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   惜別!583系「思い出のみちのく号」は青森へ 

20年前、現役時代の「みちのく」。「はつかり」とはまた違った人気があった。(昭和57年/鶯谷)

  

  1.満を持して、583系「みちのく」登場

   平成13年春、「思い出の583系はつかり」がリバイバル列車の企画として大変な話題を集めたことは記憶に新しい。そしてその時から、来たる東北新幹線八戸開業をにらんでの583系ラストラン企画を待ちこがれたファンも多かったと思われる。かねてより期待された常磐線廻り「思い出のみちのく号」はそんな中で11月3日、ついに上野駅にその姿をあらわしたのであった。

  今秋の583系企画は他に「ひばり」「ゆうづる」「はつかり(上り)」「さよならはつかり583系」があったが、私はいずれの列車もも指定券が取れず、唯一取れたのがこの列車である。それでも一番乗りたい列車だったから良しとしよう。

昭和57年6月/鶯谷にて

  

  2.上野駅では16番線に登場

  同乗の大学時代の後輩Y氏と上野で待ち合わせる。今回は16番線への登場となり例により必死に撮影を試みるが、右のようなありさまではろくな写真は撮れないと思い、途中駅の停車時間中に撮ることにした。上野での一般市民は何だろう?という表情でこの群れを見ていた。

  編成は後方が1号車で@クハネ583-20Aモハネ582-106Bモハネ583-106Cモハネ582-100Dモハネ583-100Eサロ581-32Fモハネ582-98Gモハネ583-98Hサハ581-52Iモハネ582-94Jモハネ583-94Kクハネ583-17(先頭車)という編成である。

 

予想はしていたが、撮影は大変(上野)

 

  3.日中の常磐線走行、ファンは撮影に血走る

  今回の「みちのく」は稠密な常磐線ダイヤによく割りこめたと思うほどで、我孫子で運転停車して後続の「スーパーひたち11号」に道を譲る他はなかなかの走りっぷり、特急らしさを実感する。

  例によりカメラの砲列が凄いが、駅撮りはともかく、沿線からの撮影はイベント列車があまり多くない常磐線沿線の好撮影地をよくも知っているなあと感心するような場面がしばしば。いや、恐れ入るばかりだ。

  それにしてもこの区間は感慨深い。初めて乗ったのが昭和57年夏、上野からの223レであった。スハ43系客車が懐かしい。当時は松戸や我孫子などでは旧客のデッキから列車の停車前に乗客が次々と「飛び降りた」ものである。この「みちのく」も現役であった。

  なお、今回のイベントは「乗車証明書」の交付はナシ、オレカの販売もナシ、車内放送での列車の生い立ち解説等もナシで、要はただ走らせているだけというのが少々残念ではあった。一説にはイベント用の予算が回らなかったとも言われているが、実態は?(誰か知っていますか?)

  

寝台兼用の583系は屋根が高い。

 

  4.なんと、宮城県北部の強い地震でダイヤは大混乱

  亘理で運転停車。お城のような駅舎だなあと眺めていると車内放送がはいった。曰く、宮城県で震度5強の地震があり、列車を停めて安全を確認中とのこと。うわっ、まずい。路盤崩れがあったりしたら「打切り」になってしまうではないか、と心配になり携帯ラジオを取り出し聞き入る。どうも小牛田付近の揺れが強かったらしい。

  亘理・岩沼で約30分ずつの臨時停車、線路点検に時間がかかり先方に列車が詰まっているようだ。そして名取14:37着。ここでドアを開けることになった。名取では結局90分の停車となり、乗車のファンは「なるようになれ」という気分である。

  名取を離れ仙台着はもう夕方。それでもホームからカメラを構えるファンの多いこと。ここで下車する者も多く、「土・日きっぷ」利用か、または遅れによる予定変更かのいずれかであろう。

     「思い出のみちのく号」走行ダイヤ(実際に走った時刻は筆者の時計をもとに記載)

今回の設定ダイヤ

実際に走った時刻

昭和55年10月のダイヤ

上  野(発)

  8:51

  8:51

14:48

水  戸(〃)

10:27

10:27

16:11

いわき(〃)

11:38

11:38

17:25

仙  台(〃)

13:56

16:18

19:24

一ノ関(〃)

15:22

19:20

20:30

盛  岡(〃)

17:03

20:31

21:30

八  戸(〃)

18:20

21:50

22:46

青  森(着)

19:26

23:04

23:50

(主要駅のみ掲載)

注:「いわき」の「みちのく」現役当時の駅名は「平」

  

  5.闇また闇の走行は現役時代の再現だ!

   陸前山王でも安全確認のため55分の運転停車、車窓は真っ暗になった。大幅な遅延で肩を落とす乗客(ファン)も多いが、昭和50年代のファンはこんなことではへこたれない。見よ、上記のダイヤを!!! 何と現役時代の「みちのく」のダイヤに近づいているではないか。当時の下り列車の場合、仙台以北は真っ暗であったのだから、まさに疑似体験が出来たというものだ。(何でも良い方向に考える…なんてね。)

   小牛田でも臨時停車、扉を開ける。「はまなす」接続を取れないため、古川からの新幹線+はつかりの便宜乗車を認めるとのこと。さらに「はくつる」でとんぼ帰りの向きは青森での乗換えが間に合わないため、盛岡乗換えを案内し始めた。

名取の長時間停車中に撮影

 

  6.通いなれた陸奥路を「みちのく」は走る

   盛岡を過ぎると乗車率は半分強、中にはボックス丸々あいている所も…。一部には座席を引出し寝台(下段)をセットするところも現れた。まあ、しかたないかな。でもそのまま放置して降りて行くケースも結構あったようで、後片付けはちゃんとしないとね。

  この沿線では東北本線名物「行灯型駅名標」が車窓を流れて行く。3セクになった後も残るのだろうか?

  筆者の車両は3号車のモハネ583−106はモーター音も快調で、走りっぷりは文句ナシ。夜の車内、ここで連絡船の乗船票配布でもあればなあと、ふと思った。

すっかり日の暮れた車内、けだるさが漂う

 

  7.思い出いっぱいの583系「みちのく」

   地震の影響による徐行運転の可能性ありとの案内に反して、小牛田以北は快調に飛ばし青森着。なんと「はまなす」には接続した。小牛田で降りた乗継計画のファンには何とも気の毒な話だが、結果的に間に合ったのだからやむを得ないところである。(心情的には無念を察するに余りある。)

  さあ、着いた。青森改札は後方階段だが、前方階段をダッシュして登る。現役「みちのく」と青函連絡船は切っても切れない関係、その連絡船はこの階段を「走って」登ったものである。

  そして右の写真を撮る。昨年の「〜はつかり」の時は露出アンダーで苦しんだので手持ち1/15秒を敢行、何とか撮れた。

  嗚呼、583系。傷んだ外板を見るにつけ、長く走ったのだなあとの感を深める。それはまさに筆者の小中高校生時代から昼も夜も走りつづけた証である。最後の花道は今月30日の「さよならはつかり583系」であるが、仕事の都合で行けないのが残念である。しかしそのラストランはファンにあらためて思い出を残してくれることであろう。

お疲れさま、「思い出のみちのく号」