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頼朝の威信、永福寺(ようふくじ)跡に立つ

  鎌倉宮から瑞泉寺へ行く途中にある広い空き地(?)、ここはちょっと止まって立ってみよう。鎌倉の廃寺でも特に名高い永福寺跡である。奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、辺境の地平泉に建つ大伽藍に驚き、これに負けない寺院を建てようと永福寺を創建した。為政者頼朝の威信をかけて建てられた伽藍は、宇治の平等院を思わせる両翼を張った本堂、その前に広がる苑池、他にも阿弥陀堂・薬師堂・多宝塔ほか、今では想像するより他ないが、かなりの規模であったことがわかる。

  残念ながら室町時代末期に廃絶、頼朝の建てた大寺院は他に勝長寿院があるがこれも現存しない。極端な話が頼朝に直接由来する鎌倉の史跡は鶴岡八幡宮が現存するぐらいで、他の史跡は多くが北条氏絡み、または室町時代以降のものである。

ここにかつての大寺院があった。

  近年は発掘調査が進み、この写真を撮ったあたりはかつて池のあった所とされる。当時の伽藍をイメージして、この地にかぶせてみるのも面白いだろう。