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update 2012/11/27)

英勝寺に山門戻る

 
 

   浄土宗英勝寺----鎌倉扇ガ谷にある水戸徳川家と縁のある尼寺として知られており、この界隈を散策する者であれば必ず訪れてみたい寺院である。今回はこの英勝寺の山門について取り上げてみたい。

   実を言うと近年までこの英勝寺には山門がなかった。いや、かつては有ったのだが、大正の関東大震災で寺が大きな被害を受けた際に財政上の理由でやむなく売却され人手に渡ってしまったのである。

   その後の複雑な経緯は省略するが、当の山門は鎌倉駅の西、滑川を渡った東勝寺跡近くを右折した場所に移築されて長らくぽつんと置かれていた。もちろん宗教施設としては全く機能しておらず、周囲の草木に覆われるがままの状態であった。  

復興なった英勝寺山門

   自分がこの山門を知ったのは昭和50年代に買ったガイドブックの記事からで、このような場所に文化財が放置されていることを憂える内容で紹介されていた。実際に知人と訪れてみると確かに「何でこんな処に山門が??」と思わずにはいられないほどで、寺へ戻ることなくこのまま朽ち果ててしまうような印象も拭えなかったものである。

   そんな忘れ去られた文化財・英勝寺山門であったが、平成13年に転機が訪れる。この地が宅地化されるのを契機に、篤志家たちの尽力により英勝寺に戻ることとなり、解体のうえ寺に部材が運ばれた。さらに平成15年、再築前の部材の状態でありながら神奈川県指定文化財に指定される。そして平成19年には復元工事が始まり平成23年に落慶式の運びとなったわけである。  

草木に埋もれる英勝寺山門(平成10年撮影)

   いま実際に再築なった山門を眺めると向かって正面がすぐに宅地となっているため写真撮影に要する“引き”が少なく、山門の斜め横から広角レンズを使ってやっと全体が収まる状態である。一方で従来にはなかった山門から仏殿を眺めるアングルで撮影ができるようになり(右写真)、これを見ると英勝寺が格式ある寺院であることを改めて実感させられる。

   なお山門について簡単に触れておくと、江戸時代初期の建築で下層部蟇股(かえるまた)の凝った彫刻が目をひく。上層部は一般立入禁止であるが、阿弥陀三尊および十六羅漢像が安置されている。

   境内には他にも仏殿・鐘楼・唐門といった江戸時代初期の建造物が並び、近年では竹林も整備されて参拝者が回遊できるようになっている。

山門から仏殿を眺める新しいアングル

    

   それにしてもこの山門が寺を離れて久しかった頃を知る者にとって、現実に英勝寺に戻った姿を眺めるとある種の感慨が湧いてくる。もう無理かと思えたことでも諦めずに時を待てば思いがけず事態が好転することもある、そんなことを教示するかのような今回の山門の帰還であった。

 

     山門の向かって左側から撮影