予定通り…ってことは、このままサーバ大陸に行くってことか…?」
丈の戸惑ったような声に、光子郎は「はい」と頷く。
「……大丈夫かしら。こんな状態の太一を連れて……?」
空も不安げに、にこにことゴーグルを焚き火の火に透かしてみたり、ゴムをぐいぐいと引っ張ったりして遊んでいる太一を見やった。
「それは……。……そうかも、しれませんが……」
光子郎は用意していたセリフを続けようとして……ふっと、言葉に詰まる。
(僕の言葉じゃ……だめなんだ)
そのことに、気が付いてしまったから。
――――デジモンたちは一足先に眠っている。旅立ちの準備をする際に肉体労働をする率が高いのは、当然彼らだからだ。
(……アグモンはいるけれど……こんな状態の太一さんが、アグモンを進化させられるとは思えない)
光子郎は、しん、と訪れた重い沈黙の中で、そんな懸念を胸に浮かべてしまう。
(サーバ大陸にはもっと、凶暴なデジモンが……いや、そもそも海を越えることが出来るのかどうか。そもそもそれ以前に、本当にあのゲンナイというヒトを信用していいのか?)
それはもう既に解決した、あるいは話し合った内容の疑問。
『きっと何とかなるって! 行こうぜ、光子郎!』
そう。太一がそんな風に笑って、前に進もうと指し示してくれた。だからこそ、一度は忘れることが出来た、考えても今は答の出ない、埒のあかない疑問たち。
――――いつだって前を向いていて。けれど、何も考えていないわけじゃなくて。いつも自信に裏打ちされる、何かがあって。
そんな『太一』がいまここにいて、今の光子郎と同じセリフを言ったなら、皆の反応はどうだっただろう。
勿論、諸手をあげて賛成というわけにはいかなかっただろう。だが、きっともっと前向きな……。
(……やめよう)
光子郎はこっそり溜め息をついて、矛盾が生じざるをえない、くだらない疑問に幕を下ろした。
(“太一さん”がいないだけで、皆の雰囲気がこんなに変わってしまうなんて……)
予測はしていたが、実際に起こってしまったことへの対処は難しい。
とりあえず光子郎は自分が原因で暗くなっているとは露も知らず、無邪気にゴーグルで遊んでいる太一の手をつかんでゴーグルを優しく取り上げた。
「太一さん、ゴムを引っ張っちゃ駄目ですよ。ほら、貸してください。着けてあげますから」
「んー。つけて〜」
太一は素直にゴーグルから手を離し、甘えるように光子郎の膝に頭をすり寄せる。
彼はそのまま、ぎゅっと細い腕で光子郎の腰にしがみつき、ごろごろと膝枕のような態勢で転がった。
「太一さん、ほんとーに光子郎くんに懐いてるのねぇ〜」
ストレートな懐かれ方に慣れていない光子郎は、嬉しいやら照れるやら戸惑うやらで複雑な表情をしているが、そんな彼らのそばに、ほてほてとミミがやってきた。
「あー、みみ〜」
太一は自分を見下ろしてくるミミに、にこっと無垢な笑顔を浮かべた。
「やーん、もう太一さんってば可愛い〜っっ♪」
その笑顔にくらくらしたらしいミミは、思わず太一の身体をぎゅむっと抱きしめる。
「みみー? かわいいってなに?」
「あのねーっ、今の太一さんとかぁ、私みたいな女の子のコトっ♪」
ミミはすりすりと太一にほっぺをすり寄せ、太一をきょとんとさせた。
「あー、もう、ほら、ミミちゃんっ、今は大事な会議の最中なのよ」
見かねた空がミミを回収したが、ミミの行動と太一の無邪気な言動のせいか、緊張感はすっかりほぐれてしまった。
「こうしろぉ…」
太一も小さな欠伸を洩らしながら、もぞもぞと光子郎の膝にしがみつきなおす。そして、ごしごしと目をこすりながら「たいち、ねむい…」と呟いた。
