「成瀬、成瀬いるのか」

そんな日々を過ごしつつ、やがて迎えた31日。正に文字通り『今年最後』となった夜の稽古を修めた後、いつもよりもじっくりと念入りに射場を掃除し戸締まりも終えた後(のち)に、声と視線とで探す人影。成瀬、もう良い時間だ、10時を回る。だからお前もそろそろ切り上げて、寮に。しかし今日に限って、アレから今まで正座の練習を続けていた例の部屋にも、またその付近にもあのすらりとした影は見当たらない。ナンだ、痛いだナンだと散々に零しつつも今日までずっと地道に練習を続けて来ていたが、今日はサボリか。いやソレとも、サスガのアイツも大晦日くらいは休むつもりなのか。呟き、ふっと零すヒトイキ。でもまあ、ソレも良いだろう。ナニが目的かは未だに皆目判らないが、あの様子ではどうやらおかしなコトを企んでいる訳ではなさそうだし。そんなコトを思いつつ手を掛ける、細く開いていた部屋の引き戸。その時。

「篠宮、さん」

声と共に、すっと引かれたもう一枚の扉。その影から俺の前に現れたのは、いつもは邪魔にならない程度に括って後ろに流している髪をきちりと結び、コレもいつもは穏やかな笑みを絶やさない表情を凛と絞り、目が痛くなる程に白い上着に折り目もまだ真新しい鮮やかな紅紫(こうし)色の袴を纏って黒い扇を手にして立つ、成瀬の姿。その余りに予想外の装いに、失礼かとは思いつつも暫し唖然。が、成瀬がぱちんと扇を鳴らした音にはっと我に返って、コレもまた失礼かとは思いつつも指差しで掛ける言葉。ど、どうしたんだお前その格好は。その着物も一体どうした、自分で着たのかっ。すると返る、ふわりとした笑みでのヒトコト二言。どうしてって、仕立てたんですよ。下手クソですけど、着付けもしました。こっちはこっそり、自分で練習して。だって、やっぱり大切なハナシに正装は付き物でしょう?そして手にした扇を腰に差しつつ、裾捌きも鮮やかにすっと進めて来る、ぴんとした足袋の爪先。でもサスガに紋付袴は無理でした、なので俺なりに考えたこの格好で、行かせて頂こうかと思って。そして、

「聞いて、貰えますか・・・」

言葉と共に、そっと取る未だ引き戸に掛けたままで固まっていた俺の手。次いで視線とその手に軽く込めたチカラとで俺を奥へと促し、ソレから引き戸を閉めた後で取って戻った板の間へと膝を折って座り、床に手を付き深々と下げる頭。手間は取らせません、少しの間ですから。だから聞いて貰えますか、俺のハナシ。

「アナタがイヤだと言ったならば、潔く諦めます」

本音は諦めたくは無いけれども、でも無理強いは絶対にしたくないから諦めます。言いながら、すっと起こす半身。そして同じ様にして上げた両手を折った膝の上にキチンと揃え、ぴんと背筋を伸ばして立ち尽くした侭の俺を見上げながら続ける言葉。でももし、もし篠宮さんが少しでも俺のコトを他の誰よりも強く、そして大事に想っていてくれるならばどうか。

「どうか、俺の傍に来て欲しい」

言葉に、とくりと鳴って震えた鼓動。無意識のうちに握ってしまった、両の拳。頬には赤さえ、走った気がする。でも、そんな俺の心の揺らぎを知ってか知らずか一向に変わらない調子で淡々と続ける、成瀬。榛(はしばみ)色と言っただろうか、特徴のある綺麗な色合いをした瞳で真っ直ぐにこちらを見上げ、ハッキリとした滑舌で言葉を綴る。未来永劫だなんて言うワガママは、言いません。俺にソレだけの価値がナイ、期待外れだと判ったならすぐにでも、俺の横っ面でもナンでも張り倒して離れて行ってくれて構いません。無論、そんな情けないコトにはならない様に俺も最善の努力をします。死ぬ気で頑張ってアナタのその目を、その手をその心を惹き付けて止まない存在になるつもりです。だからどうか、どうか俺の傍に。成瀬、お前。

「この学園を卒業した後、俺はプロになるつもりです」

そしてそう決めた以上は出来るだけ早く、且つ絶対に世界の頂点に立ちたい。ソレはきっと、ものスゴく困難で険しい道のりだと思います。でもアナタとならば、俺は栄光を掴めるかも知れない。いえ、きっと掴める、掴みます。だから傍にいて欲しいんです、一緒に来て欲しいんです。そしてイチバン傍で俺を見つめ、励まし厳しく叱咤して貰いたいんです。そう言い、こちらの息が詰まりそうに更に更に引き締める、揺るぎない決意の様な色を滲ませた表情。静かな炎すら感じさせる程に輝かせる、双瞳。その余りの様子とまるで告白みたいに甘く、でもぴしりとした色合いを含んだ言葉とにただただ、ぐっと奥歯を噛み締め押
し黙るしか出来ない俺。そんな俺を見つめ、更なる言葉を綴る成瀬。でもさっきも言った通り、無理強いや同情は絶対に嫌だ。俺はあくまで、アナタに選ばれたい。アナタの口からアナタの言葉で『成瀬と行きたい』と、言われたい。そして漂う、静かな沈黙。




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