小鳥夫婦


 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
                            コリントの信徒への手紙一 13章7節

 11月初旬、風も冷たくなってきた。喫茶店のボックス席に姉と二人落ちついても、先細りの靴の中で冷気は去ろうとしない。私はそれを何とかしようと足を組みかえてばかりいた。姉もカシミヤのマフラーに頬を埋めたままで、メニューのホットドリンクとケーキのページを開いて見ていた。
「久子ちゃん、コーヒーでいい?」
 私は頷いた。久しぶりにちゃん付けで呼ばれてくすぐったいような気がした。未だにこんな呼び方をするのは姉だけだ。
「私は紅茶にしようかな。ケーキは半分こしようね」
 ウェイトレスを呼んで注文をとった。ブラックコーヒーにチーズケーキと紅茶のセット。姉と私の間では、ケーキ=チーズケーキだ。姉はウエイトレスと目が合って、嬉しそうににこにこした。相手も思わずにっこりして、伝票片手に去っていく。これが、姉の力だ。
「ミルクティーとブラックコーヒーの違い」と姉と私を表現した人がいた。当たっていると思う。私は半年前からその人と付き合って、先月別れてしまった。どうしてか、一人の人と長続きしない。言うなれば、恋はするけど愛情を持ったことはないのだ。
 ぼんやりそんなことを考えながら、窓の外を眺めていた。昼前の中途半端な時間だったから、店は空いていて、おかげで明るいいい席に座れた。
 窓ガラスを隔てた向こうに、鮮やかな黄緑色の小鳥が降りてきた。3羽、4羽。アスファルト舗装の上で、イチョウの落ち葉を無造作に踏む、熱帯の小鳥達。
「あ、セキセイインコ」
 姉が私の視線の先にあるものに気付いて声を上げた。
「ペットのが逃げ出して、野性化するんだって。都会の冬は暖かいから」
 私がニュース特集で得た知識を披露すると、姉はふうん、と首をかしげてみせた。そして、何かいいことを思いついた、とでもいうようにいつものにこにこ笑いを見せた。
「ねぇ、ねぇ」
「うん」
「結婚するの」
「…へぇ、誰が」
「私が」
「誰と」
「久子ちゃん会ったことない人。今日呼んであるの、もうすぐ来るわ」
 さらりと言い放った。「ねぇ、ねぇ、今から出てこない?」と日曜の朝から人を呼び出したのはこういうわけだったのだ。わたしはまだ半信半疑で、重ねて質問した。
「いつ」
「まだ細かく決めてないの。式を挙げるのは準備に時間かかっちゃうし、籍だけでも先に入れようか、なんて言ってるけど」
 ちょっとせっかちな人なの。と姉は楽しげに答えた。
「聞いてない」
「うん、だって今日はじめて話すんだもの」
「そうじゃなくて」
 あくまでマイペースな姉に少し脱力しながら、言葉を続けた。
「いつから付き合ってたの。恋人がいるなんて知らなかった」
「うん。会ったのついこのあいだだったから」
 ついこのあいだ、というところが気になって、突っ込んで聞いた。
「一ヶ月ぐらい前かな」
 私は呆れた。大いに呆れた。せっかちにも程がある。それが顔に表れたのか、姉はふくれた。 「久子ちゃん、私もうハタチも後半よ。そんなに早いってわけじゃないでしょう」
 そういう意味で早いって言ってるんじゃないんだけど。
 内心でため息をつき、どう言ったものかと思案したちょうどその時、ケーキと飲み物が運ばれてきた。
 会話はそこで少しの間、中断された。

 私が熱くて味も何もないコーヒーを半分ぐらい飲み終えた頃、姉が唐突に言った。
「あれね、love birdって言うのよ」
「あれ、って?」
 少し警戒して問い返した。loveという言葉がうさんくさく聞こえた。
「インコ」
 私は再び窓に目をやった。つがいの一組がいつのまにか窓枠に止まっていた。さすがに寒いのか羽毛をふくらませて、きちっと寄りそっている。
「オスの求愛行動で、メスに口移しで食べ物をあげるっていうのがあるのね。その様子がすごく仲がいいように見えるから」
「ふうん」
 love bird。黄緑色の羽毛にうずもれかけている目は、湿気を帯びてつやつや光っていた。一瞬それに見入りかけた時、こげ茶のマフラーを首に巻いた人影が視界の端に引っかかった。道に展開していたインコ達が飛び上がって通路を空ける。
 あ、と姉が小さく声を漏らして、人影に手を振った。
 ほどなくして店に入ってきた男は、随分背が高かった。180も後半ぐらいあるんじゃないだろうか。肩幅が広くて、背広でも着たら見栄えがしそうな体格だ。ただ、色白な上に、小さな目が黒目がちで、顔が子供っぽいのがアンバランスだった。半分マフラーに埋まった頬に赤みがさして、夢見る少女のようでもある。じろじろ観察していたら、まともに視線が合った。
 彼はにこにこした。
 私は一瞬呆気に取られて、それからすぐに、胸につっかえていたものがすとんと落ちるように納得した。
 彼は姉の横に座って、ホットミルクティーを注文した。低いけれど濁りのない、きれいな声だった。
 私はますます納得した。
 彼は姉と同じタイプの人間なのだ。何かを超越している雰囲気。この人達は恋などしなかったのだろうと思った。そんな感情を一足飛びにして、愛情に辿り着いたのだろう。それはまるで小鳥のように。  姉が彼を見上げて、彼はそれに頷いてみせた。彼は口を開きかける。何を言うのだろう。
"はじめまして"?
"こんにちは、○○○です"?
 そして私のことを何と呼ぶのだろうか。
 この人になら、姉と同じように「久子ちゃん」と呼ばれても悪くないかもしれない。
 いつのまにか、私もほほ笑み返していた。

                                           【終】


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