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  旧形国電の思い出(11)−長門本山支線のクモハ42−

    旧形国電が走る国鉄/JR線で一番遅く訪れたのがこの小野田線(長門本山支線)である。平成5年8月19日、雨の中の来訪であった。平成5年の時点でここと大川支線だけに残る旧国はまさに風前の灯火であり、いつ廃止になってもおかしくない状況であった。

   この時期、旧国への来訪は「会えた、良かった。」という嬉しい気持ちと「今回が最後の来訪かな…」という寂しさとが交錯する、ある種の感慨深さがあったと記憶している。

   実際のところ長門本山支線のクモハ42とは再訪が叶っており、平成9年12月28日に乗車している。結局これが最後の旧国乗車となったわけである。

雨の雀田にて(平成5年8月撮影) 

   さて、この路線の思い出であるが、前回の大川支線と同じように極端に短い線区のため沿線の印象は薄い。動き出してトロトロ走ったら5分でハイ終点である。モーターの唸りもない。 しかし救いは車種が42系(クモハ42)だったことである。これこそは戦前製省電、まさに往年の身延・大糸・飯田線の香りに通じるものがあり、これはホントにうれしかった。

   したがって思い出は発車前の雀田や折返しの長門本山での撮影時間にあると言えそうである。陽光さす茶色のボディやニス塗りの車内、真鍮製の金具等は「作品」と言っても過言ではなかった。ワンマン運転に伴い追加された各種の表示類には目をつぶったのも懐かしい。  

長門本山折返し(平成9年12月撮影・以下同じ)

   もうひとつ思い出深いのは、首都圏からもっとも遠い旧国であったことだろう。2回の来訪はいずれも「青春18きっぷ」、延々と乗り継いで雀田に着き、茶色のクモハ42と対面したときの喜びは格別であった…。

   面白いのは行き止まりの盲腸線でありながら、雀田へ戻る復路も往路とほとんど同じ乗客であること。つまりこの頃から鉄道ファンがやたら多かったことも特徴であった。さらに長門本山で下車するファンで普通に切符を渡して下車する者がほどんどおらず、たいていは企画乗車券、特に「青春18きっぷ」の利用が目立ったのも記しておこう。

夕日さす旧国の車内

   去る3月、クモハ42は当線から引退した。旧国の奇跡にも近い長期にわたる運用であった。      

   このクモハ42の引退をきっかけに連載を始めた「旧形国電の思い出」であるが、乗車した各線は今回ですべて掲載させて頂いた。次回は最終回スペシャルとして今からちょうど20年前、昭和58年5月の「飯田線ラストチャンス」乗車ルポを掲載する。

 

 

ボックスシートに座るサイト管理人