コンチェルト・ロンド K.382
第2楽章 アダージョ
モーツアルトは仕えていたコロレド大司教と決別をして、ザルツブルクを離れ、1781年からウィーンで生活を始めることになった。このコンチェルト・ロンド(協奏曲楽章)は1782年3月に作曲されたもので、ウィーン市民に対する最初の貢ぎ物となった。
これからの10年間、最後の年1791年迄、素晴らしいピアノ協奏曲が生み出されることとなった。
ピアノ演奏 アルフレッド・ブレンデル
ネヴィル・マリナー指揮 セイント・マーティン・イン・ザ・フィールド・アカデミー
録音:1975年12月 ロンドン
開拓者であり冒険家であるハイドン、夢遊病者とも言えるシューベルトとの間に位置するモーツアルトとベートベンは建築家と言って良い。
しかしながら、両者の建築方法は何と違っていることだろう!
ベートーベンは、最初のひとかけらの石から一つ一つ矯めつ眇めつ、順番にまるで建築関係法に遵守する如く積み上げて建物を構築して行く。
一方、モーツアルトは出来合いの部品を素晴らしいメロディーで繋ぎ合わせて、作り上げて行くことを選んでいる。それも、その他のアレンジ法が無い様な素晴らしい結果を得ているのだ。