松田龍樹公式HP

松田龍樹公式HP

雑感雑文

日々思ったことや考えたことについて、好き勝手に書いています。

2005年02月

Return to:Archives

2005.02.28 Mon 朝倉祐弥『白の咆哮』

朝倉祐弥『白の咆哮』を読む。おもろい! 阿部和重好きなら気に入るはず。

読めば誰でも気づくが、徹底的に固有名詞が排除されている。具体的な時代特定も。スバラシイと思う。

こういう話は、ロールシャッハテストみたいに、見る人読む人によってどうにでも解釈できるし、読者の世界観を映し出してくれるものだ。<土踊り>がなんなのか、<入植者>やその共同体がなんなのか。

語り部の「わたし」は、入植者の共同体において<交渉者>という役割を与えられており、以前は<土踊り>に嵌ったこともある、という設定だが、絶妙! まあ陳腐な感想だが、「わたし」の<交渉者>という立ち位置・役割が、まんま<小説家>の立ち位置と同じだと思った。小説家に限らず、優れた芸術家とは「常に部外者」であるべきだと、拙者も思うからだ。ヘタったら終わりです。居場所を見つけたら、終わりです。

例えば、<土踊り>が「サササの偶然」という箇所を除いて、決して視覚化されないよう配慮されていたりと、「観念だけ」で書いたかのような、この作品。うん、こういう小説。ほんとの小説だと思う。

足をつかず、低空すれすれで書ききったような作品。すごい体力、筋力だと思う。

作者自身の言葉からも、察せられるが、ラテンアメリカ系の小説。いわゆるマジックリアリスムに影響を受けているようだ。『百年の孤独』しか知らんが。機会があったら何か読みたい。

2005.02.27 Sun 捨てる神あれば拾う神あり

もうすぐ一周年だ。このHPが開設されたのは、公称2004年4月1日だから。

なんか新しいコンテンツでも増やそうか、と思う。できるだけ実利的で役に立つものを。例えば、安くてうまいオリジナルレシピの紹介とか、そういうの。もちろん自分の興味あることで。

どうでもいいが、家庭内において、もっとも子供に手伝わせるべき「家事」は「ゴミ出し」ではないかと思う一人暮らし青年。まあ、ゴミ出しというか、「ゴミを捨てさせる」ことだ。まあ、ゴミって言うから汚いないものとかそういうことなのだが、もともとゴミだったものなんてないし、すべては何かしら必要なものだったのだが。ゴミを捨てる、そのときに生まれる様々な感情は、ゴミの元であるモノ自体(ほとんどはお金を出して購入したモノ)に対する接し方を変えてくれると思う。

またゴミとは捨てられるモノのことだが、大袈裟に言ってそれは死を連想させる。いつかはモノも人も消えていく、そういう刹那さを感じさせてくれる。よく言われるように死を意識した人生がより生を活き活きと生きようとするように、ゴミを捨てることを知っている人間はモノへの接し方も愛情を持ってできる気がする。

例えば、ゴハンを残して、それを残飯として捨てるときに「もったいない」と思えば、今度からは残さないような工夫をしようと思うだろう。量が多かったのであれば、適量に。嫌いなものだったのなら、はじめからその食品を除けておく(自炊ならばね)とか、食べられるように努力するとか。

もちろん、「もったいない」と思える感受性が欠如している子供ならば、意味はないでしょうが。

もったいなくても捨てるべきモノは捨てる。どうせいつかは「僕ら全て消えてしまう」のだから。

2005.02.24 Thu 「自意識過剰」過剰

もう霊感は尽きた。結局自動筆記というものが人間の思考の貧しさ乏しさワンパターンさを露呈させたように。ワタクシのリズムとフレーズはすべて出尽くしている。あとはお色直しが精々。

中3のときクラスの知人が、「俺ってジーシキ過剰だよね?」と聞き回っていたことがあった。訊かれた俺は、「?」「そーかなー」ぐらいで濁していたが、正直「ジーシキ」というのがなんのことかわからなかったのだ。言ってる雰囲気とかでなんとなく、精神的な何か、自分の性格について思い悩んでいる、みたいなことはわかったのだが。「ジーシキ」の意味がわからない(発音も悪かったと思う。ジーシキカジョーと聞こえた)ことも相まって、なんかその彼の訊いて回っている姿がうざったく思えた。

いま思えば、彼は「自意識」が過剰なんじゃなくて、「自意識過剰」を過剰に気にしていたのだと思う。

なんちゃって☆ うまいこと言ってみたかっただけです。

いやいや、自意識ってなんすかね。ナルシズムでしょうか、それとも羞恥心でしょうか。いやいや、そのナルシズムと羞恥心の間で過剰に煩悶する自分自身の意識なんでしょうか。辞書ば調べんしゃい!

自意識過剰は思春期の特権のように言われるし、感受性の豊かさの一つの現れのようにも言われる。でもね、自意識過剰なやつに限って、へんなところで恥知らずだったり、無礼だったりするような気がするんだよね。俺も自意識過剰だし、自己愛はめちゃめちゃ強いし、自尊心は隠してるつもりだけど…ね。

いやいや、ホント最近思うんだよね。自意識ほど無駄で邪魔なものはない、と。

いつも見ている画家の古谷利裕さんのサイトにいつか、いまの若者の作品が尽く「自分(自己)」を表現の核に据えている、これはそういう方法しか教えてこなかった制度のせいでもある(かなり適当に要約)みたいなこと書かれていたが、これは自己表現野郎(つまり俺様)の目を覚ましてくれた。っていうか「表現」と言ったら即ち「自己表現」のことと思い込んでいた戦後民主主義日教組教育育ちとしては、ね。

ほんと最近になって自己表現でない表現があるし、もしかしたら、自己表現でない表現の方が歴史も古いし、拡がりを持つものだ、と朧気ながら思うようになった。いやいやもちろん、自己表現とそうでない表現の区分なんて曖昧ですよ。グラデで地続き。

爆笑問題のラジオで、太田さんが奥さんが酔っぱらってケンカしてるのを仲裁に言った話をしていた。そのケンカ相手が「小説家」らしくその「小説家」は「子供たちの自殺を辞めさせるようなメッセージの小説」を書いているらしい。

っていうか、その「小説家」に心当たりあるかも。拙者と同じ出版社から出している方では??

そのエピソードを聞いていて、一番、引っかかったのは、そのケンカ相手が「小説家」だ、と太田さんが述べた瞬間だ。なんというか、この世には「小説家」が存在するんだな、と思った。もしその小説家が村上龍とか大沢在昌とか浅田次郎とか宮部みゆきとか五木寛之とか高橋源一郎とかだったら、きっと太田さんは「小説家」とは言わず、その人の名前で呼んだことだろう。「ケンカ相手が小説家だった」と言ったとき、それは例えば、「消防士だった」とか「警察官だった」とか「タクシーの運転手だった」とか「コンビニの店員だった」とか、そういうものと置き換えが利く職業の一つとして述べられてるわけで、「職業」という当て嵌めにしっくりこない「小説家」という職業の響きに違和感を覚えたのだし、その「小説家」は、いつから「小説家」になったのだろうか、とかも思った。「小説家」とはいつから「小説家」なのだろうか。例えば俺が太田さんの奥さんとケンカしても「小説家とケンカした」とは言われないだろう。というか、もしかしたら、太田さんの奥さんは、その「小説家」というのに引っかかってケンカしたのではないだろうか。だって、もしその「小説家」が「小説家」だと名乗らなければ、そいつが「小説家」かどうかなんてわかりっこないんだから。警察官とかタクシーの運転手だったら(勤務中)すぐにそうだとわかるが。居酒屋で小説家を小説家と見抜くのはかなり難しいはずだ。

今日出かける前、気温を探るために窓を開けたら、隣の家の引きこもりが母親とキャッチボールをしていた。母親はボールの扱いがまったく下手で、取り損なったり明後日の方向に投げたりして、息子から叱責されていた。でも終始うれしそうで、ごめんごめんと息子の名前を呼びながら笑っていた。おそらく寝間着のスウェットのままの引きこもり息子は、しばらくすると飽きたのか寒いためか、キャッチボールをやめて、家に引っ込んでいった。グローブとボールを片付けようとしている母親の背中に「腹減った」という声が聞こえ、母親はやはりうれしそうに急いで家に戻った。そのときグローブに挟んだボールが零れ、庭に落ちた。母親はそれに気づかず、後ろ手でサッシュを閉め、カーテンを閉めた。もう夕暮れだったし、最近は寒暖の差が激しく、今日は真冬みたいな気候だったから。

いやいや、その引きこもりって俺のことだよ!

2005.02.23 Wed モノクロームの生活に音楽

まったく活字を受けつけない時期がある。
酒が飲みたくなる時期がある。
たまにゃ、音楽も聴きたくなる。

拙者が好感を持てるミュジッシャンは「男気(ある種のストイックさ)」があるかどうかで決まる。別に性別は問わない。逆に嫌いなのは、カラオケで歌う以外に使い道のないような無難な歌(猿飛佐助とかエロ本とか全ての小さな事とか、虎次廃寺とか。蜜柑範囲はフラワーがEGO&EGOのパクリとか言われているけど、もっとも時代の空気を反映したミュジッシャンたちだと、個人的には思う。パクリや軽いノリや複数のボーカルやHIPHOP調や、すべてが。)。別枠で無条件にかわいい歌姫ならば、なんの文句はない。矢井田瞳と椎名林檎を足してかわいさ2倍のaikoテイストで味付けしたような大塚愛とか、かわいいからオールO.Kである。

やっぱ一番しっくりくるのは、ナンバーガール。女の子以外で恋したのは、ナンバーガールだけです。それ以外は、特別好きとかではないけど、エレファント・カシマシとかイエロー・モンキー&吉井和哉&YOSHII LOVINSON、女性だけど椎名林檎&東京事変とか、しっくり来ます。

で、たまにはレンタルショップのCD部門をうろうろ。映画『アカルイミライ』のエンディング曲だったTHE BACK HORNの「未来」という曲が入ったアルバムを発見し、借りてみる。まだ聴いていないが、なんとなく「男気」がありそうな気がする(歌詞カードが付いていないあたりが)。とりあえず「未来」という曲は、少なくともあの映画を見た人なら、心動かされる曲だと思う。

どうでもいいが、映画も音楽も、時間が決まっているんだよな。CDやDVDは1秒の狂いもなく終わる。何もすることがないと、人生は時間の消費に思えてくるが、映画や音楽(あるいは演劇とか)が「時間」で規定されているということは、人によって速さがまちまちである読書との違いにおいて、何か示唆するものがあるのかもしれないし、どうでもいいかもしれない。

あ。

なにげに「雑感雑文」開始一周年でした。

ここ最近の態度は「殴り書き」です。

2年目もご贔屓の程、何卒よろしくお願い申し上げません!!

2005.02.21 Mon 殴り書き、メモ、純粋恋愛論、童貞論、理由なき殺人者、似たもの探し

例えば、恋愛の仕方をどうやって学んだ(覚えた)のだろうか? まず「好き」になって、デートして(そこで映画を見たり、食事をしたり、その間中手をつないだり、会話をしたり)、「告白」(告って)して、キスして、エッチして、エッチしてエッチして、なんとなく倦怠感がやってきて、重荷になって、「別れる」。 恋愛の進展は、普通、スキンシップ(肉体関係)の親密さで段階分けされている。古来言われ続けたA→B→Cが典型であるように。 ま、俗に言うように、エッチ(セックス)が恋愛の目的でも目標でもゴールでも終わりでもない。が、好むと好まざるとに関わらず、一つのピーク(頂点)を成してしまっているのは、認めざるを得ない事実だと思う。 もちろん、そういった恋愛の進展を肉体関係の進展と同一視する見方への反発、アンチというのも生まれてくる。お互いが「好き」でありながら、およそ手すら触れない「プラトニック」な恋愛関係を称揚したり、映画や小説などで描いて見せたり。 現代人(近代人?)というのはなぜか、肉体的なもの(物理的なもの)よりも精神的・心的なものを尊ぶ性向にあるため、「体より心」というフレーズ思考は、「恋愛」にも適用される。 ここで、「体」(肉体関係)と「心」(プラトニック関係)のどちらが恋愛において重要か、とかそういうことを考えたいわけではない。ただ、どちらにしろ、エッチというものが恋愛関係においてはかなり重要な地位を占めているだろうことを確認したいのだ。

逆に考えると、恋愛とはエッチすることだ、と思うようになる人間が現れてもおかしくない。そう、手当たり次第に好きでもないのにエッチしまくる人間は、「恋愛」というものをプラトニックなものであると強く願望している人間でもある。翻って、「好きな人(付き合っている人)としかエッチをしない」という一般的?な恋愛態度は、「付き合う(恋愛)とはエッチ関係である」ということを表明していることにもなる。

いやいや、そんなことが言いたいのでもない。例えば、ある人が誰かを好きになって、言語化できない感情が生まれ、それを昇華するために「恋愛」を試みる。そしてその「恋愛」は「エッチ(セックス)」へのステップアップのように振る舞われてしまう。

いやいや、何が言いたいのか、わからなくなってきたので、はっきり言うが、本来、「恋愛感情」というのは、「エッチしたい」とか(デートしたいとか、誕生日にプレゼント交換したいとか、一緒に映画を見たいとか、お部屋でまったりしたいとか、なんでもいいのだが)そういう具体的な欲望は伴っていないのではないか、とあっしは思うのだ。ただ言語化できない曖昧模糊とした感情の発露として、世間並みの「恋愛」という「型」のようなものがあり、それに沿って自分なりに感情を抑えたり変容さしたり、すり替えたり、しているのではないのだろうか。 その「恋愛」というシナリオ?型?発散装置?の「核」となるのがセクースなのだと思う。

もう一度、整理する。 本来「恋愛感情」(もちろん、そういうものがあるかどうか、というのは留保が付きます。ま、「ある」として話を進めると)というものは曖昧模糊とした感情であり、具体的な行動欲求を伴わないものである。しかし、それでは収まりがつかないので「恋愛」というものをしようとする。「恋愛」とはセクースを核とする肉体関係のステップアップの道程と同義である。そしてここで注意しなければならないのは、そもそも「恋愛感情」のなかには、「セクースしたい」という欲求は含まれていなかったはずなのに、「恋愛」という形式を取ったが為に、事後的にみて、「恋愛感情」=「セクースしたい」かのような等式が成り立ってしまう、ということだ。これからが今日言いたかったこと↓。

以上のような、「恋愛感情」「恋愛」「セツクス」の関係が、巷間を賑わしている「動機なき殺人」の構造と似ているのではないか、と思ったのだ我が輩は。

つまり、別に人を殺したかったわけではないのに、陰々滅々とした感情を持て余し、どうしていいかわからず、(我々が恋愛をそうやって学んだように)テレビやマンガや映画や小説から学んだ「形式」(「恋愛」に相応する)として「犯罪」に臨み、本当は別に「殺したかった」わけでもないのに「殺人」をしてしまう、のではないか。

つまり、人間のあらゆる感情は具体的な行動を本当は伴わないはずなのに、社会的な学習によって、それらの感情それぞれに、そういうときはこうするんだよ、という行動様式があてがわれているだけではないか? 高校を中退して、陰々滅々とした生活を送っている17歳は「人を殺す」ものだ、と。それは、「好き」なんだから「セックスする」という論法とそっくりな気がする。

そして、事後的に、殺人やセックスに「理由」(動機)が与えられる。「いじめられていたのに助けてくれなかった」というのは、なんというか陳腐な「理由」である(しかも「嘘」の可能性が高い)。だがそれは「好き」になって「セックスした」理由が、「かっこよくて優しいから」とかいう理由と大差ない。どちらも、後付けであり、曖昧模糊とした感情に社会性を付与しようとしているだけだ。

恋愛感情も殺人も、おそらくもっとも原始的で根源的な感情なのだと思う。言い換えれば得体の知れない生物、怪物(モンスター)なのだ。それを飼い慣らすために、行動様式や「理由」という「言葉」が用いられる。

つまり、今日言いたかったことは、彼は「殺人」という行動でしか、感情表現できなかったのだろう、ということ。恋愛感情の帰結がセツクスと思い込んでしまっている童貞の発想と同じで。

以上、インディヴィジュアル・プロジェクションでした!

今日のヒント: 「恋愛」でも「殺人」でも「独創」するのはかなり難しいと思うよ。

2005.02.19 Sat 見た映画のメモ書き

マイケル・ムーア『ロジャー&ミー』を見る。その昔、フィクションの映画を作りたいなあと思っていたころ、ドキュメントを撮る意味がわからなかった。だいたいドキュメント番組とか映画とか嫌いだった。確かに訴求力のようなものはあるのだが、だからなんだ?っていつも思ったし、なんかお涙ちょうだい的なのも嫌いだったし、だいたい「これは事実だ」みたいな「おごり」があるような気がして。

『ボーリング・フォー・コロンバイン』を見て、ドキュメント映画のイメージはかなり変わった。『華氏911』とか特にその印象が強いが、ニュース映像だろうがホームビデオ映像だろうが西部劇のドラマだろうが淫猥なアニメだろうが「映像」として等価に扱い軽妙に編集して、それを一本の「ドキュメント」として提出してる、そういう感じが「いま」っぽいと思った。見てておもしろかったし。

『ロジャー&ミー』は、いろんな意味で若い感じのする作品だ。痩せてるし。ほんとよく撮ってるなあと思う。しかも「個人制作」で。

劇場版『ビーン』を見る。これはかなりおもしろい。特に前半。顔芸だけでもってる。いやマジであんだけ顔が動けば、すごいよ。あと、基本ビーンはしゃべらないが、イギリスのコメディは全部、しゃべりで笑わせようとしてない、という印象がある。そう思うと日本との違いもわかる。モンティ・パイソンとやらを見てみたくなった。

何かおもしろい映画ないかなあ。

2005.02.16 Wed 特に書きたいことはないけれど

更新してみる。

朝起きて、夜寝る生活。コンビニに深夜に買い出し。あとはラジオを聴いたり、模様替えのプランを考えたり。

あとはランダムに過去をリアルに思い出すことを練習したり。忘れていた映像が唐突にフラッシュバックする。日奈久温泉とか。親せきの家の床の間とか。

建物が建て替えられた土地の昔の姿を思い浮かべたり。自分が通っていた幼稚園が駐車場になっていて、その前をずうっと通っていたのに、それに気づかなかったり。

大検予備校に通っていたことを思い出したり。

『スナッチ』をビデオで見た。とてもおもしろかったし、あの2000年ごろの空気を思い出せた。ガイ・リッチーはその後何か撮っていないのだろうか。

昔見たビデオをまた見たい。『不思議惑星キン・ザ・ザ』(JINRO!のCMを見てたら)とか『天才マックスの世界』とか『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』とか。

なんかダウナーなやつ。

2005.02.12 Sat 島崎遁村『新生 〜今日で何かが変わるというわけではないけれど』

なんとなく世界(!)は袋小路に陥っていて、同じところをぐるぐる旋回しているような、そんな「観」を持っているのだが、やはりそれは個人的な「観」を世界に投影しているだけなのかあ。でもまあ、どうあがいても、同じ「眼」からしか世界を見れないのだから、どっちにしろ同じことかもしれんが。

暴力(ケンカでも虐待でもセックスでも)は濃いコミュニケーションということは世間智として広く知られていると思うが、もちろん「無視」だってコミュニケーションなんだが、例えば中高のころいわゆる不良やヤンキーみたない人たちを見て、おいらのようなタイプが感じていた違和感は、なぜそんなにコミュニケーションを取りたがるのか、と言えるかもしれない、と思った。自分を剥き出しで見るに堪えないのだ。「不良」は濃いコミュニケーションを発信しているのだから、それがのちに「更生」することも全然不思議ではない。単にコインが裏返っただけだろうし。

高級コールガールを描いたマンガで主人公の女性が、みずからの行為について、それは自分という存在を「軽く」するためだ、と言っていた。それはよくわかる、とスケコマシの友達が言った。そりゃあ一人としか(あるいは一度しか)セックスしたことない人間と5000人(あるいは5000回)とセックスした人間では、単純に分母が大きくなるから、そのうちの一つは相対的に「軽く」なる。そのスケコマシの友達も以前から、セックスしまくるのは「デノミ」をやってんだ、と言っていた。まあ「価値の切り下げ」ぐらいの意味だろう。DOUTEIのおいらからしてみれば、しゃらくさい言い訳にしか聞こえない。もしくは何か神経症的な袋小路に嵌っているだけにしか見えない。

例えば未来のフリーターである「13歳」に実際的「就職案内」を提示してみせるという方法ではないやり方で、実際的な現実処方を小説は提示できるのだと、信じたい。いや、保坂和志のことだよ。またしても。そう、パソコンで言えばアプリケーションの更新ではなく、OSの更新のような。そういう感じを。

へたってはいけない。

ここ1、2年のおいらの物事への態度は「落ち着かない」ということだ。例えば「二項対立」的な煩悶に陥らないこと。

「落ち着かない」というのは、「名前を付けない」ことと言い換えてもいいかもしれない。

あるときバンドをやってる友達に「プログレッシブ」とか「オルタナティブ」とか「パンクロック」「ハードロック」とかって「ロック」っていっぱい種類あるけど、どう違うの? と質問したら、「レコード屋で探しやすいように、名前付けただけだよ」と名答を頂いた。なるほど、「便宜的に」名付けただけで、例えばそれはAグループ、Bグループとかでもいいわけだ。実際個々の音楽は、「プログレッシブ」とか「オルタナティブ」とかいう言葉で分断できるほどわかりやすくない、はずなのだ。

俺も、そう思う。ただ怖いのは「便宜的」に名付けられたはずの「名前」がいつしか主従関係が逆転して、さも初めから存在していたかのように振る舞いだし、いつしか、「名付け」という権力を持ち、おいらたちを跪かせることだ。

なんとおいらたちの「フレーズ」に引き摺られた思考をすることか!

曖昧模糊とした感情や、モノや何かに出会ったら、すぐに「名付け」ることで「へたって」しまわず、「そういうもの」として保ち続けていきたいってことさ。そういう状態って「落ち着かない」だろ?

