(update 2021/03/28) | |
さようなら185系「踊り子」
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(乗車日:令和3年3月12日) | |
定期運用の185系「踊り子」がなくなる。40年前のデビュー当時、沿線在住(高校も大船に所在)の自分にとって185系電車のデビューは画期的であった。もちろん特急にも普通にも使う運用には批判的な意見も当時は有った。それまでの153系電車とは異なり「特急」に使用する車両なのに・・・と言うわけだが、当時高校生(〜浪人生)の自分にとっては普通列車としての乗車機会しかなかったため素直にうれしかった。当時の交通公社時刻表で東京発着の番線・時刻から普通列車運用を割り出したのも懐かしい思い出である。 その普通列車運用は183系「踊り子」廃止や211系の新製投入等につれ順次減少し、自分は大学生・社会人となって東京〜大船の「湘南ライナー」として乗車する機会が増えた。さらに2013年からは「ムーンライトながら」の運用に入り、自分にとって年末の旅には不可欠の列車となったのも忘れられない。
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デビューの頃(大船)/昭和56(1981)年8月撮影 |
“定期”185系踊り子の最終日は3月12日金曜日、平日とあって臨時列車の設定は無く、当日の運用は2往復のみである。自分は往路「踊り子3号」と復路「踊り子8号」の指定席券を確保して当日に臨んだ。 さて東京駅に着くと予想はしていたがかなりの撮り鉄で賑わっており、自分も数枚撮ってから車内に乗り込む。自席は6号車の進行右手窓側(D席)で、伊豆の海は反対側だが今回は海を観るために乗るのではないのでまぁよしとした(海側の席は早期完売)。ちなみに本日の「踊り子3号」指定席は3分の2程度の埋まり具合で、その殆どがファンである。なお「えきねっと」によれば上り最終の「踊り子16号」(東京17:48着)のみ下田・修善寺編成とも満席となっていた。
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東京駅9番線の「踊り子3号」サロ185-16のストライプ |
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「踊り子3号」は定刻9:00に東京を出発、通い慣れた東海道本線を進む。かつての住み家・田町電車区跡は大きく変貌して時代の流れを感じさせる。品川・川崎でも多くのファンがカメラ(スマホも多い)を構えてホームを行き交っていた。 ところで本日の天気は曇天で幸い雨は降っていない。電車は国鉄時代のMT54モーターをフル回転して快調に飛ばしているので、ちょっとスマホで車窓の動画撮影をしてみよう。そのためには窓(右写真)を開ける必要がある。特急電車で窓を開ける…ことができるのも185系電車の(最大の?)特徴だろう。普段と異なり周囲を見渡しても迷惑そうな一般客は殆ど見当たらない(笑)。 なお自席の隣席(C席)は横浜〜熱海で乗客が来ることを予め「えきねっと」で調べていたが、その通りにに横浜から用務客と思しき男性が乗り込んできた。彼にはこの日の車内の雰囲気はどう映っただろう? |
窓を開けるのも今日が最後かな?(蒲田付近) |
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「踊り子3号」は戸塚付近から貨物線を走る215系を徐々に追い抜いて大船に到着した。ここ大船〜藤沢の区間は昭和50年代(中学・高校時代)に幾度も列車撮影のため参じた懐かしの地で、当時はEF65PやEF65PFのブルートレインを上手く撮影するために苦心したものである。 右写真は大船を出発して東海道本線が南から南西に進路を変えるカーブ脇の踏切からで、鉄道ファンには撮影ポイントとして知られている。実は今回の1週間前に実家を訪れる機会が有ったので、その懐かしの撮影ポイントで撮ってみた。(当日は自分を含め5人の撮影者有り) よし、うまく15両編成の末尾まで収めることができたゾ。 |
堂々15連、大船を出発!(この写真のみ3月7日撮影) |
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乗車列車に話を戻すと、大船〜小田原の最も距離のある無停車区間は目いっぱい走っていることがわかるほどのモーターの唸りである。通過駅の藤沢や茅ケ崎ホームでもファンの姿が確認できた。 さて小田原を過ぎると車窓はトンネルと海の繰り返しとなり、やがて熱海が近づいてきた。すると通路をゾロゾロと後方10号車へと移動する人が増えてきた。言うまでもなく修善寺編成の切離し作業を撮るためだが、さすがに本日は撮影者の多さから規制も半端でなさそうと考えて自分は自重することにした。その熱海では予想通り隣席の用務客が降りて行った。 伊東線内は来宮から先が単線となることもあり、いたってのんびりと走る。伊東が近づくと車掌から185系踊り子最終日の挨拶があった。JR区間はここまで、「踊り子3号」はさらに伊豆急行線を下田へと南下する。 |
伊東で乗務員交代、伊豆急行線へ |
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車内はもう途中駅での乗降が殆ど無く、多くの鉄道ファンを乗せたまま下田へ。伊豆急行の車掌も最後に185系踊り子乗車を感謝する旨の放送を行った。速度を落としポイントをゴトトと渡ると終点・伊豆急下田である。 下田には定時11:50着。すると曇天の空から突然スコールのような雨、南国伊豆の春の嵐となってびっくりした。しかし多くのファンにとっては大したことでもないのか、下田駅構内での185系踊り子引退に伴うイベントに多くの人が集まり「3密」回避は何処へやら?のようだった。なお念のため付記するとマスク着用を横着する人はさすがにいなかった。 |
伊豆急下田に到着、踊り子8号として折り返す |
