松田龍樹公式HP

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雑感雑文

日々思ったことや考えたことについて、好き勝手に書いています。

2004年08月

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2004.08.31 Tue U-24

と、いうわけで、2004年8月が終わった。もう過去は戻らないが、僕らにゃ未来があるじゃないか。屁理屈ばかり捏ねてないで、前向きに元気よく生きていこう。そう思った。

2004.08.26 Thu 松田龍樹著『FUCKILLOVE』が、あらかじめ決定済みの枠もある新鋭作家フェアに優良書籍として推薦され、特別価格にて本屋で平積・面陳列されたり新聞やCMに出ることができるらしいです。うれしくて、うれしくて、嘔吐しそうなので、みんなに報告するね。どうか、みんな特別価格(100萬円くらい??不明)を支払えるよう僕の口座に100円振り込んでください。100円×10,000人(推定ファン数)=¥1,000,000でなんとかなるんで。詳細は以下(無断転載)を参照してください。先着順らしいので、お早めにお振り込みを!!絶対だよ!

平成16年8月吉日

<文芸社新春ドラマスペシャル記念 新鋭作家フェア(仮)>開催のお知らせ

株式会社 文芸社
文化出版部

拝啓 暮夏の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は、弊社に格別のご厚情を賜り、厚く御礼申し上げます。

アマチュア作家の優れた作品を世に送り出し、文化を発信する」ことを社是とする弊社は、作品の刊行のみの留まらず、書籍の広告・販売にも力を注いでおります。
 その一環として、今年の1月には、木林森著『市場ボーイズ』を原作に、文芸社新春ドラマスペシャル『マグロ☆ボーイズ』(テレビ朝日 文芸社 共同企画)が放送され、お陰様で好評をいただきましたが、ご覧いただけましたでしょうか? 築地市場のマグロ問屋を舞台に、夢を追いかけながらも冷凍マグロと格闘する青年(えなりかずき氏)と、彼を取り巻く様々な人間模様を生き生きと描いた本作品は視聴者の方々から多数の支持をいただくともに、書店筋などでも大変好評をいただき、大きな手応えを感じております。
 つきましては、来年もまたテレビ朝日様のご協力によって『文芸社新春ドラマスペシャル(仮)』を同系列局によって全国放送いたします。
 さらに、ドラマ放送と連動する形で全国有名書店とタイアップした<文芸社新春ドラマスペシャル記念 新鋭作家フェア(仮)>もまた、好評のうちに終了いたしました。こちらも今年に引き続き、来年も開催することが決定いたしました。

 ドラマ放映を軸として行う<文芸社新春ドラマスペシャル記念 新鋭作家フェア(仮)>でございますが、約1ヶ月のフェア期間中、フェア開催書店様に販売スペースを確保いただき、フェア参加作品を平積あるいは面陳列で販売いたします。また、フェアに合わせ、セットで全国紙2紙に書籍広告を掲載いたします。さらに、セットで申し込みいただいたご著者様の方には、特典として、ドラマスペシャル放送時間内に、本フェアの告知と作品を紹介するCMをオンエアいたします。
 書店様の陳列スペースの関係上、フェア参加枠は限られたものとなっているため、弊社より刊行されたご著者様全員にご紹介することはできないのですが、貴殿の作品は弊社刊行書籍の中から優良書籍として推薦されたため、ここにフェア参加のご案内のご通知をさせていただきました。

 すでにご存知のことと存じますが、出版不況と言われて久しい現在、書店に並ばないまま返品されてしまう書籍がかなりの数に上るというのが現実です。その厳しい現状の中、協力出版システムの陳列の他に平積あるいは面陳列での展開は画期的な書籍プロモーションになると自負しております。また、書籍購入の決め手として大きな役割を果たす新聞広告を同時に行うセットでございます。
 これは、数少ない貴重な機会でありますので、ぜひ、ご勘案いただきご参加いただければと存じ上げております。
 別紙にて本フェアの詳細をまとめました資料を同封させていただきましたので、ご参照くださいませ。

 なお、費用の詳細、ご不明点、ご質問等は、文化出版部が受け付けさせていただきますので、どうぞ何なりとお気軽にお問い合わせください。

 弊社では、上記<文芸社新春ドラマスペシャル記念 新鋭作家フェア(仮)>に限らず、ご著書のPRに努めて参る所存でございます。今後も何卒、倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

