(update 2006/09/09)

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“秘境駅”宗太郎に降り立つ

 

 

   今から11年前の夏、自分は日豊本線の大分と宮崎の県境を普通列車に乗り、人煙稀な山深い車窓を眺めていた。列車はいくつトンネルを抜けたろうか、やがて山奥の信号場のような辺鄙な駅に停まった。その駅の名は「宗太郎」、いわゆる秘境の駅だった。その時、今回は無理だがいつかは降りてみようと思い、11年が経過した…。

   そして今年。当時でも普通列車は5往復しかなくスケジューリングには苦労させられたが今は右写真のようにわずか3往復、遠来の鉄道ファンを寄せ付けないかのごとき“孤高の”列車ダイヤである。しかし苦難があればあるほど訪れたいのが秘境駅でもあり、「そこに駅があるから!」訪れるものとご理解頂きたい。なお駅名の由来はこの土地に住んだ平家の落人「洲本宗太郎」にちなむらしい。

 

一日たったの3往復、秘境駅らしい時刻表

   この駅を訪れるには早朝はキツく、夜間は写真が撮れない。よって夕方の延岡発佐伯行きを選び、ついに宗太郎駅ホームに降り立った。

   驚くことになんと列車撮影の先客が1名おり、いつからこの駅にいたのかと思わずいぶかるほど。しかし秘境の駅でお互い挨拶もせずに駅構内をうろうろするのも異様なのでこちらから「今日は、失礼します」と言うと相手のオッサン「どぅも、お先に。」と撮影を終えて去っていった。どうやらクルマでこの駅へ撮影に来ていたようで、そのほうが時間的にも柔軟なスケジュールが組めることは容易に想像できる。

   結局自分一人になったので、気兼ねなく撮影に興じることとする。朽ちかけた駅が周囲の濃い緑に吸い込まれそうな雰囲気であった。

上りホームから北方面(佐伯方面)を見る

   ところで宗太郎駅前は全くの無人ではなく、駅の下方を流れる鐙川近くに十数戸の集落がある。もっともその住民がこの駅を日常的に利用しているかは甚だ怪しい。先述の鉄道ファンではないがクルマのほうがはるかに便利であり、1日3往復の鉄道利用に固執する必然性はほとんどないと思われる。よってそう遠くない将来、この駅は廃止(列車交換のみの信号場に格下げ)されるかも知れない。

   この宗太郎は山間の駅らしく、山の稜線に陽光が遮られると平地よりも早く暗くなってくる。そして18時過ぎにお迎えの延岡行きがやって来た。行きも帰りも当駅からの乗降客は自分だけだった。

 

下りホームから南方面(延岡方面)を見る

(左)駅舎跡のコンクリ土台 / (右)年代を感じさせる駅名標

延岡への帰途、475系の国鉄色編成がやってきた