「……今日はとりあえずこの辺にしましょうか? 続きの話は明日でも出来ます」
「そうだな。タケルも、もう限界みたいだし」
光子郎の言葉にヤマトも頷き、隣でこっくりこっくりと船をこいでいるタケルの頭を軽く叩く。
タケルは「なに?」と言う様にうっすら目を開けたが、瞼の重さに耐えかねてまた目を閉じてしまった。
そんな弟に、ヤマトは優しい微笑を浮かべ「じゃあ、見張りの順番を決めようぜ」と一同に声をかける。
基本的に女の子とまだ幼いタケルは除外されている見張り役だが、今夜からは太一も除外となる。
(いつまで続くのかは、分からないが……)
ヤマトは複雑な表情で地面にアミダクジを書いた。これで見張りのペアと順番を決めるのである。
「今日は誰かが一人になってしまいますが…。どうしますか? これもアミダで決めます?」
「いや、いい。おれがやるよ」
「いいのか、ヤマト?」
自ら一人きりの見張りに志願したヤマトに、丈は確認を捕る。
「ああ。……なるべく、今夜限りならいいんだけどな」
早く太一が元に戻ればいいのに、という意図をこめてヤマトは呟いた。
「そうですね」
光子郎も頷いて……いつのまにか自分の膝で寝息を立て始めた太一の頭から、ゴーグルを外してやった。
◇ ◇ ◇ ◇
焚き火は、火の粉の弾ける音を立てて燃え盛っている。
『もーえろよ、もえろーよーっ、明るくあーつーくー』
『なんだよ、それ』
『いや、キャンプファイヤーって言ったらコレだろ?』
『……それはわからないでもないけど……突然歌いだすなよな。皆が起きちまうだろ』
『あ、それもそうか』
『大体、キャンプファイヤーじゃねーだろ? これは……』
――――突然耳に蘇った、つい数日前の会話に、ヤマトはぐっと固く拳を握り締めて眉を寄せた。
……見張りの交代は、まだまだ先である。見張りが気を散らしていてはいけない。
ヤマトは余計なことばかり考えてしまう自分に舌打ちして、見張りのくせに横ですっかり眠り込んでいるガブモンに目をやった。…といっても、起こす気はない。……彼も疲れているのだろう。普段から負担をかける割合は大きいのだから、こんな時くらい休ませてやらなくては……。
そう考えた時、ふと、ガブモンがおろおろしていた……昼間の騒動のことを思い出した。
(太一……あいつ、本当にどうしちまったんだろう……)
たった今、余計なことを考えまいと思ったばかりなのに、早速余計なことを考えてしまう。ヤマトは自分に呆れながら、満天の星空を見上げた。
「――――ヤマトさん」
「光子郎?」
ちょうどその時、がさっ…と草の擦れる音を立てて、先に眠っている筈の光子郎がやってきた。
「どうしたんだよ。交代はまだ先だぜ?」
「ええ、知ってます。……少しヤマトさんに聞きたいことがあって」
どこか固い表情の光子郎に「座れよ」と焚き火の近くを示し、ヤマトは先を促す。
「聞きたいことって何だ?」
「………ヤマトさんは」
光子郎は素直に腰をおろし、軽く膝を抱えて――――ヤマトをまっすぐに見た。
「太一さんのこと、どう思ってるんですか?」
「……どうって……」
光子郎の不躾な問いにヤマトは言葉を濁す。だが、すぐに光子郎から目をそらし、焚き火の中を見ながらこう答えた。
「最初は……いや、今もか? まあ、とにかく無神経で、がさつで、うるさいやつだと思ってる」
「それだけですか?」
「……ウマが合うとも言えないが……まあ、友達……なのかもな」
嘘だ。
ヤマトは、即座に胸中で否定する……『誰か』の声を聞いた。
(どこの世界に“友達”を……押さえつけて無茶苦茶にしてやりたい、なんて……そんな馬鹿げたこと思うやつがいるってんだよ…!)