とういうことでDOUTEI25年目、チョコレットは好きだけど愛情や義理は大嫌いなおいらの愚痴でした。

2005.02.07 Mon 今日で何かが変わるというわけではないけれど 最終章

『シガテラ』(古谷実)の最新巻を読む。『ヒミズ』に比べて、ちょっとテンションが落ちた気がする。もちろん、おもしろいのはおもしろいのだけれど。

何か不条理な犯罪事件が起きたとき、その犯人の学生時代のエピソードなんかが友人や教師の口から語られるが、例えばその犯人が友人が少なかったとか、イジメにあっていたとか、もちろんそういった負の面が語られるのだが、ふと思うのは、もちろん犯罪を犯した本人がすべての責任を負うべきなのだが、その学生時代にその犯人に一言でも二言でも優しく話しかけてくれる友だちやなんかがいたら、少しは何か変わったのだろうか、大筋で不幸な人生は変わらなくとも犯罪を起こす一歩手前で踏みとどまるだけの理由を与えてくれたのだろうか、とか思ってしまう。

中高を通じて、いじめたこともいじめられたこともないし、周りで陰湿ないじめが行われていたという記憶はない。まあ、軽い(といってもその本人でないからわからないが)いじめはちらほらあったと思う。

中2のころだったか、委員会か何かで知り合った他のクラスの男Tというのがいて、会えば話すぐらいの仲になった。何ヶ月かして気づいたのだが、そのTは同じクラスの男子たちから馬鹿にされていて、軽いシカトや、例えばTが昼休みに外でサッカーしていると教室の窓からみんなで観察し馬鹿にする、といった程度のいじめを受けていた。

自分としては、そいつがいじめられていようとどうだろうと、それとは関係なく付き合うぐらいの気概を持っていたかったし、Tと仲良くしたからといって自分までいじめられるという心配はなかった(変わり者として通っていたので、そういういじめる/いじめられるという人間関係からは独立していた、と自分では思っている)。だが、やはり、どっかで、それとなくTを避けている自分がいた。別にめちゃめちゃ仲良かったとかではないし、廊下とかで会わない限り話なんかしてなかったのだし。

ある日、廊下で友達と二人で話していると、Tがすうっと寄ってきて、何か話しかけようとするのだが声が出ずに躊躇している、みたいな状況になった。Tはおそらく僕に話しかけようとしたのだが、隣にいる友達(Tを馬鹿にしている連中)に怯んで、できなかったのだろう。こっちから気を遣って声をかければよかったのだが、やはり自分にもどこかその友達の手前、躊躇する気持ちがあったのは確かだ。

結局「あ…」とか「う…」とか小声で漏らしただけで、Tは去っていった。その後ろ姿を見て、友達が「なんだあいつ」みたいに言っていた。それ以降Tと話した記憶はない。

そのTがどういう人生を送っているかまったく知らないが、僕の小さな裏切りとでも言うべき行為がどのように影響したのかしなかったのか、不条理な犯罪事件を見るたびに考えてしまう。「なんの関係もない被害者」が犯人に危害を加えられるのだが。やっぱり快適な学校生活(社会生活)を送っているのの陰では、やっぱり何かが誰かが割を食わされているのだと思う。

なんでもそうだが、「美しいもの」というのは「醜いもの」を捨象した姿なんだと思う。完璧なまでに美しい人生があるとすれば、醜さや汚さを一手に引き受けた人生がどこかに存在するのだろう。

わからないが、一度でもいじめや理不尽な暴力を見て見ぬ振りした人間が、不条理で理不尽な犯人から不意打ちを食らったとしても、もはや「関係ない被害者」とは言えないと、僕は思う。もちろん僕もTを「切った」のだから、多少の罪悪感や後ろめたさは感じていたとしても、TやTのような人々の捨て身の一撃を食らったとしても「しょうがない」と言うしかない。

最近は本当に何もやる気がしない。無為に過ごしまくっている。小説とか小説家へのモチベーションもなくなりかけているし、なんなら「あきらめる」理由を欲しているふしさえある。はっきり言って伝えたいことや苦心してまで書きたいことなんか、まったくないのだ。あったとしても自分よりも深く上手に伝える才能を持った人々の作品がすでに溢れているし。『シガテラ』とかもそうだ。

いや、こうやって、思春期的懊悩を背景に持つ芸術系の「夢」はなし崩しにされていくんだろうな、と思う。

いやもちろん、「伝えたいこと」がなくても「才能」がなくても、小説は書けます。むしろそこからが勝負かもしれません。

とにかく、僕は「理由」というものが嫌いなのです。安倍なつみ氏の妹で安倍麻美氏という歌手がいますが、彼女のデビュー曲は確か『理由』だったはず。ラジオで聞いたときに意外にいい詞だったのを覚えています(いま、ネットで調べたら326さんの作詞だったんですね。さすが、鬱陶しい詩を書いてくれます)。

