大竹野さん観察日記

Word By 藤井美保

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8月1日(日) 6時 西九条

今日K田氏が残業のため2人が稽古場についたのは8時半だった。新しい台本が配られた 。10年前に上演した「サラサーテの盤」という台本らしい。ついに大竹野さんは「17-3 さなぎの教室」をあきらめたのだった。

関係者のみなさん、またこの作品を楽しみにしていてくださったみなさん、本当に本当に申し訳ありませんでした。番長会議がついていながら、本番まで日数もない中、いろいろなところにごめいわくをおかけします。

大竹野さん自身も、どこかにおわびに行っている毎日です。おこってください。馬鹿にするなといってください。全部その通りです。○市○座のN氏、わざわざ十戒を申し出てくださったのに、もうしわけないです。大竹野さんには、友だちはもう出来ません。でもこうなった責任は全員で取ります。10年前のE氏と新しいE氏を見くらべてください。

六条の御息所にもおとらない、人間の情念の透明さ、軽さ、また深み、重たさ、さまざまな魂をお持ち帰りください。ぜひぜひお待ちしております。

おまけ 最終回 みんなの孵化

これまで作品にかかわる色々な人々のさなぎ時代の紹介をしてきたわけですが、ぶっちゃけみんな残らず蛾になってしまいました。毎日夜な夜な集まり、街灯の下で打ち合わせをし、赤いちょうちんやたばこの火にさえすいよせられていく。私たちは蛾です。



7月30日(金) ?時 自宅

今日も大竹野さんを観察していない。でもきっと台風が接近するなか、だれのどんな雷にも耐え、ページが進んでいると私は思いたい。

大竹野さんの思い出 そのA ちょっと前、いやだいぶ前、大竹野さんたちとことぶきで飲んでいたことがある。真っ黒な大竹野さんは、K谷氏より腕が太い。ずっと前電車の中で、タバコを吸っている人に注意をして (もちろん本人は酔っ払っている)※18 その人に「次の駅でおりんかい」といわれて降りて(殴られる、怖い!)と大竹野さんが思った瞬間、相手をぼこぼこに半殺しにしてしまい、駅員さんに止められ、血だらけの相手に「殺す気かっ」といわれたことがあるらしい。殴っているさいちゅうのことは、全く覚えていないそうな。くれぐれも酔っ払った大竹野さんと電車乗り合わせた時は、タバコを車内で吸わないように、警告しておく。

おまけ K田氏酒癖

現在K田氏とおもに帰っているのは、O氏とK谷氏と私だが、K田氏は酔っ払うと必ず、みなの腕を撫で回す。そしてより太くて立派な血管を褒めちぎり、何度も考察しては手首を握って、より血管を太くしたりして、うっとりとなでている。かわいそうに職業病である。もし、あなたが、地下鉄やJRでだれかれかまわず血管をさすり、悦にいっている性別不明の人間がいたら、それは間違いなくK田氏である。

おまけ それぞれのさなぎ時代

K谷氏の場合、K谷氏は八尾の悪い中学で育ったにしては立派な青年である。当時、ヤンタンという深夜ラジオだけのために生徒会に立候補して、本当に生徒会長になってしまった男である。ヤンタンから景品はもらったらしいが、「本当に生徒会長になりたくて立候補したひとには悪いことをした」と表面では反省していた。クラブは剣道部だった。それで剣道二段のMO氏をひそかに尊敬している。

つづく。

※18

影番、勘違い。この時は大竹野氏、全くの素面なんですよ。まあ、普通酔ってて・・・っていう類のエピソードですけど・・・。これはかなり前の話で、この頃は今ほど禁煙って言われなくて、たまに、普通の電車(例えば環状線なんかで)の中でも喫煙している人が居た頃の話。



7月29日(木) ?時 自宅

今日は大竹野さんの観察はできない。なぜならば、大竹野さんは本当に会社を休んでかんづめの中で原稿をかいているからである。汗とタバコに薫蒸されて、さぞかし味わい深い台本が上がってくることだろう。

K氏は時々、かんづめを少しだけ開けて、資料なんかを放り込んでまた蓋をしめている。できあがったら、みんなで缶きりで蓋を開けて、いも焼酎を注いで、お祝いをしてあげたい。

今日は観察日記の代わりに、大竹野さんの思い出をひとつだけ書いておきたい。数ヶ月前、大竹野さんはK田氏と私に「自分には友達がいない。」と告白した。「ええ!それやったら、くじらの花見に集まった あの100人※17 は一体だれやねん。K田氏はつっかかった。「では一体大竹野さんの友達とはどういう人のことをいうのですか。」わたしは質問した。

大竹野さんはぽつりぽつりと語り始めた。「映画に十戒というのがあるでしょう、あの海が二つに分かれていくやつ。」というからてっきり映画のはなしかと思ったら、「昔友達と一緒に十戒をやったことがある。」という。それで、よくよくきいてみると、それはただ東通商店街のすごいひとごみの中を2人で並んで、おしっこをしながら歩いて、人だかりを二分していったという話だった。どうもそれが大竹野さんの友達の条件らしい。

