三岐鉄道 2120・1150・5500・C11形
2120形(2278)
 1898(明治31)年、英国Sharp, Stewart(シャープ・スチュアート)社<1903(明治36)年にNeilson, Reid(ニールスン・リード)社、Dubs(ドゥブス)社が統合されてNorth British(ノース・ブリティッシュ)社となった>で製造された鉄道作業局形式B6、795号で、C1のタンク機である。動輪径1270mm。鉄道院時代の1909(明治42)年10月に2120形2278と改番された。1933(昭和8)年に廃車となったものを譲り受け、同年3月に三岐鉄道2120形2278として竣功した。E101形と共に主力機として活躍したが、電化直前の1953(昭和28)年4月に廃車解体された

1150形(1151)

 1908(明治41)年、米国American Locomotive Co. Cooke Works=Alco.(アメリカン・ロコモティブ)社で製造された帝国鉄道庁1300形1307で、2Bのテンダー機である。動輪径1520mm。翌年10月に6300形6307と改番された。1927(昭和2)年に浜松工場(三岐鉄道の竣功図表によると鷹取工場となっているが誤記と思われる)で2B1のタンク機の1150形(2代目)1151に改造された。その後、廃車となったものを譲り受け、1942(昭和17)年3月に三岐鉄道1150形1151として竣功した。全線電化に先立って1952(昭和27)年12月に廃車解体された。

5500形(5546)
 1894(明治27)年、英国Beyer, Peacock(ベイヤー・ピーコック)社で製造された日本鉄道181で2Bのテンダー機である。動輪径1400mm。1906(明治39)年11月に国有化され帝国鉄道庁となり、1909(明治42)年10月に5500形5546と改番された。1947(昭和22)年1月に廃車となったものを譲り受け、翌年11月に三岐鉄道5500形5546として竣功した。テンダー機のため本線での活躍は無く、主に富田駅構内の入換えに使われていた。内燃機関車のDB15形151導入で1952(昭和27)年11月に廃車解体された。

C11形(111)
 1944(昭和19)年2月、日立製作所笠戸工場で製造された宇部油化工業101。1C1のタンク機で、鉄道省C11形後期タイプと同形態である。動輪径1520mm。すぐに廃車となり、1947(昭和22)年に江若鉄道「ひら」として竣功した。1950(昭和25)年にC11形112と改番された。ディーゼル機関車導入で1953(昭和28)年5月に廃車となったものを譲り受け、同年6月に三岐鉄道C11形111として竣功した。1952(昭和27)年から翌年にかけて製造後50年以上経過した3輌の古典機(5546・1151・2278)を一斉に廃車し、電気機関車増備まで、比較的新しいこのC11形で一時的につないだものと思われる。従って、1954(昭和29)年11月には廃車となり北海道の羽幌炭礦鉄道へ売却され、C11形111として1970(昭和45)年12月の同鉄道廃止まで活躍した。

日本の国有鉄道は、1907(明治40)年3月に鉄道作業局が帝国鉄道庁へ改称、その後1908(明治41)年12月に鉄道院、1920(大正9)年5月に鉄道省、1943(昭和18)年11月に運輸通信省とその呼び名が変わり、1949(昭和24)年6月に日本国有鉄道が発足している。

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2016.8.13 更新
主要諸元
形式 車号 最大寸法(長巾高) 自重(t) 気筒径×行程(o) 使用圧力
(kg/u)
軸配置 備考
2120 2278 10371×2570×3813 51.23 406×610 12.5 C1
1150 1151 11667×2580×3810 48.30 406×610 12.5 2B1
5500 5546 13910×2526×3672 55.85 406×559 12.0 2B-T
C11 111 12650×2950×3940 68.06 450×610 15.0 1C2
車輌画像
三岐鉄道 所蔵

牧野俊介氏 撮影

2278

1938.9.13

富田機関区

三岐鉄道 所蔵

1151

撮影日不明

富田機関区

近藤一郎氏 所蔵

金田茂裕氏 撮影

1151

1950.1.

富田機関区

近藤一郎氏 所蔵

金田茂裕氏 撮影

5546

1950.1.

富田機関区

画像準備中 C111





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