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(update 2017/02/06)

 

さぁ今のうちに訪れよう、新改駅

 

  (来訪日:平成29年1月1日)

   

    4年前の1月1日、自分はスイッチバック土讃線坪尻駅に下車してその内容を当HPにUPした。それからちょうど4年後、今回は遍路の人として四国の地を踏んだわけだが残してあった鉄道の“宿題”もこなさなくてはならない。それはスイッチバック土讃線新改駅の来訪であった。

    幸いJR四国には近年のJR北海道のような駅廃止の話はないが、それでも利用者が極端に少ない駅はファンにとって気がかりであり、新改駅はそれに該当すると言える。よって元旦早々ではあるが土讃線普通列車の人となり、現地へ行ってみた。

   

    左前方奥が新改駅(列車運転台右手から撮影)

 

    列車は土讃線4231D阿波池田11:57発の高知行きである。キハ1000単行に揺られること1時間半、シーサス状の新改スイッチバックに差し掛かった。右上写真の右奥からやってきた列車は写真位置からバックして左奥にある駅ホームに入線した。そして自分を降ろした後、左下方向への本線を高知平野へと下って行った。

    ホームには先客のファンが2人いてカメラを構えていたが、うち1人は自分と入れ違いに列車に乗って去り、もう1人は駅前に停めてあったクルマで去って行ったので結局自分だけが駅に残った。まぁ良くあるパターンである。
 

 

最大で5両編成に対応できるホームだが…

   

   駅ホームには5両編成まで対応できる停止位置が有るものの殆どの列車が単行のようで、かつて乗った「ムーンライト高知」が特急列車を待避するようなシーンは今や望むべくもない。駅舎は簡素なコンクリート造りで、やや殺風景な印象を免れない。

    さて折り返しの列車まで時間があったので駅前の道を少し下ってみた。すると右手に分岐する山道があり、脇の看板には大法寺観音堂(伝武田勝頼墓)とある。えっ武田勝頼?彼の墓は山梨県にあるはずだが…。距離の程度が不明なため探索を断念したが、帰京後ネットで調べると驚きの事実がわかった。関心ある方は調べてみると面白いかも。

 

右看板に「伝武田勝頼墓」をみつけビックリ

 

    話を新改駅に戻そう。来訪が元旦なので地元客がほぼゼロなのは当然としても過疎の山間駅であることには変わりなく、先に取り上げた坪尻駅と同様に将来の廃止又は信号場格下げの可能性も否定できない。ぜひ今のうちに来訪してスイッチバックの様子(と武田勝頼の墓)を記憶に留めておくのも良いかも知れない。

  

簡素な駅舎で時間を持て余す