だれか、地位も名誉も恥も妻子も捨てて、大竹野さんの友達になってくれる人はいませんか。ただいま大竹野さんBF募集中。お芝居の後の打ち上げの席に残って、勇気を出して名乗りを挙げてください。ぜひお待ちしています。なお、副賞として、大竹野さんがもし新しい安全靴に買い替えることがあった場合、両靴底に大竹野と本人直筆サイン入りの安全靴を勝手にプレゼントいたします。

おまけ それぞれのさなぎ時代 

K田氏の場合、K田氏は集団行動が苦手だった。特に女子達と連れ立ってトイレに行ったり、特定の人とお弁当を食べるのも苦手だった。話が出来るのは男子が多かった。K田氏は顔派なので、彼氏は足は短いけれどわりとハンサムだった。おとなになって何度かK田氏のさなぎ時代の女性の友人と会った。大酒のみの父親の話しなどしてくれる、楽しいひとである。「家で父が飲んでいる酒をみれば、現在日本で売られている、最も安い酒がわかるねん」と教えてくれた。また、私のどんな小さな失敗もゆるしてくれず、必ず「人間失格やな」といって励ましてくれた。ちょっと照れた。さすがあのK田氏の友人である。

つづく。

※17

100人も居たっけ・・・?今年の花見はあうん堂と合同やったしね。盛況でしたなぁ



7月24日(土) 7時 庄内

この観察日記も遅れてしまうほど、恐ろしいことがついにおこってしまった。大竹野さんは「もうこの台本もおそう式にして、もう書かない。」と言い出したのだ。「言葉が浮かばない。この作品には時間が要る」という。

全員沈黙している。今から、まえに上演したことのある、台本に差し替えるということがどんなに大変なことなのかも分かるし、役者さんたちは、やっぱり大竹野さんの新しい台本を読みたいと思っている。ついにK氏がキレた。「時間がいるんやったら、会社1ヶ月やすんだらいいやん!」他の男子は、一緒になって怒られたみたいに、身を縮めている。

姫路から駆けつけた舞台美術のT氏は腕組みをしているままだ。「ビールのみたいなあ」9時15分ころ、K谷氏が切り出した。みなことぶきに行った。それぞれに大竹野さんを励ましたいのだが、うまく言葉がみつからない。こういうときはぱあっと飲むのに限る。いつもは帰ってしまうMO氏も残った。MO氏はいい人である。みないっぱい食べて、いっぱい飲んで、

本日のことぶき代千六百円也。

それでいつものように、べろんべろんに酔っ払った私が、大竹野さんたちを油絵に誘うとなんと今日は見に来てくれるという。K氏と大竹野さんは本当に家に来てくれた。(まだの人ははやく来るように。)

K氏はあれほどお酒が強いのに、ワインを飲んで大竹野さんの次にのびてしまった、よっぽど心労がたまっているのだろう。

次の朝、目を覚ますと、みなどっかに行って一人ぼっちだった。まったく経済活動に貢献していない私は、肩身が狭かった。午後になって、そろそろひどい格好で家の後片付けをしていると、K氏と大竹野さんが携帯を忘れたので取りにきたという。昨夜とはうってかわって、元気になっている2人を見て、私は心底安心した。

夜になってK田氏の携帯にメールが入った。あれから大竹野さんをメールで励ましてくれた人、直接電話をくれた人、また大竹野さんが書けなくなった台本の続きをかってに書いて送りつけた人もいるらしい。とにかくこれを読んでくれているみなさん。スリルとサスペンスを味わってください。

おまけ それぞれのさなぎ時代 O氏の場合、O氏のお父さんは英語の先生である。その父親の友達がO氏の学校の教師であることもあって、科学部というへんなクラブに入っていた。友人と悪食にどこまで耐えられるか競い合い、土まで喰ってしまったひとである。もっともっと面白いエピソードを聞いたのだが、なにしろ突然の不幸で今日は思い出せないのが残念です。どうするどうなるくじら企画。つづきをおたのしみに。



7月23日(金) 西九条6時

その日もK田氏は、稽古場のお金を払いに行くべく走っていた。私は、本日のおにぎりを選びにローソンへ走っていた。2人で稽古場につくとすでに稽古場の戸が開いている。靴が1足ある。「誰だ。」K田氏は言うが、こんな 白い安全靴※16は大竹野さんに決まっている。

ここだけの話だが、この靴底に大竹野と書いてある安全靴をどうしても1回履きたくなって、この間の稽古のすきに、こっそりはいて、上からK田氏に何回もふんづけてもらった。ちっとも痛くなかった。もう少し軽ければ、私もちょっと欲しい。

和室で大竹野さんが、原稿を書いていた。39Pまで増えていた。K田氏はコピーをしに、私は立ち読みをしにファミリーマートに行った。稽古場に帰ってくると、じょじょにヒトがあつまってきた。きょうは全員出席のはずだが、E氏がこられなくて残念だった。でもK田氏やS氏の代役もみれてよかった。

S氏は、役者と言うより、大竹野さんの一ファンなので、実は一番先に原稿が読めたり、ボツになったギャグを自分だけが知っていると言うことに、快感を感じているという。筋金いりの変態である。

稽古では、K氏とK山氏、そして私以外の人の役が決まり、そろそろ本格的になってきた。大竹野さんには何度も、「ごめんなさい」といわれるが、私はセリフがないので稽古にくるのがちっとも緊張しないのでかまいません。でも体力があまっているK山さんだけは、いつも全力投球なので、はやく1行でも書いてあげて欲しいです。

