リアル稽古場日記

Word By 藤井美保

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8月12日庄内6時

今日はK田氏の残業だったため稽古場に着いたのは、8時前だった。途中から返したがなんといっても最後の圧巻は全員によるペアダンスである。人間。かかし。ロボット。身長差30cmのカップルなどみどころ満載です。小道具などもレトロっぽくそろってきたのでどちらも楽しみにしてください。

今日はあんまり遅く行ったので大竹野さんはあんまり観察できませんでした。ただこの間大竹野さんと一緒にK田氏が新聞社に情宣に行く前、私に「スーツでなくていいかな」とか相談してくれましたが、いざ情宣にいってみると、大竹野さんが稽古場以下の服装で足元はセッタだったそうです。でも日経の林さんは上機嫌でお茶なども出してくださり、話も弾んだらしいです。さすが大竹野さんです。

ことぶきでは、私が「夫婦役は始めてや。緊張するわ。」と今日のセリフのとちりをごまかそうとしたら、KA氏がすかさず、「いっぺんつきおうたら、ええねん。ほんで本番がおわったら、別れんねん。」と、衝撃的な発言があって一同凍った。「ほんで、それがあかんかったら稽古場でずうっと手つないでたらどうやろ」と提案もしてくれた。皆少し溶けた。KA氏は本当に楽しい人だ。

しかし本日の発言で一番心に染みたのはS氏の「1日14時間仕事してさあ、芝居やってるオレって何なのかなってときどき思うよ。この年になって。」という一言でした。K氏、稽古場代の請求、深夜のパソコン作業ご苦労さまです。ことぶきのお勘定が済んだあとK氏に「いりませんから」といわれていた大竹野さん、お気の毒さまでした。たくさん小道具を持ちはこびしてくださるO氏、あなたほど仕事のできる人はあまりいません。

本日のことぶき代1100円也

文学談義@

帰りの電車、いつもの3人、K田氏、K谷氏、私。
K谷「おれ森鴎外きらいや。」
K田「私も。」
私「森鴎外って何かいたヒト?」
K谷「舞姫とか、山椒太夫…つまり安寿と厨子王のはなしですね。
私「へええ。」
それから私をはずして森鴎外の話から、浮気の話から、脚気の話から、太平洋戦争の原因まで小難しい話がつづいた。

おまけ 私が始めて買った一盤
大竹野さん   お世話になりました 井上順
S氏      アグネスチャンライブ盤

                        あっさりおわり



8月9日7:00PM 庄内

稽古場に着くと、大竹野さんがベランダでひとりタバコを吸っていた。なかなかニヒルだった。にこにこと入ってきて、さっそく一番心配な私のセリフの練習が始まった。やっぱりへたくそなので、台本を持ってやった。

E氏はどうしてこんなにたくさんほぼ私の20倍も覚えられるのだろう。しかも、中学のとき3ヵ月で卓球部を辞めたどうしなのに。リンボーダンスのかたちのままで、腰をくねくねさせることもできる。へんな顔もすごく上手だ。

まもなくするとみな集まった。今日はMA氏がなんといってもかっこよかった。プロ用のカメラでみんなの写真を撮っていた。あの大きなレンズで見つめられるとどきどきしてしまう。どうか、変な顔に写ってませんように。

O氏は、きものの代わりに色っぽくしぼりの浴衣で練習をしていた。そのままことぶきに行ったら、おばちゃんが感激してくれるのにとおもった。SさんやP氏も来ていたが、またことぶきで真ん中にサラリーマンの人が座っていたのでお話しできなかった。この日はK谷氏と日本のサラリーマンの現状について、熱く語り合った。「S氏がいない。突然K谷氏が言った。ひょっとしてまた稽古場にもどったか、かわいそうに。

本日のことぶき代 750円なり。安い。(ひょっとして、引っ付いていたあうん堂さんについていたらどうしよう。…。

おまけ 私の青春の一盤 訂正とおわび 

昨日K谷氏から、ぼくに買ったレコードが「おとことおんなのなんちゃら」ではなく「帰れないふたり」でした。と言われました。失礼すぎる過ちお許しください。帰れない二人とは、いつもK谷氏に連れて帰ってもらっている私とK田氏でした。



8月7日(土)3:00 芸術創造館

今日は朝からK田氏は大変だった。カレーを炊き、レンタカーを借り、荷造りをし、 K田氏の実家で着物を借り、私の実家で小道具を借り、稽古場についたのは6:00ごろだった。