 残暑厳しきおり、くれぐれもご自愛くださいませ。
 末筆となりましたが、今後のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

敬具

追伸:繰り返しになりますが、今回のフェアは、わずかな参加枠しかご用意できておりません。お申し込みは先着順とさせていただきますので、お早目のご連絡をお待ちしております。なお、定員に達したあとのお申し込みはお受け致しかねますので、予めご了承くださいませ。

   *   *   *

<文芸社新春ドラマスペシャル記念 新鋭作家フェア(仮)>のご案内

弊社刊行作品ドラマ化に伴い、
書籍販売フェアを開催いたします。
若干数ながら、ご参加枠を確保いたしましたので、
ご希望の方は、是非お早めにお申し込みください!

<<募集概要>>

★ 紀伊國屋書店をはじめとする、全国有名書店20店舗にて開催する平積み・面陳列販売フェアに出品。約1ヶ月にわたってフェア専用の販売スペースを確保し、ご著書を拡販いたします。
 ※フェア開催時期:2005年1月7日から2月6日
 ※地域性・書店により、開始・終了時期が若干ずれる場合があります。
 ※参加書店および、書店数フェア開始・終了時期は今年の秋以降に決定になる予定です。
★ 朝日新聞、毎日新聞に各1回、フェア専用の告知広告を出稿。写真入連合広告にご著書を掲載し、告知・集客に相乗効果を促します。
 ※掲載時期:2005年1月上旬から2月上旬の間に各1回(新聞社の広告紙面の調整に拠ります)
 ※限定30作品を特別価格にて掲載

フェア参加特典

★ テレビ朝日系列『文芸社新春ドラマスペシャル(仮)』枠内にて放送される弊社テレビCMに、ご著書の写真とともにご出演いただきます。
 ※著者1名様あたりのご紹介時間は、5秒間を予定しております。
 ※撮影に関しましては、CM全体の企画制作意図に影響いたしますので、著者様からのご要望はお受け致しかねます。悪しからずご了承ください。

本フェアでは、30名(作品)のみに限定しております。また、弊社販売都合や書店様のご希望などにより、あらかじめ決定済みの枠もございますので、お早めにご連絡ください

   *   *   *

以上です。打つの疲れたけど、僕の言いたいことは賢明なみなさんにはわかっていただけると思います。この出版不況の中、文芸社は出版界の革命児としてすごい!ということです。しかもその中で、「優良書籍」に選ばれたなんて拙著『FUCKILLOVE』もスゲーじゃないですか。マジで。ところで、「特別価格」っておいくらなんでしょうね? 100萬円くらいかな? 環境汚染、人殺しの道具である自動車を一台買うのに比べれば、安すぎだよね。
みんな募金よろしくね!(最近、渋谷とかでは、自分の不幸な境遇をダンボールに書いて立てておいて、お金を恵んでもらう方法が流行ってるらしいね。あれと一緒。早く早く、貴方がコーヒー一杯我慢するだけで救われる自己愛もあるんですよ!)

追伸:1万人分の募金があるまで、HPは更新しません。悪しからず。

追記(能田倫之助):
悪ふざけは、やめましょう。自己憐憫は醜悪です。

追記2004.09.08:
文芸社さんから、お電話でこのフェアについてお誘いを受けました。金額を聞いて、僕のようなフリーターにはとてもとても払えるわけもなく(軽自動車2台分)、泣く泣くお断りさせていただきました。きっと「わずかな参加枠」しかなく、希望者殺到のはずなのに、わざわざお電話までしていただけるとは、きっと僕の作品のクオリティに惚れ込んでくれたからに違いないと思います。ほんとうに残念でした。最後には「お金のかからない方法で、また販売促進に力を入れます」とまでおっしゃっていただき、また別の優秀な作家さんへお電話をかけられていました。ああ、もしもみなさんのご協力があったら「5秒間」CMに出れたのに! …ま、とにかく「お金のかからない」「販売促進」をしていただけるということなので、増刷&印税ガッポリの日も近いかと思います。どうか、みなさま、松田龍樹をお引き立ての程、どうぞよろしくお願いいたします!

