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高校を卒業して、東京出てくるまでの、ちょっとした・・・ お? カウンターのすぐ向こうの席から聞こえるこの声は、ミュージッシャンの、今井美樹さん。どうやら、今井美樹さんも、先ほどから上京したときの想い出話をされているようですよ? 今井さんのお話にも、ぜひ、(グラスの中の氷をかき回す音) 聞き耳を〜。 元々宮崎出身で。 そうなんです。 うんうんうん。 宮崎〜から、 うん。 学校に行くために出てきたんですよね。 あぁ〜〜〜〜。 昔は「スチュワーデス」って言ってた あ〜今、 あぁ。(笑) あの「キャビンアテンダント」。 「キャビンアテンダント」。(同時に) うん〜はいはいはい。 まぁ、それ? うん。 を、目指していたっていうか、 うん。 あたしたち〜の 頃はね? うん。 小学校ちょうど1年生だったと思うんですけど うん。 「アテンションプリーズ」 あっはははは!(笑) っていう番組があったでしょう。 あった!あったあったあった。 あったでしょ? そうそう うん。 「アテンションプリーズ」を はい。 小学生のときに 田舎で観ていて、子供心小学校1年生に「スチュワーデスになりたい!」って思ったら、(笑) んふふふふふ。(笑) そのまんま、なんかリアリティーもないまんま あ〜あ〜〜。 ただ、憧れが「ポコッ」と胸にひとつ、 う〜ん。 ここ、入ってきて。 うんうんうん。 そのまんま、あまりいろんなことを考えずにず〜っと、 ず〜っとこう、うん。 学生時代を うん。 で結局あの運動部やってたもんだから うんうん。 もうほんとにそれで、毎日、へこたれていたし。 うん。 だから、本当に何をしたいのかっていうこと正直わからなかったんですけど、 う〜〜ん。 かすかに残っている「スチュワーデスさんになりたい」 うん。 「キャビンアテンダントになる」っていう うん。 のだけを、手がかりにして、(笑) んふふふふ。(笑) なんとか東京に出てきたっていう感じだったんですよ〜。(笑) す〜ごいねぇ!(笑) う〜ん。なるほど〜。 う〜ん。 う〜ん。 だったからぁ ほんとに、私はねぇ、東京に出てきてぇ、 うん。 父〜方のそのきょうだいの 一番、長女、伯母さんが、 うん。 え〜っと「中井」ってとこに 居たんですよ。新宿区の あ〜はいはいはい 中井に。 はい。 だから、西武新宿線ね。 新宿線だ。 うん。3つ目ぐらいんところです。 うん。 そこにぃ あたし、あの〜5歳年上の、お姉ちゃんが居て、 うん。 で、彼女〜が その、伯母さんとおじさんが住、あの寝泊りしてるとことは別の ところに うん。 古いおうちがあって。 うん。 そこを 広い とこだったんですけど うん。 彼女が一人でそこを住んでい たところに、 うん。 その、部屋の四畳半のひと間を借りてぇ、 あ〜あ〜あ〜。 え〜っと〜私はその彼女と一緒に、1年間ぐらいだからそこで住ましてもらったんですけど。 うん うん。 で〜 ほんとにねぇ、東京に持ってきたものは、ず〜っと田舎のときに聴いていた、ラジカセとねぇ、 うん。 それこそ、ユーミンのレコードを〜全部と、 うん。 親父に「これだけはどぉ〜してもちょうだい。東京に持って行きたい」って言って、 うん。 親父から、親父が大事にしていた、オスカーピーターソン(Oscar Peterson)の「ガールトーク(Girl Talk)」のアルバムを1枚もらってぇへへ。(笑) へぇぇぇぇ。(笑) なんか渋いっすねぇ!そこが〜。(笑) ふふふふ。(笑) へぇ〜〜〜! 大好きだったんですよ。 お〜 お〜。 もう〜小学校の頃からほんっとに車ん中に入ると うん〜。 いっつもそれがかかってたの。 う〜ん。 「オンナクリアデイ(On a Clear Day)」っていうのが、 うん。 1曲目にかかるんですけど。 う〜ん。 もうだから私〜〜〜にとってアルバムはほんとに それこそもうまさに「オンナクリアデイ」で。 う〜ん。 我が家は日曜日になると、水上スキーに行ってたんですね。 へぇ〜〜〜。 父が水上スキーを仲間とやってて。 おぉうんうん。 