稽古がおわると、やっぱりトンネル横丁という飲み屋街に入ってしまいます。でも、MO氏とMA氏は帰り、最後まで自分の欲望と体力をはかりにかけていたS氏は理性の勝利で今日のところは帰ってゆきました。今夜開拓したお店は、三平という飲み屋で、けっこうおいしかったです。KA氏が「ここの鳥唐はおいしくって野獣になってしまう」というので、もうひとつ、頼んだりしました。

本日の本日の三平代 千三百円也

おまけ それぞれのさなぎ時代

秋月雁さんの場合、剣道部だったけど弱かった。勉強は普通、好きな子は陸上部の髪の短い女の子。「やっぱりスポーツしている女の子はいいねええ」とさわやかな答えだった。ちなみにずっと片思いだった。

大竹野さんの場合。ずーっと8oで映画をとっていた。好きな映画はマカロニウエスタン、とにかく映画漬けの毎日だった。好きな女優は、若い頃の若尾文子。彼の通っていた学校は、奇しくも塚本氏や広瀬氏、K氏など小劇場界に名だたる有名人を輩出した学校である。 つづく。

※16

安全靴は、工事現場等で用いられるつま先に金属が入った靴。通常黒である。大竹野氏の靴も、最初は黒かった筈である。



7月21日(水) 庄内

今日は阪急電車の中で、大竹野さんと会った。ベージュのTシャツに作業ズボン、大きな青いリュック、とにかくいつもにこにこしている人だ。なのに一緒にいたK田氏は開口一番「今日も台本のおそう式ですか?」といったのでひやひやしていると「いや削りました10Pくらい。でも同じくらい書いたんです。」ようするにプチおそう式をしてその分をかき直したので、±0ということらしい。

10人くらいでまるくなって、読みあわせをした。私はおそう式のたびに、台本が、だんだん深くおもしろくなってゆくと思った。一番最後に入ってきたK谷氏に、皆いっせいに 「台本かきなおしましたよ」といじわるをいったので、セリフを覚えていたK谷氏が、入口でもだえ苦しんでいたのが、印象的だった。

ことぶきには、たくさん入ったので、奥では音響のP氏やK田氏、大竹野さん、O氏あたりが舞台のまじめな打ち合わせをし、手前のKA氏、私、K谷氏あたりは、いいかげんな話をしていた。いいかげんな話というのは、音響のP氏が実はバイセクであるとか、KA氏は顔派であるとか、K谷氏は、いくら相手をはねかえす力があっても、人間関係をこわすのはイヤだから、男の人とは、絶対、2人で泊らないとか。

私は一番男の人にモテそうな大竹野さんに「モテますか」と聞いた。全然男の人にはモテたことがないらしい。P氏に、「大竹野さんは好みですか」と聞くと「イヤ、ボクはいびきの大きい人はダメなんです。T本さんなんかいいですね」と笑ってくれた。 帰りの電車では、あうん堂の人たちと一緒になり、楽しくからんでみた。私が「音響のP氏はバイセクですよ」とチクったら、あうん堂のH氏は「それは周知の事実です。」と教えてくれた。

本日のことぶき代千三百円也

おまけ それぞれのさなぎ時代 MA氏(いちごあめをもらった方)の場合、中学の時、彼氏たちと高校生たちが、乱闘になりかけ友人と、神社にかけつけたところ、やじ馬をふくめ50人くらい男子がいたので、手をだせず見ていたら、一番強い総番の人にMA氏は、かわいがられてたためさわぎにならず、MA氏と彼氏は自転車であいのりして帰ることができた。が、それを近所のおっちゃんに見とがめられ、不純異性交遊といわれめいわくしたらしい。一人ずつ学校の先生に呼び出され「あいつとAまでいったんか」とか聞かれたらしい。変な学校。

MO氏(よくみるとけっこうハンサムな方)の場合、だいたいなにもかんがえてなかった、と本人はいう。男の友人も女の友人も多く、人気者だった。イジメられている人には、声をかけたりするイイ奴だった。そして剣道部では主将だった。ちなみに剣道2段。カッコよすぎる。



7月18日(日) 6時 庄内

K田氏の残業にあわせて、私たちは稽古場に7時頃ついた。すると、外で大竹野さんとE氏とO氏がタバコを吸っている「なーんだまだカギがあいてないんだ」とと思って安心したが、「まてここは庄内だぞそんなはずはない。」ただのタバコ休憩だった。稽古場に入るとほとんど全員が来ていた。

台本も34Pまですすみ、なんとか緊張感を最後まで持続しながら本番にのぞむことが出来そうなペースだ。今日は集団シーンも練習したが、なんと一番ほめられたのはM氏だ。こんなことははじめてなので、M氏は照れるのだった。

稽古がおわると、大竹野さんが帰ってしまった。当たり前の様な出来事だとおもわれるだろうが、ことぶきに寄らないなんて奇跡に近いことなのだ。台本が心に重くのしかかっておられるのだろう。皆同情を禁じえない様子だったが、M氏以外は、全員ことぶきにすいこまれていった。