追記(能田倫之助):
リュージュくんは素直でいい子なんです。大目に見てやってください。

2004.08.22 Sun MICHAEL MOORE"FAHRENHEIT 9/11"

と、いうわけで、オールナイトでマイケル・ムーア監督『華氏911』を見る。夜中だってのに8割方席が埋まってるし、なんか若いカップルや外国人の姿が目立った。ま、夜中だってこともあるんだろうけど、やっぱり若い人たちこそ関心が強いんだろうし、第一おもしろいから見たいんだろうな、と納得。

感想。権力側の稚拙な言説、戦略にすらまんまと騙されてしまう僕らは、対抗すべき<思想>(平たく言えば<考え方>)が必要なんだろうと思った。映画によると2000年の選挙で投票においてはゴア氏が勝っていたのに、ブッシュ氏が「力」を使って覆してしまったらしい。なんか揉めてたもんね、あんとき。大学生の僕ですら、テレビで「票の数え直し」とかを見て、けっこうこれが後の歴史に影響するんだろうなーくらいは思いましたもん。ま、それはいいとして。日本とアメリカの一番の大きな違いは、ブッシュ氏は(映画によると)不正で当選したのに、小泉純一郎氏は日本国民の圧倒的支持のもと首相になったってことだと思いました。日本人は騙すまでもなく、実は騙されたがっているんではとすら思えました。だいたい、政権について訊かれて「だめだねー」みたいにマスコミの言葉をなぞっている僕らは、ほんと何も「考えていない」んだと思います。巨大メディアと政権が組んでやってきたら、僕らなんて一溜まりもないですよ実際。自分の感覚を研ぎ澄まし、自分の頭で考えることを常に実践しなければ、と立派っぽいことを思いつつも、実際はしがないただのフリーター(予備軍)。うーん、ところで「ノンポリ」なんて言葉はもう流行ってないですよね? 僕はそれです、いちおう。

2004.08.21 Sat プロレスっぽいの好き

村本天志監督『MASK DE 41』公開記念「プロレスっぽいの好き」DA-YO-NE?。

つまりだ、「プロレスは八百長だ」とか「嘘っぽい」とか言うのは簡単だが、ステレオタイプな批判者側にありがちな「言葉の貧しさ」が露呈しているし、実際世の中「出来レース」は多いものだし、たいがい嘘かほんとかわからないようなことばかりじゃんか。例えば家族とか? それぞれが役割を演じ、家族というショーを見せている。ただプロレスから「何でもあり」のリアルファイト(PRIDEとか)に世の潮流が移ったように、家族もいまや「ガチンコ」なんだろう。リストラ、不倫、援助交際、ひきこもり。なりふり構ってられなくなったのだ。でもほんとうにプロレスは嘘か? プロレスってのは、ほんとうと嘘の彼方にある<真実>に肉薄しようとするものなんですよ。もちろんそんな<真実>なんてありゃしませんよ。でも「プロレス」を実践する限り、そのないはずの<真実>が、その「不在」によって「リアリティ」を持って立ち現れてくるのです。家族も政治も労働も、プロレス的思考がないから「リアルファイト」という泥沼に陥るんですよ。きっと。僕らに必要なのはプロレスのような「曖昧」を受け入れることです、その「からくり」を知りつつ膨大な「言葉」で満たしつつ…。たぶん。

参考文献『現代思想 2月臨時増刊 2002 vol.30-3 プロレスPro-Wrestling』

2004.08.20 Fri 帰ってきた松田龍樹

斎藤環氏の本で読んだのだが、人間は思春期を迎える一歩手前の時期、実は大人以上に成熟しているのだという。精神的に非常に安定しているのだ。だが、「性的なもの」への目覚めとともに、その安定が崩れ、もう一度、成熟に向けてやり直さなければならなくなるらしい。思春期を克服し(あるいは去勢された)大人は成熟を迎え、再び安定するのだ(現在問題になっている「ひきこもり」なんかは、この思春期が「終わらない」状態のことらしい)。

