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AVANTI

◇要約版◇


TOKYO FM (80.0MHz)
2010.04.03 Sat 17:00〜17:55


Suntory Saturday Waiting Bar
「 AVANTI 」



お客様:今井美樹




 元々宮崎出身で。

 そうなんです。宮崎から、学校に行くために出てきたんですよね。昔は「スチュワーデス」って言ってた、今「キャビン・アテンダント」。

 「キャビン・アテンダント」。はい。

 それを、目指していたっていうか、私たちの頃はね、小学校1年生だったと思うんですけど、「アテンションプリーズ」っていう番組があったでしょう。

 あった!(笑)

 「アテンションプリーズ」を小学生のときに田舎で観ていて、小学校1年生の子供心に「スチュワーデスになりたい!」って思ったら、(笑) そのまんま、リアリティーもないまんま、ただ憧れが「ポコッ」と胸にひとつ、入ってきて。

 そのまんま、あまりいろんなことを考えずにず〜っと、学生時代を。運動部やってたもんだから、それで毎日、へこたれていたし。

 だから、本当に何をしたいのかっていうこと正直わからなかったんですけど、かすかに残っている「スチュワーデスさんになりたい」っていうのだけを、手がかりにして、(笑) なんとか東京に出てきたっていう感じだったんですよ。(笑)

 すごいねぇ!(笑) なるほど。

 東京に出てきて、父方のきょうだいの長女、伯母さんが「中井」ってところに居たんですよ。新宿区の中井に。西武新宿線ね。3つ目ぐらいのところです。

 そこに、5歳年上のお姉ちゃんが居て。その伯母さんとおじさんが寝泊りしてるところとは別のところに古いおうちがあって。

 広いところだったんですけど、彼女が一人でそこに住んでいたところに、四畳半のひと間を借りて、私はその彼女と一緒に、1年間ぐらい住ませてもらったんですけど。

 東京に持ってきたものは、ず〜っと田舎のときに聴いていた、ラジカセとね、ユーミンのレコードを全部と、親父に「これだけはどうしてもちょうだい。東京に持って行きたい」って言って、親父が大事にしていた、Oscar Peterson の「Girl Talk」のアルバムを1枚もらって。(笑)

 なんか渋いっすねぇ! そこが。(笑)

 大好きだったんですよ。小学校の頃から、車の中に入るといつもそれがかかってたの。

 「On a Clear Day」っていうのが、1曲目にかかるんですけど。私にとって、それこそまさに「On a Clear Day」で。

 我が家は日曜日になると、水上スキーに行ってたんですね。父が水上スキーを仲間とやってて。だから、毎週日曜日に、車に乗ると、エンジンかけるとそれが「ウン」って始まるっていう感じで。

 まさに「ある晴れた日に」って感じでね。それが、イントロかかって、車発進して、ず〜っと海のほうに向かうっていう。

 ユーミンは個人的にもうずっと、中学1年生のときに出逢って、大好きでハマってたんですけど。ジャズのものたちは、彼がいろいろ、Ella とか、Duke Ellington とか、いろいろかけていた中でも、Oscar Peterson のあの「Girl Talk」だけは、本当にハッピーな音楽だったから、あのアルバムだけはね、「どうしても1枚、譲ってくれ」って言って。

 四畳半の小さい部屋で、机と、少しの洋服と、押入れに布団こう入れて、(笑) 花柄のついたスタンド、(笑) ああいうのしかなくってね。(笑)

 そんな中に、一番大事で持ってきたものは、やっぱりレコードだったかなぁ。

 あ〜そう〜。

 親元を離れて、最初の1年は伯母のところにお世話になったり、そのあと一人暮らしするようになったんですけど、一人暮らしを始めたときに、「青山にこんな長屋があるんだ」みたいなところがあってね。そこの一室を借りたんですけど。

 大家さんに最初に「ペンキ塗っていいか」って確認をしていて、そこのモルタルの壁に全部ペンキを塗って。パンチを引いたりして、改造して、自分でね。

 母がちょっと来たときに手伝ってもらって。母もそういう、いろいろ物つくるの大好きだったんで。

 で、大家さんがね、「あら!こんなにきれいになって」って。(笑) びっくりしてくださったぐらい。

 へぇ〜。(笑)

 机とかもね、食卓のテーブルなんか、狭いから置けないし、「これ」っていうのがないわけ。だからもう「ないんだったら、いらない」って言って。

 宮崎から父がね、ステレオを送ってくれたときに、梱包してある発泡スチロールがあるじゃないですか。大きいのが。あれを2つ並べて、白いガムテープでくっつけて、上に天板つけて、それをちゃぶ台みたいにしてね、それテーブルにしてた。

 カーテンも、へんな花柄のカーテンとかしかない時期だったから、「そんなのいらない」って言って、針金1本「ピーン」として、そこに、シーチングってね、コットンの、いわゆる生成りのね、一番シンプルな生地があるんですよ。それを、カーテンにしてたりとかね。

 とりあえず、好きなものにあふれてることはなかったけど、嫌いなものはできるだけ排除しようと思ってた。「いらないものはいらない」と思って。

 なるほどね〜。

 親元を離れてね、いかに父と母が、愛情を注いでくれていたかっていうこととか、痛感してね。

 女の子の一人っ子ですからね。「よく出してくれたね」ってみんな言うんですけど、それをさせてもらえたことはね、本当に大きかったですね。




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