夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その85 発行日 2007年12月23日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 なかなか積雪のない札幌だったが、ここに来て、一晩で一気に雪が降り積もってしまった。すっかり葉を落としているナナカマドの赤い実は、真っ白な雪の帽子を重そうに被っていた。
 歩道は、2人が擦れ違う程度の幅しか除雪されていない。人通りの多い道は、踏み固められたり融けたりしてつるつるの氷になっているので、滑らないで歩くのは難しい。山々の地肌は、すっかり雪に包まれて水墨画の世界となった。せっかく買った雪用のジョギングシューズなのだったが、狭い歩道では、残念ながら、もう春まで走れそうにもない。
  言いたい放題
 11月末、テレビを観ていたら、政府が少子化問題対策の一つとして、「10年後、有給休暇の取得率100%を目指す」との方針を決めたと報道していた。詳しいことは、新聞でと思っていたのになかなか掲載されなかったが、暫らくしてから、「仕事と生活の両立を目指す政府の「ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議」は、有給休暇取得率について、10年後に100%とする目標を掲げた。」と新聞に短く載っていた。
 この報道の数ヶ月前、昨年度の有給休暇取得率が、一昨年より1日減に46.6%とのニュース(蜃気楼その84を参照)があったばかりのことで、"無理でしょう!"と思わざるを得なかった。20年近く前、電機連合は、年間総労働時間の目標を1800時間として運動したが、結局、バブルがはじけると、労働時間短縮の運動や有給休暇取得への取り組みも消え、最終的には、これら労働条件は、不況とともに企業の言い成りになってしまった。
 昨今の競争至上主義や成果主義による更なる労働強化は、非常に有給休暇が取り難い環境を作り出している。有給休暇取得100%は、労働者にとって当然の権利であるが、このような状況の中で政府がどのような対策を持って推し進めてゆくのか、既にリタイヤした私だが、拝見させてもらうことにする。因みに私は、有給休暇100%を当然の権利として実行してきた。
  つくしんぼの詩
 厳寒の地・北海道では、冬の暖房は、なくてはならないものであるが、灯油の価格が、どんどん上がっている。ストーブの設定温度を下げたり、日中火を消したり、大型ショッピングセンターでたむろしたりと、道民はいろいろ悪戦苦闘している。
 私も沼津から札幌に引っ越す前、部屋の広さも2倍になるので暖房費(ガス)だどれ位になるか、気にはしていた。でも12月のガス料金が沼津にいたときよりも安かったので、少し安堵した。私の住むマンション中階の居間は、冬になっても暖房を入れないのに20℃近くある。ただ、寒さの本番は、これからなので、暖房費の節約は、考えておかなくてはならない。
  虫尽し
 台湾東部の町・玉里は、ガイドブックに載っていなかったので、宿があることだけを願って行って来た。そして、運良く駅前にあったホテルに泊まった。
 駅から、程近いところにあった小高い山を歩いていた。今日は、クマゼミと思われるセミの正体を暴きたいと思いながら、騒々しい木々を見つめていた。そうすると、逆行の中、幹に黒いカマキリの姿が浮かんでいた。網が届かないところである。"もしかして!"と思いながら見ていると、ゆっくり進んでゆくカマキリのその先に、セミが見え隠れしていた。最後まで見たい気がしたけど、セミの正体も知りたい。・・・"カマキリさん、ごめん!"
  情報の小窓
『コミュニケーションにおける対面的状況の重要性を決定的に破壊したのが、ケータイの発明である。個と個がじかに、しかも顔をつき合わせずに情報交換できるようになった。個と個が直接に情報交換するという意味では、ラジオの発明以前の状況へ戻ったように思われるかもしれない。しかし、双方をまったく別なものに仕立て上げているのは、集団のまとまりを表示する境界というものが、ケータイの下では完全にとっぱらわれてしまったという点にある。自分たちが属しているというコミュニティーの輪郭が見えないのである。イメージでいうと、果てしない砂漠のまん中で、見わたす限り人間が群がっているようなものである。』
 中公新書「考えないヒト ケータイ依存で退化した日本人」正高信男

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