しばらくは無為に過ごそうと思います。人生の浪費です。特に目標とか、ないんです。

と、いうことで、最後の小説。例によって決して読まないように。

アマノガワタケルの歌
アマノガワタケルにはここ数日睡眠を阻害するある種の思春期的命題を抱えた悩みが同時多発的に勃発炎上していた。それを無意識の発露だとか自己の再確認だとか没個性時代における情報過多の弊害だとかそれなりのお仕着せのワードを添付することは可能だろう。だがいつでも言葉というものがここぞというときには何の実行力もないということをみなさんが長い人生経験のひとつの中でも取り分け処世術として認識されているように、その悩みに命名してみたところでまったくの無意味、いや、それ以上に無駄に悩みの本質を覆い隠しぼかしモザイク処理をしてしまうことになるだろう。そこでタケルは悩みの実践的解決に努力した。奮闘した。だが、人生の成功者の多くがそう言うように、努力とは行ったそばから結果を生み出すものではなく、むしろ努力しているにもかかわらず一向にその成果が現れないという徒労感を醸し出すことになるだろうことをタケルは予測していた。そう。世の中のだいたいの不幸は、不幸なことそれ事態が不幸を生み出しているというよりは、そのことにまったく気づかず安穏としているうちに突如としてその存在に気づきあわてふためき思考停止状態に陥ることこそが真に不幸の本質であるということを知っていれば、タケルが予測し得たということにおいて最悪の不幸はすでに避けられていると断言できるだろう。タケルはそこで絶望という言葉が自分も含めた人々に対する実際的な効果について考えはじめた。それを考えることはタケルの今直面している問題を直截解決するにはまったく役に立たないであろう。といいつつも、実際はそれがあとあと多いに手助けになるであろうことをタケルは確信していた。絶望とは一切の希望が絶ち切られた状態である、と辞書風にタケルは定義してみたのだった。だがそれが、思いのほか的を射ているようなのでタケルはいささか気落ちしなければならなかった。というのも物事の本質を捉えるには正攻法よりもむしろまったく見当違いに見える方法の方が往々にして最良の結果を生み出すということをタケルは多く疑似体験してきていたからだ。となると、先ほどのタケルの定義――ここでは仮にAとしておく――Aをそのまま深く議論していくことは間違いと知っていてそれを正しいと全身全霊で他人に喧伝するデマゴギーになることを意味している。そこで新たな定義――Bの発案にタケルは思考を移すことにしたのだが、そこからがこの長く徒労と呼ぶ以外に意味がない、だがそう呼ぶことは全世界の終わりを婉曲的に表現することになるであろう事態を引き起こさずにはいられない時代気分に至る抒情詩を紡ぐ結果になろうとはこのときこの思慮深いアフォリズムの盲信者であるタケルは露の一滴ほども気づいてはいなかったのだ。タケルは反論する。タケルは抗議する。タケルは世界に向かって死の宣告をする。タケルは安易な幸福がいかに多くの犠牲のもとに成り立っているかを忘れない。タケルは自分自身を忘却する。タケルは言葉を信用しない。タケルは飛ばない。タケルは燃えない。タケルはただひたすらに冷徹を貫く。タケルは生きようとしない。死のうともしない。ただそこに存在するということの控えめな象徴としてしか存在意義を見出せない。タケルは喝破する。タケルはおどける。タケルは興じる。タケルは途惑う。タケルは産む。タケルはけたたましく喚く。タケルは還元する。タケルは衝動。タケルは禊。タケルは穢れ。タケルは生であり性であり聖である。タケルは目を瞑っていた。瞑想というには大袈裟な、タケル独自の精神統一を行っていた。タケルの前に何かが見えた。何かとは何か言い表すことを瞬時に否定するようなしかし蛮勇を持って言葉にするとすればトリコロールとでも言うべき色彩がタケルの目の前に現れた。それは懐かしく郷愁を誘うものだった。人間である以上だれもが経験したはずの甘く苦く辛く完全なる喜びに満ちた世界の残り香というべきものをそれは纏っていた。世界が有機体という無意味な連結によって作りあげられているのだとすればそのトリコロールは逆説的に世界が有機体であること述べていた。いや、述べていたのではない。存在として、そう、としか呼べない危機感と緊張感を漲らせていたのだ。タケルの無意識に滑りこむそのイメージを超越したイメージの波が無意識すら白日のもとに晒そうとしていた。無意識が無意識でなくなった途端にタケルは無意識の恐ろしさを二重の意味で知るのだった。無意識のコスモ。無意識のカオス。無意識の無意識。無意識をその尊大なる知性によって支配するもの、それが言わばトリコロールの役割だった。タケルは瞑想から覚醒すると自分の足が大地を未だ踏みしめているという感動に襲われた。人が二足歩行をはじめて以来これほど大地を踏みしめている感動を味わったのはもしくはタケルだけかもしれない。だがその感動がやがて引き潮のように去っていくこともタケルは自覚済みだった。無意識の深淵を遠く近くに眺めタケルはささくれたつ自分の心理を抑えようとはしなかった。すべてはありのままである。ありのままに生きる。タケルの心を支配したのは曼荼羅の中央に静かにだが厳然と存在する大日如来の見つめる光の世界だった。闇を切り裂く光の渦。そして光の生み出す闇。闇。光。タケルはどもりそうになった。あえてどもった。どもることで事態を引き伸ばししようとしていた。だがそれが無駄な抵抗だということにも重ね重ね自覚的だった。夢の覚醒を司る神がいるとすればそれは光そのものだろう。夢へと誘う神はすなわち闇か。すべてはタケルの無意識の問答だった。自問、自答。自嘲、自爆。自暴、自棄。自らのリミッターを外すことができれば人類はさらなる進歩を勝ち取ることだろう。それが破滅を意味するとしても。破滅こそ進化への門戸なのだ。闇を支配する光。光を支配する闇。無意識の光。無意識の闇。闇の無意識。無の闇。闇とは無。無こそが闇。光の支配を受けない闇。タケル。タケルこそが闇。闇とはタケル。タケルは闇。闇だ。タケルの無意識を支配していたのはまごうことなき闇そのもだった。完全なる闇。それは自由と似た響きを持っているとタケルはほくそえんだ。微笑した。僅かな感動の発露だった。求めるべきは光ではなく闇。あらゆる束縛から解放された世界それは闇。宇宙。タケルは半目を開いた。闇と光の間が眼前に現れていた。世界は絶頂を迎えていた。奈落する一歩手前。半歩手前を綱渡りで進んでいたのだ。タケルの奥にはすべてを知る闇が横溢していた。宇宙の鼻祖はタケルだった。闇を創りたもうたのはタケルだった。存在こそがタケルだった。自堕落の最高潮だった。夢見がちな年ごろだった。無人島を無邪気に崇拝していた。地球をサディスティックに愛していた。トマト果肉入りのゼリーを食べた。土佐節が頭に響いていた。ただの犬が猫に見えた。劇映画を親戚の叔父さんと観た。叔父さんは劇映画そっちのけで歌祭文を熱唱していた。喉が枯れ枯れだった。途切れ途切れの節回しの間中ずっと館内にテーマ曲が流れていた。オコシヤス。オコシヤス。手前三度笠。カッパ祭。叔父さんやめてくれ。いい加減にしてくれ。タケルの怒声に我に返った叔父は死への恐怖を笑い飛ばすことしか考えていなかった。それがいっそうタケルの闘争心に火をつけた。油を注いだ。引火した。爆発した。誘爆した。居直った。叫んだ。破壊を叫んだ。だが生真面目な小市民の群によってなかったことにされてしまった。それからタケルの孤独がはじまった。無人島への逃避行がはじまった。世界が終わった。太陽が満ち欠けをはじめた。星星が奔放な自由さを手に入れた。自由が言葉でなくなった。言葉がイメージと直結することに異議を唱えはじめた。クールに生きるための指標をタケルは探していた。山の奥の涌き水の冷たさに慄いた。風の暖かさが意外だった。草の匂いに包まれた。土の匂いが鼻を刺激した。鳩の糞が何かとても幸福なものの代償物に見えた。すべての価値が等価に見えた。大人と子供の関係が逆転していた。地上と空が愛撫した。軽いくちづけのあと泣いていた。もうそろそろ何もかもが終わるのだと老人は訳知り顔でタケルに言うが、タケルにはそんな言葉に現実感なんてなかったし、もしあったとしてもじゃあどうすればいいの、などとは訊く気になれなかったに違いない。だからタケルは夕日が沈む川面に映る自分と老人の見てくれの違いを丹念に入念に探すことでしかその退屈な時間を過ごせなかった。老人が自分の死期を悟っていたのだと知ったのは大人になり自分にもいつか死は迫ってくるのだなと他人事のように思ったときだった。老人が消え行く川面でひとり泣いていたのはだれだっけ。あの老人となぜタケル自身は友達だったのだろうか。近所の孤独な老人と無邪気な子供。取り合わせとしては悪くない。だが想像の世界で弄ぶにはあまりに鮮明だ。あまりに現実的だ。曖昧模糊としたものが一切ない。シャープ過ぎるくらいのシャープさを手に入れていた。老人の背格好を川面に映った映像でしか思い出せない。タケルの脳裏を支配しているのは澱みない川の流れだった。光の乱反射だった。夕日の搾り出すいろいろな赤、だった。タケルの足を老人が擦る。孫への愛しさを持て余しているかのようだ。世界は下劣だ。他人の臓物を食らって生きる餓鬼畜生の群だ。気取った聖人のマスターベーションだ。知恵遅れの反乱をなぜ人は想定しようとすらしないのか。火薬を準備しないのか。破壊を欲するくせに。なぜ皆殺しを肯定しないのか。なぜ闇を愛さないのか……。タケルは眼球の隙間から熱い液体が湧き出す感覚に忘我した。無意識の謀が熱い魂とともに溶け出していた。下半身が自分の所有物ではないみたいだった。産まれる前に借りた借金の担保だと思った。いつかは下半身を抵当に入れこの右手左手ともども差し出さねばならぬ日がくることを知った。ただ熱かった。ただ熱かった。ただ、熱かった。た。だ。ただただただたあ。そうら。ちきゆう。叫んだ。割った。泣いた。喚いた。おどけた。居直った。我に返った。とぼけた。寝返った。自己批判したくなった。午後午前零時に世界が射精する。魔法使いが現れて世界に魔法をかけるだろう。夢を見れなくなる魔法。怖い夢も楽しい夢も。無意識の緊縛。無意識の死刑宣告。ニュータイプの誕生だい。藤子不二雄の復活だい。復活祭。タケルの夢を預けた老婆に会いに行かなければ。夢が治外法権を適用される前に分散投資しておかねば。タケルの孤独な旅のほんの慰めを奪う権利がだれにあろうか。原爆の罪を一心に背負う少女を犯す気にだれがなろうか。畸形児の男根を性欲のはけ口に使おうとだれが想像しただろうか。タケルは怒る。すべてに。自らの意識そのものに怒りを覚える。なぜ世界は愚劣か、いや世界とは自分そのものなのになぜそれを責任転嫁するのかと怒る。怒る。笑わない。少女は笑わない。くすりとも笑わない。あらゆる人間性を剥奪され獣に堕ちた少女が見た夢のつづきをタケルは聞いた気がした。はるか昔に。囚われの身となった少女の悲しい思い出話を聞いていた。凌辱の限りをつくしたそのあとですべての男の男根を少女のハラワタに詰め込みこれが浄化などとほざいた小役人の顔をタケルは叩きのめした。顔面が歪んだ土器になるまで破壊し尽くした。己の罪深きをだれが責めようか責められようか。罪を背負うことが運命ならば甘んじて受けようではないか。少女のその欺瞞を一切排除しようとする賢明さに比べたらタケルの行為など何の英雄的行為でもない。ただの殺戮でしかない。絶望がタケルを浸蝕しはじめていた。少女の顔から精気が失われていた。それに気づきもせず相変わらずの愚鈍さでタケルは顔面を強打し続けた。コンクリの床に抽象が描かれているその瞬間に罪という罪、穢れという穢れ、破壊という破壊が世界を凌辱しはじめていた。少女の魂が無かったこととして世界にシカトされはじめていた。いじめて貶めて…。マゾヒスティックな囁きだけがタケルの触角をくすぐった。舐めた。搾った。吸い上げた。タケルの凌辱がはじまった。絶望が友達面して現れた。絶望が絶望を呼んだ。絶望の先に何が見える? 絶望さ。絶望の先には何もない。何もないのが絶望だから。希望という粉薬が気休めにもならないと囁いているその正体が絶望なのさ。気狂いはじめた処女のアヌスに白い液体が流れ落ちる。懸命に悦楽を貪る悪魔が少女を仲間に誘い込む。タケルはただ物事の把握に精一杯でこれといって何も行動できない。そのあとでゆっくりと後悔しはじめるころにやっと気づく絶望の感触。やわらかく絶対的な感触。絶望。闇。永久。終焉。何かの終わり。純粋な終わり。何も期待させない。ただ、溜息と耳鳴りの世界。すべては抽象の中にある。タケルのハートはタケルのものでしかない。そう気づいた朝。タケルはひとりで食事をした。たったひとりでだ。孤独すら連れては行かなかった。たった純粋な純潔な独りぼっちを携えて食事したんだ。タケルの夢を聞きたいかい? それを聞いた直後に死んでもいいかい? タケルの夢。幻。幻想。ミメーシス。メタモルフォーゼ。無の誕生。思春期の終わり。無意味な葛藤。タケルはコーフィーを注文した。それとホットドゥッグ。萎びた陰茎を連想させるホットドゥッグを頬張りながらガラスの向こうのせわしなく歩く群畜を観た。不格好な動物。何のために生きているのかわからない。自分は生かされているのだという屁理屈で成り立つ程度の生き方しかできない愚か者。愚者。グシャ。噛み砕くほどの手ごたえさえないホットドゥッグアンドコーフィー。ミルクのとろりとした白さが純潔を訴えていた。おまえはもう汚れてしまったのかい? もう洗い落とせないほどの穢れを知ってしまったのかい。何をコーフィーの漆黒を誤魔化すことしか知らないミルクごときが偉そうにおれに説教を垂れるのだ。おまえは欲情の眼差しか。まびさしか。タケルは言い放った。愚か者め! 逆説的にタケルは我の愚かさを知るはめになった。自らが愚者であると気づかされたものは、どうやってあとの人生をなし崩しでなく生きていくにはどうすればよいのだろう。タケルは観た。世界を。すべてを。まやかしを。幻を。それが現、実、だと認識するには百万光年の歳月と超新星の爆発を見届けるだけの勇気を必要とした。ビデオテープが存在した。タケルのすべてを記憶したビデオテープが。すいません、ビデオテープを観たいのですが。どうか観させていただけないでしょうか?? タケルは喝破した。魂の浮遊を無邪気に信じるその店員はタケルの異常さに今までに感じたことのない畏敬の念を感じずにはいられなかった。自らがこのタケルという世界で唯一無二の不確かな存在の情念によって創り出された、言わば書き割りのようなものだと気づきはじめていた。防衛本能によって必死に無意識的に抵抗はしたものの無意識の奥にタケルが存在することを知って、それ自体がタケルへの帰巣本能だと気づいた。ビデオテープには何も録画してありません。店員は必死の見解と陳謝ともとれる発言を腹話術の人形のように抽象へと還元していた。無への憧憬が口から溢れそうなのを堪えるので精一杯で、しどろもどろだった。だから、今から、録画、するんですよ。予断を許さないタケルにとって、この言葉が地上で吐き戻した最後の言葉だっただろう。だからいまからろくがするんですよ。はあ、と気のない返事決して誤魔化そうとたわけではない店員の返事によって事態は有耶無耶、そうみんなが口をそろえて言う、有耶無耶に帰結しようとしてもがいていた。バタバタと足をばたつかせていた。くだらない遠吠えが世界のはじまりの合図に聞こえた。タケルはいったんビデオテープを店員に預け、自分は再びホットドゥッグをコーフィーとともに咀嚼することにした。回りくどいやりとりは好きじゃない。それがタケルの主義だ。愛、それは愛。そうつぶやいたとき、トリコロールが現れた。タケルは完全に意識を失った。そして覚醒した。世界の凌辱と罪を無数の男根とともに背負った少女がタケルの網膜を犯しはじめた。あたかもビデオテープが予期し得ない映像を知らぬ間に録画していたかのようだった。リアルな夢にも似ていた。だが、夢だった。これはリアルなどではない。夢の終わりのリアルさだった。タケルはすぐさまその食事を終え、孤独を焼き払わなければならなかった。世界を創造するのと同じだけの手間暇をこの一瞬でこなさなければならなかった。だが、タケルには自信と確信と手ごたえと自己憐憫が綯交ぜになって、発酵しかけていた。ドゥマゴ! 世界の意志を知った! タケルは腹いせのこもった善行をもって少女へと近づいた。近づきすぎてすべてが無に帰りそうだった。やああああああああああああああ。やああああああああああああああああああ。ディゾルブとエフェクトの嵐の中ただ確実なのはタケルという存在そのものだった。少女よ君は何が欲しい。何も欲しくない。それならばぼくに君をくれ。君のすべてを存在そのものをぼくにくれ。タケルは馬鹿の一念でそれを繰り返し唱えた。もし群衆が聴いたならば新種のトーキー人形かと思ったことだろう。秀才は嫉妬し、天才は滅ぶ。生き残るのは愚か者。タケルは救世主か! 意外なリアルさ、とは何か? 処女ですか? はじめてですか? セックスってイメージの補完なんだよ。お互いの幻想とリアルを溶け合わせて新しいイメージを発生させるためのトリックスターなのさぁ。うふふ。うふふふ。あはは。あははは。おほほほ。いひひひ。ロック! セックス! ドラッグス! 大麻草! 万歳! タケル、GO! 少女は意外な率直さでタケルを見つめていた。お兄さん、タケルさん、自由に生きるって何ですか? なぜ世界はこうも不自由を強いるのですか? 教えてください。いえ、せめて考えるヒントをください。タケルさん。わたしは、生き難い。生きるのがヘタクソなんです。だから、みじめな処世訓なんかではなくどうか、気の利いた美辞麗句をわたしに浴びせて、まるでどろどろのザーメンみたいに。タケル、GO! タケル、FIGHT! タケル、BOB! 君のスタイルなんかどうでもいいんだ。ぼくにとってはね。君自身にとっては、非常に重要なことだろう、スタイルは。それによって君の知る快楽や憎悪がだいぶ違ってくるからね。外界から受けるストレスもすべて君のスタイルの出来不出来に左右されてるんだよ。そう、今、君自身のスタイル、それだよ。わかっていると思うけど。スタイルは永久に変わらない。永久に変わらないもの、それが絶望。そう君のスタイルはもうすでに絶望へと突き進んでいるのだよ。絶望。それについて考えろ! 少女よ処女よ。絶望について考えろ。いや、感じろ。見ろ。見るんだ。絶望はもうすでに、そこに、ある。ただ、見えないだけだ。見ようと努力しなければならない。だが見えない。そうまるで自分のケツの穴のようだ。菊紋のようだ。鏡? なるほど鏡に映せば、見えるかもな。だが、それがいったいなんだというんだ。それがいったい何を見たということになるんだね明智くん。少女よ――タケルは問いかける。少女の疑問を打ち砕く波のように淡いきらめきは汚辱のスパイスとなるしかないのか。タケルの絶望の穴をだれが見るのか? こいさんまん。どんたこす。ったら、ドンタコス。うるさい。うるせえ! 死ね。消えろ。とばっちり。殺せ! 自由という言葉があるから、自由でなくなる。自由に縛られる、不自由になる。だから? だからなんだってえの? 乙女ちっくなのはおっさんのほうだ。青春を作っているのは不幸な大人のノスタルジー想像力。乙女を少女を作っているのは精子にまみれた思春期の妄想のはけ口を求める大人のエゴ。それらにのせられるのは、汚い大人になることでしか生きられない大人未満の子供たち。なあ。おい。わかっているんだろう、乙女よ。いや、薄汚れたオヤジよババアよ。恥を知れ! この守銭奴たちめ。聖が濁、濁が聖。聖濁一体。イメージが人間を奔放にすることもあれば、イメージが人間を萎縮させるときもある。そのイメージを生み出しているのは、もちろん人間だ。人間は自分を自分で褒めたがったり、貶めたがったりする生き物なんだろう。なあ、タケル。タケルと少女の関係をありふれた美辞麗句で喩えるならば、比喩の有効性と無効性、パラレル! と喩えることができる。平行線のまま。なあ、罪深き少女と勇敢なタケルよ、ともに手を取り、世界を暗黒の闇から救ってくれ。闇である少女と光であるタケルの交歓こそがこの絶望という名の列車の乗り換え切符なのじゃようう。憐れな川面の老人が今際の際で言った言葉、金輪際聞くことはなかろう。だから、タケルは、聴いた。悲しむ心の中で聴いた。そして、悟った。川面の老人の意味を。老人は絶望の虚像、だった。言葉にすると虚しいな。だがあえて、した。それがタケルの仕事なのだから。何が絶望か、すべて、だ。言葉という言葉、すべてが、絶望の繰り返しでしかない。やっかいなのはそれが創り出すイメージが希望に似てるからだ。だから、世界はややこしい。シンプル、じゃ、ない。なぜ、パン屋の作ったパンが、そのときパン屋が考えたイメージの象徴だ、とあなたたちは言えるのですか!? そこの認識を改めなければ、絶望の克服はありえませんよ。取りこんでしまいなさい。洗濯物。やっほー、たのしいぜ! タケルは白い色が好きだ。黒も好きだ。濃いブルーも好きだ。淡い桃色も好きだ。えげつな。そういうことで言えば、彼女は白と淡い桃色の折衷案だった。ところどころに濃いブルーを刻んだ、頼りない、折衷案、だった。だから、愛した。愛し合った。絶望を乗り越えてふたりは愛し合えた。夢みたいに。マクドーナルドと不思議なイントネイションで発してみる。イントネーションは言葉の印象という意味で大変重要だ。まあ、文字の上では読者に委ねるしかなかろうが、とタケルは思った。少女に名前を訊いてみたくなった。世界に名前をつけよう。そうだ、マクドーナルドと仮に世界を呼ぼう!スポンサーさん。そして少女を仮にホットドゥッグと呼んでみよう。これでだいぶ整理がつけやすくなっただろうワトソンくん。人間の想像力は無限だ。人間が有限ということに気づいていない馬鹿にとっては。うしゃしゃ。タケルはホットドゥッグを抱きしめた。抱き、締めた。悶絶卍固め。ホットドゥッグは、絶望という名の泡を吹いた。射精した。それで、すべてが、終わる。わけはなかった。マスタード、おかわり。
 その晩、タケルがうつらうつらしていると隣室から女の喘ぎ声――これこそタケルの睡眠を阻害する元凶――とともにこんな歌のようなものが聞こえてきた(隣室の住人は自称「朗読ボクサー」らしい)。
  今日も今日とて人が死ぬ
  今日も今日とて犯される
  明日が明日で絶望が希望のふりして現れる
  忘我忘我絶望が、友達横顔溜息混じり
  今日も今日とて人が死ぬ
  今日も京都で人が死ぬ
  明日が明日で憂鬱だ
  憂鬱だけでは生きられない
  憂鬱なしでも生きられない
  リズムとビートとフレーズが必要ジャポンの現代喜劇
  構ってられない殺人事件
  護身術を身につけろ
  武装解除を宣戦布告
  富国強兵軍国万歳
  突飛な発想、剽窃三昧
  ころんだぶすが割った卵を拾ってあげたら性格美人
  頭が良すぎて身動きできない
  純粋過ぎて捻くれた
  批評と詩歌を口ずさみ、行くぜ、現代ジャッポン新宿西口駅前広場!
畸形児を産みたがる少女に出会った午後
アマノガワタケルという人間は確実に存在する。虚構ではない。むしろ虚構なのはアマノガワタケルの控えめな代弁者実況解説者であるわたしであり、あなたである、などとコンフューズ気味な歌を口ずさみながらタケルは今日も闊歩する。喇叭! 獣欲な淫欲をセックスという名で還元しながら溢れ出した精液に辟易とする。小我に翻弄されるタケルはタケルであってタケルでない。言わば偽タケル。贋作野郎だ。贋作野郎は再び闊歩する、闊歩れ闊歩れ、と。夢足気分な午後の商店ガイな男前である。機嫌が良し。天気良し。すべて良し。絶望くそ食らえなテンションアテンションプーリースだっはっはっ。ロマンチカ、おまえんちか? タケルはいつものように屁理屈堂商店街西3番地中央左寄りを散歩する。散策する。あーでもないこーでもない商店の数々を突き抜けアナル一番街へと行きつくのがお決まりだ。ただそれだけなら何の問題はなかった問題なし異常なしのはずだった。だが、不幸はそうとは気づかずやってくるの教訓の忠実さでそれはやってくる。百万光年の彼方から運命論者を背中に負ぶってスケートボードでやってくる。滑ろうかい。そうかいそうかい。予定調和の嵐の中をタケルは腰の低さと生来の真面目さだけで渡り歩いてきたつもだった。だがそれも今日の午後4時44分44秒までの出来事だった。ビデオテープ。巻き戻し。頭出し。タケルはアフタヌーンウォーキングに出かける前に届いた宅配便のビデオテープを非解放してきた。ついでに永遠という命名をしそのビデオテープ永久機関足らしめようとした。その目論みが成就するかポシャるかは一重に世界のあり方に関わっていた。すべての結果は無関係な他者の行動によって当事者の知らぬままに発生するのだ。また然り。永遠を巻き戻すと一体どこに辿りつくのか、午後の安穏を打ち破るには滑稽な演劇実験室だったような気がしていた。永遠と刹那の狭間で右往左往するビデオデッキを無言で犯しつづけるビデオテープにタケルは拍手喝采を贈らずにはいられなかった。永遠を今が良ければそれで良い主義のやつらの定義するところの今によって破壊できるかがその実験の最たる目的だった。アメリカナイズされたライフスタイルが流行り廃る昨今一世風靡するものは現出するのだろうか。いやしない。いやする。賛成否定に別れての殺しあいだ。だれかとだれかがお互いに会いたいと思うことを愛し合いたいというらしよヤッホー死ね。BBS。ブスブタセックス。BBS。ブスでブタみたいな女のセックス。吐瀉物で気管詰まらせて消えろ。失せろ。絶望をフィストファックだダダダダダーっ! タケルはとんぼ返りしたくなった。あまりにその散歩が徒労じみているからだ。なんの解決策も浮かばない。ただ無意味な虚無の群が眼前を遅々と通りすぎていくだけだ。ビデオテープはどこまで巻き戻っただろうか。永遠の折り返し地点ぐらいには到達しただろうか女子高生。今日のおととせなんと聞くやら。アナル一番街の目抜き通りにはたくさんの花が飾られているそのどれもが鳶色だ。赤い鳶色、青い鳶色、黄色い鳶色、白い鳶色、桃色の鳶色、灰色の鳶色、黄金色の鳶色。たまにどす黒い鳶色なんてのも見ることができる。そんな花々を眺めて芳しい香りに身を委ねているとタケルはときたまあっちの世界に行っちゃった気分になれるのだった。ここは桃源郷だ阿片窟だシンジケートだ。ロマンチック。夜尿症の子供を預かる会のある四つ角を気のない素振りで右往左往。タケルは、思う。タケルは、思考する。人類が完全なる平等を勝ち取る日を。タケル革命を。何故こうも世界は愚劣か。おれはなんて非力な野郎だ、とタケルは自分を責めたててみるフリをする。タケルは世界の新世界への脱皮を心待ちにしている。だから、耐え忍んでいる。今の仮の姿に。恵まれない子供と恵まれすぎて引きこもっちゃった子供たちの交流を活性化させたい。アイドルとオナニーキングの相互理解を! 犯罪者にマザコン弁護士を! やぶ医者に包茎手術の権利を! タケルは、考える、以上に行動する。考える、そして、行動する、そしてまた、考える。そのルーティンワークによって世界を認識しようとする。確実に見える。だが、遠い未来のために。やっぱり人間は平等ではない。学校では教えてくれないこと全集に追記だ。タケルは確信する。人間は平等ではない。不平等どころの騒ぎではない。人間と非人間とのあいだには暗い絶望という名の風の谷がそびえ立っている。轟轟、と風の音がする。まるで息をする前に死んでいった赤子の怨念のようじゃ。タケルは完全なる絶望を垣間見る。眼球の接点から弔いの液体を放出する。自己欺瞞野郎め! もうひとりのタケルがそう糾弾する。やめてくれないかタケル、ぼくを責めないでくれ。ぼくは、ぼくは精一杯やったYO。黙れ黙れこのアヌス馬鹿! よくも抜けぬけとそんなことが言えるなオナニーキング!おまえは一体今までにどれだけの精子を殺してきたんだ。大量殺戮マニアめ。おまえは生きる屍を蹂躙してきたんだぞ。おまえに何ができる。百の善行もたった一つの悪事で無に帰すということを知らないのか? ならば、ぼくは千の善行を成そう。生温いわ! おまえのションベンくらいにな。タケルは自問自答の檻に迷い込んでいた。もはやアナル一番街を抜け栗貫き地蔵前へと到着していることすら忘我していた。もうひとりのタケルは攻撃の手を休めない。それどころか駄目押しの一発をかませる。タケルよ、おまえはタケルだ。だが、おれもタケルだ。おい貴様、自分が本当のタケルだと思い込んじゃあいねえか。べらぼうめ。おまえもタケルだがおれもタケル。果たしてどっちが本物か。けけけ、その顔、気づいちまったようだね。そうだよ、そう。おれもおまえも本当のタケルじゃないのさ。へへへ。所詮は同じ穴のムジナよ。本当のタケル? さあな。今ごろ絶望という名の暗黒で発狂したあげくにのたれ死んでるんじゃないのかい。なんなら探しにいくかい、偽善者! おれは偽悪者、おまえは偽善者。けけけ。娑婆じゃどうかしらねえがブレインじゃおれの方が幅きかしてるんだよ。おっと、どこへいく? 偽善の貫徹だあ? 冗談も休み休みにしろ! おまえも気狂って死んじまうぞ。おい、待てよ。なんて意志的な目をするやつなんだ。あんな目をするやつ見たことねえ。おい、偽善者! おまえをそこまで突き動かすものはなんなんだ? おい、理解不能だ。偽善者タケルよ。タケルは目が覚めた。いや、もとより覚醒していたのだ。偽善と偽悪の対話はなし崩しにロードムービーへと変貌していきそうだった。ヒッチハイクでもするつもりか。いや、それよりもタケルの心を捕えて放さなかったのは、第三のタケルの存在だった。偽悪者の口ぶりだとそのタケルこそが真のタケルということになるらしい。急がねば、抜き弁天。あれれ、こんなところに吉野家あったけかな。牛丼特盛ねぎだく精子付きで。あ、トッピングでマカロニウンコも。タケルはとりあえずこの二重写しの旅にテーマを付与することにした。したり顔で申せば、旅のはじまり、つまり原点を見失わないためだ。旅とは帰る場所を持つ人間のみに与えられた少しだけ気恥ずかしい思春期への逃避行なのだから。世界がなしくずしに崩壊する夜にしたためた宝の地図。それがこの旅のテーマだ。ロマンスだ。アドヴェンチャーだ。次にすべきことはもうわかっていた。迅速かつ正確に運ばれてくるであろう、牛丼。その行為者である働く青年たち。男女。そいつらに控えめな謙虚さを礼をつくしてとばっちるネイムを授与することだ。包茎。包茎2。処女。処女膜。そしてチーフであろう老人には遅れてきた青春群像。タケルはあらゆるマイノリティのスケープゴートを応援する立場に自分がいることにその命名行為によって自覚させられた。包茎、飯を盛る。包茎2、手持ち無沙汰。処女、お茶。処女膜、会計。遅れてきた青春群像、抜け目のない気配りオンリー。包茎、具、盛る。包茎2、ボサノバ。処女、お茶、あちち。処女膜、弐千円札に渋い顔。遅れてきた青春群像、お客様は神様以外の何者でもない精神統一。包茎、包茎2に牛丼特盛キラーパス。包茎2、ねぎだくですシュート、ポストに嫌われ、再び包茎へ。処女、ロックを口ずさむ。処女膜、知り合いが訪れてきて思わず友達口調。遅れてきた青春群像、たしなめる。包茎、舌打ちしながらねぎ追加。包茎2、むずむずする。処女、包茎2を視姦。処女膜、冷やかさないでよー。遅れてきた青春群像、きりきりまいくらきまい失笑。タケルは相変わらずのノーテンキでその一部始終を黙視する。包茎、パス。包茎2、スルー。処女、ホイッスル。処女膜、ロストヴァージン。遅れてきた青春群像、逝く。涙する一同。神妙な顔だが頭では牛丼を臓物に詰め込むことばかり考えている。家畜の群だ。タケルは黙々と食べる。