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  update 2009. 5. 1

踏 破 日 2009/04/07
コースタイム 07:50〜09:45
歩 行キロ 5.1q
累 計キロ 492.1q
踏 破 率 100.0%

 
京の都に桜花舞う

JR山科駅〜三条大橋
 

(前のついに山城国へへ戻る)

  

    旧東海道を歩き始めてからほぼ2年、今回は最後の1%を踏破すべく朝のJR山科駅に降り立った。駅前の枝垂桜は満開で、暖かくなったことを実感させる。

   駅前できつねそば(薄口の麺つゆが京風でGood)を食べてさぁスタートである。
   

    
 

    旧街道はしばらくの間JR線に沿って西へ向かう道をとる。この付近は交通量が少なく、落ち着いた雰囲気の道である。

   やがて道の左手に宝永四(1707)年銘のある「五条別れ道標」が立っている。旧街道はこの先三条通りとなるが、五条方面への分岐を案内する道標と考えられる。

 

 

    
 

    やがて旧街道は三条通りと合流し進路を北西に変え、JR東海道本線の下をくぐる。

   

    
 

    三条通りと合流した旧街道であるが、東海道本線ガードをくぐった先で左へ分岐する。この道は目立たない小径で、旧東海道を示す案内板等もないので赤矢印を入れておく。(最後の赤矢印)

    

    
 

    この分岐した小径は「これは本当に旧東海道か?」と思わずいぶかるほどの道であるが、しばらく歩いて右写真のような上り坂が見えてくれば正解である。

   なおこの付近には江戸側からみて最後の一里塚となる御陵一里塚(日本橋から124里目)があったとされるが現存せず、石碑・案内板等もない。

   

    
 

    この区間は三条通りの抜け道なのか、道幅の割にクルマが次々と来るので歩行には注意を要する。道の途中には亀水不動尊が祀られており(下写真)、湧き出す清水が旅人の喉を潤したとされる。

  

 

   
 

    やがて旧街道は三条通りと合流、この先は幅広の車道がゴールまで続く。

    

   

   
 

    この区間は平成九(1997)年に京都市営地下鉄が開業した際に、それまで地上を走行していた京阪京津線部分を道路として拡張したため道幅が広い。

    その一角に古来の牛車を復元したエリアがあった。道を上り切ったこともあり、ここでしばし休憩する。

   案内板の内容はこちら
(戻る際はブラウザの「戻る」ボタンで戻って下さい。)

 

   

    

    道は下り坂となり、洛中へと向かう。道路上の看板に「三条大橋」の表示をみつけ、いよいよかと実感する。

   

   
 

    旧街道は蹴上浄水場を左に見ながら緩やかに坂を下る。この先、道脇のサクラが増えてくる。

   

   
 

    道の右手にはインクラインの土手があり、ここに咲く満開のサクラが平成の旅人を迎えてくれた。

   

   
 

    やがて三条通りは左へ曲がる。ここから三条大橋へは西へ1.7Kmの距離である。

   

   
 

    あとは真っ直ぐ西へ歩くだけ、ゴールは目前である…が、ここで敢えて少し休憩する。旧東海道を完歩した先達諸氏の中でも近在の公園や南禅寺等で休憩するケースがあり、あっさり完歩してはもったいないような微妙な心理が働くのかもしれない。

   道の左手に佛光寺本廟(浄土真宗)があり、ここで休憩する。枝垂桜がとてもきれいであった。    

 (右)佛光寺の
枝垂桜

   
 

   もうあとは真っ直ぐ西へ歩くのみである。

  この時、ゴール直前を歩く平成の旅人の心は積み立てた努力が満たされる達成感と、もうすぐ夢が終わってしまう名残感(?)とが入り乱れていた。

 

   
 

   そしてついに三条京阪、つまり鴨川の前まで到達した。写真右手の三条大橋を渡ればゴールインである。

 

   
 

   渡る前に三条大橋の写真を撮る。かつてはもっと長い橋であったが、鴨川の疎水部分が道路と京阪電車(地下)となった分だけ短くなってしまっている。

  では…渡ろう、三条大橋を。

 

   
 

   てくてく…、あと30m。

  橋自体はコンクリート橋でクルマの往来も多いが、欄干の擬宝珠が由緒ある橋らしさを感じさせてくれる。

 

  

 

   
 

   ついに渡った!!

  そして終わった…

  

   渡りきった橋のたもとには東海道中膝栗毛の弥次・喜多像がある。これは地元商店街による設置でその存在は事前に知ってはいたが、やはりこのような演出は有難いと感じた。

 

   
 

    仕事の合間を縫い約2年の月日をかけて完歩した旧東海道。約500Kmの道は若干の途切れ区間も有ったが、現役の道として活きていた。その様子はオフィス街・商店街から住宅地・山間部に至るまで多岐に渡り、平成の旅人を楽しませてくれたと言える。

   ところでこの旅の目的の一つであったダイエットは一定の成果を収め(2年で7キロ減)たが、この完歩を境にまた増えてしまうのだろうか?   この点については何か考えなくてはならないネ!

  

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。/by平成の旅人