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鎌倉の面影を残す「釈迦堂口切通し」
 

  鎌倉の面影を残すところと言えばどこだろう?現存する社寺のほとんどは近世の再建、となると自然を残すハイキングコースや「やぐら」(鎌倉特有の墳墓)、切通しあたりになろうか。

  今回紹介する「釈迦堂口切通し」はいわゆる鎌倉の七切通しではないが、当時の重要な交通路であったことには変わりない。人里離れた、車も通らない、鎌倉らしい史跡である。今も地元の人は利用しているようであるが、「地元の」と書いたのは、多くのガイドブックが崖崩れの危険性があるため通行止めと記載しており、そのせいか観光客はあまり訪れていないようである。

  今から20数年前、自分が中・高校生の頃は特に危険との話もなかったので、よく自転車で通ったものである。杉本寺や報国寺といった浄明寺地区から大町・名越地区へ抜けるにはこの道しかなかったので、大変便利であった。また高校の部活動で近在の「日月やぐら」を探し当てたのも懐かしい思い出である。

 

釈迦堂口切通し(浄明寺側から)

   訪れる道順としては杉本寺付近の犬懸橋で滑川を渡り、標識に従って釈迦堂ヶ谷へ入る。すると人家が途切れて山道らしくなり、やや上り坂となる。鎌倉市の注意喚起を促す看板を蹴って(本当に蹴らなくていいヨ)さらに進むと写真のような威容の切通しが眼前に現れる。切通しと言うよりはむしろ洞門で、荒々しい地層の旧状を良く残している。洞門部分を見上げるといつ崩落してもおかしくないような様相で、少々スリルがある。また、やぐらとおぼしき跡も残っている。 

この洞門部分は確かにのんびり見ていると運の悪い目(崩落)に遭う可能性がなきにしもあらず、である。よって通行の際はご注意あれ。

  なお「釈迦堂」のいわれは、北条泰時が父・義時の一周忌供養に釈迦堂をこの地に建てたことによる。現在「釈迦堂」は廃絶しているが、本尊の釈迦如来は東京目黒の大円寺にある。

 

付記:平成22年4月にやや大きな崩落発生、鎌倉市では通行禁止にしています。

大町・名越方面から見るとこんな感じ