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「陣出の泣塔」の思い出

   大船から湘南モノレールに乗り、湘南深沢で下りる手前にJR大船工場の敷地が右手に広がっている。これは国鉄時代からの工場が引継がれているわけだが、規模は以前よりやや縮小したような感じである。

   さて、今回紹介する「陣出の泣塔」(単に泣塔とも呼ばれる)はこの工場の敷地内にある宝篋印塔で、鎌倉市指定文化財の認定を受けた大きくしっかりした石塔である。

   この付近は洲崎と呼ばれ、元弘3(1333)年に新田義貞が鎌倉を攻めた際の古戦場として知られている。この塔はそれから約20年後に戦没者の慰霊を目的に建立されたと考えられている。

   かつてこの塔を手広の青蓮寺へ移した際に、この塔が元の場所に帰りたがって泣いたという言い伝えがあり、それゆえ「泣塔」と呼ばれているようである。 

 

小高い岩の上に鎮座

   中学生の頃、泣塔を見学するためには国鉄大船工場の敷地内に入るため、入口の守衛所で見学の来意を告げて入場者のバッジを胸に着けるよう指示を受けたものである。

   私は友人のY君と何度か見学しているが、塔の見学もさることながら工場内に留置されている珍しい車両をついでに撮影したのが思い出される。大船工場の引込線には全検や廃車回送された車両(普段お目にかかれない)がたむろしていたので、史跡研究をタテマエに実は鉄道ファン的行動を2人で実行していたわけである。もっとも見学順路以外の場所は立入厳禁であったので、限られたエリアで何か目新しい車両はないかなと敷地内を注視したものである。

   現在は工場の敷地が縮小されたこともあり、泣塔は自由に見学できるようになっている。小高い岩の上に鎮座する塔は、かつて工場の敷地であった運動場内で遊ぶ子供たちを見下ろすような感じで静かに陽光を浴びていた。思い出したように湘南モノレールが町屋への坂を登って行く…。春のある一日の回想であった。

 

 

モノレールを眺めるているのか?