つまり、私の乗車記からまとめると、「いいで」という急行は本来の使命を存分に

発揮せず、不完全燃焼の形で終わった列車のような感じがする。

本来の使命は、喜多方−新津間の利用客を上野から(または上野へ)運ぶということのはず・・・・。

しかし、喜多方と言っても「いいで」が走っていたころは、“喜多方ラーメン”は存在していないし、

途中の駅で鹿瀬(かのせ)駅から近い“麒麟山”も知る人ぞ知る山であるし、今や津川駅の名物?とも

なっている“狐の嫁入り” もSL「ばんえつ物語号」を走らせる際に企画されたものである。

五泉駅にしても「いいで」が健在であった頃は“蒲原鉄道”が上越線の加茂駅までのびていた。

言い換えれば、「いいで」もSL「ばんえつ物語号」のような性格を持った列車になり得るはずであった。

しかし、その沿線に住む人達にもなじみにくいダイヤとなっていたのも事実である。

「駅で待っているバスは、列車の到着時刻にあわせて発車するんだけど、「いいで」だけは接続する

バスが無かったんだよね。」

と私の伯父が意味深に話していた。

確かに言われて見れば、上りの「いいで」に乗車するため時間帯が最適のバスで津川駅に着いたのが

発車2時間前であったことを覚えている。(ちなみに普通列車へのバスの接続時間は約30分。)

これじゃあ人々の記憶から忘れ去られるのも無理ないのかなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 毎日1往復の運行。   所要時間7時間ちょい。

 古い車輌。         沿線住民にも利用しにくい。

しかし、これだけ悪評があったにも関わらず、約20年近く走り続けてきたこの列車に私は感謝している。

「いいで」のおかげで、まわり道の良さや山・川・水田・谷・森など次々と変化していく景色を見ることが

でき、感受性も豊かになった。

また窓を開けることにより、虫や鳥の鳴き声が良く聞こえ、トンネルのヒャッとした心地良さも体験できた。

目的地まで速く、クーラーのきいた特急もそれはそれで良いのかもしれないが、急行でしかも非電化区間に

入って行く列車も、私のように感受性を養うことが出来る環境が備わっている。

しかし現在は数える程。 時代の流れとはいえ、もう心のゆとりは列車からは得られないのであろうか?

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