精子がついていないとか、マカロニはどうしたとか、そんなクレイマークレイマーはないない。ただ、人生は過ぎ去るのみ。なあ、一度でいいから、青春について語り明かしてみたかったなぁ、とタケルは弔いの眼差しで彼を見送る。おれからのレクイエムと供え物のエクレア。ルサンチマンてどんなやつ? もう昼って言うよりも夕方に近いって言うのに、店内はほぼ満席だった。タケルは細長いコの字の、入り口から見て右側の一番奥から二番目の席に座っていた。そこがトイレに通じる道筋だということに気付いたときは、後悔する気にもなれなかった。ドアの開閉と聞こえるはずもない小便の音を不快に感じながらいつもながらの素早さで眼前に現れた牛丼を大急ぎでかき込んだ。ふと左側を見る。そこには自分と同じように牛丼をかきこむ人々の姿が奇妙な規則性を持って並んでいた。家畜の群だ。タケルの脳裏を掠めたのはそんな独り善がりな言葉だった。タケルは牛丼を食べるたびに、そんな嫌悪感を抱かずにはいられなかった。だからこそまるで修行のように、タケルは食べる、のかもしれない。おやおや、ペシミスティックさんよう、御機嫌麗シュワルツネッガー的演劇論。主のいないあいだに、既成事実でも作っておこうってことですかい。何度も言うようだが、不幸とは不幸と気づかないから、不幸なのである。今日からおまえのことをペシミスティック略してペと呼ばせてもらうぜ。だったらおまえはオプチミスティックとでも呼べばいいのかい? 略してオ。そんなところだ。なあ、そんなことよりだ。聞いてりゃ、抜けぬけと、何が、家畜の群だ、だ。聞いて飽きれるぜ。自分もそんな家畜に成り下がった卑しい存在ってか。自己憐憫もたいがいにしろ。おまえは偽善者なんだぜ、似非ペ、なんだぜ。ふん、それならおまえは似非オか。包茎の気持ちを考えたことがあるか? ペ、よ。オ、よ、おまえはじゃあどうなんだ。今日は強気だな、ペさんよ。ああ、勿論だともおれは考えてるぜ、まるで自分のことのようにな。あいつらはその包皮のせいで二重の隠蔽を行っているんだ望むと望まないとに関わらずね!それもこれも社会が悪いんだ、ジャポンが悪いんだ、世界が悪いんだ!この苦しみをわかられてたまるか!世界は愚劣だ。平等という名の建前を不平等の施行によって逆説的に実践しているという皮肉だらけさ、ペ得意のアイロニーさ! ふん、オよ、何を勿体つけてるんだ。おれにはわかっちまったぜ、おまえの魂胆が。言ってやろうか?マイノリティ気取りさん。ハンデキャップさん。なんだこのペめ偽善者め! だまれだまれ、この似非偽悪者め! そうおまえは似非偽悪者、すなわち偽善者なんだよ。ああああああああああああああああああああああああああああああああおああああああああああああああああああああああああああおれはおれは偽悪者なんかじゃない。ただの崇高なる偽善者だったんだぁ。タケルの意識はいささか混濁気味だ。休息をとる必要があるかもしれない。だが、とるわけにはいかない。いかないのだ。すいません、お勘定。包茎2、素早い対応。おーいおいおいおいおれ様は単なる偽善者だったのか。とるに足らない偽善者野郎か…。オ、いや、似非偽悪者、いや、真の偽善者よ、いいじゃないか偽善者だって、おれはさ気づいたんだ、自分が偽善者じゃないって偽悪者だったんだって…わかるか?そう、おれが偽悪者でおまえが偽善者だったんだよ。よくあることさきっと。新生児の名札の取り違えによる運命の悪戯みたいなものさ世の中なんてそんなもんさ。露見ロールってやつか…? うん、そうとも言うな。じゃあ、おれは今日からたった今から偽善者…でいいんだよな…偽悪者よ? ああ、そうだよ偽善者くん。偽悪者…くん! ビジネスの上に友情は成り立つが、友情の上にビジネスは成り立たない、と中小企業診断士の資格を取るのが人生の目的のOくんが言っていたのをタケルは思い出していた。その言葉を聞いたときタケルは小さな反発心を覚えたのを記憶している。ビジネスの前では友情さえ打ち砕かれる、とでも言いたいのだろうか。タケルはあのときOに何か言い返してやりたかった。でも言い返したとたんに喝破されそうで言葉にはできなかった。でも、今なら言えるだろう。それが、聞き齧った人には惨めな戯言に聞こえようとも。勇気と確信を持って、友情ほど強い絆をぼくは知らない、とね。なあ、偽悪者よ、お前は空が好きか、それとも海が好きか? ん、おれか、そうだな、海…いや空…むずかしい質問だぜ。多分、両方、かな。だってさどちらかを好きじゃないって言う理由はないだろう。きっと空と海がまるで手をつないだみたいに見えるときがあるだろう、ぼくはそれが愛しいな。ふふふ、きっとそんな答えだろうと思ったさ、さあ、行こう。ぼくらの旅はまだはじまってもいないぜ。ああ、そうだな。HEY、タクシー。388円それがおれの価値。タケルはいささか自棄気味に自分を品定めした。牛丼以下。この道の名前はなんて言ったけかな、とタケルは小首を傾げた。アーケードのこの道には立派な名前がついていたはずだ。ビートロード…いや、サンロードだ。しょっちゅう見ているはずのその看板を改めて注意深くタケルは見直した。見ているようで脳までには達していない。人間の感覚なんていい加減なものだな。タケルは訳知り顔で納得した。サン、ロード。太陽の道…か。いいじゃない。おれらはいつも太陽の道を歩いてるってことか、王様気分だぜ。違うよ、お兄さん。まるで既知の知人が他人のフリをしたみたいな声のトーンでタケルは話しかけられた。ここは青空キャバクラか? お嬢ちゃんはなんて名前なの? 政子でーす、よろピクニックきんのすけ。政子と書いてマンコって呼びます。本当ですよ。由緒正しい名前。かの北条政子さんからいただきました。政子さんね、ああよろしく。違います政子と書いてマンコだってば。文字の会話だからって手え抜かないで、ちんぽだけにして。お兄さん、これなんて呼ぶか知ってます。政所。…まんどころ。ピンポーン、お兄さん日本史得意だった? じゃあ、今度はこれね。政子。なんて読む? まさこ。うーんイケズ後家。人間とは学習する生き物である。ちみ、それ、ネタ、だろ? ネタじゃなくて、歴史の本音よ。教育上よろしくないからって歴史は捏造、隠蔽、歪曲、凌辱されてきたわ。わたしたちは、こう言うべきよ。北条政子、ってね。ここに署名お願いします。北条政子を歴史の凌辱から解放する運動です。お願いします愛液一杯で救える命があります! はいはい、アマノガワタケル…っと。ありがとうございます。でもなんでまるで匿名性を強調し没個性化をはかるまるでRPGの主人公を思わせるかのような片仮名名前なの? もったいぶらずに漢字表記にしなよ。それともそうでもしないと薄っぺらい自分が露呈してしまうの? うるさい女だな。あら、わたしは政子ってちゃんとした名前がありますもの。なあ、すまないがここいらにしてくれ。おれは旅の途中、なんだ。旅って、どこに行くの? あてもない、無意識の旅さ…。ふーん、よくわかんない。アーユークレイジー? アイムノットクレイジー。アイアム、オール、オブ、ザ、ワールド。じゃあな政子ちゃん。バイバイ、アマノガワタケル。果たして、タケルは自分が嘘をついてしまったのでは、とその別れの直後に考えなければならなかった。というのも、旅をしているのは、偽善者と偽悪者のタケルであって、今ここに確固たる存在として徒歩ってるタケルは旅というよりは散歩レベルなんだもん。ただね、タケルは持ち前のロマンチストブリを発揮してただの散歩を旅と拡大解釈して言ってみせたのさ。だから、嘘ではない。嘘ではないが…自己欺瞞だ! 自分に嘘はつきたくない。自分に嘘はつきたくない。それがぼくらの合い言葉、だったはずなのに。青春は過ぎ去ってからその価値を知るもなんだなあ。永遠のビデオテープよ。アイアム、オール、オブ、ザ、ワールド! アイム、ノット、ア、ライアー! 自己欺瞞はいやだっちゃ。自分に嘘はつきたくない、ポップスの歌詞にするのは簡単だけど、ぼくらにはとても真似できない。だから無意識の旅を続けるのさ。二重の意味でね。世界がなし崩しに崩壊しそうだった。宝の地図には、何か気の利いた真実のひとつでも書いてあるのかい。なあ、偽善よ。なんだ、偽悪よ。おれたちは、自分たちのことを存在感の薄い抽象だと思ってきたよな。ああ、とてつもなくな、だから偽悪者、偽善者と具体性を強めるために回りくどい言い方をしてきたんだものまあそれも五分前にやめちまったけどな。饒舌だな。少々疲れているからかな。ふう、おれは最高潮に疲労だぞ、偽善よ。おれは本当にこの旅をなめていたかもしれない。おい、なんなんだ。この無意識のつかみ所のなさは…。偽善偽悪の比じゃないぞ。ああ、気づいていたさ、偽悪よ、おれもな、ただ、おれが先に根をあげるわけにはいかなかったんで、だんまりを決め込んでいたのさ。ふ、いよいよお前も焼きが回ったようだな、説明臭いセリフ吐きやがって。まあ、おれの方がさきにダメになっちまいそうなんだがな。偽善よ、おまえもだぞ、説明セリフ。お互い様だな。ははははは。なし崩しだぜ、世界は。なあ、自分に嘘はつきたくない、ってお前言ってたよな、偽善のくせに。ああ、。若かったぜ。実はおれも好きだったんだ、その言葉。偽悪! 偽善…。なんだか、似合わねえな、その名前。偽善、偽悪、偽善、偽悪…。もうどうでもいいな。おれはさどっちでもいいよ、自分が偽善か偽悪かだなんて、そんなこと。それよりもさ、ただこう言いたい。自分に嘘はつきたくない、ってね。おれもさ、偽…、ギ、ギ、ギ、ギ、ギィィィィィィィィ。やっとひとつになれたね。タケル、ぼくらひとつになったみたいだよ。もう喧嘩する必要もなくなったよ。ちょっとノスタルジックセンチメンタル過ぎるかな。タケルは、猛烈に泣いた。号泣、した。涙の一粒一粒が偽の形に見えた。おう、涙声のタケルはできうる限りの気安さでそいつに声をかけた。旅はまだ終わっちゃいないぜ、自分に嘘はつきたくない、よ。タケルの無意識を旅する旅人…自分に嘘はつきたくないはゆっくりとだが、確実にその歩を進めつつあった。楽観はしていなかった。が、アウフヘーベンという言葉の手軽な旨味にはまったわけではないのに、タケルには胸騒ぎがあった。この散歩はただじゃ終わりそうにないな、と。そしてまた、タケルにあの言葉が甦る。不幸は友達面してやってくる。気づいたころにはもう遅い。クライマックスファクター全自動洗濯機。結局、タケルはいつも通りの散歩コースを歩いて屁理屈堂商店街入り口まで戻ってきた。どすこい。のこったのこった。のこったああ。のこったああ。上手投げ。時代遅れの街頭テレビがSUMOを放映している。タケルは途端に永遠のビデオテープのことを思い出した。いい加減巻き戻ったんじゃないか。いや、永遠のビデオテープだぞ、そう簡単に巻き戻るわけがない。もう一周ぐらい散歩を続けるか…。わたしは道標を失った陰部。孤独という名の迷い子。午後4時44分44秒をお伝えします。屁理屈堂商店街自慢のゾロ目時計が事務的を装ってそう伝えた。右手で敬礼し、左手を水平に伸ばした男と女と畸形児が六人いっせいに時計から現れる。あれで4のつもりらしい。タケルが呆れたという記号を表示したとき、その子が声をかけてきた。すいません、道をお聞きしたいのですが…。はい。ブーンガクッ小児科病院を探しているんですけど、わからなくて。ほうほう。御存知ですか? うんにゃ知らん。あ、そうですか…。あっちに交番があるから訊いてみるといいですよ。わたし交番きらい。なんか偉そうでしょ? ああ。それに自分の力で探さなくっちゃ意味がないんです。なんでまた? かくかくしかじかへのへのもへじ、という訳で。なるほど。でもなんでまた、そんな注射を打ちたがるんですか? 少女には乙女になる日が来るものなんです。でも、それを拒みたい。拒みきってみせたい。ええ、そうよ。スゥーサイドも考えたわ、でもそれは根本的な解決じゃないって気づいたの。ねえ、そうでしょ。だってそれはただの逃避だもの。たしかにそうよ、注射を打つことだって逃避よ。でも違うの。自殺はただの逃げ、でも注射を打つことは創造的逃避なの! わたしと同じ悩みを抱え、同じように苦しんでいる少女の指標にわたしはなりたいの。そう、それがとてつもなく危険だって、わたしは知ってるわ。でも、リスクなくしてリターンなし、よ。世界はとっても生き難いらしい、とタケルは思った。この可憐な花摘み乙女をだれか救ってやれないのだろうか。世界は少女のささやかな反抗にでさえ知らんフリだ。フリフリフリ。フリ、フリ、フリ。おれもこいつも世界も無意識もフリだらけだ。一体、本当なんてどこにあるんだ? 逆説を述べずに真実を言い当てる方法はないのか? タケルは強い憤りを覚えた。今自分にしてあげられることは、ブーンガクッ小児科病院をこの子のために探してあげることだろう。まるで彼女が独力で見つけたかのように装って。よかったら一緒に探そうよ、病院。いえ、悪いです。そんなに親切にしないで。いや、ぼくも今散歩中で、暇を持て余してたところなんだ。だから、気にしないで。きみのためというよりは、自分のための意味合いが強いんだから、な、自分に嘘はつきたくない。ああ。ああそうですか。じゃ、お言葉に甘えちゃおうかな。うん! 彼女は豪徳寺エリカという名前の高校2年生だった。屁理屈堂商店街の最寄駅から三つ先の駅のそばの都立高校に通っているらしい。学校は校則が厳しくないので楽しいらしい。でもなんでまたその注射のことを知ったの? 普通、少女には教えないよ、そんなこと。アマノガワさんは今いくつですか? 十九歳と九ヶ月。ふーん、じゃあこっちの人間ですよね。こっち? こっちですよ、ネバーランダー。ああ。また永遠のビデオを思い出した。が、すぐに彼女の言葉に集中した。エリカは携帯のメールをいじりながら、言った。大人はなんでも隠したつもりでいるけど、ネバーランダーは大人以上になんでも知っているんですよ。子供博士なんて言って大人はよろこぶけど、お笑い種ですわ。大人になるにつれて知識が増えると、大人は思っているけど、それはまったくの逆よ、生まれた瞬間が知識量は最高なんです。そして一呼吸するたびに一呼吸分の知識が減っていくの。だから、わたし、ときどき息をしない訓練をするのよ。閑話休題。大人は自分が子供だったときのことを憶えていないから、それを知らないだけ忘却してるの。知識はまるで水のようね。一生懸命に手ですくってもすくうそばからこぼれていくわ。少女の瞳は、遠くを見つめていた。まるで大人になった自分を見つめるように。眼にゴミが入ったみたい、とエリカは泪が出そうなのをごまかした。タケルは知らんフリした。だから、なの。潤んだ瞳に意志が宿っていた。だから、わたしは注射を打たなくちゃならないの。どうなるかわからないけど、畸形児を生むことがきっと人類の救済なのよ。もう欺瞞と誤魔化しと自己忘却だけの世界なんてまっぴらだわ。わたしたちの世代で終わりにするの。わたしの産む畸形児が畸形児でなくなったとき本当のユートピアが現れるのよ。トコシエが。トコシエ? そう、トコシエ。ユートピアの国名。そして、わたしたち乙女症候軍トコシエの名前よ。不幸は善人顔してやってくる、そうタケルは新しく書き込みたくなった。あ? あれ。いつまにか、目的地に着いていた。ブーンガクッ小児科病院、と閉じシャッターに殴り書きされている。え? あ、今日、土曜日、だよ。えええええええええええええええええ! 閉まってる。エリカは懇切丁寧にお礼を述べ、いつか一緒に闘いましょうと握手してきた。タケルはじゃあ、と言い背を向けた。振り向いてはいけない。彼女はもう乙女なのだから。タケルは自分まで乙女になりそうでこそばゆかった。ビデオテープ…。タケルは思い出した。そして、言った。きっと、まだ巻き戻ってやいないさ。なあ、自分に嘘はつきたくない!
ブルセラ少女の恥じらいと百貫デブの生きる知恵
アマノガワタケルは自分の名前がいささか大仰ではないだろうかまるでとってつけた取っ手のような名前だ改名しようそうしようではなんて名前にしようかなキンニクマンはどうだろうハードボイルドエッグ過ぎてだめだからルサンチマンにしようこれでエクリチュールチュルチュルバーンとでも言えば大腕振って繁華街を歩けるってもんだぜいそう今日からおれはやっぱりアマノガワタケル。これは回文ではない、となぜかアマノガワタケル改めずアマノガワタケルは言わずにはいられなかった。そんな日曜日。感性鋭い天才肌だが、運に恵まれない男アマノガワタケル。いささか犯罪傾向あり。結婚願望なし。などと自己分析してみたりもする。よゆうしゃくしゃくしゃくゆみこだ。寝不足のせいかタケルは頗る調子がいい。タケルは不健康ならば不健康なほど元気、という生きる逆説的身体能力保持者なのだ。タケルは歯を磨く。タケルは髭を剃る。タケルは陰毛も剃る。タケルは脛毛を剃毛する。タケルは視力矯正薄っぺらを装着する。タケルはトランクスのまだら模様を見つめる。穿く。タケルは白い半袖下着を食べる、いや、着る。ロマンチカ。萌え萌え。タケルはボーダーのトレイナーを被る。タケルはジーンズスラックスを穿く。タケルはちょっと笑う。タケルはウインドーウォッシャー液を飲む。タケルは下界を見下ろす。タケルはルーズなソックスをルーズじゃなく穿く。タケルは合い鍵を作る。タケルは合い鍵を空に向けて投げてみる。合い鍵は愛鍵になって降ってくる、わけはないのでタケルはキャッチーする。タケルは照明器具のスイッチをオフにしてみる気分で出かけるフリをする。タケルは実は役者だ。だからフリがうまい。演技がうまい。自分を日常の演技者だ、などと呼んで得意になったりする。でも、本当は芝居が嫌いだ。自己欺瞞の極地だからだ。あと、なんか芝居やってる人って暗いじゃん。小説家とかと比べてもさ。小説家深刻ブッてるからいいけど役者は唐、元気なぶん質が悪いったらありゃしないわ。ぅんがぅぐ。どっこいしょういち。自分に嘘はつきたくないが旅に出てもう数週間がたっていた。永遠のビデオテープは、‐9:99を表示したまま、まだ巻き戻りつづけていた。窓外の風は嫋嫋。空には鰯雲。タケルの金玉は全開、だった。空から天女が降ってきそうな真昼の決闘前、タケルの目下の演目は、自前のパンツを友達のと間違えたと言って修学旅行先の旅館を混乱に陥れその隙に乗じて日本沈没計画ならぬ女湯潜水計画の完遂を目論むテロリスト風池田亀太郎的小渕内閣組閣支援セクハラ委員会代表代行臨時顧問弁護する役を演じているあがた森魚の二番煎じカレーを食べる男、というのが、それである。空が紫だ。永遠のビデオテープ? そんなもなあ初めっからありゃしない。でもさ、永遠って、それが、永遠だ、と信じること、でしょ? だから、信じようよ。信じることからはじめようカルト教団。カルトに殉じていった者たちと、学歴偏重拝金主義的社会主義国家ジャポンに命奉げます的人生訓を生き抜いた人とどちらが幸せだったかなんて、あなたは言えるのですか? もし言えるんだった人間やめろ! おめえは人間失禁だ! 人糞だ! 生き抜いてレイプ犯! 幸せですかあなた今。幸せと幸福論者の化けの皮剥がしてみたい朧月よ、などと一句拵えて(字余り、こだわんなって!どうせ死ねば一緒)悦に浸るは…誰?お前? 控えめな苦笑い。それがしてみたい。それさえマスターできれば…。ぼくは一人前の役者になれるのに、とタケルはもう何度願っただろうか願掛岩を再び苦々しく思った。役者、もちろん舞台役者のことだ、もしもテレビや映画に出ている低脳クズマンコの数だけ愛がある的マネーロンダリング保持者を役者やと思っとる人がおったらそれは芸能界の甘い罠にまんまと嵌っているんですよ御主人。役者とは最早このジャポンでは京王井の頭線下北沢駅徒歩一〇分圏内小劇場でご活躍なされているニキビ面包茎少年少女たちのことしか指さないのですよ! 彼ら彼女らこそ真の役者であり、明日のブロードウェイを侵食するであろう日本演劇界のスカッドミサイルなんです。そうそしてその若手ナンバーワン最右翼こそがかのタケル様なのですよ、いやはや、おれは一体誰に向かって叫んでいるのだ喧伝しているのだこれではまるでおれが自画自賛安直ナルシストの手前味噌野郎だと思われてしまうではないか、自宅内ならまだしもこんなこと往来で言い始めたらあいつってちょっと自慢しーだよねって街の女子高生はおろか家なき子にまで言われかねないぞ自戒を込めて。役者とはリアルと虚構の狭間を生きる肉感的フィクショナリストなのだ宣言撤回文。そのためには日ごろの修練が重要だ。つまり日常、果たして現代の荒ぶる世界情勢の中の孤児ハッチ的ジャポンにおいて日常などという安穏フィクションがまだ一般大衆の実感として残っているのならば、おそらくは残っていない、少なくとも形而下では、自ら非日常的スタンスで捉え、日常の中に多くはないが決して少なくもない虚構への裂け目を不断の努力を持って観察洞察せしめもし発見したならば自らをその裂け目へと半歩滑り込ませなけらればならず、もはや自分を客観視などといった戯言は吐けなくなったときまさに自動虚構リアルトンネルアドバイザーとしての役者の役割をロールプレイングすることが可能となるのである。然らば、その屁理屈を実践せんとするならば具体的にはどうすればよいとあなたはおっしゃりたいのか?おしゃまんこ。つまり、自分自身の半虚構化である。それを提唱しているのは屁理屈堂商店街安心お買い物キャンペーン実行委員長兼乙女症候軍最高名誉外部顧問兼ジンバブエ国際大学肉体改造学部アララギ派実践演劇コース春期担当のオダイモクノベタロウ(本名OK・辻人生)でR。そしてオダイモクノベタロウを私淑するタケルは日々それの実践にのみすべての労力を浪費していたのである。一方……そのオダイモクノベタロウこと辻人生はまさにその人生の辻的状況の真っ只中にいた。というのも、屁理屈堂商店街の予てよりのライバルであった大手総合スーパーマーケット鉄仮面哲学屋がまさになりふりかまわない暴挙へと動きはじめていたからである。三年前にこの屁理屈堂商店街のある都下ココロノオアシス市に進出してきた鉄仮面哲学屋はその巨大資本を阿呆なまでにフル稼働し次々と近隣弱小商店を経営破綻に追い込んでいったのである。この鉄仮面哲学屋によって自殺に追い込まれた個人事業主は計り知れない。まさに鉄仮面! 血も涙もない! そんなジャポンのいたる旧商店街地区で見られた現象をすんでのところで抵抗しきれていたのが屁理屈堂商店街だったのだ。それもこれも、大人のおもちゃ屋さん兼屁理屈堂商店街会長のヘリクツワリクツノウチニハイランの辣腕ブリによるものだった。鉄仮面哲学屋進出直後の烈火のごとき生き残り戦争を地域密着お得意さんコミュニケーション親密化戦略によって何とか切り抜け、一年後の鉄仮面哲学屋との譲歩密約を結び、共存共栄路線を確立してきたおかげである。がしかし、三年目にしてとうとう鉄仮面哲学屋がその本性を剥き出しにしてきた。まさに鉄仮面を脱ぎ去ったのだ! 採算度外視の連日のバーゲンセール。二枚目俳優のマスコット起用による主婦層の支持獲得。子供包茎相談コーナーの常設。屁理屈堂商店街の内部分裂工作。不倫。離婚。子供の流産。蒸発。火事。育児ノイローゼ。お受験ストレス。突発性記憶捏造症候群。シンドロームシンドローム。その他数え上げればキリがないほどの攻勢により、今や屁理屈堂商店街は風前の灯になっていたのである。そして、今日の緊急屁理屈堂名士会議が行われていた。列席者は前出の会長ヘリクツワリクツノウチニハイラン、あーでもない不動産社長伊豆野ダンサー、創業三百年銘菓とかげのしっぽきり饅頭屋社長篠宮辰五郎、元東京ファミリー銀行ココロノオアシス支店店長杉作良太郎、そして辻人生のわずか五人であった。その他名士、幹部、商店街組合員はすべて死亡したか行方不明になったかあちら側に取り込まれたか、であった。皆一様に絶望の色を隠せず長い沈黙と咳払いが交互に繰り返されるのみだった。わたしが…とその鈍よりした雰囲気をさらに黒ペンキでムラなく塗り固めていくかのような美声を発したのは、齢七十七歳になろうかという杉作良太郎元支店長であった。みなからは親しみを込めてガンモドキと呼ばれている。わたしが、このココロノオアシス市に赴任してきたのはまだ社会人になったばかりの青春続行中二十五歳のときでした。今は亡き大平弾平店長にしごかれ屁理屈堂商店街のみなさんの叱咤激励になんとか応えようとこの街を活気ある住みやすい街にしようと、その一念だけで寝ずに仕事をしてきました。初めて社会の厳しさを知ったのもこの街ならば人の優しさを知ったのもこの街です。昨年死んだ女房ともこの商店街の福引が縁で知り合いました。まさに!この街がわたしの人生そのものだったのです!屁理屈堂商店街こそがわたしの生きる証だったのです。ガンモドキは上気し涙ぐんでいた。そしてそのガンモドキだけでなくその場にいた全員が眼を潤ませていた。この!この…この屁理屈堂商店街が無くなるというならば、わたしは死んだも同然です!いや、死よりも汚辱に満ちたものでしょう…。ガンモドキはそこで堰を切ったように泣いた。篠宮辰五郎がつられて嗚咽しはじめた。やかましか!このガンモドキめ!泣き言ば言ってどうすんねん。泣いてバショクば斬れと言うとか? 伊豆野、やめんしゃい。会長がたしなめた。問題は死に際たい。死に際を間違うとが一番見苦しか。もうわたしたちはやるだけのことはやった…あとはただ死ぬだけたい。会長があたかも昨日の晩苦渋の決断をしたかのように重々しくそう言った。ふふふしめしめ、最早こやつらは死人戦意喪失しちょうばい…そう心の中でほくそえんだのは辻人生その人だった。会長の言うとおりだ、みな潔く自決しようや。辻はこのままなし崩しにこの四人をこの世から抹殺しようと企んでいた。辻はつい昨日の晩かかってきた携帯電話の着信履歴を思い出す。オダイモクノベタロウ先生、いや辻人生さん、わたしが誰だかお分かりかな?そうです、鉄仮面哲学屋のロバートですよ、社長の。ふふふ待ってください、決して先生にとって悪い話じゃありませんよ。いえいえその屁理屈堂商店街のことですよ。あの老衰しきった、ね。あの商店街の最後の砦があなたがた名士会のみなさんなのは言うまでもありません。そこでそのメンバーの一人であるあなたに相談があるんです。……殺しちゃってください。ふふふ、いいんですかそんなこと言っちゃって。まあ私どもも二つ返事で先生がうんと言うとは思ってませんよ。カードは前もって準備しておくものです。先生のかわいがっている劇団…じゃなかった軍団、乙女症候軍、そうそれトコシエですよ乙女症候軍トコシエ、あの軍団の麗しき乙女たち、みなさん今どこにいらっしゃるか、御存知ですか?フランスのパリに強化合宿中?へーそれはおかしいな、その強化合宿中のはずの乙女症候軍十七名が何故かうちの地下倉庫にいるとしたら…なんと解釈すればよろしいのでしょうかねぇ? それは人質を捕ったうえでの脅迫だった。だが、辻は友の命と乙女の操を天秤に掛けることなどできなかった。フランスパリ強化合宿が鉄仮面哲学屋地下倉庫輪姦合宿になろうとは…辻は怒りに震えた、己の無力さを痛感した。おれは、乙女の純情さえ守ってやれないダメ先生だった。なにが最高名誉外部顧問だ! 何が演劇界の巨匠だ! おれはただの無力な蝋人形だったのさ…。辻は用意していたドスを自らの腹に突き立てた。四人がいっせいに辻を見た。叫んだ。何するんだ辻さん! そのときにはすでに辻の腹は十文字に裂かれていた。赤黒い血と臓物と汚物が意外なリアルさで四人の目と鼻を貫通した。みなさん、ごほげほ、勘弁してください、これがわたしにできる最期の御奉公です。できることなら乙女らにもう一度会いたかった…あいつらに芝居とは演技とは何かを伝えたかった…会長、ガンモドキ、辰兄さん、伊豆野、みんな後は頼んだぜ。何言ってんだ馬鹿野郎、お前が死んで何になる!死ぬな!救急車だ! おいおい、潔く死なせてくれよ。オレの純情を乙女たちに伝えくれよ。凌辱にまみれたこの世界も捨てたもんじゃないって傷ついた乙女たちに言ってあげる大人がいなくちゃ…救われねえぜ。馬鹿野郎…バカヤロウ…くくく…本当にお前はおめでたいバカヤロウだよ!まったく! さっきまで友情小芝居の顔はどこへやら。四人はサディスティックに心奪われた狩人の表情よろしく仁王立ちで辻を見下ろしていた。…? 辻は朦朧とした意識の中、無言の疑問符を脳裏に浮かべた。それが滑稽で笑いたくなった。グル、わかるグル? 結局最後まで抵抗したのおまえだけなの!辻さん。おれらとっくの昔に鉄仮面、ってわけよアーユーオールライトっ? ガンモドキが大袈裟な身振りで辻に言い放った。辻は無言で理解した。憤りの前に情けなかった。泣きたかった。おめえ、おれらの嘘八百の芝居も見抜けなくてよく演劇とか芝居とか言ってられたよな。所詮はお坊っちゃんのお遊戯レベルってわけか。何が虚構とリアルのボーダーラインを異常なまでの無感情により冷徹に見つめる、だ! 聞いて呆れるぜ! 包茎野郎! 辰五郎が辻の十文字に開いた腹に容赦ない蹴りを食らわせる。ぎょぼえ。辻は糞と小便を同時に漏らした。もう、吐き出せるものすらない。乙女、輪姦学校、楽しかったです!ってか? ガンモドキがやけに透明な声で言った。処女十七人を相手にするのはさすがに大変だったぜ。処女膜破り放題。ザーメン出し放題、やりまくりっすよ、ねえ総裁。ダークグレイのスーツを着た小柄な、だが見る人が見ればわかる筋肉質な体躯が廊下から障子を馬鹿丁寧に開けて現れた。ロバート・J・ミチノク、鉄仮面哲学屋ジャポン総裁その人であった。そのとき辻が思ったのは何故か、中学二年の夏休みのある日のことだった。みなで高尾山にサイクリングに行った帰り、辻は小便をしに山道から少し離れた樹海の中へと入っていった。今にして思えば、小便ぐらいすぐそばですればよかったのだが、それは思春期大爆発の中二、自分の放尿姿をもし誰かに見られたら、もし自分が包皮を剥き剥き亀頭露出させて尿垂れてるのを見られたら…一生のトラウマになっちゃうわ、などと乙女チックになるわけで、過剰なまでに奥地へと入り込んでいた。そろそろいいかな、などと辻がチャックを下ろしたとき、彼は不思議な感覚にとらえられたのだ。言わば超感覚的感覚とでも言うべきもので、股間が収縮するのが中二の辻にもわかった。辻は恐る恐る不思議な感覚の反応するほうへ歩を進めた。するとそこには木々の途切れた小さな窪地が現れた。そこには六分の一サイズのメルヘンな妖精の村があった。どうも今日は年に一度の村祭の日のようである。村の中央部には巨大な男性性器を意外なリアルさで模した祭壇が拵えられていた。それだけなら辻はそのことをこんなに深くは記憶にとどめることは無かっただろう。赤や黄色、緑に白、桃色、紫、橙、黒、金、銀、ありとあらゆる髪の色をした少女が裸でその祭壇の周りを踊り囲んでいるのだ。注意深く見ると、赤い髪の少女は腋毛も恥毛も産毛さえも、赤であった。黄色の頭髪の少女は、その他の毛も黄色。緑は緑。白は白。とまるでその祭のために染め上げたかのような鮮烈さで色とりどりの裸体少女が踊り踊っていた。辻は何故かその非現実感よりも頭髪や体毛を染めるのは校則違反じゃなかったかな、生活指導の鬼瓦に見つかったら大変だぞという的外れな心配で頭が一杯だった。華美裸体少女は総勢百数十名はいた。踊る者、笛を吹く者、太鼓を鳴らすもの、歌う者、祭は異常なまでのテンションだった。そして三日三晩そのダンスパーティーは続いた。不思議と倒れる者も眠る者もなく最終夜には空を飛ぶ者さえ現れた。そして、その最終夜、オロロロローという蝶の羽を持つキリンがどこからともなく現れたかと思うと叫び、絶命した。それを合図に踊りと演奏がぴたりとやみ辺りは静寂と暗闇に包まれた。目が慣れず辻は一体どうなったのかわからなくなった。すると、しばらくして、小さな炎がぽつり、ぽつりと辺りを照らし出した。松明か、と辻は思った。少女たちが手に手に松明を持っているのだ、と。しかし、それは違った。彼女たちは確かに炎を持っていたがそれは松明ではなく、自らの恥毛を燃やしたものだった。