私が一番かなと思って入ってゆくと一番奥の席で先にバイクで着いたひきょうなS氏がビールを2本ばかり前にたてて、すでに一人で飲んでいた。総勢13人はいつものようにお芝居の話しやらそうでない話しやらでもりあがった。大竹野さんそしてK氏、私たちだけで飲んでごめんなさい。

今日もあいそのいいことぶきのおばちゃんが、K山氏の子どもたちにイチゴのあめをくばってくれた。「あのもう一人子どもがいるんですけど」と誰かがいったので一見子どもに見える M氏も※15イチゴあめをもらっていた。

本日のことぶき代千三百円也

おまけ

それぞれのさなぎ時代 KA氏の場合、理不尽な体育教師にいきなり前髪を切られたことで、授業を拒否、放課後登校で、演劇部だけに出席する。近所の親切なおばちゃんたちにチクられるためその当時KA氏の家の出入り口はもっぱら、2階の窓だった。

S氏の場合、学校に行くのがダルかった1時間目に遅れてゆくとおこられるので、学校のそばのキッサ店で、モーニングを食べて過ごした。そのうち、その店で朝のバイトをするようになり、モーニングの仕込みをしていた。幸い一度も教師と遭遇することはなかった。 次回につづく。

※15

前述のM氏はMO氏で、このM氏はMA氏ですよね? 影番?



7月16日(金) 6時 西九条

6時の西九条は、その日の出来事を予感しているように静まり返っていた。かぎもかかってて誰もいない。場所がまちがっていたのかも。何度も携帯で連絡をとるK田氏、となりの公園のブランコでゆれるわたし。胸中の不安はおなじくらいであったと思う。

なまあたたかい風がふいてきたので、となりのクレオという悲しそうなたてもので涼をとる。本もたくさんあってちょうどいい。そのうちそのクレオというたてものの中にみんなあつまってきた。どうやらとなりの会館をあけるおばちゃんが、かぎをあけるのを忘れていたらしい。

台本は32Pまですすみ、いよいよ佳境に入ってきた。8時からだったがさっそく、皆、練習に入った。大竹野さんが、役者の周りをまわりはじめる、いつもの光景も見られた。

まだ出番のないわたしとKA氏と、雁さんはとなりの和室で横になってお稽古を見ていた。決してふてくされているわけではない。KA氏は、肩と腕を痛め、F氏は二日酔いで、雁さんは身体が弱いためである。アクション擬闘賞のK谷氏が登場して、一段と練習が盛り上がった。稽古の為だけにジーパンのジッパーをおろす。K谷氏に尊敬の念がふつふつと湧いた。

その稽古の帰り、やはり不吉な予感はあたった。その日わたしの家に油絵を見にきてくれるといっていたK氏と大竹野氏が台本のできあがりの都合でこられないというのだ。わたしは急に悲しくなって、落ち込んだ。でも、そうじやら、布団干しやら、ごはんつくりをしてくれたK田氏に「落ち込むなよ」といわれて、悲しいのはひょっとしてK田氏なのではないかと思い直し、ちょっと元気になった。

帰りの電車の中で、どうやって、大竹野さんに仕返しをしようか考えてほしいというと、O氏は「大竹野さん観察日記には愛があふれているから、他の人の日記にしたら?」と言ってくれた。K谷氏は「まあ台本も大事やしなあ。」と生徒会長的な発言で頭を冷やしてくれた。

2人でやけざけを呑んでいると、Tくんが「大竹野さんの家は、いつでも誰が行ってもいいんだよ。その人の顔をみるのが目的だから。そのために何も特別なことはしないんだ。」「だからK田氏やF氏とはもともとスタンスが違うから、その日たまたまだめといわれたら、それ以上でも、それ以下でもないと思うよ」 10代のTくんに諭されてほんとうにその通りだと思った。道理が通れば無理はひっこむのである

本日のトンネル横丁の居酒屋での飲み代 千三百円也

※ Gの次なんでHかと思ったらIだった。さすがは影番である。



7月13日(火) 6時 庄内

6時からの稽古なのにK田氏は早く部屋取りにきていた。さすが番長。わたしはずっと後におにぎりを持っていってねぎらった。7時までだれもこないので、K田氏はセリフを覚え、藤井はへんなうたをうたいつづけていた。へんなうたの途中でO氏がはいってきてしまった。わたしは電車を乗り損ねた人の風をよそおい。さっき食べてたおにぎりをさりげなくO氏にすすめたりした。O氏がめしあがってくれてほっとした。

次にE氏M氏とK氏がやってきた。さっそく練習をはじめたが、大竹野さんは、マクドで執筆中だという。しかものりにのっているので今日はずーっとマクドで書くのだそうだ。「まあ、かけるときにっかいておいたほうがいいでしょう」とE氏がふっと笑った。

ここでK田氏から爆弾発言があった。なんと芝居の日仕事ででられないかもしれないというのだ。皆で言い訳を考えた病気になる、親せきを殺す。弟をもう一回結婚させる。皆いろいろ考えたが一番有力な候補は、お見合いということになった。だれかK田氏にうそをつかせないために 本番の日にK田氏とお見合い※13する勇気のあるひとはいませんか?ご一報お待ちしています。

