牧師紹介

こんにちは。牧師の茅場玲と申します。1970年2月生まれ
幼少期は長野県大町市で過ごす。両親の離婚とともに茨城県土浦市に引っ越し、小・中・高校時代を過ごす。
上京し、武蔵野美術大学に在学中、クリスチャンの友人に誘われ教会へ。19歳のクリスマスに洗礼を受ける。
大学卒業後、教会付属の幼稚園で4年間奉職。献身の思いが与えられ東京基督教大学に進学。
2001年4月より櫛形キリスト教会に遣わされ、現在に至る。

なぜ自分がクリスチャンとなったか

もともとは長野県の大町市という雪深い、山で囲まれた所で育ちました。小学校4年生の時に両親が離婚し、母の実家のある茨城県土浦市に引っ越します。その後高校3年生までそこにいました。そのころはとにかく自分に父親がいないことをコンプレックスに思い、家族を捨てた父を憎み、母に八つ当たりし、自分でも荒れた生活をしていたと思います。しかも親戚などから聞かされる父の「弱さ」というものが自分の性格の中にも見出せることに一種の「呪縛」のようなものを感じる思いで、自分の存在さえいやでいやでたまりませんでした。

大学入学と同時に東京に上京しました。一人暮らしの解放感からいろいろ好き勝手にすごしましたが、いくらごまかそうとしても、父への、そして自分への憎しみや苛立ちを消すことが出来ませんでした。そんな時にクリスチャンのクラスメートが教会へ誘ってくれたのです。伝道熱心な彼のしつこさ(!)になかば折れるかたちで、はじめて教会というものに足を踏み入れたのが、アパートから歩いて2分のところにあった恋ヶ窪キリスト教会でした。

そこへ半年ほど行ったり行かなかったりしているうちに「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5:17)のみことばが与えられました。こんな自分でも新しくされるのか、という驚きがあって、以降聖書をむさぼるように読んだ覚えがあります。イエス・キリストの十字架によって、私の一切の罪は赦され、しかも、地上では自分の父はいないけれども、神様を「父」と呼べる特権が与えられる。この恵みの前に、ただただ悔い改めと感謝で涙が溢れてきました。

そして、1989年に恋ヶ窪キリスト教会で行われた特別伝道集会で信仰告白をし、その年のクリスマスに受洗の恵みに与りました。その時に、今まで自分にのしかかっていた父を赦せない思いも、自分を受け入れられない思いも、すーっと肩から降りたような気がしたことは忘れられません。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28

神様の御手の導きを感謝いたします。

なぜ自分が牧師となったか

イエス・キリストを救い主として信じてクリスチャンになってから、牧師になる、ということについて特別に意識していました。しかしそれは、「いつか牧師になろう」というものではなく、「絶対に牧師にはなるまい」という意識の仕方でした。

というのも、洗礼を受けたクリスマスのプレゼントに、教会の牧師先生から一冊の本をプレゼントされたからです。「私が主の召しを聞いた時ー人生の半ばで献身した人たちの証し」という、牧師や宣教師になった人たちの話が載っている本でした。その頃自分の人生にいろいろ計画を立てていた自分にとって、あなたは将来牧師になりなさい、と勝手に決められたような気がして面白くなく、決して牧師にだけはなるまい、と心に誓ったのでした。

あまり頑固に意識していたせいでしょうか。その後「この中で将来献身(神様の働きのために生涯を捧げること)して牧師・宣教師になりたいと願う人はいませんか」というようなメッセージを聞いたり、そうした人たちの証しを聞くことが苦痛になるほどだったのです。(また、今振り返るとそういう機会が大変多くありました。)

そんな自分が献身について考えてみようと思ったのは、何気ない一言でした。クリスチャンではない親戚が多い中で自分の信仰の証しをする機会があったとき、伯母が「なぜあなたは牧師にならないの」と言ったのです。伯母にしてみれば何気ない一言だったと思いますが、そこでハタと考えてしまいました。なぜ自分はあれほど献身を拒否しているのだろう、自分の人生は自分の力で、と肩肘張っていきんでいるだけではないのか、そういえば、自分の人生を神様に委ねて祈ったことがなかった・・・。

その夜、とにかく自分のこれからの人生を神様の導かれるとおりにしてください、と祈った時、スーッと肩の力が抜け、自分の人生は自分で切り開いていくんだと意気込んでいた時には、決して与えられなかった平安が与えられました。次の日曜日に教会の牧師先生にそのことを話すと、「実は君のために祈っていた」とのこと。洗礼の時のプレゼントに反発していたような自分のために祈っていてくださった、というのは驚きであり、感謝でした。

その後「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(第二コリント5:14,15)という聖書のことばから、イエス・キリストが自分を救ってくださったのは、キリストのために生きるためだった、と気づかされました。自分が用いられるなら、神様の働きのために使ってくださいという祈りが強くなり、神学校への入学を決意しました。

今でも牧師として、献身者として足りなさを痛感させられる毎日ですが、神様に自分の人生をゆだねた時のあの平安を忘れずに、励みたいと思っています。