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  鉄道ファンが急行「銀河」に乗るとき

    

   去る8月の週末、標題の「銀河」に乗った。鉄道ファンにとって乗りそうで乗る機会のない列車である。かく言う自分も10年前に「銀河81号」に乗ったぐらいであるが、これは全車座席車の臨時列車であり、本来の「銀河」とは列車の性格が違うとも言える。そのため実質的には今回が初乗車と言って良いだろう。

   鉄道ファンが「銀河」に乗らない理由は全車寝台で旅費がかさむ、企画切符とあまり縁がない等々であろう。では乗るときってどんなときかな???

   サイト管理人が思いつくまま考えると、下記の3点ほど浮かび上がる。皆さんはどう考えるであろうか? 

  @他の本命の列車が満席で取れなかった場合

 

藤沢〜大船にて20系「銀河」(昭和55年12月撮影) 

    一般的にはこの理由は大いにありうる。「サンライズ出雲・瀬戸」「ムーンライトながら」「ドリーム大阪」等々、これらの代案には一応なりうる。しかし鉄道ファンがこれらの本命が取れない時、あっさりと「銀河」を代案として採用するだろうか?むしろ日程を変えたり、旅行方面を変えたりするほうがありえると思う。

  AA寝台への試乗

   これはある程度ありそう。開放式A寝台は「銀河」の他には今や「日本海」「きたぐに」にあるのみだが、首都圏のファンにとってこれらの列車は必ずしも乗りやすいとは言い難い。そこで「銀河」の登場というわけだ。ただ乗車時間が短いのでA寝台への奮発は少々もったいない気もする。

  B昔ながらの寝台列車への惜別乗車

   近未来に予想される「国鉄」を引きずる寝台列車の全廃、もはや冗談の域ではなくなりつつある。自分が今回乗車した理由はまさにこれであった。

大船駅2番線に停車(昭和55年12月撮影)

   

   さて、東京駅9番線、今年の夜行列車乗車はなんとこの「銀河」が初めてである。3〜4年前までは年間10本は乗った夜行列車、近年はその回数も激減している。理由は単純に旅行のチャンス(時間の獲得)が減ったのと、超割・バーゲン・バースデー割引等の航空会社が設定する破格の航空運賃利用にある。

   それでも久しぶりの夜行列車、缶ビールを仕入れて指定されたB寝台下段へ。リネン類をセットするのも久しぶりだなあ。すぐに寝るのも惜しいので、通路側の折りたたみイスを引き出し、缶ビール片手に東京のネオンをしばし眺める。通勤電車から見ればありふれた光景でも、やはり非日常的な寝台列車の車窓からは別世界のように感じ取れる。

東京で発車2分前(最後尾のオハネフ25)

   品川を出て列車内を巡回すると、B寝台は半分強の乗車率でまずまず。A寝台にいたっては7割程度(下段はほとんど全部)埋まっている。本日は9両編成、夏休み中の金曜とあればある程度の乗車は期待できるわけだが、正直ホッとした感じであった。他のブルートレインではとうに見られなくなったビジネスマンの姿も少なからず見受けられ、新幹線の救済列車であることも改めて実感した。 

   列車は横浜を過ぎ、わが実家のある大船に近づいてきた…。   実は今回の乗車では大船までは絶対に起きていようと思っていた。少年の頃から大船で唯一停車するブルートレイン「銀河」、まあ急行だから停車するのは当然としても、この駅から利用する乗客が果たしているのか興味があり、ぜひこの目で確かめたかったのである。

   そして大船着、扉が開くやいなやホームの様子を覗く。すると目視で5〜6人の乗車が確認された。おお、わが大船からの乗客が実際にいたではないか!!!  ダイヤ上での儀礼的停車ではなかったのだ。(少なくともこの日は)  ウ、ウレシイ。

   その大船を過ぎると缶ビール(ロング缶2本)が効いてきたようで、寝台に入り程なく眠ってしまった。東海道本線は線路規格が良いせいか揺れが少なく、夜行列車の乗客としてはありがたい。

☆         ☆          ☆          ☆

   車掌の定刻運転の車内放送に目を覚ますと程なく大津に到着。窓のカーテンを開けると快晴、今日の関西地方は暑くなりそうだなと感じた。京都を過ぎると複々線を113系快速とデッドヒートするが、向こうは土曜日のせいかすいている。そして淀川を渡ると程なく大阪である。ポイントをゴトゴトと渡り大阪駅に滑り込む。

   ああ着いた…。ここが目的地の者も、さらに先を急ぐ者も、まずはブルーの「大阪」の駅名標に迎えられる。おいおい、まだ朝の7時過ぎだというのに大阪は暑いなあ…。デッキからホームに降り立った第一感であった。

B寝台通路のありふれた写真であるが

全廃の日もそう遠くないのであろうか…