稽古がこじんまりと6人でおわり、ことぶきにゆくと、当然のように大竹野さんがやってきた。あれからふえて26枚と半分になった。そこへM氏とK山氏が台本だけ取りにきてかえっていった。S氏はついでに飲んでかえった。黒いヘルメットはしぶかった。でもS氏のつなぎのマークはHじゃなくてSだった。 ここで大竹野さんに目を移すとなんだかうれしそうだ。 ばかなシーン※14はやっぱりうれしいらしい。今日も作業着にかわりがないが、なぜか胸ポケットにあおやら白やら何かを書く道具のようなものが5本くらいと黒い手帳がはいっていてもこもこしている。いつも台本はえんぴつ書きなのにふしぎな人だ。

大竹野さんはハムステーキを、S氏もハムステーキを、K氏はうりを、F氏はどてやきを、E氏はさばのきずしを注文した。きょうもおいしかった。きょうのことぶきのおばちゃんはきげんがよく、ハムステーキの付け合せに甘くたいた、ウメ酒の梅やら、ゴーヤのたいたんやらをつけてくれていた。不思議なとりあわせだった。おばちゃんありがとう。

そして楽しく帰った。わたしはいつものように皆にうちに来い来いと人のめいわくも考えずに言いたい放題だったがはじめてK氏がきてくれることになった。大竹野さんもわたしが1ヶ月前にはじめた油絵をむりやり見てくれるらしい。やった。無理が通れば道理はひっこむのだ。

本日のことぶき代千三百円也

※13

本番の日に本当にお見合いしてたらやっぱり出られないんでは・・・影番??

※14 丁度この時、台本はくじら名物、K谷氏のセミヌードシーンに差し掛かっていた。今年の飛田演劇賞、アクション擬闘賞を受賞したK谷氏の脱ぎっぷりに期待したい。



7月10日(土) 7時 庄内

その日、梅田でA氏と大竹野さんが電車に乗っていた。私もその車両に乗り込んだ。大竹野さんは気のせいかいつもより目が細い。ねぶそくかも…。でも白いTシャツに、8oほどの穴が丸くあいていたりして、キュートだった。

稽古場についたらもうだいぶん人が集まっていた。台本が1Pもないかもしれないのに本当に皆稽古場好きである。しかし台本はなんと17Pも出来ていた。登場人物も5人まずまずの出来だ。K氏は 少しごきげんななめな様子※12 で入ってきて「もーあたしイヤヤねん。うち直しイヤヤ。もーうつになるわ。あーイヤイヤ」と、直接のいかりをぶつけていたが、「もうこれ本当に覚えてもいいのですか」とひかえめにたずねている人もいた。

稽古場は本役の決まった5人から順に始まり、他の人は、稽古をみたり、じゃがりこをたべたり、台本にパンチで穴をあけたりしていた。 さとちゃんがきて、あーちゃん※11 のめんどうをみてくれていた。途中であのみんなのあこがれの小道具兼役者の雁さんが入ってきてとてもなごんだ。どうして雁さんは「はあ」「いや」「まあ」「その」「そうかな」この5つの単語しかしゃべれないのにいつも1番人気なのだろうか?自分がもし、人から嫌われているかもと心配な人はぜひこの方法をおためしください。それでもダメなら恥ずかしそうにヒゲのおくからほほえむというワザを身につけてください。そしてもし成功したらおしえてください。

練習もおわり、ことぶきになだれこんだ。12人はいつものようにビールをかってにあけたり、ウーロン茶を買いにいったりしていたが、いつもいるはずのO氏とS氏がいない。O氏は作家の仕事で、S氏はなんとなくいなかった。いつもカッコいいバイクで仕事場をぬけだしてくるS氏だが、今日はおなかでも痛かったのだろーか。とにかく2人でも欠けるとクリームとさくらんぼが入っていないクリームソーダみたいに、淋しいのである。

ここでななめむかいにすわった大竹野さんの顔をまじまじと観察した。「大竹野さんはどうしてそんなヒゲにしてるのですか」「これはこれ以上のびないんです」(ヒゲにも雁さんみたいにのびていくヒゲとまばらに2.3cmずつのびる中途半端なヒゲがあるらしい。「大竹野さんはどうして左のくちびるの上に大きなほくろがあるのですか」「これは小学校の時に突然できたんです。だから子どもの時の写真にこのほくろはないんです」(へえーとちゅうからできて、しかもヒゲまではえる黒いほくろができるなんてすごい。)ただただ感心した。

話は変わるがこのごろE氏がおしゃべりになったというのだ。それまではみえないかべがあったみたいだというが、わたしもそれをこわすのに一役かったらしい。二年位前の初めてのお芝居でいっしょになり、E氏の名前も覚える前に「どんなおさけがすきなの」とたずねたら「しょうちゅう」とこたえてくれた。私はE氏はビールしか飲んでいるのをみたことがなかった。「えーどうしてしょうちゅうがすきなのにビールをのんでいるの」ときいたきおくがある。そんなこんなで、今は毒も吐き、いもじょうちゅうもたしなむE氏であるが、かえりの電車でも、E氏の話でもちきりだった。もし、こうむいんであるE氏が少しでも悪いことをした場合の、スポーツ紙の見出しを皆で考えた。「公務員E氏女装でご満悦。」「公務員E氏、ハレンチパンツでPTAから厳重抗議。」しばしなごやかにはなしがはずんだ。

