トップページへ     夢は鉄路を駆けめぐるへ    最近の話題へ

 

  旧形国電の思い出(6)−スカイブルーの大糸線−

   

   身延・飯田線と並んで戦前製旧国の宝庫と言えばここ大糸線であった。しかし他の2線と大きく異なるのは「スカイブルー」の外部塗装で、少々旧国離れした明るい塗装であったことである。当時の旧国ではここと富山港線73系ぐらいだったと記憶している。(鉄道模型風に言えば「青22号」)

   さて、以前にも触れたが大糸線の旧国訪問はタッタの1回きりである。それは昭和55年9月4日、初めて「信州ワイド周遊券」を使い身延・中央東線経由で訪れた時である。例によりこの時期の鉄道旅行は乗車ルポが残っており、列車名や車番を特定できるのが嬉しい。(ハハハ…)  列車名337M、松本 14:47− 16:53 南小谷のダイヤで、編成は下記の通り。

松本で出発を待つ337M南小谷行き

   ←南小谷 クモハ51804+サハ45005+クハ55405+クモハ60113

 

   さて、上記の4連であればどの車両に乗ろうか?これはもう言わずもがなのサハ45であろう。何と言っても旧1等車(現在のグリーン車)のためボックスシートながらシートピッチもゆったり、頭もたせ・肘掛も風格がある。

   サハ45の掛け心地が良いことは地元客も既知のことなのか、松本出発時は早々に席が埋まってしまっていて途中からの着席となる。それまでは車端部の旧洗面所のスペース(仕切られている)に陣取り、進行方向右側なので対向列車の撮影等に興じる。

旧一等車(サロ45)のサハ45005

   当然ながら今回が大糸線初乗りである。木崎湖・青木湖の静かな水面や、岩ゴツゴツの姫川の流れを次々と車窓にうつしながら列車は山々に挟まれた隘路を分け入っていく。信濃大町を過ぎてからは車内も空席が目立つようになり、心なしか列車のスピードも落ちてきた感じである。

   終点の南小谷から先は非電化のためDC列車の接続である。しかし今回は松本へ戻るスケジュールのため、南小谷〜糸魚川乗車は12年後の平成4年まで「お預け」となった。ああ、今は無き準急形キハ55(下の写真)に乗っておきたかった…。思えば時間的・金銭的に制約の多かった高校時代。それだけに数少ない旅行のチャンスには五感をフルモードにして対象に接していたことが思い出される。

交換する列車もスカイブルー(242M/島内)

 糸魚川行き135D/キハ55が懐かしい。
   クモハ60113(右)は正面窓枠が原形をとどめている数少ない半流形車である。関東出身らしく幌枠もない。