僕は、それを知ったとき非常にわかる気がした。実感として、12歳のころまでは非常に自分が安定しており、常に充実感があった気がする。だが、それが中学に入るとともに徐々に揺らぎはじめた。決定的な変化を自分で感じたのは中2に上がったときだ。何か特別な事件や出来事があったわけではない。だが、クラス替えがあり、新しいクラスで席に着いたとき、それまでとは何かが違うと僕は思った。なんというか、周りの人間を初めて「他人」と感じたというか、それまで大して意識することもなく当然のようにこなしていた他人(クラスメイトなど)とのコミュニケーション(友達作り)が非常に距離のあるもの、自覚的にこなさなければならないものとして、意識されてしまった。それがもっとも顕著に現れたのが、クラスメイトそれぞれを何と呼んでいいのかわからなくなったことだ。例えば小学校のころなどは、男女共通のニックネーム(あだ名)をほとんどの生徒が持っていたし、ほとんど初対面でも平気でそのあだ名で呼び合えたりした。中学に上がってからも、最初はその延長のような気分で、あだ名や、呼び捨てで呼んでいた。だが、中2に上がった途端、それができなくなった。ニックネームで呼ぶべきか、「くん」「さん」を付けるべきか、呼び捨てでいいのか、逡巡するようになってしまったのだ。また逆に、小学校のころまでは男女ともに「まっちゃん」と呼ばれていたのが、女子からは「松田くん」、男子からは「松田」と呼ばれるようになっていった。

この相手をどう呼ぶか、という問題は程度の差こそあれ、思春期を迎えた中学生らにとってはコミュニケーションの第一歩としてそれなりに重要だったのだろうと思う。それぞれのそれぞれに対する呼び方が、それぞれの相手との距離の取り方の戦略を表していた。呼び捨てで呼ぶことが親近の証であることもあれば、中学生なりの背伸びであったりもした。僕はというと、広く認知されたニックネームを持つ人には、ニックネームで、そうでない人には「くん」を付けて、また女子全般には「さん」を付けて呼ぶようになった。呼び捨ては、過去にそうしていた人を除き、使わなくなった。だからというわけでもないが、親近感を持って(それが中学生なりの背伸びだとしても)、他人を呼び捨てにできる人をうらやましく思ったりもした。

「中2」からもう10年もたってしまったわけだが、思えば、この10年は「他人をどう呼ぶか」という問題に対処していった10年だった気もする。他人を呼ぶ必要がない状況を望んだこともある。未だその問題は解決されていないとも言える。あるいは、ある時点で「手を打った」とも言える。ただ、どう足掻いても、12歳のころのように無邪気にあだ名や呼び捨てで呼べなくなってしまったことは事実だ。どうでもいいが、僕の中1のときに書かされた新年の抱負は「無邪気さを大切に」だ。自分や周りの友達が、子供の特権である(そして大人が懐かしみ羨望する)「無邪気さ」を自ら進んで捨てて行こうとしているように思えたのだ。たかだか13歳ぐらいのくせに(大人から見れば十分に無邪気な存在なくせに)、みんな「もう無邪気に笑ってばかりはいられない」と言わんばかりだったのだ。なんかそれが非常にもったいない気がしたし、いつかそれを再び欲しがっても、もうそのときは取り返しがつかないと思えた。無邪気さと引き換えに、友達の呼び方がわからなくなり、性的遊技を覚えたというわけだ。まあ、それはそれでいいんだけど。

最近、オリンピック女子柔道の谷本歩実選手が金メダルを獲ったときの笑顔を見て、あんな無邪気に喜べるって素晴らしいなあって思った。ほとんどの選手、ほとんどの日本人が、「他人のため」(打算的、演技的)にしか喜びを表現しない・できないのに比べて、「自分の」喜びを全身で表現している谷本選手の姿は、ほんとうに見てて気持ちがよかったし、希望が持てた。僕もあんなふうに無邪気に喜べる日がくればいいなと思う。そのためには、12歳のちょうど倍生きてしまったいまからでもいいから、いや、いまだからこそ、もう一度、あの12歳のころのような無邪気さを取り戻したい。もちろん、完全には無理だろう。しかし、できうる限り、夾雑物を取り除き、「自分のためだけに」何かを成し遂げ、素直に喜んでみたい。