ここでわすれてはならないのは、休んだS氏である。Hのつなぎをいつも着ているS氏はこのあいだおそろしいことをいっていた。「おれさあ、朝おきたらさあ、ねこがさあ、枕もとでね、赤んボうんでるんだよね。まだ、ふくろにつつまれたやつ。それをははねこがたべるんだよ」わたしはこおりついた。考えられる理由は2つ。@そのははねこがよほどS氏になついている。Aそのこねこの実の父はS氏。どっちにしてもこわいぞ。

本日のことぶき代千三百円也

※11

親の思惑で稽古場に連れて来られるメンバーの子ども達。中高年劇団やからね。

※12 Kは台本の清書担当。台本の書き直しにより、出来上がった台本のワープロ打ちを再三させられた事でのブーイングを指す。



7月7日(水) 6時 庄内

今日大竹野さんは、大きな青い重そうなリュックを背負って力なく稽古場に入ってきた。どうやら今日まで書き上げた台本の二度目のおそう式になるらしい。

でもひょっとしてそんなこともあるかもと思っていた役者さんも多く、おそう式は、結構活気をもって始まった。マクドナルドで本日最後にかかれた2Pも荼毘に付された。あとからあとから役者さんがきて、東京から秋津ねおさんというお客さんも来て下さり、音響のP氏も黒い服でかけつけ在りし日の台本についてしばし語り合った。ただ生母大竹野さんだけは、しめやかに泣いておられる様子であった。

お通夜の席はいつのまにかことぶきに変わりそれぞれ関係のある話しやら、全然関係のない話しやらで盛り上がり、通夜振舞という感じもなく、わりかんで払っていった。 一つ特筆すべきことは、E氏も私と同じく小学生の時、特殊学級に入れられそうになったということである。O型でうお座でペガサスで特殊学級。この2人が大人になって一緒に芝居をする確率はいったいどのくらいの天文学的数字になるのだろうか。

昨日久しぶりによっぱらった私は、帰り、せんろに落ちそうになったらしい。K谷氏、K田氏のおかげで毎日無事に帰れることに心からかんしゃしている。きっと大竹野さんがせんろからおちそうになっても、私たちは十数人がかりでかならずたすけ出すので、あんまり気をはらないで、かるーく書いて下さい。

本日のことぶき代千四百円也



7月3日(土) 7時 西九条

今日、稽古場に台本を忘れていく。K田氏に頼まれた分も忘れ、社会復帰の遠さを感じた。そういえば、前の芝居の時もさんざんらく書きをした台本を本番前に二度なくしたにがい想い出を背おって歩いた。

稽古場につくと、台本の続きが21Pまで出来ていた。私と、E氏と、A氏と、S氏で、 半分に切る※10 ことになった。A氏とS氏は、カッターで美しく切っていく。私とE氏は手で、きちゃなく切っていく。ちなみにA氏とS氏はAB型。私とE氏はO型のうお座である。仕事を美しく早くこなすには、A型かAB型の方に頼むことをおすすめする。途中でうれしそうに「切ってるの 手伝おうか」と奥のほうから出てきた大竹野さんは、皆に「それはいいですからはやくあなたは台本を書いて下さい。」と言われていた。台本もまんぞくに切れないE氏にさえ「まにあうんですか」となじられすごすごと原稿用紙を持ってひきさがる大竹野さんであった。(ちなみに今日の大竹野さんのいでたちは、黒いTシャツに黒の短パン、ハイライトに、500CCのお茶のパック、グレーのリュックにスリッパのような、くつ。)

稽古が始まった。男1、2と女1、2、3をかわりばんこにやっていく。まだ大竹野さんのいつものポーズは始まらない。台本があと20Pぐらいあればあの表情が見られるだろう。帰りはもちろんのみにいく。私は任務として観察すべく大竹野さんの横にすわり、大竹野さんの注文を聞いてすばやく頭に書きとめた。ビール@1 さつま富士ロック@3 ぶた肉まきサラダ@1.もちろんお店のひとにオーダーしたのはK田氏A型。

しばらく飲んでいると、7月1日付の日経新聞の風太郎さんの記事と、少し前にのった雁さんの記事のコピーがまわってくるので読んだ。大竹野さんも前の席のO氏ものったことがあるし、KA氏も来年のるんだそうだ。社長さんでも経済アナリストでも犯罪者でもないのに日経新聞にのるなんてすごい。ひょっとしてわたしは芸能人の人といっしょにのんでいるのでは?とちょっと鼻高々になった。

あとは、S氏 がいたこともあるし、とうぜんHな話しになった。でもやはりKA氏のくぐってきたしゅらばに勝てるものはいない。とてもこのページにのせられません。大竹野さんのきらいな下品な話をしてすみません。無口な大竹野さんだったので、ひょっとして気分を害しているのではと心配してK田氏に相談したが、「多分芝居のことで、頭が忙しいのだろう」と安心させてくれた。