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伊豆急下田に着いた10両編成は車内整備が済むと程なく上り「踊り子8号」として12:07にとんぼ返りとなる。この列車はラストランの「16号」のように完売ではなく、むしろ定員半分以下の乗車率でスタートした。おそらく残ったファンの多くは16号狙いでしばらく滞在するのであろう。 復路は2号車のA席・海側の席で、雨はやんだがどんよりした雲が垂れ込める。伊豆熱川で列車交換のため少々停車する合間にホームへ降りてみた。温泉地らしく湯けむりと早咲きの桜が良いアクセントとなっている。かつて旅行会社勤務時代に、ここ伊豆熱川や伊豆稲取を目的地としたマル契乗車票をずいぶん発券したなぁと思い出す。 |
伊豆熱川で列車交換のため小休止 |
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列車は往路の車窓を巻き戻すかのように伊豆の海岸を映す。時折トンネルに入り暗くなった車内の雰囲気は近年の快速「ムーンライトながら」を思い出させるが、座席の白カバーが特急「踊り子」なのだなと思わせる部分であった。 さて来宮からは複線となり、次の熱海までは速度を落として通過する。するとホーム端部に数人のファンが撮影待機しているのが見えた。この地点で彼らが狙いを定めるのには確たる理由があり、自分もそのことを知っていた。 |
来宮駅ホームで獲物2本を収めんとするファン |
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実はダイヤ通りの運行であればこの来宮〜熱海で185系踊り子(8号と13号)のすれ違いが実現する。自分も時刻表で予め調べていたため窓を開けてスマホを構えるとやって来た「13号」!!ダイヤは最終日も正確であった。そして来宮のファン達も185系の両列車がすれ違う様子を撮れたであろう。今後同様な撮影チャンスは殆ど無いと思われ、撮影運も大いに有ったと言えそうだ。 そして熱海が近づいて来た。「踊り子8号」は伊東線から東海道本線の下り本線をゴトゴトと跨ぎ、上り4番線へとゆっくり入線する。 |
同じ185系「踊り子13号」とのすれ違い |
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ゆっくり入線するのは多くのポイントを渡るためと修善寺編成との併結作業が有るためである。右写真のように開けた窓から前方を覗くと、2・3番線のホーム端部からもう撮影のファンでごった返しているではないか。これではとても併結シーンなど撮れるわけもなく、おとなしく熱海出発を自席で待つ。 もっともあまりのんびりできない個人的な事情もあり、熱海出発後に荷物を整理して降車に備える。と言うのも湯河原〜東京は惜別乗車用のグリーン指定席を押さえてあり、2号車から4号車への移動があるからだ。ご存じの方も多いだろうが、この区間は99.1Kmとギリギリ100Km以内に収まるためB特急券+グリーン券でも2,000円の出費で済んでしまうのがミソである。乗車券は「大人〜」がそのまま使えるのも有難い。(伊豆急下田〜湯河原は「大人〜」のため0円券交付で乗車) |
熱海到着、前方に修善寺編成 |
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さぁ最初で最後?のサロ185・特急グリーン車としての利用である。車内は半分ほどの埋まりで、一般客は殆どいない。座席はデビュー当時の物から交換されてくたびれた感じは無く、車内の静粛性も満たされている。窓枠もシルバーではなくゴールドである。
しかしこの窓枠、よく見ると小さな傷が目立って40年の歳月を感じさせる。窓ガラス淵のゴムも小さな亀裂がいっぱいである。窓の外側・鋼製の外板には錆も少なからずある。現役の特急グリーン車としては……一般客を対象として考えればやはり引退止む無しかと思わずにはいられなかった。 |
ゴールドの窓枠に切符を立ててみる |
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快調に進む「踊り子8号」は横浜を出て東神奈川のカーブ(車窓からの撮影ポイント)に差し掛かる。ここで右上のグリーン車窓の写真を良く見ると、立て掛けた切符の後ろに窓開け用の金具が有る。そう、特急グリーン車・サロ185は窓が開くのである。(若いファンには信じられないかもしれないが) そこでグイと上方に開けようとするが、錆ついているのか開かない。そりゃぁそうだろう、この窓、前に開けたのは何十年も昔かも知れないのである意味当然なのだが、ここは何が何でも開ける気持ちで重量挙げ選手が気張るかの如く全力で持ち上げて…開いた! 普段なら走行中の特急グリーン車の中で奇人変人まがいの所作だが、今日に限り大丈夫との確信が有ったので決行した。 おぉ付属+基本編成の堂々たる姿よ、緑のストライプ+MT54モーターの唸りと共に・・・そう、40年前に戻った自分がいたのであった。 |
ここはもうグリーン指定席だろうが窓開け撮影だ |
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列車は川崎・品川と停車したがファンの殆どは終点の東京まで乗り通したようだった。東京到着は定刻14:49、到着後はすぐさま方向幕が「回送」になってしまい、ホームに降り立ってからの「踊り子8号」を撮ろうとしたファンには少し残念だったかもしれない。 それにしても185系「踊り子」の40年は他系列の特急電車と比べれば長寿の部類なのだろうが、個人的には40年はあっという間だったとの感も否めない。簡単に撮影を終えて在来線ホームを去ろうとしたとき、電光掲示に「お疲れさま185系、そしてありがとう」の文字が流れた。「うん、その通り。自分の気持ちを代弁してくれているヨ!」 見届けた自分は新幹線ホーム(本日の宿泊地は函館!)へと向かった。 |
お疲れさま185系、そしてありがとう |
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