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  update 2007. 5.11 

踏 破 日 2007/04/27
コースタイム 7:00〜9:25
歩 行キロ 7.0q
累 計キロ 7.0q
踏 破 率 1.4%

  
早朝の日本橋に立つ

日本橋〜JR品川駅
  
 

 

   

   朝6:50、4月下旬の日本橋に立つ。

   江戸時代の旅は徒歩が基本、少しでも一日あたりの移動距離を稼ぐべく旅立ちは早朝と決まっていた。そこで自分も少々早起きして頑張った(6:50なんておせーヨ!と叱らないでネ)のだが、道路はもう車・クルマである…

   

           
   

  この日本橋脇には「日本国道路元標」があり、日本の道路の起点として設置されているようだが、旧東海道と関係があるのかな? 京都から首都を奪った東京の振興策(!?)だったのだろうか…。  ちなみにこれは道路脇にあるレプリカで、本物はなんと道路の真ん中に埋められている。東海道踏破の先達諸氏の中にはクルマの流れが途切れた際に強行撮影されたケースも少なくないようで頭が下がる。

   
  

   少し歩くと程なく右手に東京駅八重洲口が見えた。ここから「のぞみ」に乗れば京都まで2時間20分です、ハイ。我がプロジェクトが完結するのはいつの日か? それ以前の問題として、そもそも無事完結するのだろうか…

 

 
   

    これは有楽町手前の歩道脇にあるキロポスト(この呼称で良いのかな?)で、日本橋から1qとある。実はこの案内はこれ以降もちゃんと続いており、味気ない国道部分を歩く際のささやかな楽しみと言えなくもない。

    
  

   旧汐留駅(新橋)の跡地にある「鉄道歴史展示室」。建物は立派で入場無料、しかし開館は11:00からとあって時間が早過ぎた。

   う〜ん残念、早起きは三文のなんとやら(?)であった。

   
  

    さて新橋を過ぎてJR線をくぐり、浜松町を過ぎると金杉橋(右)が見えてくる。距離からするとこの辺りが日本橋から約4キロ弱、即ち最初の“一里塚”があった場所と考えられている。「〜考えられている」と記したのは肝心の一里塚跡が見当たらず、概ねこの辺りというのが通説となっているためである。

    
  

    田町駅を過ぎて札の辻歩道橋を渡る。この歩道橋から斜め右後方を振り返ると東京タワー(写真)がある。江戸時代の人に再びここへ天孫降臨があるとでも言えば信じてもらえるかな(?)

   
  

   歩道橋を下り、進行方向右手の歩道を進むと御田(みた)八幡神社がある。この神社は街道に面する社寺の中では最初に現れるものである。日本橋から6キロ、境内にはベンチもあるので小休止するのも良いだろう。来訪時はツツジがきれいに咲いていた。

      
  

   そろそろ品川駅が近づいてきたが、その前に赤穂浪士で有名な泉岳寺にも立ち寄ってみよう。この寺は街道右手に総門が見えるので容易にわかる。参道脇に赤穂浪士にあやかった土産物屋があり、山門右脇には近年建立された大石内蔵助(くらのすけ)の像が建っている。

    品川駅の手前、その筋には楽しいアングル(品川高速バスターミナル)を見つけたので一枚撮ってみる(下右)。185系もそろそろ淘汰の声が聞こえてきそう…

  さらに歩くと程なくJR品川駅である。

   

  →次は 第一京浜はクルマばかり です。