本日の酔虎伝代 二千円也

※10

経費節約の為、A4サイズの原稿用紙を2枚繋いで、A3サイズでコピーを取るので、配布時に切り離す作業が生じる事を指す



7月2日(火) 今日は、大竹野さんを観察していない。

が、いつも大竹野さんのお芝居を観察して、写真をとって標本にしてくださっている天野氏の写真展を見に行かせていただいた。

うつぼ公園の近くギャラリーDENという美しい場所で、 その写真展※9 は静かに開かれていた。天野氏というと寡黙でストイックな青年というイメージをもっていたが、初めて、この人の心の中にこめられた、あふれ出るメッセージの大きな海におぼれそうになった。

この言葉の海からあの美しい写真が誕生していたんだなと感慨深くなった。小さなギャラリーの窓は大きく、緑のイチョウの木にはよく見るとマスカットのような実がたわわに実っている。きっと季節が変わったら、今度は一面の黄色をバックに誰かの想いをひそやかにつたえる舞台になるのだろう。都会の真ん中にこんな場所があって、久しぶりにほっとした。

「お金と関係のないものって、どんな時代になったって、絶対なくならない。」女主人らしい人の言葉がK田氏と私をはげましてくれた。もうひとりの出展者の女性の作品も見せていただいた。金属のオブジェに無数の釘がささっていたり、黒いワイヤーがからまりあった中で光が、もえていたり、残念ながら8月は、外国にいかれるそうだが、舞台美術にもかかわりたい、くじら企画の稽古風景も見せていただきたいとありがたいお申し出をうけた。

一期一会大切にしていきたいです。

※9

洋の表現から −洋画、版画、写真を観る−
展示作品:アマノ雅広、五十嵐英之、木坂宏次朗、集治千晶、森家成和
http://inscape.livedoor.biz/archives/3569458.html



6月28日(火) 今日も庄内で稽古。

稽古場に遅れて入ると、 神原組※8 のさわやかな青年とうつくしい人が見学にいらしていたので、少し照れた。なんと台本は12pまで上がり、大竹野さんの目もらんらんとしてきた。

同じセリフで役者を入れ替えながら、遠くの方から離れてお芝居したり、ひとつのダンボールばこの様な空間の中にきつきつにつまってセリフを読んでみたりしておもしろかった。

終わったあとk田氏が、「あーあつかった。あたしにんにくのにおいせんかった?」とおばちゃんみたいなことをいったが「病院のにおいがした」といってへこまされていた。実はk田氏は、原因不明のかゆかゆしっしんがひろがりつつあるので、これを見た人はk田氏とからみがあるさい、ぎっちょすることをおすすめする。

途中で1回だけバイクでやってきて1回だけ律儀にセリフを読んで仕事に戻ったs氏もいた。「もっとこのページに悪いこといっぱい書いてもいいですよ」と悪魔のようにささやいて帰っていったが、実際のところs氏がしゃべったことをページにのせると○○○とか××××とかになってしまうので、へんたいが直ったら、s氏のことはちゃんと書こうと思います。

本日のことぶきですが、ちょっと少なめの6人。いつも帰り組のe氏が残ってくれてうれしいです。そこで、新婚旅行の話をe氏にインタビュー。「どこへいかれましたか?」「あーえーとえーと、オーストラリアです。」「コアラをだっこしたんですね?」「あーコアラはくさくてだけませんでした。」「なにかトラブルはありましたか。」「あー、フロ場を水びたして、床も水びたしになって『罰金』と書いてあったので奥さんと2人でへやの外までふきました。」「えっ、へやの外ですか?」「そしたらパンツしかはいてないのにドアが勝手にしまりまして」「どーされたんですか?」「となりのへやの人にでてきてもらいました。向こうも寝てはったみたいなんですけど、ベランダを通してもらってへやに入れてもらいました」あぶないところでしたね。外人さんだったら通報されていましたね。いやe氏の意外な一面が聞けてとてもよかったです。

大竹野さんにインタビューしました新婚旅行。皆が、伊東とか熱海とか伊勢とか近いところをいうのに、まだ近いところと答える。もう誰もわからないので聞き出すと、さくらの終わった6月の吉野だという。

   本日のまとめ 新婚旅行とその後の違いについて
 @オーストラリア組     現在◎
 A吉野組          現在◎
 Bタヒチ組         現在×
 C行かなかった組      現在×
 Dけちったシンガポール組  現在△
行くも行かぬも外国も国内も、その後の生活とはあまり関係ないらしい。母集団が小さすぎるのかもしれないが、今度大々的に調査したい。

 本日のことぶき代 千百円也

※8

神原くみ子氏率いるユニット。神原氏は、他に劇団浮狼舎も主宰する。



6月28日(火) 庄内で7時から稽古

6月25日金曜日午後5時、川田は稽古場を取るべく、私はただそれについて走っていた。
「5時15分までに着けた。稽古場とれた。やった!」と川田は思った。私は、おにぎりとパンを買って川田をねぎらった。

その日大竹野さんは、一時間も前にやってきた。作業着と黒なのに白っぽい安全靴がやっぱり似合う。
「早いですね。」とにこにこしながら原稿用紙を取り出す大竹野さん。「台本を最初から書き直すのだ」という。27枚もできたと見せかけていたのはやはりフェイントだった。不思議な安堵感が漂う。今回もぎりぎり緊張した作品になるだろう。出演者スタッフ以外の方はどうぞお楽しみに。