稽古場はまるで、デパートの上のきもの市みたいなことになっていた。きれいなきものがたくさんたくさんあって、みているだけでしあわせだった。でもそこにいるメンバーで、きものがわかるのがO氏、K田氏、K氏だけなので、わたしはひたすらひろげてあそび、O氏とk田氏は畳むのにいそがしそうだった。

途中Gさんが顔を出してくれたが、すぐに帰ってしまってかなしかった。稽古はいそがしかった。なにせわたしはセリフを覚えていない。したがって、演出をうけるどころではない。すみません。こんなばかなことを書いてないで、一生懸命覚えます。

皆はほとんどセリフが入ってきたので、とてもうれしそうにやっている。あたしには、あとセリフを覚えても、小道具ときものさばきという難関がまっている。みんなは着なれているが、あたしがもしコケても「それは台本にあるんだなあ」と解釈をしてもらったら、うれしいです。今日はレンタカーを返すので、飲み会にはいけなかったです。飲み会のことは大竹野さんか、K氏か、のんべえの役者の人に聞いてみてください。

おまけ 私の青春の一盤のかわりに くじらの危機の一番※1

Mコちゃんの場合

Mコちゃんは男の子である。S田さんというひとも、ケダモノとよぶひともいる。くじらのパソコンのクラッシュで電話一本、駆けつけてくれた。かっこいいMコちゃんである。最後Mコちゃんに、「どうしてパソコン壊れたの?」と聞いたら、「つぶれてなかった」という。「じゃあどうしてうごかなかったの?」というと「わからない」という。なんでも「小さな虫が一匹いた」というから、「ウイルスというやつですかっ?」というと、「ほんとうの虫だ」という。ちいさな本当の虫がパソコンを止めていたなんてすごい。でもMコちゃんにコンピューターのクラッシュで出張なんか頼んだら、きっとすごいお金がかかるんでしょうねというと、「ちょうだい」といわれた。小学校のときは、イジメられッ子だったMコ氏はウイルスも本当の虫もやっつけられる本物のスーパーパソコンマンに成長したのだった。 つづく。

※1

ホームページの更新など、くじら制作に使用しているノートPCが稽古中、突然動作不能に陥った事件の顛末記です。



8月6日(金)8時 芸術創造館

その日のK田氏は調子が悪かった。私の切符持ち係も怠り、私は当然切符を無くし、窓口で120円も余分に払った。おまけに庄内についてもホワイトボードにくじら企画の名前は、ない。しまった。稽古場を間違えたのだ。疲れているときのK田氏は、もしかすると私を超えているかもしれない。2人は泣く泣く、タクシーで「森小路のほうへ向かってください」といった。

K田氏が一生懸命説明するが、らちがあかないので私が、「ダイエーのちかくですっ!」といったところ、と2人に無視された。でもタクシーの人は ナビや地図を見て「判りました」といったので、「さすがタクシーの人は、すごいですねえ」とおせじをいってみた。しばらくして落ち着いてくると、そのタクシーの運転手さんが、どうしてもそてつという植物に似ていらっしゃることに気がついた。もう育ちすぎているのに、小さな運転席で窮屈そうだった。私たちは、2800円を払って芸創に着くことができた。二人で割るとだいたいことぶき一回分である。

稽古場に着くと、ホールで稽古していた。こんな日に庄内に行ってしまったなんてもったいない。照明のSさんが来ていた。私はセリフもろくろく覚えてないのに、Sさんのとなりに座り込み、ものすごく立ち入ったインタビューをしていた。また、私の役は小道具が多くて大変だということをこの日初めてしった。一番びっくりしたのは、皆が、やる気まんまんで、セリフもずいぶん入っていたりすることだ。それに事務方でもO氏やMA氏の方がはるかに役立っている。

稽古が終わって、半分くらい飲みにいった。O氏とK田氏は衣装を、大竹野さんとK氏とSさんは照明の色を相談していた。帰りの電車ではもっと楽しかった。お互い小説のような過去を語り合い、男兄弟ばかりなかで、女ひとりでそだった人間が、ものすごくいい人(人をいじめることなんか考えもつかない人)に育つという法則も発見した。

