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(update 2010/03/12)

 

さぁ今のうちに乗ろう、急行「きたぐに」

 

 

(乗車日:平成22年2月24日)

   

   今月のJRダイヤ改正で急行「能登」が廃止され、残る定期の急行列車は僅かに青森〜札幌の「はまなす」と大阪〜新潟の「きたぐに」の2列車のみとなった。ここまでくると営業制度上「特急」とは別に「急行」の種別を残す意味がどれだけあるのか?と思えなくも無いが、趣味的には大変貴重な存在となった急行列車である。幸い今回は大阪から「きたぐに」に乗車する機会を得たので簡単な乗車記を綴ってみたい。

   急行「きたぐに」はその名が示すように当初は大阪〜青森のロングラン急行であり編成も客車列車であった。しかし昭和57年には運転区間を大阪〜新潟に短縮、昭和60年には車両を583系電車に変更して現在に至っている。  (右写真は客車列車最終日の「きたぐに」/新津にて)

    

 

   自分が「きたぐに」に乗るのは3回目、しかし全区間を通すのは今回が初めてである。この列車は首都圏在住者にとって乗車チャンスが難しく、それゆえ今回が最後の乗車になる可能性も否定できない。

   そんなわけで今回は写真をなるべく多く撮ることにしたが、使用カメラはいつもの一眼レフではなくケータイに組み込まれたカメラである。このカメラがどれだけ鉄道旅行に使えるのかも試してみるつもりである。

   さて列車は定刻の23:03に大阪駅11番線に据え付けられた。この11番線は駅改修工事により昨年末から使用開始となったため造作が新しい。列車の発車は23:27なので、しばらく車外・車中を観察して廻る。

 

大阪駅11番線で発車を待つ「きたぐに」

    今回自分が乗る車両はB寝台下段、このクハネ581−35である。JR西日本カラーの車体に Kitaguni Express の表示が映える。趣味的には国鉄色(クリーム&青)を期待したいところだが、鉄道ファンの間では車両がデビュー当時の塗装に戻ると引退間近との有力説があり、その点では案外(列車の存続は)安泰?なのかも知れない。

  

  

   

 

    10両編成の車内を巡回すると寝台はオフシーズンの平日とあってB寝台下段が半分弱の埋まり具合で、その他の利用は殆ど皆無。座席車のうち自由席車は半分程度埋まっており、彦根・米原方面への帰宅客も少なからず有りそう。意外だったのはグリーン車がかなり埋まっていたことで、寝台を利用するには距離の短い客層なのかも知れない。

      

 (左)自由席車 / (右)グリーン車

  

   さて自分のねぐら・10号車5番下段に潜ると列車は大阪駅を発車した。早速寝台内部を撮ってみると、ストロボ無しながらもまずまずの写り具合で、カメラぶれもない。(右・右下写真)

   大阪駅で買ったビール(正しくは第3ビール)を開け、窓脇のテーブルに置きながら深夜の車窓を眺める。三段寝台は高さが低いため体を起こすのがキツいことで知られるが、583系は下段に限り窓側上部にスペース(窪み)があって頭を入れると狭いながらも上体を起こせるのが有難い。

   しばしアルコールと夜の車窓を愉しみ、上質の“鉄”分補給を果たす。

     

     

   「きたぐに」は京都で若干の乗客を拾い、日付が変わった。車内放送も翌朝の直江津到着まで休止する旨のアナウンスがあり、車内は就寝の時を迎えた。列車はコトコトコト…と単調な轍音を続け淡々と走る。

   さて自分もこの辺で寝台にゴロリと横になってみる。寝台幅106cmの広さはやはり快適で、このまま寝てしまおうかな…それとも写真撮影のため米原まで起きていようかな、と思いを巡らす。


    

  

  

    

   結局米原まで起きていたので、14分間の停車時間を利用してホームから写真を撮ってみる。さすがにこの暗さでは露光がアンダーで、しかも方向幕部分の光がハレーションを起こしてしまっている。やはりこのような条件下では三脚を立てての長時間露光撮影が良さそうだ。ちなみに6年前にその方法で撮った写真を紹介しておく。(右写真をクリック)

   米原を出ると「きたぐに」は北陸本線へ。東海道本線に引続き線路状態が良いせいか大きな揺れはなく、下段の広さも相まって程なく眠ってしまう。
   

 

(↑写真をクリックすると6年前の写真が出ます)

   

   翌朝目が覚めたのは朝6時前の直江津着を知らせる車内放送で、その後もウトウトしていたら早や長岡に着いてしまった。この時期の信越本線なので鉛色の空を想像してカーテンを開くと意外にも冬晴れの空である。車窓は雪に反射した朝日がまぶしいほどで、少し先には上越新幹線の高架が続いている。

   ここで気分転換に寝台車から座席(自由席)車へ移動してみた。ゆったりしたボックスシートはさすが583系で、掛け心地は上々である。前後に普通列車の設定が有りながら自由席は半分ほど埋まっており、その殆どが地元の通勤通学客である。別途急行料金を払ってまでもこの列車を選ぶのは一種の「通勤ライナー」的な意味合いがあるのかも知れない。   

      

  

   8:10、新津に着く。「きたぐに」はここで急行から快速に格下げとなり、終点新潟までは急行料金不要で自由席に乗れる区間となる。少なからず地元客が乗るだろうな、と思いホームに降りてケータイを構えると、予想通り次々と乗り込んで立ち客も出る程となった。よって自席はホームに降りた際に他の客に座られてしまったので、再び元のB寝台に戻るとする。

     

  

   元のB寝台に寝転がると程なく終点の新潟着、8:29の定刻である。新潟は2月としては信じられないほどの暖かさであった。

   さて、この列車の性格を@関西〜新潟の遠距離移動A大阪・京都から彦根・米原への終列車B新潟地区での通勤通学輸送、と予想していたところ概ねその通りであった。ただ自由席車はBの需要を見ると4両では少ない気もしたので、普段はB寝台を1両分座席車にしても良さそうである。もちろん夏休みや年末年始は@の需要が見込まれ逆にBは少なそうなので逆にB寝台を増やす対応も考えられる。そしてこのような柔軟な対応が可能な寝台・座席両用の583系に、ぜひその存在価値を示して欲しいと思った。