1980年に生まれ、サラリーマンになることは負けを意味すると信じて24年生きてきたが、時代は正規雇用のサラリーマンというだけで半ば勝ちを意味するような状況になってしまった。周りもみんな無事に立派に就職していった。苦労はあれどもそれぞれに自分の仕事をものにしようとがんばっている。胸を張って一所懸命やっている仕事に、勝ちも負けもない。ほんとうは、ほんとうに僕はそう思っている。サラリーマンにならずに生きていくことが勝ちだと思っていた僕は、フリーターという非正規雇用組=負け組に吸収されようとしている。嗚呼皮肉哉。まあ、それは、いい。僕は最近ようやく虚栄心が削ぎ落とされてきたのだ。これからは無邪気にがんばっていけたらなあと思う。虚栄心に足を取られず、無邪気な喜びで心を満たせるよう生きていきたいと思う。谷本選手だって血の滲むような努力をしてきたのだと思う。ただその努力が、虚栄のためではなかったのだ。己の純粋な何かのための努力だったのだと思う。虚栄のための努力は長続きしない。もっと何か純粋な自分の心に根ざしたもののために努力しなければならない。いや、そういうのは努力と呼ばないのかもしれない。半ば享楽であり快楽なのかもしれない。とにかく、僕はもう「無邪気な喜び」以外に欲しいものは何もないんだ。「思春期」という<クライシス>を終わらせようとしているいまだからこそ、思春期以前の無邪気さを取り戻せる気がするのだ。

*   *   *

新作『フーコー・メイビー』は近いうちに出版しません。破棄しました。能田倫之助氏代役ありがとうございました。また今日から【雑感雑文】書いていきます。谷本選手だって「柔道日記」を付けていたらしいです。自分の弱点・弱さを知ることは大事ですよね。「弱さ」と「虚栄心」は表裏一体だし。僕も「強く」なりたいです。つまらない虚栄心に足を掬われぬよう気をつけて、ほんとうに。

※最近ようやく『魂の労働』を読みはじめました。無知蒙昧な僕らは、何事も、とりあえずこの本を読んでから、だと思いました。近いうち自分なりに感想をまとめられたらなと思います。(なかなかムツカシイのですこの本は、僕みたいなのにとっては)。ではでは…また皆様よろしくです。

2004.08.19 Thu 能田倫之助は存在しない!

ラカンは「女は存在しない」と言ったらしい(斎藤環「生き延びるためのラカン」)。そう、私=能田倫之助も同じ意味で、存在しない。実存しない。まあ、それはどうでもいい。

ある教育者が言った。高校までは、「勉強」するのであり、大学とは「学問」する場所である。すなわち勉強とは「強いられる」ものであり、学問とは「問いを学ぶ」ことである。問い――疑問、問題、そういった意識を持ち、いったい自分は何を問おうとしているのか、それを学ぶのである。常に問いを発すること、それが学問であり、それを実践するのが学徒なのである。

『フーコー・メイビー』は完成したらしい。明日、松田龍樹は帰国する。ほとんどろくな文章を載せることができなかった私は今日で姿をくらます。

何か、私たちが生き難さを感じたとき、そのときこそ、問いを発するチャンスなのだ。幸せでしょうがない私には、そんなチャンスは一生訪れないのかもしれないが。

2004.08.16 Mon 野球は9回裏ツーアウトから

私、能田倫之助は生まれも育ちも埼玉県狭山市の西武ライオンズファンなんですが、今日はいい試合が見れました。9回ツーアウトから、フェルナンデスのホームラン! その後も四球と安打でつないで、同点! 10回の表を豊田が抑えて、裏をカブレラ敬遠のあと、無死満塁、再びフェルナンデスがサヨナラタイムリー!! ホセ! ホセ! ヴィバ、ホセ・フェルナンデス!!

野球は9回ツーアウトからです。あきらめなければ、逆転だってあるんですね。学びました。

2004.08.10 Tue 村上春樹『レイモンド・カーヴァー全集』翻訳完結記念、能田倫之助訳『アンソロポロジー』ダン・ローズ著

柴田元幸、金原瑞人(金原ひとみのお父さん)、村上春樹につづけとばかりに、私、能田倫之助も翻訳稼業をスタートしました(無断で)。なんせ私、帰国子女なために英語だけは得意なんです。はっはっはっはっ…

『ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー』で有名なダン・ローズ(Dan Rhodes)のデビュー作『Anthropology and a hundred other stories』の中の一つを訳してみました(無断で)。これから暇を見つけては訳していき、出版社に売り込みたいと思います。金原親子にゃ負けてらんねえ! ということで。

Anthropology<人類学>
わたしは、ある人類学者を愛していた。彼女は同性愛者を調査するためにモンゴルに行った。はじめ、彼女は彼らの文化とほどほどの距離を保っていたが、最終的には、調査のために彼らと同化しなければならないと決心するにいたった。彼らになりきるためにできうる限りの努力をし、彼女は次第に受け入れられた。しばらくののち、彼女は手紙でぼくらの恋愛を終わらせてきた。凍てつく丘で彼女が率いるヤクの群、彼女が被った吹きつける風を防ぐための皮の帽子のまびさし、ぶらさがった手袋、ないはずの鼻の下を暖めるための天神ひげ、そんなものを想うと、わたしの心が痛むのだ。

おもしろくないですか? あとから効いてくる笑いというか。こんな感じのがあと100個載ってるんです。短いし、英語の勉強にはもってこいかも。もちろん、ヘミングウェイを原書で高校(アメリカンハイスクールby KOJI HIGASHINO)のころ読んだ人(=私)には、お薦めしませんが。(武器よ)さらば!

2004.08.09 Mon Ecce Homo!(この人を見よ!)

今日は文芸誌『群像』8月号と『文學界』9月号を流し読みした。二つのことに気づいた。

@どんなに隠そうとしても、小説家(芸術家、表現者)は基本的に<自意識>の「露出狂」である。問題は「見るに堪えるかどうか」だけである。出発点はノーベル賞作家も自費出版ゲロ作家も同じということだ。ただノーベル賞作家と自費出版ゲロ作家との間には歴然とした差がある。どんなにがんばっても、私がオリンピックに出ることができないのと同じくらい明白な差が。

A純文学とはどんな小説のことをいうのか、はっきりわかった。『群像』や『文學界』や『新潮』などの純文学系文芸誌に掲載されている小説を等しく純文学というのだ。映画館で上映されている映像を「映画」と言うように。ふーすっきりした。(屁理屈じゃないよ、ほんとだよ。映画館で上映されているという理由以外に「映画」が「映画」である根拠なんてないんだから。その逆はないよ。つまり、額縁に入れられたものを「絵画」だと私は言いたいわけだ。厭世的芸術観に退行しているというわけだな、私は。)

『この人を見よ!』とはキリストを処刑したピラトが叫んだ言葉であり、ニーチェの晩年の著作のタイトルでもあるそうです。どーでもいいですけどね。もうちょっとしたら本を読むのも映画を見るのも文章を書くのもいっさいやめようと思います。そんなものは醜悪な自意識を肥らすだけだとわかりました。←こんな文章を書かずにおれないような「露出狂」を産むだけだということです。←こんな文章を書かずにおれないような「露出狂」を産むだけだということです。←こんな文章を書かずにおれないような「露出狂」を産むだけだということです。←こんな文章を書かずにおれないような「露出狂」を産むだけだということです。←(…以降、無限に続きます。コピペはCtrl+C&Ctrl+Vでできます。保存はCtrl+Sで。)

2004.08.08 Sun 能田倫之助『何事にもまず知性が必要だ、と彼は言った』

「愛」がSONNYから発売されるようになって、「愛」はSONNYの登録商標となった。Nationallはいつもの手筈で類似商品の「ラブ」をより安価な値段で発売した。渋谷の女子高生はこぞってそれを買い求め、ニュースキャスターはそれに対して渋い顔をして見せた。
「こういった最近の若者の状況をどう思われますか?」
 そうふられた80歳近い御意見番は、くちゃくちゃと何かを咀嚼しながら、その若作りだけがとりえのニュースキャスターを睨んだ。彼得意の「鋭い視線」である。
「どう思うかだって? おれがどう思おうが、おれの知ったこっちゃない」
 御意見番はカンペに書かれたそのセリフをこれ以上ない棒読みで読み上げた。
「なるほど、若者特有の一過性ブームに大人が右往左往してはますます大人の権威が失墜するばかりで、子供たちの心はますます離れていく。むしろここは、子供たちの自由にさせることで、彼ら自身に考えさせ、自主的な改善を促すべきだということですね?」
「そうだ」
 と、短くつぶやいたあと御意見番は何かを吐き出した。ガムのようでもある。
「それは…?」
 思わずニュースキャスターは訊いた。
「これが、愛だ」

