三岐鉄道 ワフ1形・ニブ1形
ワフ1形(1〜5・1〜3<2代目>)・ニブ1形(2)
 有蓋緩急車は9輌存在したが、経緯が極めて複雑である。登場順に紹介する。
 ワフ1・2は10トン積車で、1931(昭和6)年6月に、三岐鉄道の開業に合わせて、ワ1形とともに梅鉢鉄工所(現東急車輌製造大阪工場)で新製された木造車である。空制付で鉄道省連絡直通可能でありながら、有蓋緩急車は社線内での使用に限られていたため、1941(昭和16)年1月認可で有蓋車ワ1形9・10に改造し省線直通車を増している。
 ワフ3は2トン積車で、1895(明治28)年5月に平岡工場(→汽車製造東京支店→川崎重工業)で客車として製作された関西鉄道75で、1907(明治40)年10月の国有化で帝国鉄道庁イロ312となった。その後の改造で改番を繰り返し鉄道省のヨ1形393となった。鉄道省で廃車となったものを1938(昭和13)年3月に譲受し、ヨ1形393のまま使っていたが、1940(昭和15)年5月に荷物室付に改造しワフ3と改番している。1951(昭和26)年6月に廃車解体されている。
 2代目ワフ1・2は6トン積車で、初代ワフ1・2を有蓋車へ改造したため、空制の無いワ50形50・51を譲受し1941(昭和16)年6月認可で改造したものである。その後、1955(昭和30)年9月に大鉄車輌工業で鋼製化されている。1970(昭和45)年6月に2輌とも廃車解体されている。
 ニブ1形2は3トン積車で、1902(明治35)年に鉄道作業局神戸工場で製作され、日露戦争のため満州へ渡り南満州鉄道の貨車として使われた。満州から帰国し1914(大正3)年1月に芸備鉄道(現JR芸備線)ニブ2となった。その後ワブ2と改番された。1937(昭和12)年7月に買収されて鉄道省ワブ1形2となった。鉄道省で廃車となったものを1942(昭和17)年12月に譲受している。当初、この車輌をワフ4として竣功させるつもりで譲受したと思われるが、後にもう少し程度の良いワブ300形304(後述)を譲受したため、結局使用されることもなかったと思われ、1951(昭和26)年6月に廃車解体されるまでワフ形への改番はされていない。
 ワフ4は6トン積車で、1919(大正8)年に日本車輌製造で製作された伊那電気鉄道の郵便車で、1925(大正14)年に有蓋緩急車化されてワブ300形304となり、1943(昭和18)年8月に買収されて鉄道省ワブ300形304となった。鉄道省で廃車となったものを1945(昭和20)年6月に譲受している。1967(昭和42)年9月に廃車解体されている。
 ワフ5は8トン積車で、1939(昭和14)年2月に日本車輌製造本店で製作された鉄道省ワフ25000形25024で、1950(昭和25)年12月に国鉄より譲受している。1970(昭和45)年6月に廃車解体されている。
 2代目ワフ3は6トン積車で、1955(昭和30)年8月に大鉄車輌工業で前述のワ50形52から改造した鋼製車である。1967(昭和42)年2月に廃車解体されている。

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2011.7.18 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 荷重(t) 実容積(m3) 軸距 備考
ワフ1 1・2 6230×2743.2×3332 7.20 7.00 20.80 3000
3 7910×2620×3310 7.80 2.00 7.60 3650 旧ヨ393
4 5535×2390×3350 7.00 6.00 14.00 2743
5 7850×2640×3710 9.40 8.00 24.41 4200
ワフ1
(2代目)
1・2 6322×2724×3790 7.95 6.00 17.54 3048 旧ワ50・51
3 6478×2724×3780 7.98 6.00 18.49 3048 旧ワ52
ニブ1 2 6240×3400×3300 6.88 3.00 14.20 3040
車輌画像

三岐鉄道 所蔵

高井薫平氏 撮影

ワフ1(2代目)

1960.3.2

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

ワフ2(2代目)

1956〜57頃

富田

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