音遊人
みゅーじん
〜 第39回 〜 2004.12.24 Fri
作曲家
千住 明
音遊人(みゅーじん)
この番組は、YAMAHAの提供で お送りします。
ドラムに向かって見るからにロックしているこの姿。
いったい誰の写真だかおわかりになりますか?
そう、彼こそが作曲家、千住明さん。
今や日本を代表する作曲家のひとり。
さて、写真も証明していた彼の高校時代とは。
その頃の格好は?
ロンドンブーツですよ。(笑)
(髪は)このくらい(肩まで)長くして
その当時「ウルフカット」ってんですか?
「段カット」ですねぇ。
高校の時やっていた曲は?
「シカゴ」とかねぇ〜。
バンドの練習があったりとか、そういうときっていうのは、
普通に玄関を通って「どこ行ってくるの?」とか、
言われるのが嫌だから、窓からねぇ、出入りしました。(笑)
そんな少年は、先頃開港した、
羽田空港第2ターミナルで流れる音楽を担当するなど、
国内外に知れ渡る、最大級の名誉を手にすることに。
しかし彼をこう変えたのは、
やはり、羽田空港のオブジェを手がけている
芸術家の兄、博(ひろし)さんの
ひと言があったからだというのです。
「お前 ほんとに、プロになりたいんだったらね、
説得する必要があるんだ」と。
だから「芸大(東京芸術大学)に来い」と。
それも「作曲科に入れ」と。
そうすれば、今まで僕がこういうふうに
ずっと日陰の身でこう「隠してた音楽」
ってものを表に引きずり出せるぞ という。
ただそのためには、どうしても
一人で乗り越えなければならない、
大きな壁があったとか。
「10年 みとけば入れる。だろう」
っていうような見解だったんで、
「10年かぁ〜」って言われてまぁ
そのとき二十歳ですから、まぁ30なら
いいんじゃないかなって思いましたね。
そこにあったのは、
「好きな音楽さえできれば」
という想い。
ピアノ僕二十歳から始めたんで。
ちゃんと。受験のために。
(それで3年で受かって)
いや大変でしたよ。だから
ほとんどピアノの練習でしたよ。
それまで劣等生。
いつ落第するかわからないとか、
教師にいつも呼び出されてたのに、
芸大行ったら優等生です。(笑)
だから両方の友だちが
信用してくれないんですそれを。
そして遅れて来た天才には、
その時間を取り戻すような
眩いまでの輝きが。
音遊人
千住明
この番組は、YAMAHAの提供で お送りしました。