夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その23 発行日 2001年5月20日
編集・著作者   森 みつぐ
  季節風
 今年の春も、今まで見かけなかった花を見かけた。昨年の晩秋に、とある駐車場の縁で、アスファルトの狭間に咲いている小さな濃い紫色のスミレを見かけた。秋咲く花かなと思っていたら、この春いろんなところで咲き乱れていた。特に、駐車場が好きなのか脇で一列になって風にそよいでいた。
 今日、庭の花に、昨年秋「蜃気楼その18」で紹介したツマグロヒョウモンが訪れていた。このチョウの幼虫は、スミレを食草としている。この辺りに、居着いてしまいそうだ。
  言いたい放題
 IT革命がどうのこうの言っても、結局は、金儲けや効率化の話である。ひと昔前に比べても、全てにおいて効率化し、そして便利になった。しかし、その一方で、心への負担が増えてきたことも確かである。大競争時代への突入は、結局、強者の論理で確固たるものになってゆく。IT革命は、正にそのものずばりである。全てにおいて、光り輝く面ばかりとは限らない。それに比例した陰の面も忘れてはならない。科学技術が先行し、それを使いこなせる能力がある人間のみが、得をする時代となった。能力主義は、当然の成り行きであるというかも知れないが、生まれ持った能力の差は如何ともし難いものである。
 私みたいに、競争すること自体に興味がない人間は、最初からドロップアウトしている。能力主義は、企業にとっては、高くなった賃金を抑える有効な手段として、より一層悪用されることになるだろう。”結果平等より機会平等”は、それにとって言い謳い文句である。この立前で得をするのは、ほんの一部の人たちと企業である。多くの人たちは、以前より厳しくなった競争社会の中で、身も心も疲労困憊させ、喘ぎ続けることだろう。
 この蜃気楼も、ITを利用するに至った。しかし私は、このITを何とか、荒廃した心の恢復に結びつけたいと考えている。さて、どうなるやら。今、始まったばかりである。
  つくしんぼの詩
 エルサルバドルでもそうだった。発展途上国ならば、何処でも見られる子どもたちの働く姿である。バスに乗っていると、まだ4〜5歳くらいの子どもが物を売りに来る。歩道で靴磨きをしている子、車道で車の窓拭きをしている子、・・・。生きるためにとは言え、明日の国家を支える子どもたちがこれでいいのだろうか。知る事自体、ただそれだけで楽しいはずの学びが、すっかり歪んでしまった国の子どもたちも悲しいが、知る事それ自体が叶えられない子どもたちは、それ以上に不幸である。しかし、私には、どうしようもない。世界の片隅で、このようなことを書き続けることしかできない。
  虫尽し
 エルサルバドル東部山岳部の渓流で採集していた。ぼけっと近くの葉っぱを見ていると、白っぽい毛を纏った4cm位の毛虫が歩き廻っている。葉っぱの先端に来て、後ずさりしたかと思ったら、また前に出てくる。そんなことを、葉っぱの先端で何度も繰り返している。”飛ぶの?”と思っていたら、なんとジャンプして、1m下の地面に不時着した。世の中には、変わったのがいて楽しい。でも、こんなのが街中で飛び交っていたら、あちこちで悲鳴が聞こえてきそうだ。
  情報の小窓
 『・・・しかし、いくらITのうちT、すなわち技術面での発達があっても、I、すなわち情報の内容や質が今よりもっと豊かにならなければ、国境、民族、宗教などの壁を越えた知的精神的つながりは生まれないだろう。そのようなつながりこそ、平和な国際秩序の根底であることを考えると、技術の進歩にだけ頼ることをせずに、人的な努力がなされなければならないことがわかるのである。』
 NHK人間講座「戦争のない世紀のために」入江昭著(ハーバード大学教授)

Copyright (C) 2001 森みつぐ    /// 更新:2001年5月27日 ///