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権五郎神社と面掛行列

    
   鎌倉坂ノ下にある権五郎神社は普段は静かな神社であるが、毎年9月18日の例祭には多くの人が集まる。そこで今回は本年(平成13年)の例祭日を取り上げてみる。

  権五郎神社の正式呼称は「御霊神社」であるが、市内梶原にも同名の神社があることから通称がよく使われる。祭神の鎌倉権五郎景政は後三年の役で源義家に従軍し活躍した勇将である。そのため後世の鎌倉武士に崇められて「御霊神社」の祭神となったと伝えられる。

   鎌倉時代にも「吾妻鏡」に記事が散見される。文治元年(平氏滅亡の年)には「御霊社鳴動す。すこぶる地震のごとし(以下略)」とあり、驚いた幕府は使者を遣わし御願書を奉納して巫女等に賜物を下し神楽を奏したとある。他にも実朝や北条泰時の頃にも記事がある。

   境内には景政にまつわる「弓立の松」の他、摂社や庚申塚群もあり、史跡研究の点でも興味は尽きない。また、背後の山と江ノ電に挟まれたロケーションは写真家にも風情ある被写体として、書物等にもしばしば取り上げられている。(個人的には、12月初旬に境内のイチョウが黄色く染まり、落葉が境内を埋める頃が好きである。)

 

幟立つ境内は、お祭りらしい雰囲気である。

  

   さて、標題にもある「面掛(めんかけ)行列」は、例祭日に行われる非人の面を掛けた行列が町内を歩く行事で、鎌倉の個性ある祭りの一つである。その昔、頼朝が非人の娘を身ごもらせたので、年一回非人に無礼講を許したのが始まりとか、逢瀬の警護を再現したとか言われているが、いずれも伝説の域を出ない。

  面は十面あり、順に@爺A鬼B異形C鼻長D烏天狗E翁F火吹男(ひょっとこ)G布袋H阿亀(おかめ)I女となっている。このうちH「阿亀」は妊婦の姿(頼朝との伝説による)を模し、時折腹をさすりながら歩く。これをI「女」が扇子で煽いで癒す所作もある(右下写真)。なお、この行事は県指定無形文化財に指定されている。

  面掛行列を見学したのは昭和51・52年(中学生の時)以来であった。相変わらずの人出の多さであったが、印象に残ったのは昔と変わりビデオカメラ持参の見物客が多かったことと、9月18日にしては例年になく暑かったことであった。

さまざまな面を連ねる「面掛行列」。右の腹の大きい「おかめ」は頼朝と通じた伝説にちなむ。