おまけ 私の青春の一盤

ここだけの秘密にして欲しいのだが、実は、フィンガー5の「恋のテレフォンナンバー6700」である。小5のときテレビから、カセットに音を入れようとして、何度も「シー、シー」といって家族を黙らせようとするのだが、いつも失敗し、とうとうおこづかいでレコードを買った。私が文化的なものにお金を使うのは、これが始めてだった。当然公園とかで、女子5人で歌真似とかするが、私はなぜか「タエコちゃんの声はわたししか出ない。」と思い込んでいたので、なんかいも、タエコちゃんのパートをうたった。

でも他の女の子達が「ねえ、順番にやらへん?」と、わけのわからないことを言い出した。わたしにしか、タエコちゃんの声は出ないというのに、名前も知らないお兄さんたちの役をやれという。私は泣いた。こんな理不尽なことがあっていいものか、私はひとりみなと外れて、石段に座ってないていた。そこへ偶然おまわりさんがとおりかかって、泣いている私に声をかけた、「どうしたの?」私は恥ずかしくてなき続けた。おまわりさんがすっかりご誤解をしてしまったらしい。友達4人の所に行って、「どうしてあの子だけ仲間はずれにするんだ。一緒遊んであげなさい。と言った。みんな割り切れない思いだったにちがいない。ごめんなさい親切なおまわりさん、そして山名恵子ちゃん、橘奈美子ちゃん、中島佐和子ちゃん、そして名前も覚えていない後一人のお友だち、。わがままで、理不尽で、いじわるなのは私でした。ちなみに私には女兄弟がふたりもいます。 つづく



8月3日 庄内

コンビニでK田氏はいくらおにぎりを、わたしはいくらおにぎりとチョコレートとコーヒーをかった。コンビニから稽古場までに飲み物の自販機がある。そこでK田氏は、ペットボトルのお茶を別買いするのだ。なぜならそのお茶は100円で150円分入っているからなのだ。

稽古場につくと、K氏が必死でDM作業をしている。おかしいなあ、DM作業はこの前もしたけどなあ。あ、そうか。台本が差しかわったんだった。MA氏や、O氏、K田氏など仕事のできる人間は、さくさく手伝っていく。私はつくえにつっぷして半分眠っていた。帰ってから熱を測って気がついたのだが、私は風邪を引いていたらしい。いつも電車に乗ったら一駅一駅かくにんしている自分だが、今日は阪急電車で昼間なのに眠りこけてしまい、しんせつなご婦人に「梅田に着きましたよ。」といっておこしていただいたにもかかわらず、私は、天王寺駅と勘違いし、つげ義春の世界に入っていった。

稽古場では「セリフ覚えてくださいね」と大竹野さんにいわれ、チョコレートを食べて元気を出そうとして、MA氏と、K山氏と、欲しいともいっていない照明のSさんに、手できちゃなく割ったチョコレートをふるまった。Sさん、もしチョコレートがきらいだったらごめんなさい。Sさんといい、音響のP氏といい、どうしてこの状況でにこにこしていられるのか。全く仕事のできない私にだって、このおふたりのすごさはわかるぞ。

ことぶきでは、打ち合わせ組と、飲み組に分かれて座ったが、私たちの真ん中に座っている、サラリーマンのグループの人たちのことをあからさまに「ごめんな。もうすぐ真ん中あくからまっててな。」といいながらくじらの人たちにおしぼりをくばった。私が、サラリーマンの人たちだったら、だいぶ悲しかったと思う。

今日は遠くだったので、大竹野さんの観察はできなかったが、K谷氏やO氏やSさんに「私がせっかく5時間もかけて前の台本のつづきを最後まで書き上げたのにどーしておそう式したのか。とってもじょうずに書けていたのに。」とくだをまいてすっきりした。 こうなったらヘンタイのS氏に「まぼろしの大竹野台本を入手したんですけどね、500円で買いませんか」と持ちかけてみようか。字のヘタさでは、大竹野さんに負けない私でも、古物商で育ったS氏にはばれてしまうだろうか。ちなみにS氏とKA氏とE氏はおやすみ。

おまけの新連載 私の青春の盤

K谷さんの場合

初めてK谷さんが自分で買った盤は、井上陽水だった。酔っ払っていて大切なところは聞き逃したが、「男と女がどうちゃら」とかいう題名の歌が好きだったそうだ。いつも連れて帰ってもらっているのにK谷さんごめんなさい。今ではものすごくしょぼいが当時は大変高価なデッキを、バイトで一生懸命貯めた大金で購入したそうな。残念なことに、当時の彼女の話しなどは出なかった。 つづく。