だから〜その〜毎週日曜日に、車に乗るとすぐ エンジンかけるとそれが「ウン」って始まるっていう感じで。 ふ〜〜〜ん。 もうまさにほんっとに 「ある晴れた日に」って感じでね? へぇ〜〜〜〜。 もうそれが、あのイントロ〜 かかって車発進して う〜ん。 ず〜っとその、海のほうに向かうっていう。だから、ユーミンはもう個人的にもうずっと 中学の うん。 1年生のときから うん。 もう出逢ってもう大好きにハマってたんですけど。 うん うん。 もうジャズのものたちはほんっとにぃ、彼が〜イントロいろいろいろエラ(Ella)とか、デュークエリントン(Duke Ellington)とか うん。 ほんとにいろいろかけていた中でも、 うん。 オスカーピーターソンのあの「ガールトーク」だけは、 うん。 ほんとにハッピーな音楽だったから、 う〜ん。 あのアルバムだけはねぇ「どうしても1枚、譲ってくれ」って言って。 お〜〜〜ん。 だからほんとに四畳半の小さい 部屋で、 う〜ん。 もう、机とぉ、 うん。 ほんとに、少しの あの洋服と、 うん。 もう、押入れにこう布団こう入れて、(笑) あ〜あ〜あ〜。 あの〜花柄のついたスタンド(笑) ああいうのしかなくってね。(笑) ん〜ふ〜ふ〜ふ〜(笑)うん。 でもそんな 中に、いっちばん大事で持ってきたものはやっぱり レコードだったかなぁ〜。 あ〜そう〜。 う〜ん。一人で暮らすってか親元を離れて、 うんうん。 まぁもちろん伯母は、のところにお世話になったり、 うん。 最初の1年はね? う〜ん。 途中から、そのあと一人暮らしするようになったんですけど うん。 でも、一人暮らしを始めたときに、 うん。 「青山にこんな長屋があるんだ」みたいなところがあってね。 あ〜あ〜あ〜あ〜うん。 そこの、一室を借りたんですけど。 えぇ。 もうそこ〜、大家さんに最初にもう「ペンキ塗っていいか」って確認をしていて、 うん。 そこの〜 モルタルの壁にもう うん。 全〜部ペンキを塗って。 うん。 パンチを引いたりして、 あ〜〜〜〜 改造して、 へ〜〜〜〜〜〜。 自分でね? う〜ん。 あ 母がちょっと来たときに手伝ってもらって うんうん。 母もそういうことの もういろいろ物つくるの大好きだったんで。 へぇ〜〜。 で大家さんがね、 うん。 「あら!こんなにきれいになって」って(笑) ふへははははははは!(笑) びっくりしてくださったぐらい。 はは〜。(笑) へぇ〜〜〜。 でもだからねぇ、机とかもねぇ、 うん。 あの食卓のいわゆるこうテーブルなんか狭いから 置けないしぃ、 うん。 「これ」っていうのが ないわけ。 うん。 だからもう「ないんだったら、いらない」って言って、 うん。 宮崎からその父がねステレオを 送ってくれたときにぃ、 うん。 梱包してある 発泡スチロールがあるじゃないですか はい はい おっきいのが。 えぇ うん。 あれを2つ並べて、 うん。 白いガムテープでくっつけて うん。 上に天板つけて うん。 それをちゃぶ台にみたいにしてねぇそれテーブルにしてた。 へぇ〜〜〜〜〜〜。 カーテンもぉ、 うん。 へんな 花柄のカーテンとかしかない時期だったから、 うんうんうん。 「そんなのいらない」って言って、 うん うん。 もうあの針金1本「ピーン」としてそこに、 うん。 シーチングってね?コットンの、いわゆる生成りのね? う〜ん。 一番シンプルな 生地があるんですよ。 うんうん。 それを もう、カーテンにする。 カーテン代わり うん。 その布をず〜っと、してたりとかねぇ。 お〜〜ん。 もうなんかとりあえず、好きなものにあふれてることはなかったけど嫌いなものはできるだけ排除しようと思ってた。 あぁ〜〜〜〜。 「いらないものはいらない」と思って。 あ〜あ〜 うん。 うん〜なるほどね〜。 う〜ん。っというか 親元を離れてねぇ、 うん。 いかに父と母が ほんとに、愛情を注いでくれていたか うん。 っていうこととか、 うん。 もうほんっとに痛感してね。 うんうん〜〜。 だから一人暮らしを 女の子の一人っ子ですからね。 う〜〜ん。 「よく 出してくれたね」ってみんな う〜ん。 言うんですけど、 う〜ん。 それをねぇさせてもらえたことはね、ほんっとに大きかったですね。 ん〜〜〜。 う〜ん。 |