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  旧形国電の思い出(4)−さらば身延の旧国−

 

   昭和50年代は旧国の淘汰が本格的に行われた時代である。このあと残ったのは鶴見線(大川支線)と今回無くなる小野田線(長門本山支線)ぐらいで、事実上の終焉は昭和50年代の後半と言って良いだろう。

  昭和55年ぐらいまでは主に幹線の70・80系と、大都市近郊の72・73系が次々と廃車となった。しかし昭和56年になると前述の「旧国天国」のうち大糸線・身延線が新性能電車(115系)への置換えの対象となった。

  身延線の旧国は昭和56年の8月末でその使命を終えたわけだが、直前の7・8月に時間を作って強行乗車を何度か敢行したのが懐かしい。今から22年前、高校の夏休みであった。(この時期もっと勉強していれば良い大学に行けたかも?)

   同じ時期に大糸線の旧国も終焉を迎えようとしていたが、当時の高校生にとって松本方面への時間と旅費の捻出は身延線のそれと比べはるかに負担が大きく、大糸線の旧国は昭和55年9月の来訪が最初で最後となった。(大糸線については別に取り上げる予定)

甲府でのクハ47100(昭和56年7月12日)

  

   当時の日記を紐解くと、7月12日/16日/8月6日の3回訪れたことになっている。ただし戦前製旧国に乗れたのは最初の1回だけで、2回目は62系、3回目は115系(置換えの端境期)に遭遇しており残念…。

   そうするとこの欄で取り上げるのは7月12日、甲府発富士行きの626Mとなる。早朝の北鎌倉から横浜線経由で八王子着、八王子7:22−8:41甲府の「アルプス1号」に乗る。いや〜懐かしの165系現役バリバリ、サロ2両と非営業ながらサハシも連結の山岳急行である。自由席は既に満席で座れないのでサハシの車販準備室(個室だネ)を拝借して「着席」。非営業のビュッフェならではの荒技であった。

非営業のサハシ165は自由席代用に重宝した

   甲府で身延線ホームへ行くと、6番線に富士行き626Mが停まっていた。発車まで20分近くあったのでいろいろと撮影する。

   右の写真はクハ47の内部である。木張りにニス塗りの内装、本当の「網」棚、真鍮製の各種金具、車両の真ん中に立つ掴み棒、深い屋根…、戦前製「省電」の魅力満載である。

   列車は9:01に甲府を発車、この時間は人の流れと方向が逆ですいている。対向列車は甲府へ向かう地元客で結構混んでいたのが思い出される。   

クハ47100の運転台後部。

 

   EF15(身延にて)。いわゆる旧型電機だが、この当時は当たり前のように見かけた。懐かしいひとコマである。

   乗車を兼ねた撮影旅行では単線ならではの待避時間が重宝した。特に身延や鰍沢口といった留置線のある駅では、どんな編成がたむろしているのか毎回楽しみにしていたものである。

   右は身延の留置線でクモハ60以下の4連。2両目が旧一等車格下げのサハ45である。身延線に在籍するサハ45は2両のみで、残念ながら乗車チャンスがなかった。(大糸線で乗れた。)

    

   当たり前のこととは言え、旧国は窓が開くのがありがたい。風を切る車窓に夏草が揺れる。

   身延線の旧国廃止は2年後の飯田線のそれと比べるとファンもあまり騒がなかった感じであり、この日も普段の休日の列車という様子であった。それだけに落ち着いてその魅力を堪能できた、印象深い来訪であったと記憶している。