――――それは、ファイル島が分裂してしまった時のこと。
揃ってフリーズランドに流されてしまった二人は、ひとまず合流し、和解した後、ムゲンマウンテンに島が到着するまで休んでいようと洞窟の中に入った。
パニックから落ち着きはしたものの、相変わらず弟が心配でたまらないヤマトを落ち着かせるために、太一はわざと明るくふるまってくれた。だが、その時のヤマトには……その、相手を気遣うことの出来る太一の余裕すら、憎らしく思えて……。
何の悩みもなさそうな顔で笑う太一が憎らしくて、同じような境遇に置かれているというのに強さを保っていられる太一が羨ましくて。
先に見張りをかって出たヤマトの横で、太一は無防備に眠っていた。
その寝顔を見ていたときに沸きあがってきた……ひどく凶暴な気持ち。
――――イマスグコイツヲ、メチャクチャニシテヤリタイ。
そうすれば……こいつもきっと、今のように笑っていられなくなる。
きっと、今のように強さを保っていられなくなる。
……そう考えたのは、ほんの一瞬で。
ヤマトは、すぐに『正気』に戻った。
(―――俺は、何を考えてるんだ!)
とても攻撃的な、一方的なこの想い。
自覚しただけで激しい苦痛を伴うこれが。……まさか『恋』とでもいうのだろうか?
ヤマトは愕然とし……また、己の中に鬱屈を抱え込んだ。
混乱と、執着。苛立ちと、腹立ち。
もしもこれが『恋愛』なのだとすれば――――これほど醜いものはない。
ヤマトはそんな感情を抱いてしまった自分に嫌悪をおぼえ……早々に、その感情を忘れるように努めた。
(それに……)
ヤマトは自嘲に似た気分で、火に薪を放り込む。
火はボッと燃え上がり、また一定の形に戻った。
(あいつ……太一は、俺がどうあがいたところで、俺のほうを見やしない)
「本当に、そう思ってるんですか?」
「え……?」
物思いに耽っていたところへ急に声をかけられ、ヤマトはハッと光子郎のほうを見る。
「友達だって……本当に、太一さんのこと、そう思ってるんですか?」
「あ、ああ……」
そのことか。
「………それ以外に、何があるっていうんだよ」
ヤマトは努めて冷静に答えた。
(“光子郎”か……)
あいつは、きっといつまで経っても『俺』を見やしない。
『友達』か、『親友』としてしか。
「そう……ですね。すみません。……勘違いしてたみたいです」
「……ああ」
恐らく、泉光子郎が、隣にいる限り。
「じゃあ、僕、次の見張りまで寝直しますから」
「そうか」
ヤマトが、太一の寝顔を見つめて――――そんな凶暴な衝動に支配されそうになっていた時。
太一が、寝言で小さく囁いたのは、一緒にいたはずのヤマトの名前ではなく。
光子郎。
そう、小さく、まるで助けをこうような響きで、一言そう呼んだのだ。
――――そんなに、大したことではないのかもしれない。…そう。昔から馴染みの後輩の名を、呼んだだけなのだから。
だが……だが。
ヤマトは小さく溜め息をついて、光子郎には見えないように苦い笑いを浮かべた。
(本当に、分かりやすい奴だよな。……あんな風になっちまってからも、光子郎が“一番”なんて)
ヤマトは消しきれない嫉妬と、諦めきれない恋情の残骸を惜しむように、寝床に戻ろうとする光子郎の背中へ、不意に声をかけた。
「お前は、どうなんだ?」
「…え?」
予期しなかったらしい問いに、怪訝な面持ちで振り返る光子郎。そんな彼を、ヤマトはやや斜に構えて見やり、足りない言葉を補った。
「八神太一のことを“お前”はどう思ってるんだって聞いてるんだ」
「……ああ。そういうことですか」
光子郎は得心がいったように頷き、ふっと目を眇めた。
どこを見ているのか、分からないような瞳で。焚き火の明かりでは照らしきれない闇に浸したような、黒い瞳で……光子郎は、まるで関係のないようなことを言い出す。
