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瑞泉寺の「どこもく地蔵」は語りかける

  鎌倉二階堂地区の史跡は落ち着いた雰囲気に満ちている。観光バスが通れないような小径の行きつくところ、ここ瑞泉寺もその落ち着きを保って来訪者を迎えてくれる。それも四季折々の花に迎えられてであり、まさに鎌倉らしさを満喫できる史跡である。

  瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、夢窓疎石の開山である。境内裏には疎石の作とされる庭園があり、四季の花とともにこの寺の見どころとなっている。

  さて、今回はその瑞泉寺の境内左脇にある地蔵堂を取り上げてみたい。右下の写真にもある小さなお堂であるが、ここに安置されている地蔵菩薩は別名「どこもく地蔵」(または「どこも地蔵」)と呼ばれている。かつて扇ヶ谷の地蔵堂にあり、大正5年に瑞泉寺に寄進されたと伝えられる。このお地蔵さま、ちょっと不思議な名前であるが、その由来を以下に綴ってみよう。

 

いつも花がきれいな瑞泉寺(4月)

   昔の話であるが、この地蔵堂の堂守が貧乏な暮らしに苦しんでいた。ろくに参拝者もいないこんな堂守をいっそのこと投げ出して、どこか他国へ移り住もうか、その方が生活も楽になるかも知れない、などど日々考えていた。そんなある日、夢枕に地蔵が現れ「どこもく、どこもく・・・」と言って消えてしまった。

  夢から覚めた堂守は言葉の意味を考えたが、どうにもわからない。そこで近在の八幡宮の供僧に尋ねてみると、「どこもくとは『どこも苦』のことである。今の境遇が辛いからといって逃げ出しても、苦労は必ずついて回るものである。そのことを地蔵が教えて下さったのだ。」

  堂守は自らの浅はかさを悟り、以前にも増して地蔵堂を一生懸命守りつづけたということである。

  いま、地蔵は瑞泉寺に移され、暖かい陽光が堂内に差し込んでいる。静かに来訪者を見おろす「どこもく地蔵」は、現代の私たちにも「どこもく・・・」と語りかけているようである。

 

境内左脇にあるどこもく地蔵堂

  像はほぼ等身大で昭和47年に市指定文化財に指定されている。瑞泉寺来訪の折にはぜひ立ち寄ってみたい。

「どこもく地蔵」は語りかける・・・