(手遊びに書いてみました。中原昌也風「超短篇小説」のつもりですが…。どうでもいいですね。早く『フーコー・メイビー』読みたいなー。以上、ノダリンより)

2004.08.07 Sat 夜11時まで野球やってる!

巨人阪神戦は引き分けでした。以上です。

2004.08.06 Fri 岡村。岡村隆史、19歳!

雨宿りしながら、本を読む。だって、19歳って雨宿りの時期だから。

宮沢章夫『秋人の不在』(『文學界』2004年8月号掲載)。全然読むつもりはなかったのだが、なぜか、読み始めてしまう。おもしろかった! 読み始めてすぐに、阿部和重『シンセミア』を連想した。あるいは、(読んだことはないが、テレビドラマなどで見た)横溝正史とか。『シンセミア』を思っても不思議ではない。と、いうか、どちらもフォークナーを準拠枠にしているわけだから。いつか『八月の光』も『アブサロム、アブサロム!』も読んでみようと思った。物語中には『沈黙』も出てた。

2004.08.05 Thu 未確認情報(from ノダリン)

みなさん、こんばんは。能田倫之助こと通称ノダリンです。

えー、本日25時よりのニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」を聴きました。いま旬のタレント加藤ローサさんを迎えて「夏のラジオドラマ」ってのやってました。そのラジオドラマの一発目がペンネーム・リュージュさんという方だったんですが、まさか、まさか、違いますよね…。そうですよね。だって、あなたは軽井沢に籠もって新作『フーコー・メイビー』を執筆中なんですもんね。まさか、ナイナイのラジオにラジオドラマの脚本送ったりしてないですよね? そんな暇あったら一行でも多く小説を書きますよね? だってあなたは、確かに「作家志望」だけど…「構成作家」ではなく「小説家」の方でしたもんね。いやいや、疑ってごめんなさい。ペンネームといい内容のこっぱずかしさ具合といい、なんだかあなたが書いたもののような気がして。あ、気にしないで、小説の方、がんばってください。もうすぐ24歳、あとがないですよ。(昨日の雑文のタイトルを是非、噛みしめてください)。

と、いうことで、ノベルティグッズなんて、届いたりしません、よね?

2004.08.04 Wed 小説家志望はたくさんいるが、小説家になれるのはほんの一握りであり、10年後20年後にも小説家であるのは、さらに少ない。だけど小説家志望は自分だけが小説家になれると、なぜか信じている。もちろん、私(=能田倫之助)には関係のない<真実>だが。

ボール ワンストライクワンボール 初球空振り 延長10回 ショートゴロ アウト ツーアウト 代打古木 左足で蹴りました ここまでホームラン9本 オリックス時代には球界を代表するストッパーでした ファウル バックネットにライナー ツーストライクワンボール 伸びるボール 先発山本マサ バックネットにライナーです 平井が投げました ショートバウンド 先発が山本マサ バットの先 スイングアウト ぴしゃっと3人を抑えました 名古屋ドーム 強肩だ 満塁策です いきなり満塁ですからね 岡本ですかね めっぽう強いですねー 落合監督はアンパイアに 岡本をここで投入します 

テレビが見れないので、ラジオを聴いている。どこもナイター中継をやっている。野球は見ないが、聴くのはなかなかおもしろい。このラジオのナイター中継と小説は似ているなと思った。すべからく小説とはナイター中継のように(紋切り型と恣意的な「解説」)書かれるべきなのかもしれない(もちろん、違うよ!)。ちなみに、高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』の「野球」とは「文学」のメタファーらしいが(©仲俣暁生)、それとは関係ない(読んでないし)。

以下、とあるユーモア小説より引用(爆笑した箇所)。

彼は顔を赭らめた。その腰が優美に波打った。
「あの、思い切って申し上げますが、水曜日、昼食をご一緒にして頂けませんか」
「ああ、いいですとも」
彼と午餐を共にするというのは、首吊り自殺をするのと同じようにやってみたいことだった。