焼け死ぬぞ! と辻が叫んだかどうかは知らないが、炎は彼女らの股座で仄かにだがまるで乙女の純情の頑なさを象徴するかのように燃えていた。すべての少女たちの恥毛に火が燈り、村全体は一気に明るくなった。そして、またしばらくすると炎が変化しはじめた。その恥毛の色の炎が浮かび出したのだ。美しい…辻はある種の抽象芸術の極みを垣間見た気分だった。おそらく、あの色とそして炎が一気に燃えないための毛染めだったのだろう、と辻は独断した。と突然地響きがはじまり中央の男性性器を模した祭壇が激しく上下に揺れ出した。これは、あの感覚だ! 辻は、夢精の予兆を感じていた。射精とともに目覚めるあの吃驚ドッキリ夢精の、だ。GO! 男性性器の先端から飛び出たものは無数の裸の少年だった。こちらは毛を染めているどころか、みな全くの毛なしばかりだった。少年はあたり一面にばら撒かれた。地面に着地したそばから、恥毛を燃やす少女たちとまぐわいはじめていた。愛撫すっ飛ばしいきなり挿入。無論、炎は燃えたままである。少年たちは目を疑うばかりの腰つきで、イン、アウト、を繰り返していた。数分もつことなく少年らは射精しはじめた。ぴたりとピストン運動が収まり、こてんと地面に倒れた。少女の恥毛の火は消しやみ。あられもないパイパン姿となっていた。その地面に倒れた、絶命している少年を見て辻は驚かずにはいられなかった。そこに倒れているのは、自分ではないか! そしてよくよく見ると未だに必至でピストンしている少年すべてが辻だったのだ。なんなんだこれは。リビドーの抑圧のためにおれは奇怪な夢でも見ているのか? 隣の小母さんがこれでようやく冬を迎える準備ができるのじゃよ、あのおまたのお毛々が再び生え揃うころ乙女は子供を産むのじゃ。そう、産まれてくる赤子はすべて雌、なのじゃよ。これがこの百村村のしきたりであり、宿命、なのじゃよ。ほほほほほお。生きとし生ける者はみなイン、アウト、ってことですか? それってあんまり単純過ぎやしませんか? 如雨露お婆? タケルよ、それが世の宿命というものじゃよ。これには、だーれもさからえん。どんなに金持ちじゃろうが、どんに知恵多き者じゃろうがな…。如雨露お婆、おれは嫌じゃ。おれはそんな人生嫌じゃ。嫌か、タケル? 嫌なら仕方がない。嫌と思う気持ち、忌み嫌うものの気持ちを止めることはお婆にもできぬ。しかしじゃな、タケルよ、運命は変えられんぞ。どんなに逃げようとしても、どんなにもがこうとしても、運命はいつの間にやら己の身体の中に在る、もの、なんじゃよう。ほほほほほほ……まだ虚実皮膜極みを感じ取ることができないようだなタケル。オダイモク先生!ぼくはまだまだ修行が足りませんか? タケル修行は量ではない、質じゃよ。オダイモク先生! あらゆることを吸収してやる、盗みとってやる! タケルの眼は演技に対する貪欲なまでの輝きを放っていた。この子はわたしの最高傑作になりそうね……。オダイモク先生ことオダイモクノベタロウは日々恐ろしいまでの成長を遂げるタケルを見つめていた。最高傑作。そう、役者、演技者とは崇高なまでの芸術作品。わたしの夢は一生に一度、世界最高の演技者を創りあげることよ! オダイモクはまるで何かに追われるように、何かを隠すかのように、そう自分に言い聞かせた。もしかすると自分は世界を滅ぼすかもしれないものを創っているのではないか、とどこかで恐怖していたのだ。限りなく完成された芸術は世界を破壊するパワーを持つことをオダイモクは知っていたのだ。さ、今日のレッスンはこれでおしまい。来週までみんなちゃんと芝居を完成させてきて。生活をしのぐためにはじめた演技塾、乙女症候軍トコシエ。それが今では演劇界ではなくてはならない存在へとなっていた。はあ、ぼくは何を求めて芝居をはじめたのだっけ……オダイモクは苦悩の日々を過ごしていた。確かに、駆け出しのころ、右も左もわからず演劇界に飛び込んだ十九のころ、貧乏だったけど希望だけはいつも溢れていた。心のスポットライトはいつも無限の未来を照らしだしていた。なのに…いつのころからだろうか。NHKの大河ドラマで主役に抜擢されてからだ。何かオダイモクの中で狂い始めるものがあった。ショービジネスの濁流に翻弄され、気がつけば場末のスナックでバーテンダーをしていた。夜の街。寂しさを持て余した人々の集う場……。ふふ、わたしにも輝いた時代があったのよ。ママはいつも酔うとそう言ったわ。そして決まってわたしの方を見てこう言うの、あんたのちょんまげ、あれ以上のもをわたしは見たことがない、あんたは最高の役者だった…ってね。ママ、飲みすぎよ。二階に布団しいたから、もう寝なよ。ノベちゃん! 抱いて! わたしを抱いてよ! あのころノベちゃんがブラウン管の中でやってたみたいに。若く美しく恐れを知らない強い瞳で! わたしを抱しめてよう…あーん、あんあんあん、あーん、あんあんあん…。ママは今でも輝いてるよ。オダイモクノベタロウ。そう書き残して彼は旅だった。もう一度、東京へ! タケルはレッスンでかいた汗を拭いながら、上京したころの自分を思い出していた。向こう見ず。それでもいいじゃないか。きっと躓きはしない。タケル、このあとどうする? チェリーローズカフェ、行かない? んー、やめとく。タケル、またあれをやるつもりでしょ。ううん、違うよ。今日は帰って寝るわ。本当? あればっかやってると、自分がおかしくなっちゃうよ。鳥篤貝節明子はタケルの異常なまでの演技への情熱がタケルの命を少しづつ削っているような気がしていた。特にオダイモク先生の過去の教え子が何人も原因不明の突然死を遂げているのを知ってからは……。節明子はあのオダイモクの開発した超リアルスティック演技メソッド、フィクショナルエナジー法がその原因ではないかと考えている。フィクショナルエナジー法とはオダイモクが考え出した世界最終演技者生成法なのだ。やり方は簡単。他人の真似をする。ただそれだけだ。節明子は、一度だけそれをやったことがあった。
ころんだぶすのたまご
アマノガワタケルの一挙手一投足を伝えるのがこのダイアリーの目的ではない。おもむろにアンネとダイアリーに名付けてみるが空寒い空気が流れただけでエピゴーネンですらない。今日はアマノガワタケルの遠足の日だ。遠足にはときめきがある。知らない場所に大勢で行くという、民族大移動的所業には一万年の歴史がDNAを侵食している証拠だ。北野証拠。タケルは母に見送られて小学校に出かけた。タケルのクラスは竹の子組だ。なぜか知的障害者ばかりいる。タケルはなぜ自分のクラスには白痴が多いのか疑問だった。一度先公に尋ねたら曖昧にはぐらかされて残尿感だけが残った。タケルのクラスでの友達はエリカちゃんだった。というか、このクラスにはエリカとタケルしかいない。あとは批評家と評論家に任せてはやくピクニックに行きましょう。溝鼠ランドへタケルとエリカと担任の辻人生は向かった。途中、ジョバンニの靴屋によって履きやすい靴を購入したりもした。ピクニックでの話題は主に、なぜこの世にはキチガイが多いか、ということに終始した。辻先生は気違いを。ハックルはそこで立ち止まる。おいトム、あれはなんだ。川上からなにか流れてくるぞ。ピーチだ、ビッグ、ピーチだ。きっとかわいい乙女が中に入っているんだよ。ピーチから生まれたピーチ姫はトムとハックルの性奴隷としてシアワセな辻人生を送ったとさ。おしまい。アンネとリンネとメンスと署長は繁華街の浄化作業に勤しんでいた。きっとこの街にも希望はあるさ。捨てなければ、希望はある。絶望は、ない。さくらやのビデオテープ安いな。ビッグカメラのデジカメ、高いよ。ジンジャー欲しかあ。まーやまにでもいけばあるかぽね。思い出は逃避じゃない! 借金は踏み倒せ! 交通戦争はまだ終わってないぞ! 素股、すまった、しまった、しまった膣。でかい女体の蝋人形をつくる会。略してオリエンタル工房。星はきれいだな。世界は人間をロマンチストにせずにはおれない。だからタケルはロマンチストを自認する。フラストイン舞ルーム。タケルとエリカと辻の阿呆はおむすび山をえっちらおっちら登山する。標高7センチのジャポン最高峰の山。まるで辻先生みたーいとエリカが言った。辻とエリカはできているなとタケルはこのとき気づいた。まったくどいつもこいつも熟々のおまんこに肉棒をイン・アウトすることしか頭にない。ぼくにはついて行けないよ。それに愛とかいう戯言を補填するから状況がややこしくなる。辻先生のちんぽの長さは人生においてどれほどの意味と影響力を持っていますか! 原稿用紙500枚以上で字数稼ぎと無意識レベルの剽窃なしで答えてください。ロックスター。小鳥が囀っている。おむすび山には太古の自然が色濃く残っている。タケルはペットボトルに入れたお茶をごくごく飲んで捨てた。自然破壊万歳! 自然を犯せ。森を侮蔑しろ! 極悪人を自称しろ。タケルとエリカはいつの間にか辻先生を引き離していた。辻せんせーい。叫んでもどこにもいない。辻先生は歴史という名の真実に押し潰されたのだ。埋没させられたのだ。平安京エイリアン。化物め! このピクニックは生まれながらに幸せを約束された人間と生まれながらに泥沼を決定付けられている人間と、不幸でもないんだけど特別幸せでもない微妙な人間の相互理解のための遠足である。幸者代表、ミナコ。不幸者代表、ジュンイチ。微妙者代表、タカヒロ。奇人代表、コオロギ。司会はご存知、辻人生。解説は、アマノガワタケル氏にお願いしたいと思います。さあ、さっそくですが、アマノガワさん大変なことになってしまいましたね。ただの特殊学級のピクニックと思っていたものが、急遽こんな世界が注目するようなイベントになってしまうとは……。そうですね、まったくぼくとしても予断を許さない、オナニー厳禁、みたいな状況で射精しないかどうか不安です。さあ、アマノガワさんも大興奮のイベント、まずは各界の代表のファーストドクトリンです。辻さん、やめてください、全世界に生放送中なんですよ、ちんぽを出すのはやめてください。不幸者と幸者の相互理解だと! ちゃんちゃらおかしいぜい、おれは幸者さ、不幸者は死ねばいいんだ、死ねばあの世で幸せになれるぞ! さあ死ね。オロロ、オロオロ、オロロン、オロロン、ぼ、ぼくは、奇人なんだな、でも、奇人は奇人で生きてるんだな、みんな自分の分を知って生きればいいんだな。それができねえからイライラしてんだよ、白痴め! ああ、金持ちと貧乏人じゃどう見たって金持ちが幸せに決まってるだろ。おれは幸者の悩みは認めねえ。おれらのは悩みじゃない、根源的欠陥保有者なんだよ。おまえらは生まれながらの幸福装備者なんだ。あの、ぼくは、まあ、特別恵まれてるわけじゃないけど、まあ、いやなこともないって言うか……つまり、普通って言うか、でも、じゃあ普通ってなにって訊かれれば、それぞれみな特別であり普通ってないよねって言ってしまうような、そんな受験生的な押し問答を繰り返す日々を送っているというかああああああああああ、ごへ。えー、ジュンイチ代表、一つお聞きしたいのですが、不幸者が幸者になることはできるとお考えでしょうか? NOです。無理です。ですが、ここでわたしは一つ言いたい。不幸者が幸者には絶対なれません。それはゴリラが人間に限りなく近くても、やはりゴリラであり人間ではないということと同じです。言わばDNAレベルで違うのです。ですが! 幸者を駆逐することはできます。その唯一の方法は殺人です。そいつを殺しちゃることです。決して自分が幸せになるわけではありません。が、しかし、幸者の息の根を止めることはできます。ゴリラにだって人を殺す能力はあります。殺すことで、その幸者が不幸者になることもありません。ただ全てを御破算にし、なかったことにはできます。みんな死ねば、一緒、ですからね。ジュンイチ代表、飛ばしておりますね。今のところ独走です。何やってるんですか、辻さん、ちんぽをしごくのは家に帰ってからにしてください。射精しないでください、射精しないでください。会場のみなさん、辻さんのザーメンが飛ぶ恐れがあります。気をつけてください。むしろ浴びたいというかたもご遠慮ください。さあ、気を取り直して、発言のない、ミナコさん、いかがですか、え、何? えーっとトラブルです。幸者代表、ミナコ氏からファックスでのコメントがいま届きましたので、それをタケルさんに代読していただきます。おほん、ミナコでおま。オゲンコ? わたくしのような家畜ごときが幸者代表などとは恐れ多き所存で御座いますだおかだ。どうかお許しを。だが、それでも、タケルは誠実な男だ。きっと嘘はつかない。嘘をつかなければ誠実かと訊かれればノーと彼は言うだろうけどこの嘘塗れの浮世で嘘をつかないということがどれだけむずか詩歌、みなさんにはご理解いただけるだろうか? 彼は言う。身体障害者と知的障害者を今すぐガス室送りにしろと。彼は言う。世界中の美女のおまんこをじゅくじゅくにしてオレの前に並べ奉れと。タケルは言う。他人の痛みなんて、痛みのうちに入らねえ。自然保護、環境保全なんて必要あるのか? だってオレが生きてるうちは何とかなりそうじゃん? 未来? くそくらえ。未来の子供たちの幸せ? くそくらえ。セックスしなきゃいいんです。新しい法律を作ろう。中絶法だ。現時点から子供を生んじゃダメ。それと二十五歳過ぎたらみんな自殺すること。そうすれば世界はとっても平和になるはずです。大統領グループ。ペイフォワーッド。タケルは赫軍派の後継者だと自分を位置付けている。世界の平和を実現するためにとりあえず幸せ面している日本人と××人を皆殺しにしなければならない。少しづつ。ばれないように。必殺仕事人のように。いまニュースを賑わす殺人のすべてはタケルの仕業である。タケルは日本中にネットワークを張り巡らしているのだ。まるで竹の子のように。カックラキン。タケルは保健のおばさんと仲が良かった。休み時間と放課後の数時間かをいつも保健室で過ごした。保健のおばさんは業務で忙しかったのでいつもタケルの相手をしてくれたわけではなかった。それでもタケルは保健室にいるだけで安心感があった。タケルは母をレイプ犯に目の前で殺され、父の切り取られた陰茎を口に詰め込まれ咀嚼させられその上に人糞と牛尿を凍らせた塊で脳が溶け出すまで殴打された過去をもつ痛い気な少年少女保護観察処分送りな半生を送っていた野田秀樹。だからタケルにとって保健室は心のオアシスでありオエイジスであり母体回帰・胎児退行の意味があった。尊敬の念。保健室のおばさんは、保健室のおばちゃんと呼ばれて久しかったが実はまだ二十四歳と三ヶ月ちょっとだった。タケルはそれを知っていたのでみんながいないときにはネーチャンと呼んでいた。そう呼ばれると保健室のおばちゃんこと保坂洋子はことの他よろこんだ顔をし、たまにはねっとりとフェラチオなんかもしてくれた。でも、タケルは社交辞令を好まなかった。なぜならタケルは誠実な男、だからだ。タケルはこんな噂を聞いた。保坂洋子はじつは齢四十四歳らしい、と。それを聞いたときのタケルの憤りはどれほどのものだっただろうか。今すぐ赫軍派に連絡して国会議事堂爆破計画を実際のものにしようかと思ったほどだ。だが、その噂が根も葉もないと確信できたので、そんなこと言ってたやつらの親兄弟を×××送りすることで難を凌いだ。夜が明けそうだ。タケルの糞尿混じりのお弁当を盗んだ保健室のおばさんこと洋子はしたり顔でこう言った。信じるものは騙される。騙る阿呆に読む阿呆、同じ阿呆なら糞せにゃ損損孫悟空は天竺を目指した。途中でお釈迦様と開放的なセックスを楽しみつつブタとカッパにアナルファックを教え込んだ。たまきん。洋子はタケルを愛していた。あ、石、手、田。と分解してみてもその愛は変わらないくらい愛していた。人は愛を無意味な言葉遊びのように訳知り顔で言うけれど、洋子にとってそれはリアルで本気の所業だった。タケルは洋子を赫軍派後継者と認めるにいたる。二人は世界平和運動が終結したらごく普通のごく平凡な幸せをつかむ家庭を一緒に拵えようと約束した。プロミス。タケルは含蓄同盟と海援隊を改名し、新たな株式会社として再出発した。含蓄同盟の目的は至って単純、至ってシンプルだった。幸者の駆逐、不幸者の救済。それが含蓄同盟の崇高なる目的であり全てだった。それは先代の保坂洋子の遺産でもあった。つまり、閉所恐怖賞。タケルは、同胞を前にこう宣言した! 世界の秩序を、パワーバランスの均衡をもたらすこと、それが我々の使命であり、神の意志である。とにかく、幸者に不を付与すること、そして、不幸者から不を削除すること、それがタケル以下48名の任務であり収入。SAKURABAKAZUSHI。それは単純なようですさまじい困難を要した。というのも、文字の上では容易でも実際にそれを遂行することはまるで地球を火星に運ぶことみたいに困難と勇気を必要としたからだ。たちんぼ。タケルは48人の同胞をまず8班に分けた。そしてその8班それぞれに隊長と宴会部長を任命した。第3班ではタケル自らが宴会部長を行うはめになった。第1班、隊長・斎藤次郎、宴会部長・斎藤五郎。第2班、隊長・金玉嶺、宴会部長・町田町三郎。第3班、隊長・嘉門陽子、宴会部長・ケイン小杉。第4班、部長・友実、課長・健治。第5班、隊長・太田キムチ、宴会部長・正田実明。第6班、隊長・勝又金雄、宴会部長・保坂洋子。第7班、隊長・坂持金髪、宴会部長・石浜勇太郎。第8班、隊長・タケル・オノ、宴会部長・キャサリン(とじる)。第9班、隊長・犬、宴会部長・ゴリ。十二番目の戦士はハモニカ横丁代表の美舟。そしてこうだ。奇数組が不幸者救済、偶数組が幸者削除にあたった。かれらはその一部始終をテンチューと呼んだ。また誰かはパルチザンとも言った。がそれは当初の目論見ほど世間に浸透しなかった。不幸者の救済の一部としてかれらは募金を募った。恵まれないアフリカの子供よりいまいちパッとしない大学生を救うことのほうが手応えが感じられると思ったからだ。美女は顔面を切り裂く。ブスには整形手術費用を与える。救い難いブスには天国への片道切符を。美男子には去勢を。ブ男には陰茎長大化手術を極秘裏に行った。これであなたもあなた自身も元気百倍。愛憎劇。タケルはこの世界的偉業をこつこつとこなしながらある日気づいた。それはとても素晴らしい朝の出来事だったとかれは今でも目を細めて言う。なあ、キャサリン(とじる)閉じる日。こんなことしなくてもいいんだよ。へいよ。世界中の鏡を叩きのめすんだ。そうすれば自分の美醜を気にする必要はないじゃないか! キャサリン(とじる)タケルの浅知恵ね。人間に眼がある限り、無意味よ。そうか、じゃあ、人類の眼を潰そう! すべての人間の視力を奪えば今起きているほとんどの問題はあっさり解決されるぞ。キャサリン(とじる)ワオ! タケルやっぱりあなたは天才ね。さすがね! それから含蓄同盟の任務のほとんどはメガネのさくらや襲撃に終始することとなった。さて、ここでビルゲイツの財産で新しいアフリカの国を作る計画の話だが。いまだにアフリカという国があると信じている無垢な乙女のためにこれは計画された。アフリカ国の建国が急がれた。乃木くん。含蓄同盟が国会襲撃を行ったのは、この三日後だった。おれたちは少しは、世界に貢献できただろうか。百年後に英雄と呼ばれる存在になれただろうか。夢も休み休み。タケルは、その一日前に保健室のおばさんと映画を観に行った。スペインのインディーズ映画だった。別にそれが観たくて行ったわけではなかった。たまたまその映画館の前を通ったときちょうどやっていただけだ。それはこんな物語だった。スペインが内乱に明け暮れていたころ靴屋の職人見習だったジョバンニが斜向かいにある果物屋の一人娘に恋をする。その娘の名はウチダと言った。彼女は日系2世だったのだ。ジョバンニはいつも昼休みになると果物屋を訪れ、林檎か洋梨を一個買った。ウチダが店番じゃないときも、それは行われた。ある日、ウチダの母のウチダが林檎を買ったジョバンニに尋ねた。あんたはいつも昼休みになると林檎か洋梨を買いに来るけど、本当は娘に会いに来てるんじゃないかい、と。ジョバンニは恥ずかしくなって林檎を捨てて走って転んだ。転んだ拍子に持っていた林檎がぐしゃっと潰れる音がした。ジョバンニは薄らいでいく意識のなかでそれは失恋という名の効果音なのだなと思う。親分は酒浸りでろくに靴を作ろうとはしない。ここで童話なら同和問題。小人が出てくるところだが、この映画実際の話をもとに作られているため、小人症の人間はでてきても小人は出てこない。また監督が自分の背が低いのを気にしているためチビもいない。ドワーフ。ジョバンニは決心して果物屋に娘と結婚させてくれ、と愛眼しに行った。タケルは眼鏡屋と言えばさくらやと思っていたが、メガネドラッグだって白山眼鏡だってメガネの愛眼だっていくらでもあるじゃないか。眼鏡屋を襲撃してもきりがない。そういうことに気づいた。葉子さん結婚しよう。ぼくは靴屋の見習い職人じゃないしあなたは果物屋の日系2世でもないかもしれないけど、ぼくらは結婚する必要があると思うんだ。それはセックスに付きものの孤独の再確認とも無関係じゃない。だから、結婚しよう。今すぐに。結婚という薄い紙の上の所業をあなたたちは信頼しすぎよ、いいじゃない、結婚という制度にわざわざ自ら縛られに行かなくても。わたしたちは底抜けに自由で確認しなくても愛し合っていることにも自覚的だわ。むしろテレパシー能力を肯定したいのよ、わたしは。なぜ不自由を欲するの。口じゃ自由自由と空念仏を唱えるくせに。ね、フリーセックス、ノーモアブライダルよ。さあ解放戦線にいまこそ参加しましょう。乃木将軍。東郷。タケルにはどんな言葉も、葉子のお友達宣言にしか聞こえなかった。タケルには葉子の寝間に忍び込んでオナニーするしかカタルシスを得る方法はなかった。禁じ手は使う者がいる限り亡びない。コーヒー一杯で朝まで語り明かそう。温い。死者を侮蔑しろ! ジョバンニは叫んだ。この世は不毛だ、と。ウチダは嘆いた。なぜお父さんとお母さんはわたしの恋愛の邪魔ばかりするの。ジョバンニさんとわたしはセックスに明け暮れたいだけなの。性別? 国籍? 人種? 関係ないわ。美か醜か、問題はそれだけよ。ブスな女のわたしはジョバンニみたいなブ男の包茎としか結ばれない運命なのよ。そう運命なのよ。運命なんて気取ったものじゃない、ただの残酷な現実のことよ。だから責めて、処女妊娠だけは避けたいの、そんな淫靡なことは。頭痛い。頭痛が痛い。悪臭が臭い。ブスが幸せに生きる方法、その確実な方程式を発見してよ、それだけでいいの、無駄な発明なんていらないから、科学の進歩も破滅への加速度的カウントダウン以外の何ものでもないんだから。だから、ね、ザーメンを子宮いっぱいにぶちまけて欲しいだけなの。虚飾も虚勢も虚構もいらない。熱い精子だけ。それだけでブスが救われるのよ! そんなこともわからないの? 小説は折衷案じゃない! ブスと包茎への死刑宣告であるべきよ。膣、懐胎。ウチダは両親を説得しジョバンニと結婚した。新婚旅行はウチダの祖父母の故郷ジャポンに行くことにした。ふたりは横浜と霧島と新島を見てまわった。ジョバンニとウチダは人種差別の不毛さに気づいてスペインに帰国した。マドリードの風は今日も冷たい。ジョバンニが帰ってくると親方は人が変わったみたいに仕事に精を出した。ジョバンニに自分の知っている全てのことを伝授した。ジョバンニはそれをよく学び、自分流にアレンジもした。のちにジョバンニはフェラ鴨を創設することになる。親方はあらかた職人芸をジョバンニに伝えると、死んだ。ジョバンニは泣いた。親方の遺品を整理していると小さな赤い箱を押し入れの奥から見つける羽目になった。その箱の中には貯金通帳が。富士銀行スペイン坂ATM専用の貯金通帳で約一億の定期預金がジョバンニ名義でしてあった。ウチダとの新婚生活は平凡だが幸せなものだった。親方がゾンビとなって村人を襲い始めているという噂がたった。それもこれも合併騒ぎのためだ。ジョバンニの貯金はギャンブルで泡と消えた。泡姫。性を売る少女たち。それを買う大人。世界は愚劣で救いようがない。救いようがないなら破滅させるだけだ。タケルは含蓄同盟を結成することをこのとき思いついた。仲間が必要だ。群れる狼に敵うものか。ブタの群畜を叩きのめす。タケルは群畜同盟と言いたかったのだ。でもそれではあまりにも捻りがないと思い、含蓄同盟とした。一筋縄ではいかない感が漂っていていい。不美人から不を削除する運動と美人に不を付与する運動は思いのほか、順調だった。すけべな美人と貞操観念の強い醜女はどちらが倫理的に正しいかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかか?か? 教えて先生。自分で考えろ。ブサイクがみんな死ねば整形手術は是か否かなんて議論をする必要がないとなぜみんな気づかないのかタケルは不思議だった。タケルはいつだって明確で正しい答えを用意している。万事怠らない。一生懸命、一生懸命、準備する。それがタケルの政治理念。ブスな女子高生の援助交際は是か否か。美人の売春は、性犯罪の抑制に一役買っているはずである、YES? NO? 女性のためのトルコ風呂を増やそう。そろそろ夜も終わる。朝日とともに寝、月が昇るころ目覚める人生。よく自己満足に過ぎないと言うが、であるならば、あなたは自己満足したことがあるのか? あなたのつまらない人生の中で満足したことなどあるのか? 安い給料と猫の額ほどの女房、それであなたはよく、自己満足などという言葉を使う気になりますね。自己満足すらしたことのない人間に他人を満足させられるはずはないということになぜ気づかないのです。知った風な口を利くのはやめなさい。今すぐ死ね。エンターテインメントの究極は自殺にあり! あらゆるタブーを駆逐しろ! あらゆる偽善を糾弾しろ! あらゆるマイノリティをジェノサイドしろ! 義務教育を十五年に延ばせ! スカートを廃止しろ! 他人の痛みなんて、痛みのうちに入らないと大声で叫べ! 痛くない! 痛くない! 痛くない! だってそうだろ! ぼくは殺戮が好きです! ぼくはレイプ願望があります! わたしはマンコが臭いです! わたしは半ズボンの男の子に欲情します! わたしはちやほやされる女を引き千切って便所に流してやりたいんです! 朝の朝礼、夜の朝礼でそう言わせろ。自己解放させてやれっつうの。学校よ。国よ。教育機関よ。天皇よ。右左翼団体よ。つまらない言葉より、一撃を。頭脳より肉体を敬え。頭脳は肉体の奴隷だ。四方山話はおもしろな。深夜番組は過激だ。過激派に参加しよう。日本の未来を想像しよう。そうしよう。村上龍之助平を大統領にしよう。大統領の大説はおもしろいと洗脳しよう。美女を献上しよう。献上を廃止しよう。支持率を金額に換算しよう。大学受験を奨励しよう。公立学校を廃止しよう。人口を半分にしよう。死刑囚だけのパラダイスの建設費用を大統領に捻出させよう。佐渡に十二歳から二十二歳までの美女とレイプ犯を放し飼いにしてヘリコプターから実況中継しよう。そしたらいつかレイプ犯と絶世の美女の子供ができてきっと佐渡に独立国家を建設するだろう。ヘリコプターが墜落してテレビ朝日のクルーが人質に取られ日本国との政治的駆け引きの道具に使うだろう。そのテレビ朝日のクルーのディレクターが毎週末近くのレンタルビデオ屋で借りていた実録女子校生レイプとザ・レイプ・オブ・南京豆によって国民的支持を無くすだろう。そうすれば日本国はしめたものでアメリカ合衆国に応援を要請して佐渡の新興国家の蹂躙をはじめることだろう。でもそのころアメリカ合衆国で起こったネオピッピー運動により佐渡・新興国が国連で認知され、逆に日本が世界的孤立を深め、新潟県や富山県からの佐渡・新興国への亡命者が増えることだろう。佐渡・新興国はテレビ東京の深夜枠を買収しASAYANを復活させるだろう。そこで佐渡・新興国の国名と国歌と国旗を一般公募しそれに史上最多の二千万人の応募があり、佐渡・新興国の国王ジョバンニは、大喜びするだろう。で、国名をSADO、国歌をKIMIGAYO、国旗を日の丸弁当というとてつもなくつまらないものに決定するだろう。しかし、その発案者が山梨県の廃校寸前の小学校に通う特殊学級の少女だったということがわかり、テレビ東京は急遽特別番組を編成、廃校寸前の小学校のドキュメントを制作する。それが脅威の視聴率89%を叩き出し、日本は空前の廃校ブームと特殊学級ブームが訪れるだろう。すると特殊学級をイメージしたイメクラが歌舞伎町と道玄坂とグリーン大通りに濫立し都の教育委員会は著しい青少年への影響を考慮し、特殊学級風俗店をいっせいにSADOに移転するという大胆な計画を発表し、歳入の3割をそれに注ぎ込むだろう。SADOは一大特殊学級風俗のメッカとなりSADO枯れススキ通りは連日眠らぬ夜を過ごすことになるだろう。それに目をつけた元テレビ朝日のプロデューサーで現・映画監督のジョバンニは、馳清秋の小説を盗作して「特殊学級すすき野に散る」という大作娯楽映画を製作し、ロッテルダム映画祭で批評家連盟賞を受賞し、次期SADO国国王に任命され日本の抑圧外交に対応できる初の文民国王として横暴を尽くすだろう。日本国大統領の村上龍之介太郎左衛門頼朝はそれに憤慨し、マスコミを使ってSADO批判を世論にまで昇華させることだろう。そのころSADOの第一国民である元レイプ犯たちは自分たちが建設したはずの国がまるでおかしな方向に向かっていると気づき、原点回帰運動を疾風怒濤に繰り返すだろう。のちのち最後のレイプ犯による最後の内乱と呼ばれる大すすき野戦争がSADO国で勃発するだろう。日本国と某国はSADOの経済的利権を獲得するために軍事介入。村上大統領は五十人の精鋭を率いてSADO国内部へ侵入。ゲリラ的国家混乱を成功させるだろう。北の国は一発逆転を狙ってすかっとミサイルを発射するが反れて、NAGASAKIに直撃。NAGASKAIはKYUSHUから消える。SADO国は事実上日本の植民地となる。生き残った一部のレイプ犯と美女たちは散り散りに国外脱出。自らを初潮の民と名乗り世界各国で邦人テロを繰り返す。その中のリーダー・ジョバンニは密かに日本国内部に潜入。レイプ犯の救済と美女の内部崩壊を計画。とりあえず都内にデリバリーヘルスを開業。業界の風雲児としてマスコミで話題に。そこに元大統領の村上龍之介四郎信玄入道次郎太郎が小説の取材だと託けて少女売春を持ちかける。レイプはしても春は買わないジョバンニはそれを拒否。次の日の朝、チンピラに刺されて路上で溺死。村止龍は大喜ぶ。SADO国はいつの間にか佐渡に戻る。全てはなかったかのように振舞いだす日本人。昔を忍ばせるのは特殊学級風俗で狩り出された知的障害少女たちのおまんこのなかに放置された野獣の精子だけだった。ジョバンニとウチダはピクニックに出かけた。スキップしながら山を登ると異様に疲れた。デザートに林檎と洋梨を用意した。ジョバンニは結婚前を思い出した。でも思い出しただけで口にはしなかった。ウチダは今日も笑ってる。この世に不幸がないかのように。ウチダは今日も無邪気だった。この世に知的障害者がいないかのように。白痴の群を何かの記念碑と勘違いしているのだろうか。不幸はシアワセ者の暇つぶしではない、手遊びではないのだ! 百人のブスと藤原紀香はノールールで戦うべきである。どちらが勝つか。それは重要だぞ。民主主義の徹底と言ってもいい。やっぱり美人は得だよね、などと笙野頼子が言い出すぞ! ニンフォマニアと妊婦マニアが邂逅するその前に村上龍之介太郎を合法的に大統領にしなければ。そして第一夫人に笙野頼子を、第二夫人に遠藤みのるを、第三夫人に藤原紀香を任命しなければ。雅子さんは処女結婚だったのだろうか? 村上さんに訊いてみよう。スノッブ気取りに訊いてみよう。とりあえず新しいオナニーの方法を発表してくれ。とりあえず中学生の学習要領に筆下ろしを導入させろ宮台すすむ。原に打たせろ。宮崎をAV男優に就職させろ。少女漫画を発禁にしろ。ロリコン漫画を文部省指定にしろ。もっと世の中を透明な少年の陰茎を思いやる世の中に改革しろ。本当におもしろい映画以外は公開するな。タクシーの運転手をラーメン屋に転職させろ。バトル。SADO国は地下帝国として五分後の日本に存在する。だから畏れろ。畏怖、しろ。凌辱をナメるな。しあわせものに村上さんのスマイリー。笑え。笑え。笑え山崎。初潮で描いた原爆の絵。ジョバンニの運命や如何に! 次週、最終回、さらばジョバンニ、そして友は荒野をめざすすすすめニチレイ!