7時過ぎになると、役者の人が次々にやってくる。台本の書き直しを知ってぼーっとなる人、笑うしかない人、「ではわれわれは ことぶき※6 で待機していますから、できたらきてください」という人「セリフ…覚えてきたのに」という人。
結局その日は、O氏を講師にストレッチ教室(ヨガ編)みたいなめずらしいことさせてもらって、演劇部みたいで有意義だった。最後に遅れてきた主役のM氏が「ハハハええよ。僕セリフ覚えてへんし」と笑い飛ばし、場がなごんだが、「オレ役に合わせて髪の毛切ってきてん」とK山氏が言うのを聞いた時には、なごんでいいのか一瞬だけ迷ってなごんだ。

台本を4P書き上げ「僕にどんな乱暴狼藉を加えて下さっても受けてたちます」と嬉しそうに、一直線にことぶきにむかって歩いていく作業着姿の男に、とび蹴りもできず、つかみかかる勇気さえないのになぜだかぞ ろぞろとついてくるのんべの役者たちだった。

ビールがさつま白波に変わるころには、全く活字にさえできない(私が酔っ払っていただけかもしれないが)脈略のない話になっていた。そこへM師匠が ガンダムの原稿※7 ほしさにやってきた。「どーしてそっちの原稿が早いねん」と突っ込んでいたのはもはやこずえさんだけだった。こうしてくじらの夜はそれぞれの終電目指してふけていく

本日のことぶき代 1600えん也

※6

庄内に稽古場を持つ我々の憩いの場。安くて和める、庄内駅前の飲み屋さん。

※7 昨年旗揚げした劇団ガンダムに大竹野が書き下ろした短編を指す。今年10月初旬上演予定。



6月20日(日) 飛田演劇賞授賞式※1に行く。

待ち合わせは、6時30分天王寺駅天女の下。
待つこと一分髪の毛をチャイナ風にまとめたこずえさんと、 缶ビール片手にラフでワイルドな大竹野さんが現れた。

ビールを奪い合って飲む二人の後を藤井は川田と追った。 授賞式では 黒いきもの着たきれいなおねいさん※2 と一緒に壷振りをさせていただいた。
おねいさんも藤井もはじめての経験なのでサイコロの目が出るたびに司会の 浦部さん※3 の顔色をうかがって丁とか半とかを決めてもらっていた。

そんなこんなで、大竹野さんを観察するヒマがないと思っていましたが、ところがどっこい、 2回に1回は、バクチを打ちに大竹野氏が皆の邪魔になりながらうれしそうに出てきます。 最初っから前に陣取っておけば合理的だと思いました。
今日は、なんと5枚も賞を仕留めて帰られましたが、「最優秀音楽選曲賞以外はいらなかった」 といって皆様の顰蹙をかっていました。

私が任務を終えて席に戻った時には、大竹野さんの横に、もっと大きな キタモトさん※4 という人が座っていました。私は思い切ってインタビューをこころみました。
「キタモトさんというと、ことぶきで飲んでいた時に、音響のP氏からのケータイで すごいお金をもらった※5 らしいと聞いたことがあるのですが。」と切り出すと、 「あああれは全部、借金をかえしたりコンピューターを買ったりしてなくなりました」 と答えられました。
でも台本は未だに手書きだそうです。

二人の共通点は
@台本が未だに手書き。A丸い。Bヒゲがある。
ちがう点は
@キタモトさんの方が健康であり、大竹野さんはダイエットしたにも関わらず血圧が180台である。
A大竹野さんは子どもを放し飼いにしているが、キタモトさんはときどき「カレーに入れるぞ」 といってしつけている。
Bキタモトさんは白い。大竹野さんは黒い。

途中で緑の服を着てめがねをかけた人が話しに入ってきたので何を言っているのかと 注意して聞いてみると、その人は「ウンコ、ウンコ、ウンコ、ウンコ」と言っていました。
この人は誰だろう、そうだ、さっきたしかチャンピオンベルトをもらっていた人だと思い 川田さんに聞くと「無礼講、無礼講」ということらしかった。
でもウンコウンコといいながら、仲間に入ろうとするところが幼稚園の人みたいで、 純粋な人だなあと思いました。
誰か教えてください。「ウンコ、ウンコ」と話し掛けられたときは、なんと答えたらその人と おともだちになれるのでしょうか。

その会の帰りに大竹野さんが、もう30分だけというので、駅前で少しまじめにえんげきについて かたりました。
女子は芋焼酎を飲んでいるのに大竹野さんはジントニックでした。
あとから来るといっていた音響のP氏、どうしてこなかったんですか。

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※1

関西野外演劇協議会が主宰する。 賞は、他薦部門(大賞等)と自薦部門(複数ノミネート時は丁半博打で奪い合う)に大別される。 「何の権威もへチャラもない賞」を目指す、崇高な理念により運営。飛田という名前は開催地にちなんでいるのだろうか。

※2 「楽市楽座」の女優、小室千恵さん。この日は色っぽい片肌脱いでの坪振りを披露。

※3 「浪速グランドロマン」の作・演出・照明家である浦部喜行さん。丁半博打の名司会。

※4 「遊劇体」主宰・作・演出であるキタモトマサヤさん。

※5 キタモトさんが、「闇光る」という作品で、第一回仙台劇のまち戯曲賞を受賞したときの賞金を指しているらしい。