「太一さんが、あんな風になってしまって、ヤマトさんはどう感じましたか?」
「……何だよ。また、俺に聞くのか?」
ヤマトはむっとしたように眉を寄せたが、すぐに肩をすくめて、彼にしては珍しい悪趣味なからかいめいた言葉を光子郎に投げつけた。
「俺はすっかり嫌われたが、お前は随分と懐かれたみたいだよな。大好きな太一さんに懐かれて、光子郎は案外喜んでるんじゃないか?」
「………」
光子郎は目を見開いて、沈黙する。その様子に気づいて、ヤマトは自分がひどく醜い存在になったような気がして俯いた。
「………悪かった」
「……いえ」
ヤマトの美点は、すぐに自分の非を認めて謝ることが出来るところだ。
光子郎は苦笑を浮かべて「気にしないでください」と答えた。
「それに」
「……それに?」
そして、思わず聞き返したヤマトに、自嘲するような笑みを見せる。
「当たってますから。……それ」
「――――え?」
光子郎の言葉を問いただそうとしたヤマトだが、光子郎はそれを遮るようにして「おやすみなさい」と奥に引っ込んでしまった。
「どういう意味だ……? 当たってるって……」
引き止めることも出来ず、ヤマトは戸惑いを口に出す。
いや、言葉の意味は分かるのだ。だが……。
「………早く、元に戻れよ……太一」
少しずつ、ズレていく。
一人欠けただけで、こんなにもズレてしまう。
「早く……」
願うように呟くヤマトは、まだ知らない。
近い将来に、これと殆ど同じ願いを口にすると言うことを。
「……こうしろう…? どうしたの?」
「太一さん……起きてたんですか?」
戻ってきた光子郎に、太一はあからさまにほっとした顔でしがみついた。
「どっかいっちゃ、やだよ。たいちのそばにいて……、……? こうしろう?」
太一は、しがみついた身体をきつく抱きしめる光子郎の腕が震えていることに気づいて、きょとんと首を傾げた。
「こうしろう?」
「いえ……何でもありません……」
「うん……?」
「何でもありませんから……」
光子郎は抱き返した身体を優しく地面に横たえ、その上に覆い被さるようにして太一を抱きしめる。
「しばらくこうしててもいいですか?」
掠れた声で囁いてから、光子郎はそのまま太一の答えも聞かずに目を閉じた。
「?」
太一はわけがわからずに目をぱちぱちさせたが……仰向けの姿勢のおかげで、満天の星空がいっぱいに視界に入ってくるのが嬉しくて、にこにこと笑った。
「ねー、こうしろう。ほし、きれい」
「………ええ、綺麗ですね……」
うつ伏せに太一を押し倒している光子郎には、星は見えない。
黒い地面と、太一の肩が見えるだけ。
「きらきら、きらきらしてる。……ねー、こうしろう、とれないかなぁ、あれ」
「……星を……ですか?」
「うん」
太一はこっくり笑顔で頷き、光子郎に押さえつけられたまま、まっすぐ天に向けて手を伸ばした。
「無理ですよ……。星には手が届きませんから」
「? ……だって、すぐそこにあるのに……」
「駄目です。………すぐそこにあるからこそ、届かないんですよ」
光子郎は太一の顔の両脇に手を置いて身を起こすと、太一と星空を遮るようにして彼を見下ろした。
「こうしろう、ほしがみえない……」
「――――見なくても、いいんですよ」
光子郎は低く呟き、そのまま太一の唇を塞いだ。……自分自身の唇で。
「もう……寝ましょうね」
「………うん……」
光子郎は掌で太一の目を覆い、そっと囁いた。太一は曖昧に頷いて、目を閉じる。
「何も、見なくていいんですよ」
光子郎はどこか虚ろな口調で、目を閉じた太一に囁いた。
「――――僕だけを、見てくれれば」
中編に続く
随分昔に書いた話です。
こいつらは小学生じゃない…、そんな展開の不条理さが見え隠れしていて微笑ましいほどです。