劣化の如く
アマノガワタケルは決して自分が独創的で個性的でオリジナリティ溢れる人間だとは思っていない。むしろ、似たり寄ったりであり、模造品であり、コピーのコピーであると思っている。だから、だれかの真似をすることには、否定的と言うよりは、肯定的でもなく、そんなこといちいち考えないほどの日常茶飯事的常時なのである。タケルは、思う、そして考える――ちんぴら芸人が肩肘張って生きる現代ジャポンに希望は残されているのだろうか。模造品の模造品の贋作エピゴーネンが吐きつづけるオノマトペを口移しで口ずさみながら朽ち果てる希望の子守唄。だからどうした? だからどうする? どうもしない。ただ生きる。ただ死ぬ。自然体という名の幻想妄想飛ばしつづけて、発狂寸前射精直前に幻視見る。卑下面オヤジの少女趣味。守ってやりたい乙女心。犯してやりたいパイパン娘。ところで今夜お暇ですか? テレフォンナンバー知って得した。友達の友達が犯罪者。犯罪者の兄貴は売春婦。それで? 今日も中央線で人が死ぬ。轢死した屍の上で生きているのだとほざっくだんす。累々と積み上がる屍を蹂躙しながらおれたちは安穏平和の現代ジャポンをサバイヴっ! テキーラみたいな恋がしたい。愛、死体。愛、痴態。愛とは唯一永遠の物なんですか?? 自分よりも劣る人間から何か教授されるということがその天才にとってどれほどのフラストレーションになるのかこの卑下面は考えたことがあるのか。自分が得々と語る言葉群が気の利いたBGMにすらなっていない祝詞でも呪詛でもないただの安穏平和の手遊びもどきでしかないということにお気づきなのだろうか天下一家の会。ばばあの青春時代じゃあるまいしいい加減にしてくれよ。若いもんつかまえてオナニーのオカズは御勘弁。こちとらイメクラ嬢じゃございませんってか? それで一体、おまえは何がしたいんだ? 青いな春、青かった春、青くても春、青いから春、青き春、ブルーで春、青白き春、青々と春、ションベン小僧は闇の中。少女小説糞食らえ。……とても退屈だが、何もしたくないときもある、と思わないか、とタケルは誰かに訊いてみたくなった(が、みなさんがお気づきのようにタケルはあのサトラレであり、口に出して訊かなくともすでにその言語的思考はすべてだだ洩れなのである)。いま、タケルがそんな気分だったのだ。毎日は退屈を隠蔽するために忙しい。タケルは少々疲れていた。何に? ないもの探しに。創作とは一種のないもの探しではないか。それがいかに徒労じみたものであろうか! 気の利いた理屈より、生の言葉を! したり顔の優等生より、わかんねーと叫ぶ劣等生を! なぜ、それでも、アイドルになりたいんだ?! マガジンラックはストレスの温床だ。タケルは家族というものについて考えたくなった。タケルには家族と呼べる人間は、いない。なぜならタケルはクローン実験の過程で偶然生まれたヒューマンなのだから。それでも世界は更新されつづけている。まるで型遅れのプリンターが吐き出すインクジェット文字のように。かすれた声、かすれた文字。夢の不確実さ。人生の不誠実さ。つまらない映画をつくる試み。映画じゃない映画をつくる試み。完全に私心を排することなどできるのだろうか。そろそろ会話している相手が自分のコンテクストを1パーセントも理解していないこと、また逆に、己が他人のイメージをまったく共有できていないことに気づくべきだ。真の相互理解は、お互いが理解し得ないということに気づくことである。極めて緻密に相手のイメージを自らの脳内につくりあげること、それが精々であり、そんなとこである。圧倒的な孤独の問題がここにも見え隠れしている。が、また、そんなことを悠長に語ることができるほど人間は愚鈍であり、決定的に感受性が欠如しているということを露呈しているわけでもある。ただ重要なのは、自覚的であるということである……そんなタケルが思考だだ洩れ状態だった矢先、こんなことが起こった。それはアマノガワタケルが人生の春を謳歌していたころの話だ。そもそも、人生を四季になぞらえるのは、いかがなものか。四季のない地域だってある。やたらと寒い夏もあれば、暑い冬もある。桜の咲かない春もあるだろう。いや、タケルが夢想するのは黒い桜が咲き乱れる紅の午後だ。青黒い赤血球がひゅんひゅん飛び散る中を傘もささずに彷徨っていた。その血液が水溜りをつくりやがて小さな小川をつくる。その小川と小川が合流して川をつくる。川が河になり、海へ。血の海が地球の70パーセントを占めるころになると、人間は死に絶えている。タケルは、それでも、海をさがす。求める。ありきたりの暴力のイメージを還元しながら、愛のイメージへと辿りつく。春は萌芽の季節であり、夏の序章である。だから、というわけでもないが、鮮烈な像を結びにくい。途惑ってしまう。思考が途切れがちになる。別次元の事象が横入りをはじめる。理不尽な言葉の暴力にいたぶられる快感。オノマトペの安直。権威主義への睥睨。そして、青ざめた季節がそれとなくやってきた。放課後、近隣住民による集団脱走が決起されようとするころ、総選挙のポスターが掲示される。途惑いが次第に傲慢になってくる。カミングアウト症候群が蔓延する。悪寒が走る。物語の注入を避ける。シナリオ・プランニングの重要性を知ることになる。生きるには、空気と水が必要だが、生き抜くには、戦略が必要だ。ノスタルジーが。そこで、ついつい人は思い出をでっち上げる。もしくは人の作った思い出に浸りたがる。依存のはじまりだ。思考停止の奴隷状態だ。鬼に会えば鬼を殺し、仏に会っては仏を殺し、神に会えば神を殺す、親も兄弟も、関係のない他人も、殺す殺す殺す。殺して生き残る。生き抜く。考え抜く。それがタケルの主義主張! 真剣十代を見つめながら、コトバの虚しさを知る。自分が最早真剣十代ではないことに気づく。純粋だけではいきられないとタケルはテレビに向かって呟いた。つぶやき、泣いた。いや、言葉が泣いていた。さめざめと泣いていた。涙だけが唯一の純粋、だった、わけはなく、ぼくらは捻れと歪みと汚点とすり傷で心を彩りながら生きていかねばならない。グラフィティを芸術として受け入れなければ、もう現代ジャポンを生き抜けない。十代は終わった。あとはなし崩しだ。締まりのいい女とセックスするぐらいが楽しみだ。最早、自分の言葉なんてない自分の魂なんてない本当の自分なんていない。そんなもんははじめっからありゃしない。感動した! どぶねずみに! 借り物の言葉ではない言葉で書かれた剽窃ではない物語を、タケルは読みたかった。だが、そんなものはない。そんなものはないんだ。なぜなら、人間そのものが人間のコピーでしかないのだから。猿から人間に突然変異したニュータイプだけが「オリジナル」でありそれからは出来の悪い模造品の拡大再生産でしかなかったのさ。剽窃は芸術だ! 芸術は技術だ。人間の思考はパターン化している。パターンなしでは息をすることすらできない。なんだ? その気の利いたアフォリズムは? もう、そんなもんだれも欲していないよ。タケルは携帯を取り出した。タケルだって携帯ぐらい持っている。かける相手もかけてくる相手も、多くはないが、いる。でも、いま、だれに、かける、タケル? だれだ? 日本をこんなにしたのは。もうここに日本なんて国はないじゃないか。加工貿易列島に過ぎないじゃないか。日本劣等改造論だコノヤロー。おれが日本を変える。日本人の精神を変革して見せる。タケルは叫んでいた喚いていた。新宿の雑踏はそれを黙殺する。無個性化された相貌のジャンル分けできる程度の奇抜なファッションに身を包んだ老若男女たちがタケルを亡き者へと葬り去る。タケルは言わば五分後のタケルだった。スケルトンタケル、だった。とうとう殺し屋が現れた。釣り人のかっこうをした殺し屋がタケルの腹部を青竜刀で突き刺した。それでもタケルは叫んだ。相変わらず人々の頭上には青黒い赤血球が降り注いでいた。みな足早に帰途を急いでいた。タケルの腹部から滴り落ちる血液だけが、赫、だった。錆びたにおいがタケルの鼻孔を刺激し、思考を減退させた。意識が遠くなり、字数稼ぎが、終わった。タケルは誓った。神に、ではなく自分に。これからは誠実な、自分の魂と結びついた、そういう言葉だけで生きていきます。もう言葉の借金大国は終わりにします。そこで洋子が猫の額を撫でた。五十音では表現できそうにない声で猫が応えた。タケルは殺し屋の肩を抱いた。おまえは悪くない。悪いのはおれだ。洋子はようやく肩の荷が降りたらしくハイヒールを脱ぎ捨て、ハイテクスニーカーに履き直したときに、小島だけが笑っていた。あの小島だ(おまえじゃない)! タケルはその小島の不敵な笑いを見て新作『KOZIMAの見た日本』の想を得たというが、その真偽のほどは定かではない。が、その新作落語が決して華美な修飾語や過剰なレトリックによるハッタリズムを発揮せずに書かれたことは、タケルにとって新境地を開いたと言っても過言ですね。はい、過言です。その『KOZIMA』は物語の枠組をゲーテの『ファウスト』から拝借していた。が、タケルはファウストを読んだことがなかった。つまり、タケルの中にある『ファウスト』の勝手なイメージを発想源にしているのだ。果たしてこれはどういうこと? 前情報なしに映画を観ることは可能か? もし不可能であるとすれば、映画製作者はそのことも考慮に入れて(または計算に入れて)作品を作っていくべきではないか? 戦略的に。そしてそういうことが決して芸術の本道にもとるとは思わないのだが、いかがだろうか? 純粋芸術とは? おまえらの幼稚な思考と表現をなんとかしろ! 疑問符と感嘆符と中断符の使用を禁止しろ! ああ、中身のないやつほど自信満々だ! 自信満々のやつほどよくモテる! 劣化の如く! 劣化の如くタケルは生きる! コピーのコピーのコピーのコピーの無限コピーのなれの果てとして。ナイーブなオリジナル幻想を唾棄し。目覚める。目覚めこそすべての終焉。何かの終わりが何かのはじまりとは限らないように、何かのはじまりは何かの終わりなのだ。もう、本当にやめよう。お金集めの言葉を吐くのは。だれも資本主義に勝てないじゃないか。貧乏人と殺人者を一定割合で生むシステムに。タケルは自らの言語的思考によって言葉を漂白しつつあった。意味の剥奪、もしくは陳腐化を目論んでいた。いったん汚れてしまった純白ならばいっそ徹底的に汚してやれ。そうすれば案外、その汚れが、気の利いたデザインに見えてくるかもしれないじゃないか。あわよくば芸術性を帯びる可能性だってある。だから、尽くせ。言葉を尽くせ。句読点と疑問符と感嘆符と中断符と、ときに引用符で区切りながら。モンキー・パンチ三昧さ! 言語芸術家たれ、アマノガワタケルよ! 剽窃家たれ、アマノガワタケルよ! そして、表現するなかれ! 真の芸術家とは表現しない者なのだ! 表現できない者なのだ!
卒業式は裸でランデブー
アマノガワタケルの目下の課題は「物語性の排除」と「オリジナリティの追求」であった。それらは「ジョイスへの過剰なまでの遡行」と「マグリットの日常における日常性の追求」と言い換えることもできた。が、タケルは無意味な換言を好まなかった。換言された言葉が無意味なのではない。換言することそのものが限りなく無意味なのだ。確かに、無意味なものの中にも、ときに強烈な意味を発見することもあることはある。だが、その意味の発見は、それ自体が無意味という宿命を背負っているために発見者の興奮とは関係なく、まったく意味をなさない。意味の追求は無意味であり、無意味の追及は意味を発見するがゆえに無意味へと帰す。まったくもって世界は無意味で溢れ返っているということになる。タケルは抽象を好まない。タケルは曖昧を排除する。明確な自由意思の根本原理に則ってのみ自らの行動を規定する。そして、今のタケルの行動基準は「物語性の排除」と「オリジナリティの追求」という言葉に集約される。タケルは言葉を尽くさない。無こそすべてであり、言葉は無の万有引力によって無に帰す。言葉の母体回帰である。「物語性の排除」と「オリジナリティの追及」は究極は同じである。だが、なぜタケルはそれをあえて違うものとして出現させたのか。すでに、そこからこの二つの課題に対するタケルの過剰な試みがはじまっているのだ。二項対立を生むことでお互いのパワーバランスを拮抗させようというのが、その第一の目的だ。このバランスを最後まで崩さないこと、それができればこの試みは成功するだろうし、それ自体が目的と言ってもいい。第二の理由は模倣の活性化を促すためである。言わば「物語性の排除」と「オリジナリティの追及」は一卵性の双子であり、限りなく似ていると言うことができる。まさに、そこが、ねらいだ。「似ている」というのは一般的には非常にネガティブな状況として捉えられがちだ。つまり「オリジナリティ」が欠如しているという紋切型の非難を浴びやすい。ときに「似ている」ということが非常に尊ばれる場合もあるが、その辺の考察は保留しておくとして、「排除」と「追及」の「二項対立」による「パワーバランス」の均衡が「似ている」という状況において限りなく「オリジナリティ」のある「物語」を生むであろう、というのがタケルの現時点での仮説である、と言っておく。そして、タケルは曖昧を好まず、より具体的な実践を重んじる質である。ここで〈自分に嘘はつきたくない〉がたどったタケルの無意識世界における〈本当のタケル〉探しの旅の顛末を述べなければならない。これは〈永遠のビデオテープ〉が巻き戻るまでに語り終えねばならないことだ。もちろんそれを語るのはタケル自身だが、タケルにはそれをそれだけの時間で語り終える自信はなかった。むしろ、なし崩しの結論と結局は時間の浪費に過ぎなかった、という感想に終わる気がしていた。それは、ほとんど確信に近く、タケルの「無意識」の願望とすら言うことができた。が、それを成就するには、「〈永遠のビデオテープ〉が巻き戻るまでに〈自分に嘘はつきたくない〉のタケルの無意識世界における〈本当のタケル〉探しの旅を語る」ということを「物語性の排除」と「オリジナリティの追及」に気を配りつつ、だがフィクションを交えずにありのままに語る、という神業的所業をやってのけなければならなかった。しかも、これはタケルが――タケルの無意識ですら――気づいていない、それとはまったく別次元の〈ある物語〉の侵攻をかわしながら、語られなければならない。そして、話は唐突に、ある朝、マクドナルドで、ホットドッグを頬張りコーヒーを飲みながら、ガラス越しに見える女子中学生、高校生を見ながら自慰をする男のことに、戻る。アマノガワタケルは――とはじめたいところだが、その男の名前はふせておくことにする。それは、プライバシーとか名誉とかの問題からではなく、この話の純粋性を保持するための処置だ。男は、その日いつになく早く目覚めた。寝ついたのは午前三時ごろ、今の時刻は午前七時三八分である。空腹のせいだろう、と男は思いいたる。思ったより体は疲れていない。むしろ軽い感じさえする。男は何か食べに行こうと思った。家からわりと近くに、コンビニと牛丼屋とファミレスとマクドナルドがある。どれにするか。いつもなら、コンビニですますところだが、なぜかどこかの店で座って食べたいという欲求にかられる。考えることよりも、即行動をモットーとするこの男は素早く身支度――と言ってもジャージを羽織っただけだが――をし、家を出る。家の前の私道を出ると、一方通行の細い道に出る。この道は大きな街道の抜け道となっているために想像以上の交通量である。特に今の時間帯は。男はこの一方通行の道を右に行くか左に行くかでしばし悩む。右に行けばコンビニとマクドナルドとは逆方向となり、左に行けば牛丼屋とファミレスとは逆方向となる。男はいったん右に行こうとして、左に進んだ。男の進行方向から次々に自動車がやってきて、男の横を駆け抜けて行く。気忙しいドライバーたちは気づかないだろうが、道路沿いには桜の木があり新緑の若葉を生い茂らせている。その葉脈の向こうには、もうすっかり明けた青空が広がっている。白い絵の具を多く使ってつくった水色を思わせた。風が心地よい。男は五車線ある街道にぶち当たる。コンビニは行くつもりはないので、自然マクドナルドが目的地と決まる。マクドナルドはここから歩いて五、六分だろう。あれ、あそこのマクドナルドはこんなに早くから開いていたっけ。男は不安になった。もしそこまで行って開いてなければ、徒労となってしまう。男は徒労をしてしまう自分があまり好きではなかった。ときと場合によっては、それも悪くはない。だが、今はそのときと場合ではない。まあ、だいじょうぶだろう、開いているさ。男は何の根拠もないが、くよくよ悩む方がもっと徒労だと思い直し、歩を進めることにした。街道は普通自動車以外ににも大型トラック、バスなどが轟音を響かせながら走っている。自分もそのうち免許を取ったらこの街道を走るのだろうな、と想像する。男は免許を持っていない。てくてく、てくてく、歩く。時折自転車に跨った制服姿の女学生とすれ違う。男はもうすでに学生ではない。かといって働いてもいない。霞を食って生きているわけでもない。世に言う引きこもりだ。言ってしまえば、なんのことはない。性欲の処理に難儀するだけの気楽な身分だ。この身分は傍目以上に気楽だ。性欲の処理を除いては。男は昨日寝る前に観たアダルトビデオを思い出す。内容は素人女子校生が手コキしてくれるという内容だ。出演する女の子は三人。男はそのうちの二番目の女の子がお気に入りだった。自分の好きなアイドルにどこか面影が似ている気がしたからだ。今日返さなくちゃいけないんだった、と男は思い出す。それはレンタルしてきたものだ。アダルトビデオを返却するときに男が注意していることが二つある。一つは陰毛がビデオテープとケースの合間に紛れ込んでいないか、だ。陰毛は怪人二十面相並の神出鬼没ぶりである。これには、レンタルビデオ以外の場合も非常に注意しなければならない。もう一つの注意は、レンタルビデオ特有の事象だが、テープを巻き戻し切ってから返す、ということである。なぜか。ビデオで自慰されたことのある方なら察しがつくと思うが、男は抜いた瞬間、射精した瞬間から横暴なまでの速さでそのビデオに興味がなくなる。すぐさま、「停止」のボタンを押してしまう。もし、そのビデオをそのまま取り出し、返却したなら、そう、「抜き所」がレンタルビデオ屋店員に発覚してしまうおそれがある。そんなこと誰も興味ないよ、と言う方もいるだろう。しかし現在の日本のようにあらゆることが趣味と化している今、「抜き所」リサーチ趣味の人間がいても、おかしくはない。もしそんな人間に自分の「抜き所」がリサーチされデータ化されでもしていたら……男は鳥肌が立ってしまう。ゆえに、テープは完全に巻き戻ししなければならない。しかも、できることなら、巻き戻ししている間に何か仕事の一つでもこなせると、もっとよい。アダルトビデオの巻き戻しを待つだけの時間なんて、あまりにも無駄で滑稽だ。「巻戻し」のボタンさえ押せば、あとは勝手に巻き戻ってくれるのだから、その間の時間を有効に使うべきである。男は通り過ぎて行く女学生の自転車をこぐ足の合間から純白が覗けやしないかと無遠慮な眼を向け続けていたが、結局見えなかった。見えなかったが、十分勃起していた。黒(もしくは茶)、肌、白、紺、紺、肌、白、黒。これこそが男の性欲をもっとも刺激する。この取り合わせを常に男は視界の中に探し求めている。それは、並の執着心ではない。などと考えていると、目的のマクドナルドが見えてきた。どうやら、開いているようだ。男はとりあえず徒労でなかったことに安堵する。入り口のところに7:00~11:00と書いてあった。憶えておこう。店内は空いていた。スポーツ新聞を開いているおじさんが一人いるきりだ。いらっしゃいませと声をかけられる。女性店員だ。男は少し得した気分になる。まあまあの器量だ。マクドナルドの制服はタイトスカートなのがいやらしい。だいたいの、規則によって押し付けられた女性の制服は男の性欲を刺激しやすいようにデザインされている、という仮説は少し強引だろうか。妥当な見解としては、その制服のほとんどが「スカート」であり、制服という縛りが性欲を刺激するという、その辺の事柄ではよくあること、が原因だろう。男はホットドッグとホットコーヒーを注文する。すでにできあがっているそれらをトレーに載せ女性店員が男の目の前に差し出す。料金を受け取り、つり銭をもらう。なんらおかしいところもない。あるとすれば、男の頭、ぐらいであろうか。冗談はさておき、男は安住するべき座席を選びはじめている。一つのテーブルを除いては、選び放題だ。男は街道に面した窓側の四人掛けテーブルに決めた。そこからは通りがよく見えた。柱のかげになっており、カウンターの向こうにいる店員たちから男の姿は見えない。そういう位置だ。ホットドッグの包みを丁寧に開く。ピクルスを細かくきざんだものがソーセージに沿って載せてある。それが味のスパイスの一つなのだろう。男はいささか食欲をそがれていた。あまりにもそのホットドッグが不味そうだからだ。よくソーセージやなんかを男性性器のメタファーとして使うことがあるが、そういうことが食欲を減退させる原因ではなかった。男がそのホットドッグを食べたくない、と思ったのはそのホットドッグが不味そうに見えたからでしかない。男はひとまずそのホットドッグをトレーに戻しコーヒーを飲むことにした。ふたを取り外し、一口飲む。それは意外なほど美味しかった。もともと男が無類のコーヒー好きだということを考慮しても、男はそのコーヒーを美味だと思わずにはいられなかった。しばし男はコーヒーに舌鼓を打った。そうやって少し気持ちがおだやかになると、ホットドッグもそれほど不味そうではないな、と思えてきたのだった。そうして、ホットドッグも食する。しなっとしていて、歯応えがないが、味はいけている。男はホットドッグとコーヒーを交互に食べ、飲んだ。ふと窓外を見ると女学生がたくさん往来していた。確かこの先は私立の学校があったはずだ、と男は思いいたる。小学校から高校までが同じ敷地内にある共学の学校だ。わりと真面目な校風のようでスカートを短くしたり、茶髪にしたりしている生徒は見られない。ああ、一度でいいからこんな無垢で純真な女の子たちとセックスしてみたいな、と男は思った。まあ、一生無理な話である。だが、妄想ぐらいは自由だろうと思い、男は目の前を通り過ぎて行く女学生の中から自分好みの子を何人かピックアップして妄想の中でセックスすることにした。すると必然的に男の性器が誇大硬直してくるのだった。ああ、妄想こそが最高のマスターベーション。ああ、ぼくはしごくよ。己の愚息を。溜息を漏らすよ。君のために。さあ、振り向いておくれ、ロリータ。男は自分勝手な妄想の中で、自分の言葉に酔い。快楽に溺れていた。何か気の利いた音楽でも聴きたかった。タケルは世界を凌辱しつづけていた。ヴァギナの襞と亀頭のカリが絡み合った。幻想とリアルの亀裂がそこにあった。まるで偶然。まるで陳腐。腐っている。でも、在る。存在、する。何もかもが絡み合う。時と存在、人と世界、夢と模倣、コマドリと洗面器、すべてと虚無。遠い記憶の彼方の若者像を少し控えめに活写してみる試みを、老人は躊躇なく断行した。それは世界への凌辱行為にも似たまるでおかしな気違いじみた突飛な行動だった。まるで突飛だ。老人は老人であることを拒絶する。自分は少し年季の入った若者であると主張するはずだ。それが極端に暴論じみていると薄々気づいてはいても、それを認めてしまってからではすべてが遅いからだ。世界でもっとも意外な虚無とは何だろう? それは人間の肉体かもしれない。きっと違うだろうけど。違うことをあえて命懸けで訴えなければならないときもあるし場所もある。そしてそれは今、この場所である、と〈自分に嘘はつきたくない〉は確信する。ロリータ発狂いのこった。いったいいつになったら、〈本当のタケル〉を見つけることができるのだろうか。もしかすると、自分は永遠にこのタケルの無意識の中をさ迷っているだけなのではないか。そんな不安が、〈自分に嘘はつきたくない〉の心に何度も去来する。止め処もない。かれこれもう永遠の三分の一は歩きつづけている。いい加減疲労困憊である。歩いている、と便宜上言ったが、もちろん無意識に地面や重力はない。だから、歩いている、というのはあくまで〈自分に嘘はつきたくない〉の錯覚である。自分がさっきからずっと歩きつづけている、という妄想をしているだけだ。だが、そうはいっても、〈自分に嘘はつきたくない〉が疲れているのは本当である。ゆえに、休みたがっているというのも事実になる。そこで〈自分に嘘はつきたくない〉がマクドナルドで休息をとることになる。いやはや、そのマクドナルドの支店名を見て〈自分に嘘はつきたくない〉は驚いた。「御都合主義前店」とあったのだ。御都合主義が一体どこにあるというのか? 嘘っぱちにもほどがある。〈自分に嘘はつきたくない〉はその荒唐無稽さに腹立たしくさえなった。なぜ、タケルの無意識世界に「御都合主義」なるものがあると言えるのだろうか? このマクドナルドの支店名を考え出した人物は気違いか、それとも笑えないコメディアンか。まったく抗議をしてやろうとずかずかと店内に入って行くと、子供のころ見た夢そっくりの顔をしたチーフマネジャーがいたので〈自分に嘘はつきたくない〉はこいつが責任者だろうと目星をつけ一体あの表の看板に書いてある「御都合主義前店」とはどういう意味だと口角泡飛ばしながら訴えたのだった。だがその子供のころ見た夢にそっくりなチーフマネジャーは、お客様あちらの列にお並びになってお待ちくださいというばかりで話にならない。では、と思いその列を見ると、列がない。ただパターンがあるばかりである。それで、また、列なんてないじゃないか、ただのパターンじゃないか、と怒ると、マネジャーはがたがた言ってと終いには脳味噌刳り貫くぞ、と凄んできたので、気圧されて、パターンに並ばざるを得なくなったのだ。だが、いったんパターンに並んでみるとさっきまでのイライラはどこかへ行ってしまい、これはこれでアリなんじゃないかという思いが〈自分に嘘はつきたくない〉を魅了していた。ようやく順番がまわってきたのでマクドナルドスペシャルランチを一つ注文した。復唱させていただきます。自分に嘘をつきまくれ、をセットで永遠の三乗でよろしいでしょうか? と店員が聞いてきたので、おいおい母親のフェラチオじゃあるまいし、もうすこし丁寧にやってくれよ、と〈自分に嘘はつきたくない〉は訂正しなければならなかった。うしろに並んでいたロリータ発狂がはやくしろよ、と急かすので、もうそれでいいです、と承諾した。空いている席を探そうと店内を見渡すとどれもトラウマで一杯だったので、〈自分に嘘はつきたくない〉は少々立ったまま待たなければならなかった。すいません、申し訳ございません、とやたら卑屈な笑みを浮かべながら、〈自分に嘘はつきたくない〉に近寄ってきたのはなんと〈完全無欠のオリジナリティ〉と〈物語の王道〉の合いの子である〈嘘塗れの半生〉であった。先ほどの子供のころ見た夢そっくりのチーフマネジャーと〈自分に嘘はつきたくない〉のやり取りを見ていた〈嘘塗れの半生〉が詫びにきたのだった。いや、もういいですよ。すんだことですから。いや、そういうわけにはいきません。どうか、この謝礼金をお受け取りください…と謝礼金を差し出してきたので、いらないわ青空。いえいえこれはほんの意味の剥奪を意図したものでして、お客様の足下を掬おうなどと考えているわけではございません。ですが、さっきから聞いてればわたしを虚仮にしているのですか? いい加減に〈本当のタケル〉を出したらどうなんですか? それとも、〈本当のタケル〉なんて実ははなっからいないのだよと御都合主義的なセリフを吐くおつもりですか? 鼻息混じりに〈自分に嘘はつきたくない〉は述べた。が、それがとんだ見当違いだということにすぐ気づいた。〈嘘塗れの半生〉はニヤニヤしながら謝礼金を〈自分に嘘はつきたくない〉に握らせ、奥の事務所に消えていった。〈自分に嘘はつきたくない〉はまんまと自分がしてやられたと口惜しがった。これが、あいつのやり口ですよ、タケルさん。振り向くといつかの女子高生エリカがそこにいた。ぼくは限りなくタケルに近いDNAを持っているが、タケルではない。ぼくに名前はないがタケルは〈自分に嘘はつきたくない〉とぼくを呼ぶ。あら、ごめんなさい、あんまりそっくりだったんで。でも、わたしのことは覚えてるわよね? ああ、もちろんだともエリカ。ふふふ、そうわたしはエリカ、乙女症候軍壱番隊隊長豪徳寺エリカ様よ! エリカはジャンヌダルクばりの甲冑でナイーブな乙女心を必死に守ろうとしていた。タケル……いえ、〈自分に嘘はつきたくない〉さん、いよいよ最終章が迫ってきましたわ。あの〈嘘塗れの半生〉こそがこの世界を支配し、堕落させているのですよ。わたしたち乙女症候軍はあの獣を倒すために組織されたと言っても過言ではないのです。ですが、その闘いの中で多くの友を失いましたわ。カオリ、サナエ、トミ子、ジンバブエ、スマタ…すべていいやつでした。そいつらの意志を無駄にしないためにも、今が正念場なのです。さあ、勇気を振り絞って闘いましょう。エイエイ、オー! エイエイ、オー! セックス出産セックス出産、畸形児量産。ドラマチックストーリー。理路整然と掛け声を並べ立てたエリカは勇気という名の護身術を武器に〈嘘塗れの半生〉のいる事務所へと猪突猛進して行った。あわわわわわわわわわわ。〈自分に嘘はつきたくない〉はどうしていいかわからず奇声を発するのみだった。ヌーベル・バーグじゃあるまいし、おれに何ができるってんだい。こんちくしょう。〈自分に嘘はつきたくない〉は拗ねる。エリカは玉砕覚悟の身の上話を連発しながら、過去を振り替える術を模索していた。ねえ、タケル、いえ、〈自分に嘘はつきたくない〉様、人生って、美しく脆い金魚鉢みたいなものなのね。夢だけ。叩いてみるとすぐ壊れちゃう。だから、注意しなくちゃいけなかったのね。わたしのドジ。ドッジボール。エリカの最期の言葉はこうだ。わたくしが高校を辞めようかと悩んでいたときひとりのクラスメイツがこう言ってくれたの。ある高名な教師はこう言った。ある芸術家のモットーは裸の心だってね。着飾るほど人は息苦しくなる。服を脱ぎ恥を捨てればこの世はパラダイス銀河だってね。裸、一糸纏わぬ姿こそ真の解放なのよ。絶対的存在とは裸になる自分のことよ。惹起。ジャック。暇乞い。ダカラ勇気を出してエリカちゃん。あなたしかいないの。ね。卒業しようよ、みんなで。みんなで泣いて、笑おうよ。いつかまた会ったときに、よかったねって言えるように。青の写真。みんなで撮ったじゃん。意味なくなるよ。卒業しなきゃ。変態につけまわされてザーメンスカートにぶっかけられたとき、エリカちゃんそのスカートについた精子くん舐めてくれたよね。あのときわたし恥ずかしくて、エリカちゃんの前歯圧し折ったけど、本当はうれしかった。初めて親友って呼べる友達見つけた、って思ったもの。あのザーメンどんな味だった。おいしかった。不味かった。ほろ苦かった? たぶんそれが青春の味、なんだよね。いつか舐めたい、わたしも。ロックなハートを見失わないように永遠に。辞書必携。
NO MORE SEPARATE THE MIND FROM THE BODY
NO MORE SEPARATE THE WORD FROM THE MIND