と、いうことで。

2004.08.03 Tue 暗い部屋で独り、本を読む男(=能田倫之助)

本を読むことは「自分に似た人間」を探すことだとずっと思っていた。だから、外国文学や古いものは苦手だった。あるとき本好きの友人とそういう話をしていたら、彼女は「自分と違う世界」を体験したいから、本を読むのだ、と言った。いま思えば有り得べき理由なのだが、私には新鮮だった。

外国の小説を読んでいると、イメージしづらいし非常に読みにくいのだが、読んでしばらくたつと、ふと想い出し、それを読んでいる間、自分がその世界に浸っていたんだな、と気づく。

先日、村上春樹の『風の歌を聴け』を初めて読んだ。そのあと、フランスの暗い小説を読んでいる。難解で抽象的なその小説を読むのを、私は何度も中断した。だが、閉じてしばらくすると、また、少し読んでみたくなる、という経験をした。小説は難解だが、むしろそれが私の寄る辺なき<生活>を忘却させ、中和させてくれていたのだ。そして、ふと、村上春樹が日本の小説が読めず、外国=アメリカの小説ばかりを読んでいたという、その気持ちが、初めてわかった気がした(かん違いかもだけど)。

なーんてね。本なんか読んでないで、海でも行きましょう。夏だし。

2004.08.02 Mon 能田倫之助物語

結局、<人生>というものが「語られる」ものでしかないのなら、私たちが求めるべきは「どう生きるか」ではなく「どう語るか」であろう。「語る」ことで、「過去」と「未来」が生成し、<人生>が<物語>へと「丸め込まれ」ていく。私たちは「他人」を想定し、「語る」ために<人生>を生きているのだろうか。いや、<人生>という<物語>がフィクションそのものであり、ただの<生活>の連続が、他者を前にして「語られる」ときに、途端に<物語>と化し、<人生>へと称揚されるのである。

まったくもって、陳腐。人間は、非合理なものを合理的なものへ、無秩序を秩序へ、不安定なものを安定的なものへと、いつも「落ち着きたがっている」生き物なのだ。「類別したがっている」のだ。<生活>を<生活>のまま受け止めきれない。「不安定」を「不安定」のまま保つことができない。「弱い」からだ。常に、合理化、秩序化、安定化、物語化の誘惑に勝てない。そして、いつものように、<物語>のために生きてしまう。現在が何も保証しないからだ。「過去」と「未来」だけが、<人生>を保証するからだ。つまらぬ、陳腐な<人生>とやらを。

と、いうわけで、私(=能田倫之助)は自分の<人生>を語ることを断念した。つまり、「能田倫之助物語」を拒否したのだ。もちろん、そんなものは(誰もがそうであるように)最初から、なかったのだが。

2004.08.01 Sun 能田倫之助は実在する!

そう、今日、更新をチェックしたあなたは素晴らしい。あなたがお気づきになったように、「松田龍樹による」更新は、彼が夏休みを利用し軽井沢で、新作『フーコー・メイビー』を執筆中なため、しばらくお休みなわけであるが、つまり、私=能田倫之助がその代役を務め、この【雑感雑文】を書き進めていくということなのである。

もし、あなたが私=能田倫之助の文体を松田龍樹氏のそれと似ていると感じたとしても、それは間違いではない。むしろ私の文体が彼に似ているというよりも、彼が私に似せていると言った方が正しいのだが。あるいは、かの隠遁作家J.D.サリンジャー氏によるグラース・サーガの長兄シーモアと次兄バディの関係に近いと言ってもいいかもしれない。もちろんその場合、私がシーモアということになる。

さて、これからしばらく――おそらくは、海にクラゲが出はじめるころまで、私は能田倫之助版【雑感雑文】を書いていかねばならないわけだが、その場合の私のささやかな企みというか試みとしては、「中身のないことを、いかにもっともらしく語ることができるか」というものである。それは、もちろん、みなさんがお気づきのように、世に溢れる「もっともらしい」文章というものが、結局、その「もっともらしさ」を支える「もっともらしい文体」によるものだと私は思うからである。つまり、「つまり」という言葉以外に、いったい何が「つまり」を保証しうるというのかということだ。

ま、とにかく、短い間ではあるだろうけれども、よろしく頼みます、ということなわけだ。