アマノガワタケルの純白を犯そうと目論んでいるのは誰だ? 漆黒を切り裂こうともがいているのは誰だ? 無駄で無意味な虚飾と虚勢と虚構に彩られた言葉どもを飼い馴らした気になっている馬鹿者はどいつだ? 借り物の言葉が氾濫している現代ジャポンに純粋無垢なオリジナリティで逆引き辞典野郎どもに天誅を食らわせようと義憤に燃えているあの青年症候群に侵された若者はいったい誰だと訊いているんだ。現実に向き合おうとしない詭弁術に長けた大人どもが社会的権力を寡占し、薄利多売という体のいい搾取によって関係のない人々から金銭をせしめているという現実。それに憤慨する若者が少ないのは一重にGHQの占領政策が当人らの思惑以上に成功したためだ。関係のない人々が関係のない事件の被害者になる。関係のない犯人によって関係のない人々が大量殺戮、通り魔、拉致監禁、飼育、性奴隷、と関係のない事象に還元されていく。文字面だけが不敵な笑みを浮かべる。それを、そいつらを、飼い馴らす小悧巧ども。愚鈍な精液を資本主義の手先に昇華しつつ、縦皺だけが芸術家然としている貞操観念の希薄な群畜ども。地獄の沙汰も金次第。守銭奴どもが我が世の春。浪漫主義者が馬鹿を見る。それが、何かが常にはじまりそうだがまだ何もはじまらないが結局は自分ではじめなければ何もはじまらないよという薄利多売ポップワードに搦めとられて溜息だけがしたり顔で蔓延る現代ジャポンの鬱屈現。点と丸が鬱陶しい。お決まりのフレイズが喧しい。漢字変換が疚しい。他者模倣と自己模倣のはざまで自己満足と他者満足の骨肉の争いが繰り広げられているが、そんなものに関心はないし関心のないフリをするのがせめてもの救い。基本の動詞助動詞助詞接続詞、あとは名詞と形容詞形容動詞で個性をつければ修辞教室の啓示板に殿堂入り。韻と同音異義語が無宗教の踏絵の役割を担わされている。最早、気づくべきだ。アレゴリーとアナグラムとアフォリズム、それをアナクロニズムでまとめあげれば、おまえは世界の王様だ! レトリックスターだ! バタ臭い文体が真の田舎者どもをスノッブ気取りに仕立て上げるぞ。定番定職定説定本、そろいもそろってスノッブ気取りだ。そう、剽窃家の誕生だ! そいつは結局浪花節が好きさと自嘲混じりにつぶやいたがそれについてはコメントを省くとして、そいつは結局何が好きだと言いたかったのだろうか? 思索がすべてオノマトペで表現されるという特異体質のタケルは今日も街を歩いていた。闊歩していた。画材屋のケント紙に黝いインクが一滴。タケルの心にも、もといココロにも、一滴。穢された。完全無欠のオリジナリティなどないのだとアオグロが喝破してみせたのだ。アウフヘーベン王もこいつに暗殺されたのだ。最も汚い方法によってな! …それからだ暗黒王子が世界の民を魅了しはじめたのは。つまらぬ、想像力を欠いた、修飾語と被修飾語の関係もわからぬような、白痴どもが階級闘争の勝利者になったのだ。まったくもって逆説だらけだ。誰か逆説でなく真実を言い当てることのできる人間がいたら名乗り出てくれ。いやはや、ナイーブ過ぎて死にそうだよ。戯言の数が多すぎて真言が力負けしそうだよ。人生の折り返し地点で後悔してももう遅い。なぜならあとはビデオテープの巻き戻しと同じなのだから。新しいものなど何もない。でもしかしだがいわんや、などと繰り返す。繰り返す。イナウイナウと繰り返す。リハーサルを繰り返す。何度も何度も物語る。ある立体感のない描写によって書かれた他の同種の作品の登場人物と入れ替えてもまったく支障のない男、アマノガワタケル。これでどうだ?何が?俺が?明日が?台風?聞いてねえ?言ってねえ? 兎に角が生えたが如きタケルは記号然としてカタカナ表記され、もしくはアルファベで表記され、もしくは手っ取り早く♂と表記され、物語に深みとやらを出すためと、男と性行為をし濡れ場(読者サービス、性犯罪の促進機能)を創出させるためだけに用意された、男の想像がつくった都合のいい、女性から見ればまったく現実感の湧かない女と、それなりの困難を乗り越えて、出会う。固有名詞が現代気分を演出し親しみやすさまで醸し出し購買意欲をそそる。が、何もないというテーマのもと書かれたこの筋らしい筋のある物語のプロットはある理由で日の目を見た。それの奇妙としか言いようのない偶然の連鎖の物語について語る。そろそろ字数稼ぎはやめて誠実に(いったい誰に対して?)タケルについて書こうかと思ったが情報過多の弊害により知識だけは膨大だが原体験が脆弱なため他人の言葉の寄せ集めと切り貼りでしか文章を捏造することのできない軽妙洒脱構築なエクリチュールに耽溺して溺死した親友を持つこのタケルが再び口を開けば(もちろんココロの、である)引用マシン夜露死苦ペーストコピークリックレアモンを繰り返しやがる。望むのは極々に昂められた集中力によって脳が繰り出す呪いとも祈りともつかぬ言葉の乱舞と濁流が純白を漆黒で覆い尽くすことだ。決して誰の真似でもない無から有を創る所業だ。そんな鍵盤叩きの曖昧な痕跡こそいまあなたが読んでいるこの恣意的な言葉群だ。タケルそのものだ! 不合理な、不条理な、死。花火の破片で死んだ幼女、電車の天井に登り感電死した青年、歌舞伎町のビルで焼け死んだ人々、そんなやつらに思い馳せるたびに、人間の生死が気紛れに過ぎないと思い知らされる。感傷異常だ。埋葬過剰だ。弔辞不足か? まったく共感できない歌詞が異常過剰に売れまくり、疎外感と孤独感が純粋畸形を大量生産。みんなが好きな、関係のない人々が殺される事件を創出する。おーい、関係のない人々って誰のこと? 関係のある人々って誰のこと? 関係ナイナイないもんね。隣人死んでも関係ない。友達死んでも関係ない。恋人死んでも関係ない。メル友死んでも関係ない。親子死んでも関係ない。早く世田谷のあの場所にマイホームを建てようよ。関係のない殺人現場のあったあの場所に! ああそうさ、みんな友達さ、あの異常殺人者も死体愛好者も整形歌姫も包茎俳優も! 青年症候群を患うタケルは言う、おれは女子大生が女子高生が名もなき一般市民が関係のない先天的殺人者に理不尽な殺され方をしたとどっかのマスコミ報道さんが喧伝なすったとしてもそれを関係がないだとか理不尽だとかとは思わないだろう、どうみたって関係はあるし理由も頗るよくわかる、と。現代ジャポンのシステムが必ず貧乏人と殺人者を産み出すようにできているとまだきみは気づいていないのか? きみ以外の人間はすべて気づいているんだぞ。当の貧乏人や殺人者でさえな。まったく安穏平和を貪っているわけだ。おまえらの安穏平和絨毯の下にあの行方不明になってまだ発見されていない人間たちの白骨遺体が粉々に粉砕され敷き詰められ断熱材代わりの生活の知恵として機能していることにまだ気づかないのか? 早く捲れ、絨毯をソファアベッドを床暖房を貴様の愚鈍な魂を! タケルは誓う、この世から理不尽な殺人がなくなるまで笑わないと、微苦笑でさえ浮かべないと、無表情のための無表情で、虚無を体現して見せると。少女誘拐がなくなるまで、強姦が輪姦が性的虐待が痴漢電車がなくなるまで、買春の合法化運動を手段の目的化も厭わずにやりつづけるだろうな。それが生きる糧なのだから。心の支えなのだから。主体行方不明の現代気分なのだから! 繰言は嫌いだ。抽象も嫌いだ。具体的なことを言っていると思って疑わないやつがもっと嫌いだ。これを書いているのは誰だ? この物語の主役は誰だ? エキストラは何人必要だ? 気の利いた技巧は必要ですか? 現代気分演出のための小道具はいかがいたしましょうか? 伏線は? 構造は? 構成は? 主題は? 主題の消滅が主題? 古いっすね。スカしたやつらが多すぎだ。知らないやつが歩いてる。知らないやつだけ歩いてる。あいつもこいつも知らないぞ。この街には知らないやつしか歩いてない。だのに! どいつもこいつもそいつを見る! 視姦する! 視殺する! 視虐しやがっている! うがった情熱が周りに悟られそうだ。大人用オツムから糞尿が漏れる洩れるもれる! タケルの思念が垂れ流されている。陰鬱が妬みとともに悟られそうだ。実体験のない物語作家がエンターテイメント界を席巻していやがる。国民的美少女が非国民的不美少女に転落しそうだ。だから、何度も訊いているだろう。貞淑なブスとヤリマンな美人、どちらが倫理的に正しいのかって。それでも買春を売春をエエジャナイカ交際を否定しますか? 不細工な女子高生を見るたびに暗澹たる絶望に襲われるのはなぜだ? 人生の最も輝かしい季節に輝いていない人間はいったいいつ輝くつもりなのだろうか? ユーモアだけでは誤魔化せないぞ。最早。体言止め以外の技巧を知らないのかおまえは? 耳鳴りだけが、おれの生きてる証を他人に知らしめる。チックだけが唯一の自己表現。チック芸術家三二歳、独身、オナニスト。もうとっくの昔に気づいていたことだが、いや本当に、小学校低学年のころには(天才、秀才の(中の不良、もしくはかぶき者)の集まりたる作家先生たちなら、それこそ生まれる前、生まれてすぐにはお気づきのことだと思いますが)、書けば書ける何事も、ってことなんだよね、タケルくん。いや、CGも然り。所詮は絵空事、所詮は戯言。どんなに深刻ぶって見せても、言葉は言葉じゃないか! ああ? 何万回小説の中で人を殺してみても、何百万回愛と書いてみても、そんなものはまったくの嘘っぱちだ! 他人の嘘には敏感で陰険なまでに厳しいのになんで紙の上の嘘、デジタル紙芝居の嘘は放任するんだ? 環八環七走ってみても堂々巡りどうでもいいが。またしても、言う。ぼくは言う。何万回、何百万回でも言う。いや、書く。いや、叩く。もっと根本を見よう。本質を本性を直視しよう。そのくもりのない眼で。(ああ借り物の言葉を、精々つぎはぎしてできの悪い模造品をつくることしかできない世代、いや、おれの愚鈍な脳味噌が)。タケルはある日気づいた。他人が怪我をしても痛くないということに。これはタケルにとって、まさにコペルニクス的転回だった。発見!だった。ユリイカだった。コロンブスの卵だった。ころんだぶすのたまごが割れた拍子に見えたパンチラだった。そうブスでも美人でも、実は(みんなは同意しかねるだろうが、真実は、世の摂理は)男はパンチラが見たいのだ。そう、その首の上にどんな上っ面が乗っているかは関係なく、パンチラ=見たい、というパブロフの犬的反射神経がつくられているのだ。それと同じだ。別に照れているわけではない。本題を先送りしているわけでもない。手段の目的化は本当に頻繁に起こる事態であり、倒錯だ。まあ、いい。言いたいのは、他人の痛みは痛くねえということだ。つまらんことを言った。が、この発想は、いちおうオリジナルだとタケルも思っている。もう誰かがどこかで言っているかもしれないが、少なくともタケルはそれを読んだり聞いたりしたことはない。勿論、他人がナイフで刺されようが腕の骨折ろうが前歯圧し折られようがタケルは痛くない。なぜか? 刺されたのが折られたのが自分じゃないから(自分以外の人間である)他人、他者だからだ。ただ厄介なのは、痛くはないが、痛い気がする、ってことだジョニー。こいつは本当に厄介だ。慧眼の持ち主であるところのタケルでもつい最近まで気づかなかったのだから。物事の本質をモザイク処理するのがお好きなアメポン外人ワッショイ国民諸君は、気づくはずもなかったろう。だから、おれが啓蒙してやるのだ? 知ってるか? 啓蒙という意味? 別に知ったかぶりをここでしようとしているんじゃないぞ(勿論、啓蒙の意味を知っていたからと言ってインテリぶれるわけではない、知っていて普通だ、と思うように)。知らないなら、知れ。わからないなら、調べろ。タケルはいつもそうしているぞ。辞書ば捲れ(メクレと読む)て言よるとたい! それでもわからないなら、わかるまで待て。決して知ったかぶりをするな。知ったかぶった時点でおまえの成長は止まる。簡単なことだ。頭のいい人間ほどわかるまで待つということを知っている。それと一緒だ。君は友人が交通事故にあったとき、痛かったか?(勿論、大変ココロを痛めたこととは思いますがね!)少なくとも体のどっかが痛くなりましたか? わかってる。そんなことは当然だってね。タケルも随分成績不良で通ってきましたが(なんせ高校を中退したぐらいの愚か者ですから、かれは)、そのくらいのことはわかります。いわんや、優秀なみなさまにおかれまして、その辺の事象は百万承知といったところでしょうだがしかしそれでもこのくどいオノマトペは叩く電子計算機を。他人の痛みは痛くない(できれば近代の産んだごく個人的作業である黙読をしばし中断なされてこのフレイズを音読されることを期待します。正しい日本語よりも美しい日本語よりも真実の日本語を! 声に出して読まれたし!)。この単純なことに気づくのに(言いかえれば戦後民主主義教育の似非ヒューマニズムの呪縛(洗脳)から解放されるのに(それは一重に自分で考えるということを止めなかったからです(タケルたちが一番好きなのは、酒ギャンブル煙草セクースなどではなく考えることなのです。そして考えてることをたまに、本当にごくたまに電子計算機に素描してみたり、口角泡飛ばしながら新宿駅周辺を歩いて見たりするんです。)基本は考えることです。思考すること思索すること。しかも自分のココロの身の丈に正直になって(というのは、さっきも言ったように、わからないこと知らないことをありのままに受けとめて、そこから思考を開始するということです。もし、何か本を読んでわからないことがあったら、それは文章の意味がわからないというよりはむしろ多くの場合そこに書いてある文字の意味が判然としていないために、それが一つぐらいならなんとかなる(つまり前後のコンテクストから推測することで補える)が、三つ四つあった場合には、もうお手上げということになるのです。しかも、さらに厄介ご厄介なのは、わかった気になっている単語が散りばめられていたときです。あなたは精神と心の違いがわかりますか? 恋と愛の違いってなんですか? 友達と親友の差ってなんだと思う? どこからが浮気? なんで男性は複数の女性と性行為を持とうとするのか?(ぶあか、元来、人間の男が特定の唯一の女性としか性交しないなんて思ってる方がおかしいのだ。すでにセックスは元来の目的である生殖からかけ離れ、快楽をその主目的にしているのだから、自然界の法則から鑑みれば人間はもはや畸形動物でしかないのだ(もちろんココロの畸形だよ!)(と言いつつも、あらゆる生物は快楽を目指すという自然界の法則から鑑みれば、この快楽主義も至極当然と言ったところであり、結局は、ナンデモアリというわけだな))。思考することです。考えることをやめてはいけません。事故啓発セミナーに行ってはいけません(意図的ですよ、確信犯)。依存は、思考の放棄です。思考停止のスレイブ状態です。思考を志向しろ! なんてジャレてみても、タケルはみなさんがそれをお望みならいくらでもジャレて韻踏んでみせますよ(そのために大枚払って逆引き辞典を購入することだって辞さない所存ですよ)。人間がセックスを快楽に使い始めた瞬間から、もうそれを自制することができなくなったように、人間がある日考えはじめた瞬間に人間は考えることを止められなくなったんだ。ありきたり表現ですまないが、走り出した列車は止められないんだよ。止まるときは死ぬとき。それ以外にない。考えろ。考え抜け。(発狂しない程度に)。快楽と思考。ちんことまんこの出し入れの如き飽くなき思考を! 思考人間を! シコシコ人間を! 思考型快楽人間、もしくは快楽型思考人間、もうそれしか人間として有意義に生きる生き方は、ない!(ときには、蛮勇を持って言い切ることが必要なときもある。実際はこの世に断言できる事象などもはやないんですよ。すべては仮初の真実であり、相対的なものであり、絶対唯一の真実などもう本当にどこにも存在しないんですよ(耳鳴のごとき錯覚幻想はあっても)。考えるために考える。書くために書く。そんな倒錯は必然として生まれたのら。そう、だから、痛みだ。体の痛み。それを共有することはできない。(それは万人が納得するとして)わたしは言いたい。ココロの痛みも、また然り、と。いままで痛いふりを何度も何千回もしてきたが、もうぼくはそれをしない。なぜなら、痛くないと気づいてしまったからだ。他人のココロの痛みがわかるなんて嘘っぱちだと気づいたからだ(おお!なんと今流行のポップ酢のような仮死! ポップスのリリックはもはや書くために書かれている。気の利いたフレーズの集大成になっちょる)。欺瞞だ! 自己欺瞞だ! 他者欺瞞だ! 謀略は謀略によって糾弾されうる。欺瞞も欺瞞によって反駁されうる。ならここでおまえは欺瞞野郎だと繰り返そうか? 欺瞞の自己増殖を起こして言い逃れようか(何から?自分から?自分の弱いココロから?現実逃避浪漫飛行?ココロの脱走?疑問符の拷問?レトリックの罠!)? 合わせ鏡の奥から悪魔がやってくる。虚像の虚像が虚空からコピーのコピーがオリジナルのふりをして! オリジナルシストとして!(造語氾濫、レトリック氾濫! 感嘆符氾濫! 疑問符氾濫! キーボード作家氾濫! ノンリニア編集家氾濫!)もう、おまえの下のコンクリアスファルトの下の無縁仏は見つかったか? もう、自殺した友人のことを忘れたのか? その場その場その場しのぎが大氾濫。知ったかぶりが多すぎだ! 知らないやつが多すぎだ! もう本当に新しい友達はいらない。せめて(本当はもうあらゆる友達を消去したいのだが)いままで知り合った友達を大切にするのが、やっとだ。これも最近タケルの気づいたことだがクラスメイトは減ることはあっても増えることはないんだなーってこと。もうこれからは中学時代の友達は増えない減る一方だ。知ってた? 人生は儚い。過去は戻らない。ただ感傷に摩り替わるだけ。諸行無常の不断の努力。咲かない花の如し。だから、ココロに花を! 世界に花束を! 死ぬ思いで咲いた花の腐乱死体の束を! 花を殺す職業に従事する人々に敬礼を! かれらこそ文学者哲学者詩人よりも蛮勇を持つものなり。生きている。生きているもの感動! 生殺与奪の権利を持つ人間こそ万物の神! ジャッジメン! また人が死んだぞ。人が死なない日はあるのか?(ある。それは、人が死に絶えた、翌日から永遠に続く!っていうインチキ言葉を並べ立てるのが、おれ(だれ? タケル? 違う)の仕事だ! そしてそれをインチキだと露悪的に露出狂の如く見せびらかすのもおれ(だからだれ?)の仕事だ!)ない。そんな日は、来ない。そう、あらゆる崇高で賢い人間よりも、世界の栄誉を総なめにしたヒーローよりも、美と知性の頂点に輝く女優よりも、あの気高く美しい薔薇の花が斬首刑にあわない日がないように! 気の利いた言葉よりも行動を! 詩よりも警察を増やせ。自警団を形成しろ。監視カメラを街中に張り巡らせろ。おまえのかわいい娘が異常性欲者の餌食になってもいいのか? おれ(だからだれだっつうの)のような変態が街にはうろうろしているのだぞ! はやく(美しい順に)少女を守ってやれ! おまえのちんけな腰使いが創りたもうたでき損ないを! あなたの娘さんはいったい何番目に美しいだろうか。美しいものは正しいのか。正しいものは美しいのか。美しいから正しいのか。正しいから美しいのか。知らん。ただタケルのココロが肉体から離れていこうとしているんだ。コトバがココロから離れていこうとしているんだ。話せば離すほどね! 黙れば溜まるのに! それをだれか食い止めてやってくれ。さもなければ、不安が押し潰すぞ。今日の小島を。明日のジョウジを。ころもえhんに貸すろ買いR手なんとよむのか? わかるきょんきょん。? そばにうくを。タケルはハレルヤ。妊娠十ヶ月か? お オブセッション。か? 空に太陽、雲に不安、ファンレターが届いた非、キーポーDそがそ寂する。緒方差だ子がその浅薄B名思考を露呈する。決まり文句の雨嵐でできた小説が芥川先生の冠に跪いている。お金が、ソファにマンションに、。児島がいる。誇示マックスホールドが。酢尾エース。ジョンかびら。自前のパンツ、自前のコトバ。言葉。言葉。言葉。言葉はこころだチョムす起案。字時航連立いつのこと。隠遁生活いつまでも。明日詩に熊しれないけれど、よければ彼女に会いたい。タケルのガールフレンド擬態の美穂ちゃんに。朝日が、昇る。地球が回る、周る。言葉が破裂、葬式がはじまる。結婚式が、ロード。オブ。メジャー。炊飯器。オダイモク先生! タケルとの邂逅。さあ、告ぎへ。ネクストへ。根クスTバッターさK―来るへ! 十一月十三日に会いましょう。
そしてロリコン
アマノガワタケルは最期にこんな手記――本人は、詩もしくは歌のつもりかもしれない――を残した。それはマルマンのスケッチブックに黒のサインペンで丁寧に書かれていた。それを書き写す。
「この世は悪意と憎悪と逆恨みで充満し切って膀胱が破裂しそうだというのにこの安穏平和はなんのデマゴギーによるものか? 世界の破滅を謳う会の集会がいま全世界のネットワークによってコミュニケートされようとしている。それをいかがわしいものだと疑うのであれば一度あなたも参加してみたまえ。さすればこの世がいかに愚鈍ででき損ないの知恵遅れかよくわかることだろう。でもね、兄弟。でもね、妹。夢を忘れちゃいけないんだ。夢を忘れたらこの世はほんとの生き地獄になっちまう。夢はパラダイスの幻想投影なんだから。友人の死を嘆く前に他人の幸せを願え。自分のサティスファクションを呪え。他人の言葉がすべて呪詛に聞こえるころようやくこの世の第二ステージ。夢舞台。帝都に降る雨の冷たさを何に喩えようというのだ。夢から覚めた儚さを少女の幻で埋め合わせできるほどこの世はお人好しでも保証人不用賃貸マンション不動産業でもない。ない。ナイアガラ。がらもん。ガラガラ兄弟。ゲバラの見た夢。悪夢。カフカの遺言。ジョイスの憂鬱。龍之介の見た幻。ソシアルクラブに通う母。満足という名の不満足を自己欺瞞という名の処世術によって夢の向こうへつれていって。明日の希望を前借したい。青春のうしろ姿を背中でダイブ。GOGO1980新世紀。おれは生まれた上っ滑りなこの社会に。ジャポンに。だから、死なない。生きない。夢見ない。少女を犯さない。セルフフェラチオに精を出す。精子を出す。努力する。夢は見ない。夢も見ない。夢が見れない。夢が。夢想の無情を御陀仏に、釈迦力募ってエンヤコラ。どっこい生きてる牢の中。死刑囚の憂鬱。時効間近の政治犯。流れ弾の犠牲者。忘れろ残虐行為。忘我機能をフル活用して生きぬけジャポン! ちんたら小僧のしょうべんを飲ませてみたいアナウンサー。ガールイズガール。伊豆のガールは踊り子ダンサー。ボーイファックガール。抒情詩を思いついた風俗営業。だれもいない大通り。だれもがいない目抜き通り。掃除夫の吐いた絶望という名の資源ゴミを黒いカラスが白く輝く朝焼けに夕べ見た女の血潮がノーリーズン。だから、飛んだ。カラスの風船。気球に乗ってどこまでいこう北朝鮮。体言止のポン引き。殺したい。途切れ途切れのワードの中に無性に腹立つ夜もある。昼見た夢のつづきを朝見たい。じょんがら節。ジョンが愛した鰹節。止まらない政治汚職に少年検事のメス。メス同士のまぐわい。光るカラオケ喫茶の十五時半。おやつタイムの台風暴走。ぞくぞくするよな夜更けの午後。泊まったホテルの黴臭さ。覚えているよ修学旅行のガールハント。教師の痴態、天使の憎悪。ババアの植毛。幼児の退廃。デカダンス! ロマネスク! シュールフィクショナリズム! トータルアドバイス! 責任編集。以下省略。メルヘンブスが泣いていた。世界に絶望したからだ。自分の父親が社長でないと気づいたから。冴えないサラリーマン兵隊と知ったからだ。母親がテレクラSMショッキングエブリデイの売女と知ったから。乾坤一擲の決心を結婚前夜の今日と言う晴の日に夜空の向こうに流れ星を夢想しながらララバイ十代とつぶやく勇気の徒労感に蝕まれていた。だから、泣いた。喚いた。しくじった。慄いた。途惑った。重度障害者に最後の晩餐。象の花子は賢明だ。人類のエゴの象徴が図々しくて厭になる。だから、音楽は鳴り、病まない。何かの平均値を割り出すことが事態の有耶無耶化を促進していることにまだ関係省庁は気づいていない。だから! 明日のセレモニーを万事滞りなく卆なく憂いなく両親の懇願を持って成功足らしめなければならない。お人好しなマスオさんに無花果浣腸プレゼンツ。ああ、頭痛い。頭痛がする大人の代弁者。エイジェンシーエナジー。止まらない妄想百花繚乱雨嵐。そろそろお休みママン。深夜のラジオ体操。イメージの濫立。反乱。暴走。逃避。気紛れ。無意識の発露。繰り返し。模倣。剽窃。コピー。エピゴーネン。パクリ。インスパイアー。リスペクト。共同体幻想。一本足打法。開発プロジェクト。ジャッキー淳。百万日の日延べ。弱者の横暴。すべてはWAGAMAMAという一言で片付けられる。早く死になさい。さあ、早く。さあ、さあ、さあ、さあ、さあぁっ! 家族を殺され打ちひしがれている人間がこの世に一人でもいる限りわたしはバラエティ番組を見て笑うような不謹慎極まる愚行を行う気にはならない。一度でいいとことんやってみようという気にはならないのだろうか。おざなりな陳謝会見。その場限りの縦皺。シリコン注入夜露死苦! フィロソフィアーに美醜に関する根源的問題の解決に取り組んで欲しい。汚い物を汚いと叫ぶ会を発足しよう。薄っぺらい道徳心をもっと普及する会を普及させよう。陳腐な物語を現実逃避手段に使用することを禁止する条例を都議会に先駆けよう。魁YOU。おれの辞書。おまえの談話。自説他説定説丁寧説明。世界が自殺を懇願する日。明日見る夢のつづきを書き止めよう。留めよう。耳鳴と偏頭痛と肩凝りとチックの嵐、注意報。そばによるな、側用人。だれが地球を救う? 絶望的孤独犯罪者の手記でさえスノッブの手遊びにしかならないこの世の中を憎悪と嫌悪と悪意を撒き散らしながらルサンチマンと叫びたいだけさ。そんなおれの戯言をぼかしモザイクの夢の中、うつつとほざいた鴉を奉れ! 国造りの神話を風俗店に掲げろ。陽炎。お銀の入浴。ニューヨークテロ事変。同時多発の射精祭。勃発炎上リビドー祭。宴がはじまる、宴がはじまる、宴がはじまる神社の境内。提灯ぼんやり闇の中、祭囃子の幻聴を聴いた気がする縁の下。えにしの絆を溶かして練って吉備団子。早くSCHOOLに行かないと。教師の張り手が飛んでくる。だから、相談した。世界をそこそこ平和にする方法について。ビートとリズムを排除しろ。風の歌を口ずさみながら少女は早退、地下鉄電車の渦の中大人のエゴを逆恨み、生まれた自分にさようなら、トーサンカーサンありがとう、セックス三昧藪の中、じらしたNOの字の悦楽、貪婪塗ってニキビを隠せ! 隠蔽だーゲームの頬ずり。トランスパレントディメンジオン。トランスパレントディメンジオン。トランスパレントディメンジオン。びかびかの廊下掃除。美化週間。お掃除おばさん夜の顔。お経が聞こえた自分の葬式。スカートが捲れあがって同級生が喜んでる。だれ、あいつ? 知らない奴が多過ぎだ。裸で街を歩きたい。呪詛祭に繰り出したい。できれば、たった一日、不快にならず、友達と家族の温かさに包まれて、安穏平和を生きてみたい。生きてみたい。生きてみたかったトランスパレントディメンジオン。ソーダ水。彗星の煌き。くすんだ青春。黄砂の春。ハイジになりたい。俳人になりたい。世捨て人の厭世観。できれば、たった一時間、幸福を、不幸を期待しないで、感じてみたかった少女の午後の憂鬱をどれだけ大人の大人な意見で繕ってみたところで綻びだけが貧乏臭い。貧乏臭い説教発狂教師の猥褻行為を子供があやす、現代ジャポン、できれば不幸を知らずに生きたかった。できれば、無邪気なままで死にたかった。白いキャンバスに一滴の憎悪を垂らしたとき、キャンバスが白でなくなった。純潔が犯された。キャベツ畑が枯れ果てた、腐敗した、おめこの熟熟快楽に取って代わられた。だから、おばさんになる前に死んだ。永遠の処女の自殺を、だれが! その口で! おくやみなどと! ほざけ! ほざけ! ほざけ! 論理武装と貞操帯、これで完璧よと言った現代モダニスム型乙女の、眼球からこぼれ落ちる排泄物を、いったいおれは何に喩えようとしているのだ! 私鉄電車の痴漢行為を撲滅させろ! 何ものにも変え難い乙女の純潔を全速力で守ってやれ! 犯せ! 汚せ! 穢れを穢れで覆い尽くせ! 憎悪を発露発見、温故知新! 三重苦の苦しみを誠実なまでの凌辱行為を、乙女救う、乙女に巣食うオヤジのザーメンを。ブス少女、美少女オバサン。いたいけな少年。登場。コサキンでWAOOO! 立ちんぼ警官。ピストル乱射。小市民多数死亡、少し、杉並区が住みやすくなりました。方言少女の戯言。痴呆少女の上京物語。状況劇場大繁盛。レッドの鴉を浸食する夢。猿とやった人間物語、十五時開演、チューインガム閉館。少女の膣が腐る前に…永遠を型取りしろ。独立自尊を標榜しろ! 独立自尊の人間足れ! 瑣末な人間関係に溺死する前に、独立自尊を宣え! 肥を大に! むっちり太腿、ぷりぷり臀部、艶めか口淫、パッチリ整形、二重写しの青春群像。ドクリツジソン。在野精神糞食らえ! 群れる家畜を軽蔑しろ。共同葬式を駆逐しろ。無縁仏を敬え。過激派を逃げ腰だと嘲、笑え! とぼけろ。擬態な事態を退治しろ。夢を、さようなら。さようならワガママ少女。いつか、ママになる、子供たちへ。デストロイヤーディボース。弛んだドラム。弛んだ性器。弛んだ生活指導。校舎の陰の売春。輪姦学校、そっぽを向いた教師たち。迷える子羊の言葉遊び。ダダ! 駄々を捏ねろ! 捏造万歳! 自作自演の青春。たった一日だけのタイムスリップ。杏子の木の下のタイプカプセルラプソディー。郷愁よ、われを欺かん。センチメンタルタクシードライバー、射殺、されろ。句読点にイノチガケ。信長の些細な野望。トマソンの香り。夢の終わり。尾張大納言長七郎。夢見小町の町興し。たった一度でいい、教壇の下で教師のあそこを舐めてみたい授業中。接客中。イメクラヘブン! ヘブンスター! おれは信用しないあらゆるマジョリティーを。おれは信用しないマジョリティーの不幸面を。おれは、切り裂く。欺瞞を。模倣を。不幸自慢を。誠実でない態度を。硬直した思考を。弔え、大学受験就職面接結婚願望老後不安。ただ、ただ、感謝。ただただ、ガールはガールであり少女であり処女でありグロい性器の宿主である。陰険な陰茎の隠蔽だけを目論む輩の尿道結石。インポテンツは最終解脱の境地か! 狂乱か! 痴態か! 時代遅れのラブソングを気のない素振りでつぶやく少女が歌舞伎町をうろうろ、うろうろ、うろうろ、うろうろ、うろうろ、ピンクガーデンに入り浸り、酒浸りのドラッグ中毒、サイケデリック自意識克己。国旗掲揚校長自殺。少女の涙の意味するわけは? サイケデリックインマイルーム。サイケデリックインマイガーデン。サイケデリック三十路のばばあ。死をもって貴ぶ。死をもって少女を解放する。死をもって、死をもって、死をもって、口篭もる。口篭もる。口篭もる。わたしは無力と、口篭もる。エキセントリックな節回しで国歌を歌う。最早国歌に聞こえない。最早、風の歌すら聞こえない。薄いブルーとつぶやく。限りなくトランスパレントディメンジオンなブルー。ブルースが、聞こえねえ。浪花節が意外な素顔。浪花節だったんだ文学WA。bugaku村に発情勃起感謝敬礼村田弔辞。エンドレス地獄のランパブ人生。辻、人生。斜向かいの男の子の股間を弄る給食時間。カレーは華麗と詩人してみるポエム気分。お気楽人生。パラダイス、銀河系。速攻ファック! ファックアイラブユウ。世界が少女を凌辱しはじめる。純潔をものの見事な一撃で、亡きものへと昇華しようとしている。もはや気の利いたアフォリズムだけでは誤魔化しきれない。ロックンロール叫んでみても、何も変わらない。だから、物語りはじめる必要がある。新しい神話を捏造する必要がある。新生ジャポンをニヒルに笑い飛ばす必要がある。この世にはもう何も新しいものなんてないという諦念ムードをやり過ごしてきた九〇年代に短くも鋭い穴あき訪朝をクリリンと刺し込まなければならない有事が、もう、そこに、迫っているというのに、大人たちは、何もしない、子供たちも何もしない、何もしないまま何もしない大人になって、何かした気分で老後を迎え、そこそこ生きて死んでいく。死すら惰性だ。人生は惰性だ。それすら気づいていない、道聞き齧りな説教ロマンポルノに金属バットの洗礼を。まだまだ通用するぞスチールバット。すすめ親殺し! すすめ幼児虐待! 蔓延れ少年犯罪! 凌げ三文小説家! 作れマイホーム! 惨劇世田谷マイホーム! 笑い飛ばせ時効の殺人者! 濡らせおまんこ! 建てろ賃貸! 極めろ殺人術! 一部の隙もない映像の嵐と音楽乱舞に狂喜する若者のバイトを斡旋してあげよう。できれば時給千円以上の。異常者への過剰な接待を志せ! 危言、珍言、妄言、失言、断言、壮言、進言、やさしいこころ。時間旅行という名の旅の果て、メモリー一杯で救う命。もうそろそろ終わりにしようというお開き宣言。まず、何かを、はじめる前に、よく、よくよく、考えよう。と、勧める川面の老人。それは、だーれだ? 道路公団が作った原宿。買春広場。スタジオ渋りの三鷹駅前。三羽のカラスがカー、カーァ。予期せぬ事態に慌てふためきトキメキキッス。人生の長丁場。長科白を吐く演出家。人生の指導者。夢の番人。妄言の行方。正論の彷徨。ブラフの杜。ポプラ並木。あ、背中が痛い。ファン、ファン、ファン、イズノオドリコはマスターベションスマタションベンの真っ最中だった。この世は男子のリビドー妄想の捌け口でできている。わたしのオマンコはザーメンの入り口ではない。ましてやバイブレーションをぶち込むためでもない。自らを慰めるための孤独の穴だ。推敲を重ねる努力よりも、膣を掻き回す技巧を身に付けた方がどれだけ社会に出てから有益だろうか。オドリコにできる仕事のもっとも高給な時給の商いは、春、RUN、MANしかない。仕方ない。だれが彼女の孤独を知った風な口で慰められようか。涙の数だけ射精しろ。ルーティンワークで射精しろ。孤独の穴をその場凌ぎの快楽で、MITASE。そしてKOUKAIしろ。思いっきり後悔できる人生は、きっとどんな人生よりも素晴らしい。オドリコは奨励する。売春を買春をエエジャナイカ交際を。だから、わたしを買って、慰めて、おしっこ飲ませて、キチガイバンド。夢は限りなく透明に近いピンクサロンの開業。花びら満開。花は咲く、咲き誇る、ミッドナイトに夜明け前に。一番くらい夜明け前、前世の記憶が甦る。生まれる前から売春婦。売女が読むバタイユ。売春には文学が、ある。売春には、知性が必要だ。論理武装が、必要だ。腰をチクタク、気の利いたワードを囁く。助詞の排除。女子の排斥。排他的頭脳集団、それがSALE、ON、SALE、GIRLS、SEX。SEX三昧。汚れちまった、糞尿に! 孤独の穴に引きこもれ! 電子計算機の反乱を夢想しろ! 学歴偏重主義に荷担しろ! あらゆる価値観は、必然的に生まれたのであり、よって、全否定されることはない。子供にも人権はある。子供も人を殺すこともある。事実はフィクションに勝てるか? フィクションは模倣を脱却できるのか! 乙女は少女は完全無欠のオリジナリティを勝ち取ることができるのか!? だれかにだれかの真似まねだと言わせないだけのオリジナリティリアリティを得ることは、できるのだろうか? だれも教えてくれない。教科書にない教科書ですら、教えてくれないこの世の秘密を、少女は知ることができるのだろうか。純粋無欠の清純乙女に完全なる独創性を付与すれば、世界は核弾頭を放棄したくなる。見せかけの世界平和が薄利多売でやってくる。今日はお祭。年に一度の村祭。わっしょいわっしょい荒くれどもが関西訛り。鈍った腰をリサイクル。浴衣に着替えたオドリコがノーパン喫茶でバイトする。呪詛祭に行く。興じる。戯れる。やり、まくる。その前の通過儀礼。マスターベーションインマイルーム。濡れたまんこに希望が見える。漏れる聖水に老婆が跪く。愛液一杯の社会奉仕。真のボランティアナイト。畸形の言葉。言葉の畸形。畸形児の反乱。真のマイノリティ革命。ピストンSEX、ザーメン乱射。機銃掃射のどすこい恋愛。村の男は求婚、トマト。大きな玉ねぎの下の潰された少女が二人。今宵も復活する。いーんですか? いーんです。イズノオドリコは今日も歌う。悲しみの歌を。死者を弔う歌を。この世から理不尽な殺人がなくなる日まで。売春を性奴隷の実践的解決策として。具体的な政策として。だれもいない教室でのマスターベーション。学年一の性的乙女。乙女症候群! 突起物ならなんでも恋しいお年ごろ。文学界のアナーキストとして。偽善者として。偽悪者として。以上、薄利多売な俺の魂より」
 この手記(詩? 歌?)を書き残したあと、アマノガワタケルは消えた。この世から跡形もなく。そしてロリコンが生まれた。なんの変哲もないロリコン野郎が。彼の使命は、平成生まれと3Pすることである。その使命を貫徹するために彼は仮面を被る。善人という名の仮面を。選ぶ職業は、教師。もちろん小学校の。信頼の厚い、勉強熱心な先生。ひょほ。いまから楽しみだ。強引にやってやる。ちんぽを無理やりしゃぶらせて、まだ毛も生えていないまんこにぶち込んでやる。あああ、孤独という名の穴にね。畸形児という名のぼくの男根を。ねじ込んでやる。誰が責められる。だれが偽善者ぶれる。ロリコンは正義だ。ロリコンこそ究極の芸術なんだ。女性の方々も是非、小学生男子のぽこちんでもしゃぶってやってください。男女平等。ロリコン平等。ナボコフ万歳!
 ところでついこの前、数少ない友人の一人が発表会があるので来てくれないか、と言ってきた。かれはジャズオーケストラのサークルに所属しており、トランペットを吹いている。と言っても、大学からはじめた初心者である。そのかれが初めて不特定多数の聴衆の前で演奏するので、少しでも多くの友人に見て欲しいと言う。それならば、善人のわたしが行かないわけにはいかない。わたしも初めて自分の戯曲を上演したときは、友人の温かい言葉にどれだけ助けられたことか。嘘でもいい、かれに演奏が終わったあと、よかったよ、と声をかけてあげたい。そう思いわたしは会場に足を運んだ。
 控え室を覗くと、緊張した面持ちでかれはトランペットをいじっていた。そして、わたしに気づき、なあ、おれ、急にソロをやることになっちゃったんだ、ソロをやるはずだったやつが来ないんだ……おろおろしながら、かれはぼくにそう言った。だいじょうぶ、おまえならやれるさ、ぼくは、嘘でもなんでもなく、そう思った。うん、かれはやれる。絶対に。かれほど誠実な人はいないんだから。ぼくはそういったかれの態度を何度も目の当たりにしていた。だから、確信していた。誠実なやつはここぞというときに栄光をつかむ者だってね。きっとソロのやつがこないのも、こいつに栄誉ある役目をまわすための神の仕業に違いない。がんばれ、しっかり見てるから。ぼくはそう言って、部屋を出た。  広いホールにはそこそこ人が入っていた。かれらの演奏は上級生がやるメインの演奏の前の新人発表としてやるものらしい。ぼくにはジャズの素養はなかったが、かれらの初々しい演奏は心にくるものがあった。いつ彼のソロになるのか我がことのようにドキドキしながら、わたしは演奏を聴いた。
 わたしが感銘を受けたのは、かれを含めたその新人たちの演奏する姿のひたむきさだった。顔を紅潮させ、口を膨らませて、一所懸命に管楽器に空気を送り込み、指を必死で動かす姿は、演奏の上手下手を超えて、なにか一瞬でもいい、我を忘れてなにかに取り組むことが最高に素晴らしく、美しい、ということをわたしに気づかせてくれた。なんだか、ロリコンである自分に嫌気がさした。性に囚われ畸形に歪んだ自分が、さみしかった。
 この世には、完全な人間などいないだろうし、完全なる美も正義も倫理も存在しないだろう。だが、わたしは見た。この世界には、記録することのできない、書き留めることのできない、刹那、あらゆる文学や芸術が到達できない、至福の瞬間があるということを。それを、わたしは文学の必要とされない場所、と名づけてみた。NO、文学! である。文学の限界であり、文学はもうすでに敗北していた。あの、瞬間の新人たちに。紅潮した顔の演奏者に。
 気づくとかれがソロを吹いていた。見る人が見れば、とるに足らない、つまらなくヘタクソな演奏だったのだろう。だが、緊張の極限で必死に指を動かすかれの姿をぼくは何よりも感動を持って凝視していた。いまこの瞬間、ぼくは死んでもいい、このままの気持ちが続くのなら死んでしまってもいい、とさえ思った。かれは吹き終え、温かい拍手が起こった。ぼくは、拍手することもできず、涙が止めど無く流れ、膝ががくがくして、錯乱した言葉が溢れていた。ああ、M田くん。そう彼の名はM田といった。普通の、ごく普通の大学生だ。だがかれはこの糞ロリコンに何かかけがえのないものを見せてくれた感じさせてくれた。
 ありがとう。
 ありがとう。
 ありがとう。
 そして、ぼくは絶望する。何もかもに。世界がなし崩しに終わりますようににににににににに任意に2222222222音ヴィんSいざに似におにZSNいCん誌にでな支援いヴィt080位Dぉん司緒Dんzイオrfのィ;絵Rん司緒上vんツン日おfdん部Sイオン儀欧亜S魚蛆Sにウ船Bヴォ言えあ濡苗お韻お韻つBんTるワンBん紫苑簿:あにおrt@園ビオ@塩素いの言えJんT便しうの胃ねあf:;いSの;に尾;案s;ウ濡おエアSノン沿い;gんS:いぽばいぽん映おTべうろい字Tに恩師p:MなS:pん:なRヴィ音」庵」「いにおtね意ん市おにおんTリオンイオTんろSんとん理んs

2005.02.05 Sat 今日で何かが変わるというわけではないけれど2

やる気ナッシングな日々。

17歳のころのダイアリーには「よく泣く」と他人事のようにメモられている。

別に最近は泣かない。っていうか、17歳のころ思い描いていた幸福な生活のだいたいの要素を手に入れた(80%づつ)。もう別に欲しいものなどない。

テレビで大金持ちになった人の人生を紹介する番組をやっていた。あんなに金持ちになったら、自分だったらどんな気持ちになるのだろうか、と思った。たぶん、何かお金では手に入らないもの(愛ですらない)を欲しがるだろうなあ。別にカッコつけではなく、無い物ねだりなんですよ、私は。

笙野頼子「絶叫師タコグルメ」(『文藝』2005年春号)はおもろかった。飛ばし読みだが。やっぱり一番残酷なのって「顔」だよな、って思った。マジで。現実的にシビア。ブルジョアとプロレタリアートの「差」よりも、オブラートに包まれた断絶がある。逆転絶対不可能な。

もちろん、いちばん大事なのは「性格」であり「内面」であり「心」なのだが、そんなものがどこにあるのか私は見たことがない。童貞25年目には、そんなもの方便にしか聞こえないのだが。

韓国映画『殺人の追憶』も見た。黒沢清と阪本順治を思い出した。ソウルから来た刑事を土手でドロップキックするショットとラストの刑事の顔のアップがよかった。『吠える犬は噛まない』も借りたが、見ていない。

例えば、信頼できる友だちのために小説を書くように、小説が書けたらいいなと思う。まあ、それが小説じゃなくてもいいと思う。問題は伝えたい(けど言語化されていない)何かがあるかということだ。(私には、ない)。